マスコミの情報(特にテレビ局の映像)を裁判の証拠とすることについて

なぜNHKはオウム真理教の映像を「裁判の証拠」として使うことに反発したのか?

 

この記事は,上記のコラムに触発されて書きます。

マスコミの情報,特にニュース映像を裁判において証拠利用することについては,かねてから議論があります。大学では,憲法の講義の中で「知る権利」として取り上げられる話題です。

これについての判例に,「博多駅テレビフィルム提出命令事件」(最高裁大法廷昭和44年11月26日決定,取材フイルム提出命令に対する抗告棄却決定に対する特別抗告)があります。

これは,付審判請求(警察官の行為が特別公務員暴行陵虐罪にあたるとの主張に基づくもの)の審理のため,地裁がテレビ局に対し,事件当日の放送フィルムの提出を命じたことに関するものです。

最高裁決定は,次のように言っています。

報道機関の報道は、民主主義社会において、国民が国政に関与するにつき、重要な判断の資料を提供し、国民の「知る権利」に奉仕するものである。したがつて、思想の表明の自由とならんで、事実の報道の自由は、表現の自由を規定した憲法二一条の保障のもとにあることはいうまでもない。また、このような報道機関の報道が正しい内容をもつためには、報道の自由とともに、報道のための取材の自由も、憲法二一条の精神に照らし、十分尊重に値いするものといわなければならない。

ところで、本件において、提出命令の対象とされたのは、すでに放映されたフイルムを含む放映のために準備された取材フイルムである。それは報道機関の取材活動の結果すでに得られたものであるから、その提出を命ずることは、右フイルムの取材活動そのものとは直接関係がない。もつとも、報道機関がその取材活動によつて得たフイルムは、報道機関が報道の目的に役立たせるためのものであつて、このような目的をもつて取材されたフイルムが、他の目的、すなわち、本件におけるように刑事裁判の証拠のために使用されるような場合には、報道機関の将来における取材活動の自由を妨げることになるおそれがないわけではない。 しかし、取材の自由といつても、もとより何らの制約を受けないものではなく、たとえば公正な裁判の実現というような憲法上の要請があるときは、ある程度の制約を受けることのあることも否定することができない。

公正な刑事裁判を実現することは、国家の基本的要請であり、刑事裁判においては、実体的真実の発見が強く要請されることもいうまでもない。このような公正な刑事裁判の実現を保障するために、報道機関の取材活動によつて得られたものが、証拠として必要と認められるような場合には、取材の自由がある程度の制約を蒙ることとなつてもやむを得ないところというべきである。しかしながら、このような場合においても、一面において、審判の対象とされている犯罪の性質、態様、軽重および取材したものの証拠としての価値、ひいては、公正な刑事裁判を実現するにあたつての必要性の有無を考慮するとともに、他面において、取材したものを証拠として提出させられることによつて報道機関の取材の自由が妨げられる程度およびこれが報道の自由に及ぼす影響の度合その他諸般の事情を比較衡量して決せられるべきであり、これを刑事裁判の証拠として使用することがやむを得ないと認められる場合においても、それによつて受ける報道機関の不利益が必要な限度をこえないように配慮されなければならない。

次に,「日本テレビ事件」(最高裁第2小法廷平成元年1月30日決定,贈賄被疑事件について地方裁判所がした準抗告棄却決定に対する特別抗告)です。

これは,地検の検察事務官が贈賄被疑事件(リクルート事件)に関し裁判官の発した差押許可状に基づきビデオテープの差押処分をしたことについての決定です。このビデオテープには未放映部分が含まれていました。

最高裁決定は,次のように言っています。

報道機関の報道は、民主主義社会において、国民が国政に関与するにつき重要な判断の資料を提供し、国民の「知る権利」に奉仕するものであつて、表現の自由を保障した憲法二一条の保障の下にあり、したがつて報道のための取材の自由もまた憲法二一条の趣旨に照らし、十分尊重されるべきものであること、しかし他方、取材の自由も何らの制約をも受けないものではなく、例えば公正な裁判の実現というような憲法上の要請がある場合には、ある程度の制約を受けることのあることも否定できないことは、いずれも博多駅事件決定が判示するとおりである。もつとも同決定は、付審判請求事件を審理する裁判所の提出命令に関する事案であるのに対し、本件は、検察官の請求によつて発付された裁判官の差押許可状に基づき検察事務官が行つた差押処分に関する事案であるが、国家の基本的要請である公正な刑事裁判を実現するためには、適正迅速な捜査が不可欠の前提であり、報道の自由ないし取材の自由に対する制約の許否に関しては両者の間に本質的な差異がないことは多言を要しないところである。同決定の趣旨に徴し、取材の自由が適正迅速な捜査のためにある程度の制約を受けることのあることも、またやむを得ないものというべきである。そして、この場合においても、差押の可否を決するに当たつては、捜査の対象である犯罪の性質、内容、軽重等及び差し押えるべき取材結果の証拠としての価値、ひいては適正迅速な捜査を遂げるための必要性と、取材結果を証拠として押収されることによつて報道機関の報道の自由が妨げられる程度及び将来の取材の自由が受ける影響その他諸般の事情を比較衡量すべきであることはいうまでもない(同決定参照)。

本件差押処分は、被疑者Aがいわゆるリクルート疑惑に関する国政調査権の行使等に手心を加えてもらいたいなどの趣旨で衆議院議員Bに対し三回にわたり多額の現金供与の申込をしたとされる贈賄被疑事件を搜査として行われたものである。同事件は、国民が関心を寄せていた重大な事犯であるが、その被疑事実の存否、内容等の解明は、事案の性質上当事者両名の供述に負う部分が大であるところ、本件差押前の段階においては、Aは現金提供の趣旨等を争つて被疑事実を否認しており、またBも事実関係の記憶が必ずしも明確ではないため、他に収集した証拠を合わせて検討してもなお事実認定上疑点が残り、その解明のため更に的確な証拠の収集を期待することが困難な状況にあつた。しかもAは、本件ビデオテープ中の未放映部分に自己の弁明を裏付ける内容が存在する旨強く主張していた。そうしてみると、AとBの面談状況をありのままに収録した本件ビデオテープは、証拠上極めて重要な価値を有し、事件の全容を解明し犯罪の成否を判断する上で、ほとんど不可欠のものであつたと認められる。他方、本件ビデオテープがすべて原本のいわゆるマザーテープであるとしても、申立人は、差押当時においては放映のための編集を了し、差押当日までにこれを放映しているのであつて、本件差押処分により申立人の受ける不利益は、本件ビデオテープの放映が不可能となり報道の機会が奪われるという不利益ではなく、将来の取材の自由が妨げられるおそれがあるという不利益にとどまる。右のほか、本件ビデオテープは、その取材経緯が証拠の保全を意図したBからの情報提供と依頼に基づく特殊なものであること、当のBが本件贈賄被疑事件を告発するに当たり重要な証拠資料として本件ビデオテープの存在を挙げていること、差押に先立ち検察官が報道機関としての立場に配慮した事前折衝を申立人との間で行つていること、その他諸般の事情を総合して考えれば、報道機関の報道の自由、取材の自由が十分これを尊重すべきものであるとしても、前記不利益は、適正迅速な捜査を遂げるためになお忍受されなければならないものというべきであり、本件差押処分は、やむを得ないものと認められる。

さらに,「TBS ギミア・ぶれいく 事件」(最高裁第2小法廷平成2年7月9日決定,Aに対する暴力行為処罰に関する法律違反及び傷害被疑事件について地方裁判所がした準抗告棄却決定に対する特別抗告)があります。

これは,警察官が裁判官の発した差押許可状に基づきビデオテープの差押処分をしたことについての決定です。日本テレビ事件に比べると,差押の主体(裁判に直接証拠を提出するわけではない警察官)という点や比較的ありふれた刑事事件の捜査のための差押であったことが注意されるべきでしょう。

