空文化する憲法53条 ~国会召集をめぐって~

臨時国会冒頭解散?

NHKを含む各メディアによると、安倍首相は、2017年(平成29年)9月28日から始まる臨時国会で、所信表明を行わずに衆議院を解散するという。

正確に言えば、天皇が内閣の助言と承認により、衆議院を解散するということであるが、その内閣の助言と承認については、内閣の首長である安倍内閣総理大臣が実質的な権限を行使するということである。

今回の解散についての政治的な部分の解説は、東洋経済ONLINEの泉宏氏のコラム(安倍首相、「冒頭解散」で10.22選挙に突入か ネーミングは「出直し」より「モリカケ隠し」?)にバランスよくまとまっているので、さしあたりそちらを参照していただければよいと思われる。

過去の臨時国会召集要求「不対応」例との比較

ところで、2017年(平成29年)6月22日、衆議院と参議院の両方において、各議員から臨時国会召集の要求書が提出された。これは、憲法53条に基づくものである。憲法53条は次のとおり定める。

内閣は、国会の臨時会の召集を決定することができる。いづれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない。

報道によれば、この召集要求があった例は、2015年10月21日の要求で37回目とのことである()。今回は、その次なので、38回目ということだろう。

南野森九州大学教授のコラムによると、衆参両院で要求があったケースは、2015年10月21日の要求で27回目であり、衆議院のみの要求が過去7ないし8回、参議院のみの要求が過去2回ということである()。

過去、要求があったのに国会が開かれなかったのは、2003年11月27日要求(第二次小泉内閣)、2005年11月1日要求(第三次小泉内閣)、2015年10月21日要求(第三次安倍内閣)である。要するに、内閣が要求を受けても開催しなくてもいいという態度を取り始めたのは、今世紀に入ってからである。これらに関し、各内閣は、翌年1月に見込まれる通常国会の召集をすることで足りるというスタンスを取っていた。

南野教授によれば、2003年と2005年は11月に入っての要求であり、要求直前まで特別国会(すなわち同年度2つめ以降の国会)が開かれていたから、10月に要求があったのに結局臨時国会は開かず通常国会だけしか開かなかった2015年の不開催が最たる憲法違反だということだ。

そして、今回、通常国会が早めに閉じられたこともあり、6月22日と要求は早かった。その要求に対し、安倍内閣は、3か月以上(98日)先の9月28日を召集日とした。確かに、今回は、引っ張るだけ引っ張ったが、形式的には臨時国会を開催したことになる。すなわち、今回は4例目の不開催事例とはならない。

憲法の要請に反する冒頭解散

冒頭解散自体は、憲法違反ではないし、それだけで政治的にも不当というわけでもない。

過去、「冒頭解散」が行われたのは、以下の3例である。

1966年12月27日(第54回通常国会)佐藤内閣 「黒い霧解散」
1986年6月2日(第105回臨時国会)第二次中曽根内閣 「死んだふり解散」
1996年9月27日(第137回臨時国会)橋本内閣

これらのうち、衆議院召集要求があったのは、1996年のみである。1986年は参議院の召集要求はあったが、参議院はなかったようである。

1966年は、通常国会である。このころは、1月ではなく、12月やそれ以前に通常国会を召集して越年させていた。12月20日まで臨時国会を開いており、立て続けに通常国会を開いたところで解散した。

1986年は、5月22日まで通常国会が開かれていたところ、中曽根内閣が意表をついてその直後に臨時国会を召集し、議長応接室で詔書を読み上げ、抜き打ち的に解散した。自民党が参議院で召集を求めていた。

1996年は、6月19日までの国会で新進党の戦術が功を奏さず、また与党側の社民党・さきがけの再編問題があった。新進党議員が両院の召集を求めていた。

今回は、少数側の議員から臨時国会召集の要求があり、憲法の要請に基づき、議会での実質的議論が求められる状況である。

1996年橋本内閣との差異は?

1996年橋本内閣でも、臨時国会の召集要求があったが、所信表明演説なしに冒頭解散がされた。その点は今回と同様に見えるが、実質的な差異はあるか?

