空文化する憲法53条 ~国会召集をめぐって~

臨時国会冒頭解散?

NHKを含む各メディアによると、安倍首相は、2017年(平成29年)9月28日から始まる臨時国会で、所信表明を行わずに衆議院を解散するという。

正確に言えば、天皇が内閣の助言と承認により、衆議院を解散するということであるが、その内閣の助言と承認については、内閣の首長である安倍内閣総理大臣が実質的な権限を行使するということである。

今回の解散についての政治的な部分の解説は、東洋経済ONLINEの泉宏氏のコラム(安倍首相、「冒頭解散」で10.22選挙に突入か ネーミングは「出直し」より「モリカケ隠し」?)にバランスよくまとまっているので、さしあたりそちらを参照していただければよいと思われる。

過去の臨時国会召集要求「不対応」例との比較

ところで、2017年(平成29年)6月22日、衆議院と参議院の両方において、各議員から臨時国会召集の要求書が提出された。これは、憲法53条に基づくものである。憲法53条は次のとおり定める。

内閣は、国会の臨時会の召集を決定することができる。いづれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない。

報道によれば、この召集要求があった例は、2015年10月21日の要求で37回目とのことである()。今回は、その次なので、38回目ということだろう。

南野森九州大学教授のコラムによると、衆参両院で要求があったケースは、2015年10月21日の要求で27回目であり、衆議院のみの要求が過去7ないし8回、参議院のみの要求が過去2回ということである()。

過去、要求があったのに国会が開かれなかったのは、2003年11月27日要求(第二次小泉内閣)、2005年11月1日要求(第三次小泉内閣)、2015年10月21日要求(第三次安倍内閣)である。要するに、内閣が要求を受けても開催しなくてもいいという態度を取り始めたのは、今世紀に入ってからである。これらに関し、各内閣は、翌年1月に見込まれる通常国会の召集をすることで足りるというスタンスを取っていた。

南野教授によれば、2003年と2005年は11月に入っての要求であり、要求直前まで特別国会(すなわち同年度2つめ以降の国会)が開かれていたから、10月に要求があったのに結局臨時国会は開かず通常国会だけしか開かなかった2015年の不開催が最たる憲法違反だということだ。

そして、今回、通常国会が早めに閉じられたこともあり、6月22日と要求は早かった。その要求に対し、安倍内閣は、3か月以上(98日)先の9月28日を召集日とした。確かに、今回は、引っ張るだけ引っ張ったが、形式的には臨時国会を開催したことになる。すなわち、今回は4例目の不開催事例とはならない。

憲法の要請に反する冒頭解散

冒頭解散自体は、憲法違反ではないし、それだけで政治的にも不当というわけでもない。

過去、「冒頭解散」が行われたのは、以下の3例である。

1966年12月27日(第54回通常国会)佐藤内閣 「黒い霧解散」
1986年6月2日(第105回臨時国会)第二次中曽根内閣 「死んだふり解散」
1996年9月27日(第137回臨時国会)橋本内閣

これらのうち、衆議院召集要求があったのは、1996年のみである。1986年は参議院の召集要求はあったが、参議院はなかったようである。

1966年は、通常国会である。このころは、1月ではなく、12月やそれ以前に通常国会を召集して越年させていた。12月20日まで臨時国会を開いており、立て続けに通常国会を開いたところで解散した。

1986年は、5月22日まで通常国会が開かれていたところ、中曽根内閣が意表をついてその直後に臨時国会を召集し、議長応接室で詔書を読み上げ、抜き打ち的に解散した。自民党が参議院で召集を求めていた。

1996年は、6月19日までの国会で新進党の戦術が功を奏さず、また与党側の社民党・さきがけの再編問題があった。新進党議員が両院の召集を求めていた。

今回は、少数側の議員から臨時国会召集の要求があり、憲法の要請に基づき、議会での実質的議論が求められる状況である。

1996年橋本内閣との差異は?

1996年橋本内閣でも、臨時国会の召集要求があったが、所信表明演説なしに冒頭解散がされた。その点は今回と同様に見えるが、実質的な差異はあるか?