最高裁決定は,次のように言っています(この決定は,具体的な事案における判示に大きな意義があるので,その部分を抜粋します)。

本件差押は、暴力団組長である被疑者が、組員らと共謀の上債権回収を図るため暴力団事務所において被害者に対し加療約一箇月間を要する傷害を負わせ、かつ、被害者方前において団体の威力を示し共同して被害者を脅迫し、暴力団事務所において団体の威力を示して脅迫したという、軽視することのできない悪質な傷害、暴力行為等処罰に関する法律違反被疑事件の捜査として行われたものである。しかも、本件差押は、被疑者、共犯者の供述が不十分で、関係者の供述も一致せず、傷害事件の重要な部分を確定し難かったため、真相を明らかにする必要上、右の犯行状況等を収録したと推認される本件ビデオテープ(原決定添付目録15ないし18)を差し押さえたものであり、右ビデオテープは、事案の全容を解明して犯罪の成否を判断する上で重要な証拠価値を持つものであったと認められる。他方、本件ビデオテープは、すべていわゆるマザーテープであるが、申立人において、差押当時既に放映のための編集を終了し、編集に係るものの放映を済ませていたのであって、本件差押により申立人の受ける不利益は、本件ビデオテープの放映が不可能となって報道の機会が奪われるというものではなかった。また、本件の撮影は、暴力団組長を始め組員の協力を得て行われたものであって、右取材協力者は、本件ビデオテープが放映されることを了承していたのであるから、報道機関たる申立人が右取材協力者のためその身元を秘匿するなど擁護しなければならない利益は、ほとんど存在しない。さらに本件は、撮影開始後複数の組員により暴行が繰り返し行われていることを現認しながら、その撮影を続けたものであって、犯罪者の協力により犯行現場を撮影収録したものといえるが、そのような取材を報道のための取材の自由の一態様として保護しなければならない必要性は疑わしいといわざるを得ない。そうすると、本件差押により、申立人を始め報道機関において、将来本件と同様の方法により取材をすることが仮に困難になるとしても、その不利益はさして考慮に値しない。このような事情を総合すると、本件差押は、適正迅速な捜査の遂行のためやむを得ないものであり、申立人の受ける不利益は、受忍すべきものというべきである。

このように,裁判例は,将来の取材の自由にも配慮した判示をしているものの,それを踏まえても,フィルム・ビデオテープが重要な証拠価値を有する等の理由から各提出命令・差押許可は正しかったとしています。

他方,マスコミは,このように提出命令や差押を受ける場合だけではなく,刑事裁判で検察官・弁護人が自主的に証拠として,テレビ放映された番組を録画したビデオテープを裁判所に提出したような場合でも,抗議をすることがあります。民事裁判でもそのようなことがあります。

 

私は次のように考えます。

テレビ局が放映した映像を裁判の証拠として用いることにより,漠然と考えれば,将来の取材活動に悪影響を及ぼすおそれがないとはいえません。

しかし,その映像は,誰でも視聴できるように発信した情報であるので,もともと誰でも知ることができたわけです。それを裁判で証拠として提出しても,具体的に将来の取材活動にどのような悪影響があるのか,容易に想定はしづらいです。

他方で,未放映の映像については,差し押さえられると報道の機会が奪われる(未編集の場合),というのはもちろんですが,ジャーナリストが取捨選択(または未編集)の末に放送していないものを強引に見ることで,捜査機関や司法が報道機関の取材源に土足で踏み込むような形になります。何らかの理由で放送に適さない映像が証拠として用いられ,その映像の内容が世間に知られることにより,報道機関が信用を失い,将来の取材活動に悪影響を及ぼすということが現実味のある話に感じます。

よって,提出命令や差押の可否等を検討するにあたっても,当該映像がどのような段階にあるものなのかが重視されるべきだろうと思います。そういう意味では,私は,放映済み映像については,裁判の証拠化について比較的積極的な意見です(捜査機関,特に警察による差押については極力抑制されるべきだとは思いますが)。

ただ,最近の佐村河内守さん,小保方晴子さん,『ガレキとラジオ』・・・ばかりではないですが,マスコミ(特にテレビ局)が映像を駆使してセンセーショナルに継続的に取り上げることで,真偽の怪しいことを本当のように信じ込ませたり,イメージを実際以上に美化・悪化させたりすることができるわけです。いかにもノンフィクションであるかのようにドラマ(フィクション)を作ることもできるわけです(『放送禁止』シリーズなど)。そんなこんなを考えると,いかにも本当らしい映像(編集後,編集前にかかわらず)が証拠として提出され採用されたときに,法律家がその内容の真偽を見抜けるのかといえば,難しいかもしれません。そういう意味では,証拠としての取扱いは,非常に慎重になされるべきだと思います。

大雪によるご近所トラブル、大量発生?

弁護士ドットコムの相談を眺めていると,最近,雪によって生じたトラブルの相談が多い。

たとえば,隣家の屋根雪が落ちてきて,自動車が損傷したとか。

また,ネット相談には上がってきていなくても,積雪が原因で起きた交通事故は多いと思われる。スタッドレスタイヤ不着用だと,相当滑るので。ただ,交通事故の場合,結局過失割合の判断材料ということで,通常の処理内で解決できそうだ。

やはり問題は,落雪とか除雪トラブルだろう。

金銭的には深刻な金額になっていなくても,感情的にかなりもつれていることがある。

 

このような相談は,雪国である北陸(富山県,石川県,福井県,新潟県?)あたりでは,実は毎年それなりにあると思われるが,その多くは裁判所に持ち込まれないまま解決するか沙汰止みになっているので,裁判所の判決例が蓄積されていない。

だから,相談を受けた弁護士も,「このケースはこうだ」と断言しづらいことが多い。

駐車場の雪は誰がどのように除かすべきか? そんな気軽な質問も,弁護士に聞いてみたら意外と悩んだ顔をするかもしれない。

 

落雪について,過去の裁判例を探ってみると,

昭和51年8月23日札幌高裁判決(判例タイムズ342-112,判例時報850-43)が一つ大きな参考判決例であるといえる。

この裁判は,歩行者が歩道を通っていたところ,民家の屋根の雪が歩行者の頭上に落下してきて,歩行者が埋没し,窒息死した事案で,死亡した歩行者の遺族が民家の所有占有者と道路の設置管理者である国に損害賠償請求をしたものである。

結論として,判決は,家屋の所有占有者と国が遺族に損害賠償する義務があると認めた。このうち,所有占有者の責任についての判示を要約(一部匿名化・削除)して掲載する(正確には原判決に当たって下さい)。

 Y(家屋の所有占有者)が本件建物の屋根に雪止を設置したのは、本件事故発生の三、四年前であつたこと、Yは、昭和四八年一〇月上旬頃、本件建物の屋根の古いトタン葺の上にカラー長尺鉄板を葺いたが、その際、棟木に打ち込んであつた五寸釘を打ち替えて元のままの雪止を設置しておいたこと、本件事故発生当時雪止の丸太を懸吊する鉄線はいずれも赤く錆びついていたことが認められる。
 而して前段認定の事実と雪止の鉄線が切断した態様から推すと、本件事故発生の当時雪止の鉄線の張力は、かなり弱化していて、そのため積雪による荷重に耐え切れずに切断したものと認めざるを得ない。
 Yは、本件建物の屋根に設置されていた雪止は、士別地方で用いられている雪止としては通常のものであつて、本件事故発生当時も通常の落雪防止機能を有していた旨主張する。しかしながら士別市における一一八センチメートルという積雪量は、一二月二〇日頃現在のそれとしては、例年にない程多いものであるとしても、冬期間全体を通して見れば、それは決して異常に多い積雪量などと言えないことは明白であるし、また、士別地方では、本件落雪のあつた昭和四八年一二月二一日の朝、それまで何日か続いていた寒気が弛み、これが本件落雪の一因であったことが窺われるけれども、冬期間に何日間か続いた寒気が急に弛むという気象現象はさほどに稀なものではなく、そのような場合に屋根の積雪が落ち易い状態になることは降雪地では公知の事実である。右のとおりとすると、本件事故発生の当時、士別地方に、同地方で用いられている通常の雪止であつて通常の落雪防止機能を有するものによつては屋根の積雪の落下を防止し得ない程に異常に多量な積雪があり、異常な気象現象が現われたものとみることは到底できない。
 本件建物の屋根に設置されていた雪止の設備は、民法第七一七条第一項にいう「土地ノ工作物」にあたるものというべきところ、上叙判示したところによれば本件落雪は、右「土地ノ工作物」としての前記雪止設備の保存の瑕疵に因るものということができる。たとえ前判示の気象現象が本件落雪の一因であつたとしても、右の判断が左右されるものではないし、また、たとえYが右瑕疵に気付いていなかつたとしても同様である。そうだとすると、結局において、Xの死亡は、右「土地ノ工作物」としての前記雪止設備の保存の瑕疵に因つたものといわざるを得ない。

このようにして,裁判所は,家屋の所有占有者の責任を認めている。

被害者側は,民法717条1項の「土地の工作物」責任を主張していた。

ここで,一応,この規定の説明をしておくと,

1 土地の工作物(建物など)の設置又は保存に瑕疵があったこと
2 その瑕疵によって第三者に損害が発生したこと

この要件が揃えば,土地の工作物(建物など)の所有占有者が第三者に対し損害賠償責任を負うことになる,というものである。

ここでいう「瑕疵」というのは,その種類の工作物(建物など)として通常備えるべき安全性を欠いていることを意味している。この判決は,当該家屋が通常備えるべき安全性を欠いていたと判断したのである。