それは、内閣が、その方針のもと、相応の期間仕事をした上での解散であったか否かの点である。第一次橋本内閣は、1996年1月11日にスタートし、改造なしで解散を迎えている。他方、第三次安倍内閣は、2017年6月18日の通常国会閉会後である8月3日に第三次改造という大規模改造をしている。改造前の話題などとの関係で、野田総務大臣、河野外務大臣、林文部科学大臣、小野寺防衛大臣などが注目されている。

今回は、改造後、国会の論戦を経ていないし、国会で方針さえも示されていない。

仮に、いま、議会での議論はひとまず置いて選挙をしなければならないとしても、今回は、少なくとも、議論を整理し、政府から方針を提示し、与野党のスタンスを示すことが極めて望ましい。

ところが、現状において所信表明演説をせずに解散すれば、それらの要請に実質的には何ら応えていないことになる。これが国民のためといえるかどうか。

そして、

  1. 臨時国会の召集に長く応じず、
  2. 召集して直ちに冒頭解散をすることで、
  3. 国会で当該内閣の方針を示さないまま選挙をすることで、

またもや憲法53条の抜け道のような前例が作られ、同条の趣旨がいっそう軽んじられるのではないか。そして、現在の内閣の方針が国会で示されず、国会という公式の場で各党のスタンスが示される機会が持たれないことにより、国民が選挙における選択基準や選択のための要素を公的に知ることができなくなるという懸念がある(各メディアでイレギュラーな形でなされるのも確かだが、正式な場が省略されるべきではない)。

余談・・・国会を開いても?・・・

現状の国会は、国政調査権が国民のために真に活用されているか、また、行政やその背景にいる与党において議院による調査に真摯に協力しているか疑問の大きい状況になっている。

巷間、国会を開いても意味がない、という論調が強い。

それは、裏返して言えば、いい加減にやり過ごしていてもなんとかなってしまう現状があるからだ。それでも、それが現実だから仕方ないというのではなく、よくする試みはしていきたい。流されず踏みとどまる主権者でありたい。

憲法保障の重要性。憲法裁判所とは?

憲法で大切なのは憲法保障

自民党総裁(内閣総理大臣)が、今秋の臨時国会中に自民党の憲法改正案を衆参両院の憲法審査会に提出したい、そして、国民投票での可決を経て2020年に改正憲法の施行を目指したいとしています。

2018年9月に自民党総裁の任期満了、2018年12月に衆議院の任期満了、2019年夏に参議院の任期満了があるため、自民党の一部では、2018年か2019年の国民投票であれば国政選挙との同時実施を検討している向きもあるようです。国政選挙に適用される公職選挙法上の「選挙運動」規制と日本国憲法の改正手続に関する法律上の「国民投票運動」規制が全く異なるため、同日投票を行うとすれば収拾がつきにくくなると思われますが、同日投票の可能性を示すこと自体が政治的な意味を有する状況でありますので、昨今の政治の進め方からすれば、勢いで同日投票になだれ込む可能性もあるでしょう。

それはともかく、2012年12月の再政権交代以降(特に2015年から2016年の「平和安全法制」の審議を機とした民共接近後)の憲法をめぐる論議は、9条・安保体制の是非、第二次世界大戦直後の日本国憲法制定の是非、という論点がほとんどを占めているように思います。すくなくとも、国政選挙においてマスメディアが憲法を取り上げるのは、ほとんどこの文脈に限定されています。

さらには、昨今の自民党総裁やその周辺の人たちの発言によれば、憲法9条に3項を設けるか、憲法9条の2を設けるなどして、早く自衛隊の違憲性の疑義を解消するために憲法改正をしたい、ということのようです。

しかし、私は、初めての憲法改正にあたっては、憲法の役割に立ち戻った議論がなされるべきだと思っています。私が重視する憲法の役割というのは、憲法保障、特に、憲法に違反する立法行為や行政行為などを無効にすることができる違憲審査です。立法行為を無効にするということは、国会の多数決で決まった法律であっても、憲法に違反していれば、無効にできるということです。