それは、内閣が、その方針のもと、相応の期間仕事をした上での解散であったか否かの点である。第一次橋本内閣は、1996年1月11日にスタートし、改造なしで解散を迎えている。他方、第三次安倍内閣は、2017年6月18日の通常国会閉会後である8月3日に第三次改造という大規模改造をしている。改造前の話題などとの関係で、野田総務大臣、河野外務大臣、林文部科学大臣、小野寺防衛大臣などが注目されている。

今回は、改造後、国会の論戦を経ていないし、国会で方針さえも示されていない。

仮に、いま、議会での議論はひとまず置いて選挙をしなければならないとしても、今回は、少なくとも、議論を整理し、政府から方針を提示し、与野党のスタンスを示すことが極めて望ましい。

ところが、現状において所信表明演説をせずに解散すれば、それらの要請に実質的には何ら応えていないことになる。これが国民のためといえるかどうか。

そして、

  1. 臨時国会の召集に長く応じず、
  2. 召集して直ちに冒頭解散をすることで、
  3. 国会で当該内閣の方針を示さないまま選挙をすることで、

またもや憲法53条の抜け道のような前例が作られ、同条の趣旨がいっそう軽んじられるのではないか。そして、現在の内閣の方針が国会で示されず、国会という公式の場で各党のスタンスが示される機会が持たれないことにより、国民が選挙における選択基準や選択のための要素を公的に知ることができなくなるという懸念がある(各メディアでイレギュラーな形でなされるのも確かだが、正式な場が省略されるべきではない)。

余談・・・国会を開いても?・・・

現状の国会は、国政調査権が国民のために真に活用されているか、また、行政やその背景にいる与党において議院による調査に真摯に協力しているか疑問の大きい状況になっている。

巷間、国会を開いても意味がない、という論調が強い。

それは、裏返して言えば、いい加減にやり過ごしていてもなんとかなってしまう現状があるからだ。それでも、それが現実だから仕方ないというのではなく、よくする試みはしていきたい。流されず踏みとどまる主権者でありたい。

憲法保障の重要性。憲法裁判所とは?

憲法で大切なのは憲法保障

自民党総裁(内閣総理大臣)が、今秋の臨時国会中に自民党の憲法改正案を衆参両院の憲法審査会に提出したい、そして、国民投票での可決を経て2020年に改正憲法の施行を目指したいとしています。

2018年9月に自民党総裁の任期満了、2018年12月に衆議院の任期満了、2019年夏に参議院の任期満了があるため、自民党の一部では、2018年か2019年の国民投票であれば国政選挙との同時実施を検討している向きもあるようです。国政選挙に適用される公職選挙法上の「選挙運動」規制と日本国憲法の改正手続に関する法律上の「国民投票運動」規制が全く異なるため、同日投票を行うとすれば収拾がつきにくくなると思われますが、同日投票の可能性を示すこと自体が政治的な意味を有する状況でありますので、昨今の政治の進め方からすれば、勢いで同日投票になだれ込む可能性もあるでしょう。

それはともかく、2012年12月の再政権交代以降(特に2015年から2016年の「平和安全法制」の審議を機とした民共接近後)の憲法をめぐる論議は、9条・安保体制の是非、第二次世界大戦直後の日本国憲法制定の是非、という論点がほとんどを占めているように思います。すくなくとも、国政選挙においてマスメディアが憲法を取り上げるのは、ほとんどこの文脈に限定されています。

さらには、昨今の自民党総裁やその周辺の人たちの発言によれば、憲法9条に3項を設けるか、憲法9条の2を設けるなどして、早く自衛隊の違憲性の疑義を解消するために憲法改正をしたい、ということのようです。

しかし、私は、初めての憲法改正にあたっては、憲法の役割に立ち戻った議論がなされるべきだと思っています。私が重視する憲法の役割というのは、憲法保障、特に、憲法に違反する立法行為や行政行為などを無効にすることができる違憲審査です。立法行為を無効にするということは、国会の多数決で決まった法律であっても、憲法に違反していれば、無効にできるということです。