判決の論理をごく単純化すると,例年その地域で降っている雪にも耐えきれない設備であった以上,設置保存の瑕疵がある,ということになるだろう。

 

そして,この判決は,人の死亡や傷害を伴わない物品の損害の場合においても,参考になると思われる。

一般的なケースで,落雪により損害が出た場合においても,「土地の工作物の設置保存の瑕疵」の観点から考えるべきであり,たとえば具体的に「雪止めを設置すべきであったか」,「屋根雪の除去をすべきであったか」,「注意喚起すべきであったか」ということが問題になってくる。そして,その際には当該地域での例年の状況も重視されるのだろうと思われる。

 

このように,各当事者がどのような行動を取って事件が発生したのか,詳細に事実関係を押さえ,また,例年の積雪状況も知り,その上で法律を適用しなければならない。よって,雪に関するトラブルについては,口頭の短時間の相談では,きっちりとした結論に達しにくいかもしれない。

 

なお,今回取り上げた判決について,道路の管理瑕疵の問題を中心に行政官が論じた文章があるので,リンクを貼っておく。

http://www.hokuhoku.ne.jp/rmec/18pdf/38-39.pdf

2014年日弁連会長選の結果について

2014年の日弁連会長選は,2014年2月7日に投票が行われ,村越進氏が11,676票(51単位会で首位),武内更一氏が4,173票(1単位会で首位)となりました。投票率は46.65%でした。

 

この結果について,取り上げているブログがあります(まったく網羅はしていません)。

日弁連会長選挙 武内更一候補が善戦』(2月7日,猪野亨弁護士)

日弁連会長選挙には行かなかった。』(2月8日,PINE’s page)

日弁連会長選、史上最低投票率の現実』(2月10日,河野真樹氏・元「法律新聞」編集長の弁護士観察日記)

日弁連会長選挙の開票結果について』(2月12日,小林正啓弁護士)

 

この中で,分析的なのは,河野氏と小林弁護士のブログです。

河野氏は,

単独の獲得票が1万票を越したのは、今回が初めてですが、母数となる選挙人数が増員政策で年間約1600人ずつ増加しているうえに、再投票・再選挙にもつれ込んだ前回2012年の1回目の選挙で割れた、いわゆる「改革」路線派票の合計は1万票を越していることからも、注目すべきなのはやはりこちらではなく、投票率の方です。

と書いています。

また,小林弁護士は,

以上見てきたように、今回の日弁連会長選挙の開票結果は、子細に見れば注目点もあるが、全体としてみれば、史上最低の投票率という以外、何らかの傾向を読み取るべき材料を見いだすことができない。「特段新規な公約を打ち出さなかった主流派候補と、新左翼の対立候補では、勝敗は見えていた」ことが、史上最低の投票率の原因という、実も蓋もない分析結果で、お茶を濁すしかないようだ。

と書いています。

 

これらの分析を細かく見ていけば,「東京弁護士会内の最大派閥である法友会(平成22年度会員数2398人)が、集票マシンとしての実力を発揮したことを示している。」(小林弁護士),「愛知県の(投票率の)下落ぶりはすごい。だが何故かは分からない。」(小林弁護士),「前々回2010年選挙で再投票の結果、宇都宮健児氏がついに「改革」路線の執行部派候補を破り、2年間のかじ取りをしたものの、「改革」路線を大きく転換することはできず、続く宇都宮氏の続投をかけた前回2012年選挙が、前記したように再び再投票、初の再選挙にもつれこんだものの、執行部派の勝利で政権奪還します。反執行部派政権2年と、その後の会長選挙のゴタゴタは、会員の無力感と「嫌気」につながったとみることもできます。」(河野氏)といったところに,掘り下げの余地が十分あるように思われます。

東京弁護士会は,武内更一氏が東京弁護士会所属ということで,自分の会で接戦になると都合が悪いとか,そんな理由で頑張ったのかな,とか。

 

そして,私の視点(選挙マニア)を付け加えるとすれば・・・

前回・前々回,宇都宮氏に投票した票はどこへ行ったのか(前々回9,720票,前回1回目6,613票,前回2回目7,503票)ということです。

武内更一氏は前回の森川文人氏の系列の候補なので,前回の森川氏の得票1,805票がひとつの参考になります(森川氏は1回目で脱落)。そして,村越進氏は前回の山岸憲司氏の1回目得票7,964票,2回目8,570票が参考になります。なお,前回の投票率は1回目62.28%,2回目50.86%でした。

今回の村越氏は,11,676票でしたので,前回の山岸氏の2回目と比較して3,000票以上積み増ししています。対して,武内氏は,4,173票でしたので,前回の森川氏の1,805票から2,300票余りの積み増しになります。この積み増し比較は,候補者数や投票率の差を考えると,今回の武内氏にできるだけ有利になるような比較です。そんな比較でも敗北しているので,武内氏は村越氏との「旧宇都宮票」取り込み競争に敗北したといえます。

「旧宇都宮票」がいわゆる主流派批判票であったと考えるならば,武内氏はその受け皿たりえなかったということです。武内氏が髙山俊吉氏の系列であり,高山氏が投票率が2008年の選挙で7043票を獲得したことを考えると,武内氏は今回潜在的には掘り起こしえた有権者数の10%程度(約3,500人)の票を眠らせてしまったのではないでしょうか。

「勝敗が見えていたから」武内氏の得票が伸びなかったのではなく,根本的に何かが足りていなかった(または余計なことを言っていた)ので票が入らなかったと見るべきでしょう。確かに,選挙では,勝敗が見えていたから投票に行かないということもありますが,そもそもの圧勝の理由にはなりにくいです。

「旧宇都宮票」に戻りますが,これはいったい何の票だったのでしょうか? なぜ前回まで,「宇都宮を支える地方対主流派を支える東京」のような構図になっていて,今回それが雲散霧消したのでしょうか(そもそも,前回まで,何らかの政策を実現するために宇都宮氏が立候補していたとしたら,今回宇都宮氏に近い政策を実現するために立候補する人がいなかったのはなぜなのでしょうか?)。

この理由は,票数の分析だけからはわかりません。私の感覚でゆるく語るとすると,2007年の参院選・2009年の衆院選の民主党の勝利と,ターニングポイントとなった2010年の参院選,2012年の衆院選・2013年の参院選の民主党の得票の激減に近いものがあります。「とにかく政権交代を!」と言って政権に就いてみたものの,肝腎の問題を置いといてピントがずれたことをする(やってるときには,一応褒めそやされますが,だんだんとほころんできます)。そして,地力がまだ残っている派閥・土着層の巻き返しに遭う。右肩下がりになってからは,メッキが剥がれて回復困難。離脱者続出。かつて支持していたはずの有権者も,「投票したことがあったっけ?知らんなぁ」ってなもんです。それで,極端な人しか対抗馬として立たなくなるという(それも,当該選挙と直接関係のない他の政治運動の話をしたりする)。

まだ,自民党は民主党政権の反動で景気が良くなった感じを演出できたのでいいんですが,日弁連はそんなことも全くありませんし。弁護士の中に,もう日弁連には何も期待できない,と言っている人が散見されるのもむべなるかな,です(最近失望したというのなら,もともと宇都宮氏に何を期待したのか,ということも疑問として浮上しますが)。

ただ,日本の国政と日弁連の異なるところとしては,自民党がいろいろとガッチリ押さえてしまった国政に対して,日弁連は1回の選挙で浮動票で・・・という可能性がまだ大いにあるということでしょう。「宇都宮票」を構成した移ろいやすい票についても,今後全く同じような現象として再結集することはなくても,何らかの形で主流派を苦しめることがあるかもしれません。そんな意味で,近い将来もうひと山あるのではないかと予想しています。

「佐村河内守」問題

最近大騒ぎになっている「佐村河内守」(さむらごうちまもる)問題。

佐村河内守という名前で作曲家を自称していた人が、実は全聾ではなく自分で作曲もしていなかったという疑惑。私は、ネットで騒ぎになるまで、「佐村河内守」のことを知らなかったが、テレビ各局が特集を組んだ結果、かなり有名になって売り上げにつながっていたらしい。

 

私は、この問題が発覚した後は、いろんな切り口があって興味深い問題だと思い、積極的に情報収集している。

まず、「佐村河内守」が自称していた聴力障害や作曲方法等が虚構であったとして、NHKがなぜプロモーションに協力する形になってしまったのか?ということ。特筆する知識や注意力のない個人であれば、それ相応の情報を与えられると、騙されることはあるものだろう。しかし、NHKスペシャルといえば、日本のテレビ界で最高峰ともいえるノンフィクション番組である。たくさんの人が、様々な方向から取材し、編集し、チェックし、審査していたはずである。疑問が生じなかったのか? 生じたとしたらどのプロセスでつぶされていたのか? または、虚偽の情報が入っていることに気づきながらそれを放置した者がいるのか? このことに大変に興味がある。民放については、広告代理店と結びついて物を売るための演出をしまくっているということで、私は醒めた目で見ているが、NHKについても直観的に近年どんどん民放に近くなっている気もしている。今のNHKなら、かつてのTBSのようにオウムの擁護をしてしまうかもしれない、というくらいに。