多数決により法律が作られ、少数派になってしまった人たちの意見が通らないことがあります。それは、民主主義のルールではあります。しかし、常に多数の人の意見が絶対的通ってしまっては、少数派の基本的権利が侵害されてしまいます。それを食い止めるのが、法律を無効にする力を持つ憲法ということになります。

立法府への国民による議員の送り出し方、国政に関する情報の行き渡らせ方、国民の間での議論の仕方、などなど、さまざまな要素があるでしょうが、多面的に、そして深く熟した議論がなされずに、法律ができるということがしばしばあるように思われます。そうしたときには、法律により基本的な権利やそれに類するものが侵害される国民が出てくるおそれがあります。

日本国憲法における違憲審査の仕組み

現在の日本国憲法は、81条に最高裁判所の法令審査権を規定しています。次の条文です。

第八十一条
最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。

現在の憲法は、この程度の規定ですので、どのような場合に裁判所が「憲法違反であるか否か」を審理してよいのか、明確に定められているとはいえません。しかし、我が国の憲法学説上、日本国憲法は、具体的な訴訟事件の解決にあたって必要な範囲で憲法に関する争点について判断をすることができるのだと言われています。このような仕組みを付随的違憲審査制と言います。具体的事件に付随した違憲審査という意味です。

具体的事件に付随しなくても、法律などの憲法違反を裁判所が判断できるようにしている国もあります。この仕組みを抽象的違憲審査制と言います。

付随的違憲審査制の論拠となるのは、議会と裁判所の民主的基盤の差(議会は選挙によって選ばれた議員により構成される)、裁判所の客観性・公正さ・信頼の維持というところです。また、行政がスムーズに進むことを重視する価値判断もあると思われます。

また、付随的違憲審査制のもとでは、違憲判決の効力は、当該事件に限って法令の適用が排除されるもの(個別的効力説)であるというのが通説(定説)とされています。

私の意見(憲法裁判所の設置を検討すべきである)

以下、現在の私の意見です。

確かに、付随的違憲審査制の論拠にも一理あると思います。しかし、現在は、地方議会による条例を含め、立法に対して、それが国民いずれかの基本的権利を侵害するものではないか、チェックが十分働いていないと思っています。付随的違憲審査制でも、具体的な事件においては違憲立法であるとの主張ができるので救済可能性があると謳われていますが、実際には個々人がそのような争いをしにくく、救済可能性が損なわれているのが実情です。また、具体的事件において主張をしても、違憲審査に至る前に争点回避されたり門前払いされるということになりやすくなっています。その結果、本来的に合憲性に疑義のある法律・条例・行政行為などが維持されてしまうわけです。

そこで、私は、憲法裁判所の設置について真剣に検討すべきだと思っています。

憲法裁判所は、ドイツ、イタリア、フランスなどで導入されている制度ですが、具体的事件を前提とせず、政府(連邦政府・州政府)、一定数以上の議会議員等の提訴によって法律等の合憲性を審査する抽象的違憲統制の仕組みを有しています。また、特に、ドイツの憲法裁判所では、憲法訴願と言って、基本権を侵害された個人が、通常裁判所による救済の手段が尽くされたことを前提として、憲法裁判所に対して異議申立てを行い、救済を求めることができます。

長年改正されなかった憲法を改正しようとするときの、政治家主導ではない国民的議論としては、このテーマがふさわしいと私は思っています。

金沢市長辞任の謎

これは、このブログにふさわしい記事なのか分からないが、最近の私の情報発信の場所がここなので、とりあえずここで…。

山野之義金沢市長辞任

山野之義金沢市長が名古屋競輪の場外車券売場の誘致に関し、金沢市松村のゼノンビルの管理業者「太晃産業」の太田代表取締役の求めに応じ、誘致に同意する文書に署名押印したという問題は、以前から知られていた(北國新聞記事2013/03/27)。

それでもなお、山野市長は、2014年12月に予定されていた市長選に再選出馬するつもりだった。

しかし、自民党の推薦選考の終盤、馳浩衆院議員(石川1区)が保有していた「資料」により、山野市長が上記の業者に対し、場外車券売場が誘致できない場合に誘致対象地にリサイクル施設を作る等の提案をしたなどという指摘が行われた。