多数決により法律が作られ、少数派になってしまった人たちの意見が通らないことがあります。それは、民主主義のルールではあります。しかし、常に多数の人の意見が絶対的通ってしまっては、少数派の基本的権利が侵害されてしまいます。それを食い止めるのが、法律を無効にする力を持つ憲法ということになります。

立法府への国民による議員の送り出し方、国政に関する情報の行き渡らせ方、国民の間での議論の仕方、などなど、さまざまな要素があるでしょうが、多面的に、そして深く熟した議論がなされずに、法律ができるということがしばしばあるように思われます。そうしたときには、法律により基本的な権利やそれに類するものが侵害される国民が出てくるおそれがあります。

日本国憲法における違憲審査の仕組み

現在の日本国憲法は、81条に最高裁判所の法令審査権を規定しています。次の条文です。

第八十一条
最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。

現在の憲法は、この程度の規定ですので、どのような場合に裁判所が「憲法違反であるか否か」を審理してよいのか、明確に定められているとはいえません。しかし、我が国の憲法学説上、日本国憲法は、具体的な訴訟事件の解決にあたって必要な範囲で憲法に関する争点について判断をすることができるのだと言われています。このような仕組みを付随的違憲審査制と言います。具体的事件に付随した違憲審査という意味です。

具体的事件に付随しなくても、法律などの憲法違反を裁判所が判断できるようにしている国もあります。この仕組みを抽象的違憲審査制と言います。

付随的違憲審査制の論拠となるのは、議会と裁判所の民主的基盤の差(議会は選挙によって選ばれた議員により構成される)、裁判所の客観性・公正さ・信頼の維持というところです。また、行政がスムーズに進むことを重視する価値判断もあると思われます。

また、付随的違憲審査制のもとでは、違憲判決の効力は、当該事件に限って法令の適用が排除されるもの(個別的効力説)であるというのが通説(定説)とされています。

私の意見(憲法裁判所の設置を検討すべきである)

以下、現在の私の意見です。

確かに、付随的違憲審査制の論拠にも一理あると思います。しかし、現在は、地方議会による条例を含め、立法に対して、それが国民いずれかの基本的権利を侵害するものではないか、チェックが十分働いていないと思っています。付随的違憲審査制でも、具体的な事件においては違憲立法であるとの主張ができるので救済可能性があると謳われていますが、実際には個々人がそのような争いをしにくく、救済可能性が損なわれているのが実情です。また、具体的事件において主張をしても、違憲審査に至る前に争点回避されたり門前払いされるということになりやすくなっています。その結果、本来的に合憲性に疑義のある法律・条例・行政行為などが維持されてしまうわけです。

そこで、私は、憲法裁判所の設置について真剣に検討すべきだと思っています。

憲法裁判所は、ドイツ、イタリア、フランスなどで導入されている制度ですが、具体的事件を前提とせず、政府(連邦政府・州政府)、一定数以上の議会議員等の提訴によって法律等の合憲性を審査する抽象的違憲統制の仕組みを有しています。また、特に、ドイツの憲法裁判所では、憲法訴願と言って、基本権を侵害された個人が、通常裁判所による救済の手段が尽くされたことを前提として、憲法裁判所に対して異議申立てを行い、救済を求めることができます。

長年改正されなかった憲法を改正しようとするときの、政治家主導ではない国民的議論としては、このテーマがふさわしいと私は思っています。

氷見市長に対する住民訴訟、氷見市長をめぐる報道

氷見市長本川祐治郎氏に対する住民訴訟の原告側訴訟代理人をしている。氷見市に対し、本川市長らへの損害賠償請求と不当利得返還請求をせよと求める訴訟である。

住民訴訟は、漁業交流施設・魚々座(旧海鮮館)の改修にかかる本川市長の善管注意義務違反・指揮監督上の義務違反、サイクルステーション整備事業における富山県補助金の不正受給に関する本川市長の指揮監督上の義務違反を問うものである。

住民訴訟の提起は2016年9月2日であり、口頭弁論はこれまでに、2016年12月26日・2017年2月20日に開かれている。

 

昨日(2017年3月9日)、本川市長が記者会見を開いたとのことで、今日の地域紙朝刊にその内容が掲載された。北日本新聞のウェブサイトでは以下のように掲載されている。