これについては、私自身に取材能力はないので、私が今後ブログなどで情報を発信してもたいした価値をもたないが、私自身としてはたいへんに関心がある事柄ではある。

これと関連して、マスコミにおいていかにして「売れる商品」が作り上げられていくか、その実態、技術、倫理、お金の動き方、いわゆる「弱者」の使われ方ということにも関心がある。まぁ、これも、ここでは長々と書かないが、大規模自然災害の時の募金の呼びかけ、募金詐欺、復興関連商法(NPO法人りばぁねっとのようなものも含めて)などと根っこは共通しているのではないかと思う。

 

法律が相当関係する問題としては、大きく分ければ、作られた曲の知的財産関係のこと、佐村河内守らの行為が刑事上の罪責を負うものかということ、である。

知的財産については、ソチオリンピックでのフィギュアスケートの高橋選手の曲に「佐村河内守」名義の曲が使われてる予定であったようで、JASRACの対応次第では現場で曲が使えない、曲を使えても放送できない、ということになりかねない、ということが、当面の大問題だ(理屈は知らないが、JASRACは権利の理由許諾を「保留」したという)。

そして、実作者であることを告白した新垣隆氏は、会見において、著作権を主張しないと言ったようだが、そうすると今後、曲についての権利はどうなるのか?というところだろう。

CDを購入した者が返金を請求できるか否か、という問題もあるが、誰に対してどのような根拠で請求するか、非常に難しいか。

刑事問題については、詐欺罪、身体障害者福祉法違反など、挙げている人たちがいるが、CDの販売に関して罪に問うのは基本的に難しく、虚偽申告により福祉関係の給付を不当に受けていたとすればそこを捉えての立件になるかと思う。

 

最後に…。今回、「佐村河内守」が体調不良を理由として表に出てこない代わりに代理人弁護士が記者の質問に応じて、「ご本人が、耳が聞こえないのは本当だろうと思っている。」と話していた。そして、弁護士自身も「佐村河内守」の身体障害者手帳を確認していると。

それって、弁護士という聴力判定についての「門外漢」が話しているだけで、それもまた騙されてるだけなんじゃないの? だって、他のたくさんの素人は騙されてきたんだし…、これで本当は聞こえていたというのが真実なら、発覚前のマスコミと同じように「信憑性」補強の道具に使われただけになるよね、と私は思った。

この件に限らず一般的なことだが、代理人というのは本人の「代理」をしているけれども、第三者としての発言を求められることもある。そのときにどう喋るか、どう立ち回るかというのは、相当難しいところだと思う。第三者の目で、本人の利益と関係なく、当該案件について知っていることをベラベラと喋るようなのは代理人ではない。しかし、本人の発言をそのまま伝えるだけというのであれば、代理人を立てる必要もない(単なる風よけだ)。基本的に、「本人のスポークスマンでいながら、交渉力も持つ」というくらいなのかな、というのが私の感覚だが、これも案件や場面次第で変わってくるだろう。

逮捕情報の公表・報道はどうあるべきか?

※記事をお読みになるにあたっての注意点※ 金沢法律事務所(弁護士 山岸陽平)では、「逮捕されたとき(起訴、判決時)の報道発表を食い止める」という弁護活動を行っていませんのでご了承ください。

被疑者は報道によってダメージを受けることが多い

刑事事件の弁護をしていると、自分や家族の逮捕が報道されたかどうか気にする人が非常に多いです。

人によっては、逮捕されたという事実そのものよりも、逮捕されたことが報道されたという事実により精神的ダメージを受けます。また、精神的ダメージだけではなく、経済的なダメージにも結び付きやすいです(勤務先を自主退職に追い込まれたり、現実的に客商売ができなくなるなど)。

特に、ムラ社会なコミュニティにおいて実名報道がされると、非常に厳しいものがあります。

このように、報道により被報道者(=ここでは被疑者)が受ける損害はただならぬものがあると言ってよいでしょう。

なかには、逮捕されずに、略式命令(略式起訴)で罰金を科せられて終わる刑事事件もありますが、そういう取扱いと逮捕された場合の感覚は、天と地ほどの差があると言っても過言ではありません。前科としては、まったく同じ意味を持つのですけどね…。

事件報道により報道の受け手が享受する利益は?

一般に報道機関による報道は、国民(市民)の知る権利に資するものです。

ここで、知る権利と言っても、他人が隠したいことを興味本位で暴くということを実現するための権利ではありません。

事件報道の関係では、何を実現するために「知る」意義があるのでしょうか。

それは、まず、行政(警察も行政です)が間違いなく仕事をしているかチェックするためです。以前の記事でも書きましたが、逮捕されるべきでない人を逮捕しておいて、そのことについて警察が発表もしなければ、行政に都合が悪いというだけで根拠なく逮捕しても、その是非が検証されずにうやむやにできてしまうおそれがあります。国民主権のもとで警察も動いているので、警察が何をしているのか国民が知るのは当然だという考え方です。

また、凶悪な事件に関しては、周辺住民が身を守るため、という理屈立てもあるかもしれません。あとは、ぶっちゃけて、誰が犯罪に手を染めたのか知って警戒するため、という欲求が大きいかもしれません(いや、しかし、私は、それを逮捕直後、警察発表に基づいてやるのはどうなんだろう…と思います)。

石川県における報道の問題点

北國新聞、北陸中日新聞

北國、北陸中日の2紙は、警察発表を基本的にそのまま記事にしているようです。

ですから、非常に微小な案件でも、ほぼ漏れなく実名で掲載されます。たとえば、数十円の物品の窃盗や運転免許証の提示拒否で逮捕されても掲載されます。(ごくたまに、逮捕されても掲載されていない案件もありますが、どのような基準で漏れ落ちているのか詳しいことは知りません。そのような案件も、勾留段階や起訴段階で検察庁が報道機関に情報提供して載ることがあります。)

これにより、石川県では、逮捕された場合、周囲の人は基本的にみなそれを知っている(報道されなければ運がいい?)、という前提になってきます。

この2紙は石川県内でのシェアが高く、多くの被報道者(被疑者)にダメージを与えているといえます。

警察がしっかり発表していなかったり、マスコミがちゃんと取材できていなかったりして、事件のあらましや被疑者の言い分が誤って報道されていることもしばしばありますが、後日訂正されることはほとんどありません(訂正を兼ねて再度報道されるのもイヤでしょうし、あまり初期報道に抗議することは多くないというのもあります)。

ただ、北國新聞と北陸中日新聞は、紙面に載せた逮捕情報をそのままインターネット掲載するということはありません。さすがにそれをすると大変なことになる、ということをわかってるんでしょう…。

ネット掲載

多くの事件は、北國・北陸中日の逮捕時の報道だけで終わります(場合によっては、勾留の有無や裁判の報道もあります)。しかし、地元テレビ局や全国紙の支局記者が注目する事件になると、テレビで流れたり、インターネットに掲載されたりします。

どういう事件がそうなりやすいかというと、

1 結果が重大な事件(人が死亡した場合、重傷を負った場合、大きなお金が絡む場合)

2 関係者(被疑者や被害者)の職業や知名度などにニュースバリューがある事件

3 連続的な犯罪の場合

4 ちょっと変わった方法での犯罪の場合(目につきやすい、ネタにしやすい等)

といったところでしょうか。

地元テレビ局には報道したニュースを掲載するサイトを用意しているところも多いですが(ITC、MRO、HABなど)、北國新聞や北陸中日新聞のように原則全件報道というわけではありません。ですので、結局のところ、報道機関がニュースバリューありと判断したものがネットに載り、後日逮捕情報が検索しやすい状態で残ってしまうという形です。

「社会的制裁」のありようが地方によって大きく異なるのもおかしな話では

社会的制裁については、正式裁判になっても判決では大きく考慮がされることはほとんどありません。

「報道によって仕事を辞めなくてはならなくなった」というのなら、まぁそれも考慮するか、という程度であり、「報道により社会復帰に支障をきたしている」という漠然とした主張では取り上げてもらいにくいと言っていいです。

しかし、既に述べたとおり、逮捕時の実名報道が実質的な社会的制裁になっていることは間違いないところです。周りを気にせず生きていけばいいといえばそうなのかもしれませんが、みんなが周囲を気にするような社会であればなかなか難しいところです。