それにより、市議会自民など主要会派が百条委員会(地方自治法100条に基づいて地方議会が自治体の事務の調査をするために設ける特別委員会)の設置を示唆し、山野市長に再選出馬断念どころか、実質的に辞任を迫る形になった。

山野市長は、百条委員会の設置を強く嫌気し、辞任した。とってもあっさりした結末だった。

追い落とし

素直に見れば、市長選の再選を阻止する材料を持っていた森-馳浩-下沢ラインが仕掛けた動きであり、追い落としを試みたものである。石川県では、この系統が自民の主流だと見てよいと思われる。

山野前市長が自民の主流から追い落とされたのは、前回の2010年の市長選の経緯による。多選の山出保市長への対抗馬を自民(森系)が模索していたのだが、下沢県議などが勝てるとは限らずへっぴり腰になっていたところへ、猪突猛進、山野市議・安居市議などが手を挙げ、山出氏の対抗馬が山野氏に一本化された上で、自民は山出氏と山野氏を両者推薦ということになった。そして、結局、多選批判などで山野氏が当選したのだが、もともと森系のお抱え候補ではないのと、市政運営批判から、隙あらば引きずり下ろしたいという状況にはあったわけである。

それで、市長選に向けてベストのタイミングで、スキャンダルが破裂させられて、立候補不可能または立候補しても落選する・・・というふうになったということだ。

ただ、そもそも場外車券売場というようなものの誘致のために、わけのわからない書面に署名押印して、おかしな業者に動かれるということ自体、適格性を疑われることだし、揚げ足を取られるべくして取られたというところもあるのだろう。

弁護士の動きの謎

この騒動の中で面白かったのは、山野氏の主張として、「金沢市役所の顧問弁護士として月10万円で雇ってほしい。そうすれば業者を抑える。」と山野氏に言った弁護士がいて、その弁護士は太晃産業の代理人だということなのだった(読売新聞記事2014/08/14、北陸中日新聞2014/08/13、あくまで山野氏の主張)。

そして、山野氏の行為が公選法違反(利害誘導)などにあたると主張したのは、その弁護士なのだった。

顧問弁護士としての売り込みの真偽はともかく、山野氏は太晃産業と組んで何かしようとした又は太晃産業系統からの圧力に屈したせいでこうなっているわけで、山野氏の行為が刑事罰対象であるとあえて指摘するということはちょっと異様なこと(自分の依頼者側も共犯者なのではないか?)で、何を意図しているのかと訝りたくなる。

地元メディアの「奥歯に物が挟まった」感

地元石川県のメディア、新聞報道など読み尽くしたわけではないけれど、特に北國新聞なんかはいろいろと情報は集まっていそうなのに「奥歯に物が挟まった感」がある。特に山野氏の辞任の後は「疑惑に幕引きが図られ、詳細は明らかにならず」という、上っ面の報道である(新聞がまとまって分析したのは、市長辞任にあたってひととおり特集を組んだそのコーナーの中くらいだと思う…。地元対象で突っ込んだ報道をする雑誌メディアなどそもそもないし)。

公のことについては、もうちょっと突っ込んで報道してほしい。「推測」「憶測」「うがった見方」を提示するところまでしなくても、関係者の話を照らし合わせるなどして、判明した事実は報じて、考える材料を与えてほしいと思う。

東京都議会「セクハラヤジ」問題

東京都議会のセクハラヤジ問題では、鈴木章浩議員(大田区選出、当選3回、自民党)が塩村文夏議員(世田谷区選出、当選1回、みんなの党)に「早く結婚した方がいい」と言ったということが特定されて、鈴木議員が自民党会派を離脱した。

今は、マスコミ各社(NHKを含めて)が、他に誰が何を言ったのか、ということを競って伝えている状況だが、そろそろマスコミ報道はもう惰性だけの下らない流れになってきているように感じる。声紋分析の鈴木松美さん親子がまた出てきた。マスコミ御用達なんだなぁ。この流れでよくあるのが、今度は週刊誌が塩村議員側のスキャンダルを書き立てるというような流れだが、本当にそうなったら、「いやぁ、マスコミらしいですね」という感じだ。塩村議員もマスコミ出身で、マスコミの使い方がうまいように思えるから、流れが逆流することも当然予測しているのだろうが。