本川氷見市長 抗議書の内容認め謝罪 市長選出馬は再検討

今回の報道で問題とされている市長の行動のひとつは、2017年2月1日のことだという。監査請求や訴訟で問題を追及されている中でも、次々と新たに問題が生じていることになる。

氷見市民の住民自治の力が試される場面だろうと思う。

参議院の選挙制度問題 その1

初の合区導入

平成27年(2015年)7月24日、参議院の定数配分や選挙区設定を部分的に変える公職選挙法改正案が参議院本会議で可決された(自民党、維新の会などが賛成し、民主党、公明党、共産党などが反対した)。7月28日には衆議院でも可決され、成立する見込みだという。

この案の特徴は、これまで完全に都道府県単位だった「選挙区」選挙について、「鳥取+島根」、「徳島+高知」の2合区を設け、その他に宮城、新潟、長野の改選ごと定数を1減させることで、10減(改選ごと5減)を確保。その分を、北海道、東京、愛知、兵庫、福岡にそれぞれ改選1増し、10増(改選ごと5増)させるというものである。この改変により、平成22年(2010年)国勢調査に基づく「一票の較差」最大値は、2.97倍(価値最少が埼玉県民、価値最大が福井県民)となる。

平成25年(2013年)の参院選の「一票の較差」最大値は、4.77倍(価値最少が北海道民、価値最大が鳥取県民)だということなので、相当程度倍率が改善したことにはなる。

今回の「一票の較差」低減をどう評価するか

平成25年(2013年)参院選についての平成26(2014年)最高裁大法廷判決

最高裁大法廷は、平成26年(2014年)11月26日判決において、平成22年(2010年)の参院選について、

 さきに述べたような憲法の趣旨,参議院の役割等に照らすと,参議院は衆議院とともに国権の最高機関として適切に民意を国政に反映する機関としての責務を負っていることは明らかであり,参議院議員の選挙であること自体から,直ちに投票価値の平等の要請が後退してよいと解すべき理由は見いだし難い。昭和58年大法廷判決は,参議院議員の選挙制度において長期にわたる投票価値の大きな較差の継続を許容し得る根拠として,上記の選挙制度の仕組みや参議院に関する憲法の定め等を挙げていたが,これらの諸点も,平成24年大法廷判決の指摘するとおり,上記アにおいてみたような長年にわたる制度及び社会状況の変化を踏まえると,数十年間にもわたり5倍前後の大きな較差が継続することを正当化する理由としては十分なものとはいえなくなっているものといわざるを得ない。殊に,昭和58年大法廷判決は,上記の選挙制度の仕組みに関して,都道府県が歴史的にも政治的,経済的,社会的にも独自の意義と実体を有し,政治的に一つのまとまりを有する単位として捉え得ることに照らし,都道府県を各選挙区の単位とすることによりこれを構成する住民の意思を集約的に反映させ得る旨の指摘をしていたが,この点についても,都道府県が地方における一つのまとまりを有する行政等の単位であるという限度において相応の合理性を有していたことは否定し難いものの,これを参議院議員の各選挙区の単位としなければならないという憲法上の要請はなく,むしろ,都道府県を各選挙区の単位として固定する結果,その間の人口較差に起因して上記のように投票価値の大きな不平等状態が長期にわたって継続している状況の下では,上記の都道府県の意義や実体等をもって上記の選挙制度の仕組みの合理性を基礎付けるには足りなくなっているものといわなければならない

以上に鑑みると,人口の都市部への集中による都道府県間の人口較差の拡大が続き,総定数を増やす方法を採ることにも制約がある中で,半数改選という憲法上の要請を踏まえて定められた偶数配分を前提に,上記のような都道府県を各選挙区の単位とする仕組みを維持しながら投票価値の平等の実現を図るという要求に応えていくことは,もはや著しく困難な状況に至っているものというべきである。このことは,前記2(3)の平成17年10月の専門委員会の報告書において指摘されており,平成19年選挙当時も投票価値の大きな不平等がある状態であって選挙制度の仕組み自体の見直しが必要であることは,平成21年大法廷判決において特に指摘されていたところでもある。これらの事情の下では,平成24年大法廷判決の判示するとおり,平成22年選挙当時,本件旧定数配分規定の下での前記の較差が示す選挙区間における投票価値の不均衡は,投票価値の平等の重要性に照らしてもはや看過し得ない程度に達しており,これを正当化すべき特別の理由も見いだせない以上,違憲の問題が生ずる程度の著しい不平等状態に至っていたというほかはない。