こういう取扱いが公の議論の結果、各都道府県でなされているのなら、それは根拠のある扱いなのかと思うのですが、実際には各都道府県での取り扱いについてそんな議論がなされた経緯は聞いたことがありません(全国メディアでは、被疑者の実名報道の基準について議論されたことがあるようですが、地方紙についてはどうなんでしょう…。そもそも特定トピックについて各県で議論してることがあまりないですよね。)。

「公の機関が発表しているから、基本間違いない」、「警察が実名で発表するから、載せない理由はない」、「疑われるようなことをした者にも責任はある」、「知りえた情報を載せることで部数を稼げるなら載せる(ライバル紙も載せているし、載せなくなったら部数が奪われる)」、「警察の顔を立てることで、取材もしやすくなる」というようなのが現実的な理由で、たいした議論もなく続いているのかなと思っています。

私は、各都道府県の地元紙の報道のありかたを熟知しているわけではありませんが、全都道府県で、同じような事件を起こした時に、報道されるかされないか、大きな違いがあることは確実です。特に、大都市部と田舎県では大きな違いがあるでしょう。

各都道府県の報道機関や警察の取り扱いによって、被疑者被告人がどれだけ実質的な社会的制裁を受けるか大きく異なるというのも、ちょっとおかしな話だと思っています。

逮捕情報のネット掲載(匿名)をしている警察もある

ここで私が注目しているのは、匿名で逮捕情報をネットに掲載している自治体警察の存在です。

たとえば、北海道警青森県警長野県警大阪府警奈良県警広島県警島根県警山口県警愛媛県警福岡県警佐賀県警長崎県警です。他にもあるかもしれませんが、ざっと。

全件載せているかどうか、これ以外の報道機関向け発表はどうなっているか、という問題もありますが、これで「行政の動き」としては把握できるし、報道機関が警察からの「又聞き」で被疑者の言い分をもっともらしく発表する→そしてだれも「誤報」の責任を取らないという流れに比べれば、警察が自己の言い分を発表しているということですっきりします。

こうやって行政機関が直接国民・市民に情報を提供することができるようになっているわけで、こういう仕組みを生かして、行政は国民・市民のチェックを受けてほしいと思います。地元報道機関に対して発表するのでそれを通じてチェックしてもらえればいい、という考え方も全否定はしませんが、時代に合わせた工夫の仕方があるのではないかと考えます。

これについては、また機会があればさらに書きたいと思います。

裁判官の暴言で慰謝料?

裁判官暴言:「あなたのせいで左遷」に慰謝料 長野地裁

毎日新聞 2014年02月02日 13時00分(最終更新 02月02日 13時33分)
民事訴訟の口頭弁論で担当裁判官に暴言を吐かれ、公平な裁判を受けられなかったとして、長野県飯田市の男性が国と長野地裁、裁判官に約220万円の慰謝料などを求めた訴訟の判決で、地裁飯田支部(加藤員祥<かずよし>裁判官)は男性の訴訟活動を制限する感情的な発言があったと認め、国に慰謝料3万円の支払いを命じた。30日付。裁判自体は公平だったと判断し、地裁や裁判官への請求は退けた。

判決によると、男性は2010〜11年に飯田支部であった損害賠償訴訟の被告。11年8月の第6回口頭弁論で、担当の樋口隆明裁判官が、新たな主張を展開した男性に「今日、結審する予定だった」「あなたの審理が終わらないので、上司から怒られているんだ。私の左遷の話まで出ている」などと突然、顔を赤らめて怒り、男性に恐怖感を抱かせた。加藤裁判官は、樋口裁判官の個人的な事情を理由にした感情的な発言だったと違法性を認めた。一方で、樋口裁判官が発言後、男性の言い分を聞いたことなどから、裁判の公平が損なわれたとの主張は認めなかった。【横井信洋】

男性は、裁判官の感情的な発言により恐怖の感情を抱き、精神的損害を受けた。その損害を金額に換算すると3万円と認められる。そして、国家公務員の職務上の行為の問題なので、裁判官個人ではなく国が賠償責任を負う(国家賠償法1条1項)。ということだろう。

過去に、こうやって、裁判官の法廷での発言について損害賠償を認めたケースってあるのだろうか?

かなりひどい発言がされても、のちのち発言者(裁判官)が発言内容を否定したら、証明が難しいと思う。裁判の期日に何が話されたか、裁判所が調書にして残すことになっているけれども、結局裁判所書記官が書き留めたことを担当の裁判官が認証するんだし、裁判官の暴言がもしあっても、発言通りには載らないと思う。

今回のは、あたかも見てきたように事実認定されているが、事実自体は争わなかったのだろうか? 嘘をつけば偽証になるので、気軽に忘れたふりをしにくかったのかもしれない…。でも、国賠案件は、訟務検事が出てきて、万全の態勢で臨んでくるのだから、訴えられた裁判官の一存で訴訟対応を決めたのではないはず。

今回のは、あまりにも否定できないシチュエーションだったのだろうか。

原告も国も控訴して東京高裁に係れば面白い(ひとごと)。

だまされ、お金を振り込んでしまう高齢者。石川県でも…。

弁護士装う詐欺事件が相次ぐ

NHK金沢 01月30日 21時39分

弁護士を名乗る男などからお年寄りの自宅に電話がかかり、現金をだまし取られる被害が金沢市で2件起きていたことが新たにわかり、警察は詐欺事件として捜査するとともに不審な電話に注意するよう呼びかけています。
警察によりますと、今月23日、金沢市に住む70代の女性が「商品を購入するために名前を貸してほしい」と電話で頼まれ了承したところ、翌日、弁護士を名乗る男から電話があり、「あなたの行為は犯罪にあたる」などと言われ、指定された口座におよそ350万円を振り込んだということです。女性は今月27日にも弁護士を名乗る男の指示で500万円を振り込み、あわせておよそ850万円をだまし取られました。
また、ことし1月中旬には、金沢市で独り暮らしをしている80代の女性が「名義を貸してほしい」と電話で頼まれ了承したところ、東京の警察官を名乗る男や弁護士を名乗る男から電話があり「名義を貸した男が逮捕された。あなたの土地や建物は差し押さえられるかもしれない」などと言われ、2回にわたって、あわせて140万円を郵送し、だまし取られたということです。
県内では28日、警察官を名乗る男から銀行の口座番号や預金残高を聞き出そうとする不審な電話が29件あったことがわかっています。
警察は詐欺事件とみて捜査するとともに、不審な電話があった場合はすぐに警察や家族などに相談するよう注意を呼びかけています。

最近、こういう犯罪多いですね。

狙われやすいのが高齢者の女性です(それだけとは限りませんが)。

警察官、弁護士、司法書士、裁判所、大企業の系列の会社など、信用できるふうを装って電話してきたり、手紙を送ってきたりする者もいるので、注意したいものですね(と言っても、だまされてしまう人は、だまされようとしているときに、ネット検索で確認したりしないんだよなあ)。

 

この記事の例もそうですが、最初の勧誘に乗ってしまうと、その勧誘とは別人がいろいろと理屈をつけてさらにお金を払えと言ってくることがあるんですね。

「だまされたお金を取り戻すために、依頼費用として○○円振り込んで下さい。」、

「だまされて買わされた権利を○○円で買い取りますが、証拠金として○○円振り込んで下さい。証拠金なのですぐに返します。」、

「あなたの名前を使って違法なことがされているので、それを解決するために○○円支払って下さい。」というような…。

こういう、取り戻したい心理はギャンブルで出てくる心理に近いです。

やめたほうがいいです。最初の勧誘で払ったものは、そういう方法では取り返せないと思ったほうがいいです。

 

生涯教育として、「だまされないための教育」が必要だと思うんですけど、どうでしょうね。

それに加えて、だまされてるかどうか、高齢者にアドバイスする組織を作ったらどうですかね。消費生活センターという名前だと、何かを買ってお金を出したときには、相談先として思いつきますが、この記事の例では難しいんですよね。警察は、事件が起きてから相談する場所というイメージがありますが、高齢者がもっと事前に気軽に相談できるように周知したらどうですかね。

そうしないと、今後もだまされる高齢者が増え続けるばかりです。

 

追記:

富山県でも同じような被害が報道されていますね。

環境とか、リサイクルとか、福祉とか、聞こえのいい言葉はむしろ疑ったほうがいいです。

少なくとも、口先の勧誘で何百万円も支払ったらいけませんわ。。

株購入詐欺で2010万円被害

NHK富山 01月31日 10時43分

「限られた人しか買えない会社の株を代わりに買ってくれれば謝礼を払う」と言われ、魚津市の80代の男性が2010万円をだまし取られていたことが分かり、警察が詐欺事件として捜査しています。警察によると、魚津市に住む80代の男性は、去年11月、知らない男から「あなたには太陽光発電を手がける会社の株を買う権利があるが限られた人しか買えないので代わりに買ってくれれば謝礼を払う」と電話を受けました。
男性はこの電話を信じ、すぐに、会社に株の購入を申し込んで代金として900万円を送付しました。数日後、男性のもとに同じ男から再び電話があり「違法な取引と指摘されたので損害賠償しなければならない」と言われ、去年12月、指定された場所に現れた男に解決のため、現金1110万円を手渡したということです。
男性は合わせて2010万円をだまし取られ、その後、電話してきた男や会社と連絡が取れなくなったため、30日警察に届けました。警察は詐欺の疑いで捜査するとともに、同様の被害に遭わないよう注意を呼びかけています。