そして、こうやってマスコミが過熱しておかしなところで盛り上がったときにはマスコミ批判が出てくるが、批判がたいして反映されている様子もなく、同じような流れが繰り返される。

結局、マスコミが取り扱った本題に関して、社会がよりよい方向に向かったということもあまりないし、報道の仕方や盛り上がり方での反省が次につなげられることもあまりない。よっぽどひどいことをしたらしばらくは検証の会みたいなものが作られるけど。

今回の件で言えば、議員を名指ししてつるし上げるという、ときどき行われることがまたされているのだなと思う(かつてすごかったのは古賀潤一郎の件)。

もちろん、今回の件で、鈴木議員や自民党を批判するなというのではない。子育て関係の質問を真摯に行っている議員に対して、「早く結婚した方がいい」とか「産めないのか」とか大声で言うことは、鋭い指摘というより単なる中傷と妨害と憂さ晴らしであり、公のお金をもらって公のための議論をしなければならない場所でそういうことをしている人たちにはあきれるし、そういう行動をとる人たちを抱えながらまともな対処ができないグループもどうかと思う。そういうグループは、あえて言わずそのままにしておくのが当然という空気になっている。

発言議員の特定も、するなというのではない。できるならすればよい。でも、マスコミが鈴木松美さん親子を登場させて、どうのこうの言わせるようなことは、社会的な意義が乏しいなと思う。それで特定できなければ幕引き、とか書いてるのもおかしな話で、真の問題の所在を見つけて、議論を続けていけばいいのではないか。自分たちが面白くなくなったら「幕引き」にして報道は終わりですか。

私は、この件を次に行かすのであれば、塩村対鈴木(ほか自民党)という扱いにして、今回の件で何とかつるしあげをしようというのではなくて、議会のルールをもっとよくするとか、同様のことが起きたときに事実関係を把握しやすいようにするとか、自民党議員の本音を探って政権政党が本音とは違う政策を推進してストレスを溜め込むことになっている状況を検証するとか、そんなことだと思う。特に、国会でも地方議会でも行政施策に近い立場にある人たちがヤジでは本音を言えるけれども議論は本心ではないなんて状況があるとしたら社会的な病理か何かだと思う。

ヤジの中身としても、「結婚していないやつが物を言うな」とか「産んでから物を言え」ということなのだが(まぁこういう話は実際よく言われてる)、女性に対するセクハラという捉え方の是非はともかく(私は、幅広く「セクハラ」と捉えることで物が言えなくなるというデメリットもあると思う)、「話者が○○○でないと語る資格がない」というのは、政策に正当性があるかもしれないけど提案したのが誰々だから内容もまともに聞かない論じないということにつながるので、公の話し合いの場所での発言として本当によくないと思う。都民の代表として議論しに来ているのなら、まずは、何が話されているのか聞くべきだ。

そんなことを言って妨害しなければならないほど自分たちがストレスを抱えている、その原因を探ることで、自民党の議員(鈴木議員も会派を離脱しただけで自民党の議員である)には政策の向上につなげていただきたいと思う。

そして、鈴木議員は、もし今後自民党会派が自浄作用を備えてもそのとき自民党会派にいない以上自分で何とかするしかないのだから、ちゃんと自己分析をしてそういう作文でも発表してから自民党会派に戻るべきだと思う。自民党会派も、自己分析のできていない鈴木議員を戻したならば、それは即自浄作用が備えられていないことを意味すると思う。たとえば、女性は社会進出よりまずは出産であるとの本音を誰かが持っているとして、その本音が議論に挙がる前に消えるのはおかしいし、本音も政策に反映されていいのではないかと思うので、反省ポーズで口を噤むことは求めたくない。鈴木議員が今すべきこととしては、今後言いたいことを政策に反映するにはどうすればいいかを考えることだ。他人の発言を妨害するのではなくて。

全国最年少の市長が逮捕された件

政治ネタ

世知辛い世の中、私もそれなりにストレスを浴びています。

そういうときは、マニアな趣味の政治ネタで気を紛らわしましょう。

美濃加茂市長 逮捕

現在全国最年少の市長である、藤井浩人・岐阜県美濃加茂市長(29歳。就任時点で28歳10か月)が6月24日、愛知県警に逮捕されました。

各報道によると、被疑事実に係る罪名は受託収賄罪と事前収賄罪など。美濃加茂市議会議員だった2013年3~4月、業者から「浄水設備を市に導入してほしい」と依頼され、市議会本会議で設備導入の検討を求める発言をしたほか、市の担当者に契約締結を要望した。その見返りとして業者から10万円を受け取った。さらに、2013年6月の市長選に立候補を表明する直前の4月、業者から「市長就任後も浄水設備の契約締結を進めてほしい」と頼まれ、20万円を受け取った。・・・ということだといいます。

受託収賄罪というのは、「公務員が」、「請託を受けて」、「その職務に関し」、「賄賂を収受し、又はその要求若しくは約束をしたとき」に成立する。7年以下の懲役。報道を元にすれば、今回の件は、市議会議員としての職務に関することです。

事前収賄罪というのは、「公務員になろうとする者が」、「その担当すべき職務に関し」、「請託を受けて」、「賄賂を収受し、又はその要求若しくは約束をしたとき」に成立する。処罰されるのは、「公務員となった場合」である。5年以下の懲役。これは、今回の件で言えば、市長の職務に関することで、市長になる前に受け取った金のことです。

藤井市長は、収賄なんて、事実無根なので、しっかり捜査には協力し潔白をはらしたいと思います!」とTweetしているが、事実無根で逮捕されたのなら大問題です。

実際にどういうことがあったのかということは、まだ明らかになりません。

報道の中には、

 議会関係者によると、藤井市長は2013年3月議会の委員会で、プールに雨水をためておき、災害時にろ過して飲料水に使うよう市議として提案。一般質問では市幹部から「雨水ろ過の導入を検討する」という答弁を引き出した。捜査2課はこうした質問が業者の参入に有利となり、便宜供与にあたると判断した模様だ。

http://mainichi.jp/shimen/news/20140624dde041040036000c.html

というものがありましたので(他社にも同様の報道あり)、美濃市議会の議事録を見てみましたが、インターネットで見られる本会議の議事録には、藤井市議(当時)の質問に答える形で直接的に「雨水ろ過の導入を検討する」という答弁がなされている箇所がないように思えたし、飲用の利用についてはともかく「加茂川総合内水対策計画」というもののなかで、すでに雨水対策として貯留浸透施設を校庭に設置するという案が出ていたのであって、藤井市議の質問によって「雨水ろ過の導入を検討する」という答弁があえて引き出されたという評価には違和感があります。

お金を渡したのか渡していなかったのか、渡したとしてどのような意味合いで渡したのか、ということもありますが、少なくとも受託収賄に関しては、現時点で私はちょっとすっきりしません。贈賄側業者が認める形になっているようで、有罪認定に進みやすいのでしょうが、それでいいのかなと疑問に思います。

ただ、事前収賄については、市長就任後のこの事業関係の進め方が性急かつ特異であり(業者負担で実証実験名目で設備が作られたという)、仮に市議時代に金銭の授受があったとすれば、藤井市長の進め方に甘さがあったように感じられます。

KSD(村上正邦)事件などを取ってみても、一旦起訴されれば、裁判所は、「請託」や「賄賂性(見返り)」の認定がゆるやかであると感じます。ですから、金銭の授受があるような場合に、争って無実を晴らすことは、容易なことではないでしょう。

最年少市長といえば

私がこの件で思い出したのが、志々田浩太郎・元東京都武蔵村山市長。

郵政官僚から、日本新党のスタッフになり、1997年に28歳0か月で武蔵村山市長となった志々田氏でしたが、再選後に三選を目指して臨んだ2002年の選挙で落選しました。そして、その選挙の選挙公報に石原慎太郎東京都知事らの推薦文を勝手に掲載した公職選挙法違反(虚偽事項の公表)で逮捕起訴されました。のちに八王子簡裁で罰金と公民権停止4年の略式命令。選挙期間中に石原氏側から問題視され謝罪する、という下らない経緯でした。