裁判員裁判での量刑が重くなる理由

求刑超える判決、裁判員裁判で急増…評議検証へ

裁判員裁判で被告の量刑を話し合う評議の進め方について、全国の60地裁・支部が初の検証に乗り出すことが分かった。

裁判員制度の導入後、検察の求刑を上回る判決が増え、裁判官らの間で「他の裁判員裁判の量刑と不公平が生じる」との懸念が強まっており、裁判官が量刑の決め方などを十分に裁判員に説明できているかどうか調査する。各地裁は今夏までに検証を終える予定で、評議のあり方の見直しにつながる可能性がある。

裁判員制度が導入された2009年5月から13年10月までに判決が言い渡された5794人のうち、約50人に求刑を超える刑が言い渡された。年平均で約10人に上り、裁判官裁判時代の平均2~3人を大きく上回る。

例えば、女児の頭を床に打ちつけて死なせた傷害致死事件では、「児童虐待には厳罰を科すべきだ」として、両親に求刑(懲役10年)の1・5倍の懲役15年が言い渡された。姉を包丁で刺殺した発達障害のある男が、再犯の恐れがあることを理由に、求刑を4年上回る懲役20年とされたケースもある。

検察側は過去の裁判例を踏まえ、判決で被告に有利な事情が考慮されて刑が軽くなることも想定し、求刑を重めに設定することが多い。求刑を上回る判決が増えたことに対し、裁判官や弁護士からは「他の裁判員裁判の被告との間で不公平が生じる」と危惧する声が多く上がっている。

裁判所が目指すのは、過去の裁判例を踏まえた適正な量刑判断だ。裁判員制度の導入直後は、裁判官が裁判員に、〈1〉犯行形態〈2〉被害の大きさ〈3〉犯行の計画性や動機――などの要素を踏まえることを説明し、過去の類似事件の量刑を集めた「量刑検索システム」も参考にして量刑を判断するものと考えられていた。

しかし、求刑を上回ったケースでは、「どのような要素を重視して刑を重くすべきだと判断したのか不明確な判決が散見される」(最高裁関係者)という。

このため、各地裁の検証では、裁判所法で定められている「評議の秘密」に触れない範囲で、個々の裁判官に、量刑の判断方法を裁判員にどう説明し、量刑検索システムをどう活用しているのか発表してもらい、その後、裁判官同士で評議のあり方を議論する。

東京地裁ではすでに裁判部ごとに検証を始めた。各地裁の検証結果を踏まえ、最高裁でさらに議論される。最高裁関係者は「今回の検証は、より充実した評議を実現するためで、裁判員の市民感覚を尊重する姿勢は変わらない」と話している。

【評議】 裁判員と裁判官が、被告の有罪・無罪や量刑を話し合い、結論を導き出す議論。通常、証人尋問や被告人質問を経て結審した後、裁判官を進行役として行われる。ただ、非公開で、内容について守秘義務も課せられており、どのような議論を経て刑を決めたのか、その経緯を外部から把握することは難しい。最高裁によると、1事件での評議の平均時間は約9時間半。

(2014年1月29日07時34分 読売新聞)

裁判員による裁判で量刑が極端に重くなる理由は、裁判員が「相対的な思考」を取っていない場合があるからではないだろうか。

「相対的な思考」とはどういうことか、単なる私の思いつきだが、常々考えていることなので、この機会に書いておきたい。

裁判員は、「犯罪者」を裁いた経験がないので、「目の前にいる被告人が(罪を犯したことが認められるとして)、相対的に言ってどれだけ悪質なのか」ということが直観的にわからない。

また、裁判員は、裁判所で刑事裁判にかかっている事件(裁判員裁判以外も含めて)が、どんな量刑相場で判断されているのかも、あまり知らない。

そうすると、裁判員が判断材料にするのは、裁判所が用意した同じ罪名の量刑データ、検察官の主張、弁護人の主張、被告人の言動、そしてもちろん犯罪に関する事実経過、ということになる。場合によっては、ここに被害者参加人も加わる。

そうしたときに陥りがちなのは、次のような流れだ(ここでは量刑を問題にしているので、否認事件ではなく自白事件を例に取る)。

 

1 検察官が犯罪の内容の説明をするので、裁判員はそれをモニター画面でビジュアル的に見ながら聞く。裁判員は、「こんな事件なのか。これはひどい、悪質だ。」と考える。

(裁判員裁判にかかる事件は、そもそも重大な罪名なので、類型的に悪質な事案がほとんど。)

2 裁判員は、検察官の論告・求刑を聞く。「犯行態様などは悪質。動機に酌むべき点はナシ。反省の態度を示しているのは当然であって考慮する必要性ナシ。被害者は厳罰希望。全体的に見て情状酌量の余地ナシ。」というのが検察官論告の基本線だ。その上で、検察官は、裁判員制度においては、悪い情状について特に強調すべき点があれば、裁判員に強くアピールする。その上で、「求刑」を言う。裁判員は、「正論だ。確かに悪質。こんな犯罪を起こすなど身勝手極まりない。」と思う。

 (ほとんどの事件は、「起こしても仕方がなかった事件、非常に同情すべき被告人」とはならない。ただし、介護殺人系の場合は、検察官の主張が緩やかなことがある。また、男性に従属的に行動した女性の場合には非常に同情視されるストーリーで起訴されるケースも散見されるが、男性の被告人の場合には「従属的な立場だった」というストーリーを検察官はめったに立てない。)

3 被害者参加人がいる場合、検察官よりもさらに重い量刑意見を述べる場合が多い。本来は、検察官も被害者の被害感情をよく聴き取ってそれを求刑に反映させている。ただ、裁判の場では、被害者は、検察官とは別に量刑意見を述べることができるので、検察官の主張にさらに厳しい被害者の意見を付け加える形になる。

 (裁判体によっては、被害者が述べた量刑意見を検察官の求刑と同じくらいに重要視するという流れが作られる。特に、「検察官の求刑は被害者の考えを十分に酌まないものだ。」という受け止めがされた場合、「被害者の意見を重視すれば、検察官の求刑以上の刑もありうる。」と裁判員が思うことにつながる。)

4 弁護人は、検察官が被告人に不利な事情を挙げるのに対し、被告人にとって有利な事情を挙げていく。被告人が事件を起こすまでのいきさつ、被害弁償や反省の状況など。

(有利な事情といっても、不利な事情を打ち消すほどのものは通常ないので、検察官の主張に真っ向から立ち向かうように主張すると、逆に「検察官の言ってることの方がもっともだ。」と思われて説得力を感じてもらえなくなる。また、裁判員の中には、被害弁償や反省をするのは当然のことであり、有利な事情として取り扱うのもおかしい、という直観を有している人がいることもある。)

 

このような流れの中では、「この被告人の事件は、相対的にどれだけ悪質なのか?」ということがほとんど考えられていない。

犯行は極めて悪質 → 被害弁償や反省も犯罪の大きさからすれば重視できない → 特に酌むべき事情もない → 同種の量刑データを参考にするにしても重い方に位置付けよう(少なくとも、平均より軽いなんてことは言えない)

と、情緒的に流れやすい。

 

しかし、そうした過去の量刑データ(裁判例)自体、

1 重大な犯罪類型に属する、すなわち極めて悪質なものが多い事案についてのものであり、

2 そのほとんどが「起こしても仕方がなかった」なんてことは言えない「身勝手な犯行」であり、

3 被害者の意思が厳罰希望であればそれも踏まえて判断がなされており、

4 被害弁償ができたケース・できなかったケースに分かれていて、できなかったら重い方向にできれば軽い方向に考慮されていた

のである。

 

このことを踏まえて考える、すなわち、「相対的な思考」ができていないと、「とにかく悪質な事案で、有利な事情は一応あるが事件の重大性に比べればほとんど無視してもよい程度の微々たる事情でしかなく、刑を軽くする事情として挙げるのも難しい。」というふうになりがちである。

そして、中には、検察官の求刑の中に被害者の意見が十分に取り入れられていないと感じ取った裁判員が、求刑以上の量刑を主張することがあるのだと思う(確かに、被害者の被害状況や意見が相当重視されるべきであることは言うまでもないことだが、他の要素をかき消して、相対的な判断ができないほどになると問題である。)。

 

しかし、これは、裁判員になった人たちが責められるべきというものではなく、普段「被告人」、特に重い罪に問われた被告人を見慣れていないので、仕方ないと思う。突然、人の死亡が関わる事案で被告人を裁けと言われ、検察官から事案を聞かされると「一般人がしないようなことをする悪人」としか思えないし、そういうことをした人にとっていかに「有利な事情」を挙げても、「そもそもそんな悪いことをしたのがおかしい」、「悪いことをしておいて被害回復をしたといっても、当然であり、むしろ足りない・遅いくらいだ」と思うのも当然かもしれない。

 

こうして、「量刑相場」に照らして軽い判断は出にくい一方で、重い判断は出しやすいので、厳罰化が進むのだと思う。

(もちろん、「陥りがちな流れ」というだけであって、しっかり相対的に判断できている裁判体も多いとは思う。)

 

これは、弁護人(弁護士)のやり方が良くない、というのもあるかもしれない。組織一丸で裁判員制度対策ができる検察庁・検察官と比べて、組織一丸とはいかない弁護人(弁護士)の立場があって、個別の事件ごとに弁護人が「まずい意見の出し方」を繰り返している可能性もある。

弁護人(弁護士)も研鑽を積もうとしているが、自主努力になってしまうし、被告人にとっては国選でつく弁護人は選べないから、裁判員の考え方や評議のあり方をよく理解した弁護人がつくかつかないかで差が出る可能性がある。

そうすると、弁護士の研鑽が行き渡るのを待つというのでは遅いので、こうやって裁判所が評議のあり方を検討していくということは、裁判員制度を維持するのであれば非常に重要なことであると思う。

相続に関する法律が変わる?

配偶者の家事・介護を相続に反映 法務省が検討開始

2014年1月28日 19時12分 中日新聞サイト

法務省は28日、配偶者の相続拡大を議論する「相続法制検討ワーキングチーム」の初会合を開き、遺産分割の際に考慮される配偶者の貢献内容を見直す方針で一致した。現行制度でほとんど勘案されない家事や介護について、相続に反映させる方向だ。今夏に中間報告をまとめ、民法改正に向けて来年1月の新制度案策定を目指す。
改正が実現すれば、1980年に配偶者分が3分の1から2分の1に引き上げられて以来の本格的な見直しとなる。
チームは有識者と省幹部で構成し、座長には民法や家族法に詳しい大村敦志東大教授が就任した。
(共同)

これまで、家事や介護は「寄与分」として主張されることもありました。

しかし、条文上、「被相続人の事業に関する労務の提供又は財産上の給付、被相続人の療養看護その他の方法により被相続人の財産の維持又は増加について特別の寄与」が寄与分なんですよね(民法904条の2)。

何が問題かというと、「特別の寄与」というのが問題なんですね。

妻が夫の(夫が妻の)療養看護をするのは当然であって、特別の寄与に当たらない、というのが、この条文の基本的解釈なので、裁判所が「審判」で判断するときには、配偶者の介護貢献は、寄与分として算定されにくかったわけです。家事労働についても同様です。

きょうだい間の著しい不均衡については、効果を発揮する法律規定なのですが。

本当に献身的に介護や家事労働をなさったんだなぁ、というようなケースであって、どれだけ裁判所でそれを力説しても、「まぁ、まぁ、気持ちは分かるけど、それを言っても仕方ないんだよなぁ…。」という扱いでした。

こういう法規定に対しては、主に女性から不満の声が挙がっていたのだと思われます。そして、裁判所・裁判官も、そうした不満に対して、「これが正しいんです!」と胸を張って言い返すのではなく、「国会が決めた法律(ルールブック)でそう決められているから、それに反した判断はできないんです…。」と言うしかなかったという。

こうなると、法律を変えようということになってくるわけですね。

寄与分については、貢献が目に見えて財産の増加に結びつくということがないので、家庭裁判所がある程度裁量的な判断をしているようです。

法律が変わって、配偶者の介護や家事労働の貢献も判断要素になってくると、被相続人の配偶者(特に妻)は被相続人の生前にどれだけ介護や家事をしていたか、とにかく頑張って事実主張を積み上げていくことになるんでしょうね。

その結果、場合によっては、裁判所の審判を経るとしても、妻が亡夫の遺産の大部分を相続する、ということも増えそう(現在の実務だと、話し合いで妻が大部分を相続するということはあっても、裁判所の審判になればそうはいかない。)。

配偶者の介護・家事貢献がほぼゼロだとしても法定相続分を奪うわけにはいかないので、そういう場合(配偶者のことをほったらかしだった場合)には現行制度の「原則」並みに決着するけれど、それはむしろ例外になってしまうかも。傾向としては、配偶者の相続分が増えますね。

そして、法律が変わった後、夫→妻の順で死亡するようなよくあるケースにおいては、「夫が死亡するとき」よりも「妻が死亡するとき」というのが、最大のヤマということになってくるのかもしれませんね。

日弁連の会長選挙に物申す?

日弁連とは何か

弁護士となる資格を有する者(主に司法試験合格者)は、弁護士業務を営むためには、日本弁護士連合会(日弁連)の名簿に登録していなければならないというきまりになっています(弁護士法8条)。

日弁連の名簿に登録してもらうためには、弁護士会に入会しなければなりません(弁護士法9条)。

弁護士会は、地裁の管轄ごとに設置することになっています(弁護士法32条)。よって、現行法規に従えば、北海道(札幌・釧路・旭川・函館)以外は各都府県に弁護士会は1つだけ、となります。ただし、弁護士法がこの規定になる前に、東京は、東京弁護士会(東弁)・第一東京弁護士会(一弁)・第二東京弁護士会(二弁)に分かれていたので、現在でも3つ弁護士会があります。

日弁連は、52の弁護士会、各弁護士会に所属する弁護士法人・弁護士たちによって成り立っている組織です。

国や行政機関に対抗していかなければならないこともある弁護士が国家機関から監督を受けると、結局最後は国家機関の意向に従わざるを得なくなるおそれがあるので、日弁連は「弁護士自治」の名のもと、弁護士の指導監督をしています。

日弁連の会長は、そのような機関の長です。会長の任期は2年で、弁護士会員の選挙により選ばれます。

日弁連の会長選挙(2014年)は一騎打ち

2014年(平成26年)の日弁連会長選は、1月8日公示、2月7日投票となりました。

候補は・・・

 

武内更一 氏(1958年1月1日生) 東京弁護士会所属

村越進 氏(1950年9月1日生) 第一東京弁護士会

 

この2名の一騎打ちです。

村越氏は現在の山岸会長と支持基盤が似通っており、竹内氏は前回会長選に立候補した森川文人氏と支持基盤がほぼ同じです。

前会長であり、前回会長選で落選した宇都宮健児氏は、なぜか東京都知事選のほうに共産党と社民党推薦で立候補して、日弁連に後継候補は立ちません←

このあたりの「支持基盤」の話は、詳しく説明をすると長くなりますので、また今度します。

両者の掲げる政策

どちらを支持するか決めるために、選挙公報に載っている政策を見比べると・・・

武内更一氏

「日弁連を再建し、弁護士の生活と人々の権利を守ろう」
弁護士つぶしの「法曹有資格者」に反対

(補足)武内氏によると、政府と法科大学院協会は、「司法改革」の中核とされた法科大学院制度の破綻状況を逆手にとって、弁護士登録をしなくても法律事務を取り扱うことのできる資格を制度化しようとしており、日弁連執行部もこの方針を容認しようとしているということです。

弁護士激増反対・法科大学院制度廃止

(補足)武内氏の考えでは、弁護士は経済的に窮乏化しており、その原因は圧倒的に弁護士激増政策にあるということです。武内氏は、法科大学院制度が存続している限り、司法試験合格者激増を止めることは不可能であると主張します。そして、法科大学院制度は、在学生に対する経過措置を設けつつ、直ちに募集を停止し、廃止すべきであるといいます。

弁護士統制と買い叩きの司法支援センターをつぶせ

(補足)武内氏は、日本司法支援センター(法テラス)が民事法律援助事件や国選弁護事件の報酬を低額に抑えていることも、弁護士の窮乏化と従属化のもう一つの要因であると主張します。武内氏は、法テラスができるまでは、弁護士会が実質的に民事法律扶助事業や国選弁護人の選任の関係の業務を指揮していたのであり、そうしたやり方に戻すべきだと考えています。