志々田氏の最年少市長記録は今も破られていません。就任時最年少市長記録1位は志々田氏、2位は藤井氏です。

若い政治家は経験が薄い分、狙われやすいのでは

市長の最年少逮捕記録は藤井氏になったわけですが、市長経験者最年少有罪記録とならなければいいのですが。

それにしても、政治の世界は、見返りを期待して近づいてくる人たちが多いですし、それに加えてあまり世間慣れしていないと、いいように使ってやろうと狙う人たちのターゲットになりやすいです。

藤井氏も、議会活動・日常活動とも頑張っていたようですし、市長の立場での振る舞い方を間違った(市議と違って思いついたことも押し通せるので…)のかもしれませんが、あえて自分から市民を裏切って私腹を肥やすというあくどい気持ちまであったかというと「?」です。

今回の件は、別件で逮捕されるような業者に好き勝手やられてしまったという側面があり、業者に引きずられるようにして「市長の収賄」が捜査機関の手の届きやすいところにお膳立てされたという形なのではないでしょうか。

とはいえ、そうした業者と懇意にして、特別な関係と見られてしまうこと自体、政治家(特に首長)として未熟なのかもしれませんし、未熟ゆえにこうなったとしても「次は頑張れ」と言える状況までになるかどうか、というところなのですが。

特定秘密保護法は便利な捜査ツールか?

特定秘密保護法の成立

特定秘密保護法は、去る国会で成立した。

法案の国会提出後、マスコミも含め、反対論が膨らんだが、自民党・公明党の法案成立への意思は揺るがず、結局成立した。

ただ、成立以降も、法律の運用について懸念の声が少なくなく、まだマスコミの報道もやんでいない。

私の、特定秘密保護法への、もともとのスタンス

私は、特定秘密保護法の立法の目的については、否定しない。大雑把に言って、高度な外交秘密や安全保障上の秘密を他国に漏らさないための法制度は必要だと思う。

特に、現在、東アジア情勢は一筋縄ではいかない状況である。対中・対韓の関係については、表面的に友好化すればいいというものではなく、常に注意を払わなければならない。そのような中、情報漏洩を防ぐ手立てを講じる必要はある。

本来的には、国民は、安全保障に関しても、多様な情報を知った上で議論し、輿論を形成し、選挙権を行使すべきである。しかし、すべてガラス張りで議論することで、国民主権の足場が崩れることもある。そうであるならば、秘密とする情報の範囲はできるだけ抑制的であることが望ましいが、秘密を保護する法律を制定すること自体否定されるべきではない。

強く残る懸念(捜査機関にとって便利なツールであるといえること)

特定秘密保護法案に関する議論の当初、私は賛否を決めかねていたが、その理由としては、刑事罰に関する構成要件が曖昧であったり、刑事手続と「秘密」との関係がはっきりしない点があった。

日本の現実として、捜査機関が被疑者を逮捕・勾留すると、マスコミは疑いの内容を警察(検察)発表どおりに実名を付して報じ、それを受けて社会はおおむね被疑者を犯人視する。特に、捜査機関が力を入れている事件については、どのように報じられるかを意識して情報をリークすることで、輿論を味方につけ、捜査段階から被疑者に社会的制裁を与えようとする。

こういうことになっているから、捜査機関がある人物を立件したいというときに、いかなる理由をつけて(いかなる罪名を適用して)立件できるかが非常に重要なのである。今回の、特定秘密保護法(案)は、構成要件が曖昧であり、読み方にブレが生じるゆえに、捜査機関は法律を広く解釈して被疑者の逮捕・勾留を裁判所に請求し、裁判所もあっさりと認めるのではないかという懸念がある。