裁判員制度廃止、盗聴拡大・司法取引導入反対

(補足)武内氏は、被疑者・被告人の防御権、弁護権を回復するため、日弁連の誤った方針を転換して裁判員制度を廃止に追い込みましょう、と呼びかけています。また、現在法制審議会で盗聴の拡大・密室化、室内盗聴の容認、司法取引、匿名証人、被告人の黙秘権を認めず偽証罪適用など、刑事司法制度全般の改変が議論されている、と武内氏は言います。武内氏によると、この政府の動きに対し、日弁連は「取調べの可視化と被疑者国選の拡大を獲得するため」と称して、そうした新捜査手法に徹底反対せず、容認しようとしているとのことです。武内氏は、これを許さないと言っています。

全原発の廃炉、再稼働阻止

(補足)武内氏は、弁護士がさらに反原発の行動に立ち上がらなければならない、と言っています。

特定秘密保護法撤廃、改憲と戦争を許さない

(補足)武内氏は、安倍政権が改憲に踏み切ったと言っています。武内氏は、安倍政権に対抗する姿勢を強く見せています。

村越進氏

「ともに未来を切り拓きましょう」
司法アクセスの改善

(補足)村越氏は、弁護士は市民にとってまだまだ身近な存在とはいえないのでアクセスの改善・情報提供・広報に取り組むと言っています。高齢者、子ども、障がいのある人、外国人・難民、犯罪被害者、生活保護申請者など、社会的に脆弱な立場にある人々に寄り添った活動を強化すべきであると主張しています。民事法律扶助の拡充、権利保護保険の対象拡大、法律援助事業の公費負担に全力で取り組むと言っています。弁護士会の法律相談センターについても改革を進めると言っています。

弁護士の活動領域の拡大

(補足)市民のための司法は、弁護士が社会の隅々にまで活動領域を拡大し、社会のあらゆるニーズに応えることで実現するので、日弁連も弁護士の活動領域拡大に取り組むと言っています。中小企業への法的支援業務の推進、弁護士業務の国際化対応支援、組織内弁護士採用促進のための整備、専門分野・新たな分野での研修強化、というラインナップを挙げています。

若手弁護士への支援、日弁連活動への参加促進

(補足)村越氏は、日弁連として、「司法アクセスの改善」や「弁護士の活動領域の拡大」における各政策が想定する分野は若手弁護士の活動領域として最も期待されていると主張します。そして、これらの政策の実現に向けて、積極的に関係各機関・諸団体に働きかけ、若手弁護士が活躍する機会を提供します、と言っています。若手弁護士の声を日弁連の意思決定に反映させたり、若手弁護士の企画や立案を積極的に取り上げて実現すると言っています。

法曹養成制度の改革

(補足)社会の法的需要を適切に分析・予測しながら、見合った数の法曹を計画的に養成していくことが必要で、司法試験合格者は可及的速やかに1500人以下とし、実情に合わせ、さらなる減員をすべく全力で取り組みます、と村越氏は言っています。法科大学院については、実務法曹になる意欲と素地のある学生の確保、教員の確保のため、大幅な定員削減や統廃合を促し、これによって教育体制の充実を図るべきだと村越氏は言っています。法科大学院生の多くが、給付型奨学金制度、奨学金返還義務の免除制度などを活用できるようにすべきである、と村越氏は言っています。村越氏は、司法修習生への給費制の復活を含む経済的支援の充実のため、日弁連として総力を挙げて取り組むと言います。

司法基盤の整備と裁判所支部機能の充実・強化

(補足)村越氏は、司法基盤の整備、特に裁判官・検察官の増員が必要だと言います。裁判所の機能の充実化や司法予算の増額も求めていくと言います。

民事司法改革の推進

(補足)村越氏は、訴訟費用の低・定額化をはかり、行政訴訟制度の改革を図ると主張しています。村越氏は、集団的消費者被害回復訴訟制度が市民に利用されやすい手続となるよう努力するということです。

刑事司法改革の推進

(補足)村越氏は、取調べの全過程の可視化等の実現、弁護人の取り調べ立会権、被疑者段階の公的弁護の拡大を実現させると主張します。村越氏は、裁判員裁判制度については、公訴事実に争いのある事件の手続二分や死刑判決への全員一致制の導入など、「疑わしきは被告人の利益に」をより守れる制度にする必要があると言います。村越氏は、全面的証拠開示や公判前整理手続の改革の推進、高齢者・障害のある人などの、福祉と連携した更生保護の実現に取り組むといいます。

憲法と人権を守る

(補足)村越氏は、次の主張をしています。立憲主義を堅持し、憲法の基本原理を守る。特定秘密保護法の廃止を求め、共謀罪に反対する。国際人権基準の国内実施と国際活動の強化。子どもの人権保障。高齢者・障がいのある人の権利の擁護。貧困問題対策を強化する。消費者市民社会を確立する。人権擁護のための活動強化。

東日本大震災復興支援・原発被害者の救済

(補足)弁護士・日弁連は、被災者・被害者へのサポートを継続し、強化すべきであると村越氏は言います。

男女共同参画の推進

(補足)村越氏は、日弁連において、性差別的な言動や取扱いの防止を徹底し、就職・処遇における男女平等を実現すると主張します。女性弁護士偏在のさらなる解消も進めるといいます。

弁護士自治の堅持、弁護士の孤立化防止

(補足)村越氏は、日弁連として、弁護士自治の重要性について会員の理解と自覚を促すと同時に、弁護士会・弁護士の役割を積極的に発進し社会の理解を求める等と主張しています。また、弁護士のメンタルヘルスの問題に着目し、カウンセリングや相談体制を整える必要があると主張しています。

私の受け止め方

村越氏の主張は総花的で、肝心なところが踏み込み不足

村越氏の主張は、総花的です。おおむね弁護士会・日弁連の各委員会が推進している政策を並べただけのように思えます(人権擁護分野のところに特に力点が置かれている気はしますが。)。

それゆえ、私も、弁護士として、賛同できるところも多々あります(特に、「司法基盤の整備」、「民事司法改革の推進」、「刑事司法改革の推進」は、ここに書いてある範囲では、ほぼ丸ごと賛同できます。)。

しかし、現在の日弁連において、最も弁護士総出で議論しなければならないのは、現在の法曹養成制度が国民・市民のニーズに応えているか、将来禍根を生まないか、このままではいけないとすればどうすればよいか、どう社会に打ち出していくか、ということではないでしょうか。「弁護士の活動領域の拡大」にほどほど頑張ってお茶を濁していれば、なんとかなる、という問題ではない、と思うのです…。

その意味では、「法曹養成制度の改革」の項目が踏み込み不足であり、内容にも問題があります。

武内氏の主張には同意できる点も多いが、必要以上の政治的攻撃性を感じる

武内氏の主張は、その点、法科大学院関係者に遠慮をしないで、現在の問題点を直視しています。真偽の程は定かではありませんが、武内氏の主張するように、政府が法科大学院に斬り込まない代わりに「法曹有資格者」制度を作ろうとしている状況があるのであれば、大いに問題視すべきだと思います。

ただ、選挙公報の結びで、「今、政府は、国会での絶対多数を背景にして、経済的強者の利益のため、個人の尊厳を踏みにじり、他国の市場と権益を獲得するべく、日本を戦争のできる国にしようと暴走しています。それを止めるのは、日本を含め世界の民衆です。それに対し政府は、権力によって民衆の抵抗、反発を制圧しようとするでしょう。」というような調子で書かれていて、全体的に政治運動性が強い印象です。(1月15日に送り付けてきたFAX(竹内更一選対ニュース)には、東京都知事選に鈴木達夫弁護士という人物が「一千万人の怒りでアベ倒そう 改憲・戦争・人権侵害を許さない!」をメインスローガンに立候補したと書いてあります。)

このように、強制加入団体である日弁連の会長選で、ところかまわず強い政治的主張を繰り広げることが理解しがたいです。

武内会長が実現されれば、村越会長よりは、法曹養成制度まわりについて忌憚のない発言をしそうです。そして、それに応じて、弁護士間での議論も活発化する可能性は高いと思います。しかし、それもこれも安倍政権の戦争に向けた目論見の一環である、というような主張も簡単に飛び出してきそうで怖いです。

ただでさえ、現状の日弁連会長がときどき行う政治的声明はどうかと思うのに、むやみやたら政治的主張をしそうな勢いがあります。そんな発言をしてもらうために会長にしたわけじゃないのに、と言いたくなるかもしれません。

一応の結論

今回、投票行動をどうすればよいか、非常に悩ましいところです。

本当は、政治的には無難な線を行き、基本的には各委員会の政策を推進するけれども、大学関係の勢力に遠慮せずに言うことは言う、という人物がいいと思うのですが…(宇都宮前会長については、法科大学院強制制度の是非に踏み込まないままだったので、肝心要なところが全くおろそかだったと考えています。)。

若手は、みんな、それどころじゃないかもしれないです…。団結して権力に対抗して平等・公平を勝ち取るという考え方は若い世代にはあまりなくて、それぞれ自己努力してやっていくのが当然だと考えている人が多いんじゃないかと感じますし。