このあたりのことを漠然と考えていたが、落合洋司弁護士の稿(弁護士 落合洋司 (東京弁護士会) の 「日々是好日」 2013/12/02 国家機密と刑事訴訟 特定秘密保護法案の刑事手続上の論点)を読んで、「特定秘密保護法違反」の刑事事件を想定したときの問題点がさらにはっきりわかった。私が上に書いたように、「特定秘密保護法違反」として被疑者を逮捕・勾留することもありうるだろうし、大まかに「特定秘密保護法違反」の被疑事実があるからとマスコミその他の関係先を捜索するということも十分考えられる。そして、刑事手続が進む中でも、捜査機関側は、外形的に「特定秘密」にあたることに関わった何らかの証拠を裁判所に提出するかもしれないが、その提出証拠は、捜査機関に都合の悪い部分を隠したものであることもありうる(そのような操作が簡単にできるだろう)。

もちろん、私は、秘密漏洩を食い止めるため、罰するべき事案もあることは認める立場である。しかし、行政機関には、「行政側から睨まれてでもやる」という人物を排除したいという欲求があり、そうした人物の行為が公益に資するか否かは、当事者の行政では究極的判断ができないのでないかと思う。そういうとき、行政がそうした人物を邪魔だと思い、そうした人物が関わった情報が「特定秘密」に属するものであれば、「特定秘密保護法違反」として逮捕、ということにも直結しうる。このような場合、行為をした本人以外の者も共犯者(の疑いがある者)として逮捕されることもある。逮捕までいかずとも、非常なプレッシャーをかけられる。

郷原信郎弁護士も、次のように指摘し、この法律が誤った方向で用いられるおそれがあるとする(郷原信郎が斬る 2013/12/05「特定秘密保護法 刑事司法は濫用を抑制する機能を果たせるのか」)。

特定秘密保護法案に関して問題なのは、法案の中身自体というより、むしろ、現行の刑事司法の運用の下で、このような法律が成立し、誤った方向に濫用された場合に、司法の力でそれを抑制することが期待できないということである。

他方、長谷部恭男東京大学教授(憲法学)は、衆議院国家安全特別委員会で、参考人として話をしたが、このあたりの問題については、次のとおり述べている(引用元サイト)。

それから第四、それでもこの法案の罰則規定には当たらないはずの行為に関しましても、例えば捜査当局がこの法案の罰則規定違反の疑いで逮捕や捜索を行う危険性、それはあるのではないかと言われることがございます。我が国の刑事手法、ご案内の通り捜索や逮捕につきましては令状主義を取っておりまして、令状とるには罪を犯したと考えられる相当の理由ですとか、捜索の必要性、これを示す必要がございますので、そうした危険が早々あるとは私は考えておりませんが、もちろん中には大変な悪だくみをする捜査官がいて、悪知恵を働かせて逮捕や捜索をするという可能性はないとは言い切れません。

ただあの、そうした捜査官は、実はどんな法律であっても悪用するでございましょうから、そうした捜査官が出現する可能性が否定できないということは、正にこの法案を取り上げて批判する根拠にはやはりならないのではないかと。むしろそうした捜査官が仮に出現するのでありましたら、そうした人たちにいかに対処するのかと。その問題にむしろ注意を向けるべきではないかと考えております。

この長谷部教授の発言は、落合氏・郷原氏の議論に直接対応するものではない。長谷部教授の問題設定は「この法律が悪用されないか?」というものであり、巧妙に「活用」されるという問題についての議論ではないからだ。

ここで、長谷部教授は、こういうことを言っている。「逮捕」や「捜索」については令状主義をとっているから、必ず裁判官のチェックを受けるのである。罰則規定にあたらないはずの行為を取り上げて逮捕や捜索を受ける可能性は、他の法律による場合と同様、捜査官の個性の問題になる、と。

しかし、実際には、裁判官の令状審査が実質的に機能しているか疑問が大きい。令状主義をとっていることだけで、捜査機関がこの法律を巧妙に「活用」することは、防げないだろう。

以上から、私は、最終的に、特定秘密保護法案に反対する意見を持ったし、現在でも特定秘密保護法がどのように運用されていくか、強い懸念を持っている。実質的に、安全保障のためという目的をそこそこにして、捜査機関の便利ツールとして使われていく可能性があると思っている。

この法律の運用については、今後とも注目していきたい。