としたうえで、平成25年(2013年)の参院選について、

 本件選挙は,平成24年大法廷判決の言渡し後に成立した平成24年改正法による改正後の本件定数配分規定の下で施行されたものであるが,上記ウのとおり,本件旧定数配分規定の下での選挙区間における投票価値の不均衡が違憲の問題が生ずる程度の著しい不平等状態にあると評価されるに至ったのは,総定数の制約の下で偶数配分を前提に,長期にわたり投票価値の大きな較差を生じさせる要因となってきた都道府県を各選挙区の単位とする選挙制度の仕組みが,長年にわたる制度及び社会状況の変化により,もはやそのような較差の継続を正当化する十分な根拠を維持し得なくなっていることによるものであり,同判決において指摘されているとおり,上記の状態を解消するためには,一部の選挙区の定数の増減にとどまらず,上記制度の仕組み自体の見直しが必要であるといわなければならない。しかるところ,平成24年改正法による前記4増4減の措置は,上記制度の仕組みを維持して一部の選挙区の定数を増減するにとどまり,現に選挙区間の最大較差(本件選挙当時4.77倍)については上記改正の前後を通じてなお5倍前後の水準が続いていたのであるから,上記の状態を解消するには足りないものであったといわざるを得ない(同改正法自体も,その附則において,平成28年に施行される通常選挙に向けて選挙制度の抜本的な見直しについて引き続き検討を行い結論を得るものとする旨を定めており,上記4増4減の措置の後も引き続き上記制度の仕組み自体の見直しの検討が必要となることを前提としていたものと解される。)。

したがって,平成24年改正法による上記の措置を経た後も,本件選挙当時に至るまで,本件定数配分規定の下での選挙区間における投票価値の不均衡は,平成22年選挙当時と同様に違憲の問題が生ずる程度の著しい不平等状態にあったものというべきである。

と判断した。なお、ア~ウの中身など、詳細は原典参照。

そして、公職選挙法の規定が憲法違反となるか否かについて、判断基準としては、

 参議院議員の選挙における投票価値の較差の問題について,当裁判所大法廷は,これまで,①当該定数配分規定の下での選挙区間における投票価値の不均衡が,違憲の問題が生ずる程度の著しい不平等状態に至っているか否か,②上記の状態に至っている場合に,当該選挙までの期間内にその是正がされなかったことが国会の裁量権の限界を超えるとして当該定数配分規定が憲法に違反するに至っているか否かといった判断の枠組みを前提として審査を行ってきており

として、その判断基準を再び採った上で、

 参議院議員の選挙における投票価値の不均衡については,平成10年及び同12年の前掲各大法廷判決は違憲の問題が生ずる程度の著しい不平等状態に至っていないとする判断を示し,その後も平成21年大法廷判決に至るまで上記の状態に至っていたとする判断が示されたことはなかったものであるところ,違憲の問題が生ずる程度の著しい不平等状態に至っているとし,その解消のために選挙制度の仕組み自体の見直しが必要であるとする当裁判所大法廷の判断が示されたのは,平成24年大法廷判決の言渡しがされた平成24年10月17日であり,国会において上記の状態に至っていると認識し得たのはこの時点からであったというべきである

この違憲の問題が生ずる程度の投票価値の著しい不平等状態を解消するためには,平成24年大法廷判決の指摘するとおり,単に一部の選挙区の定数を増減するにとどまらず,都道府県を単位として各選挙区の定数を設定する現行の方式をしかるべき形で改めるなど,現行の選挙制度の仕組み自体の見直しを内容とする立法的措置を講ずることが求められていたところである。このような選挙制度の仕組み自体の見直しについては,平成21年及び同24年の前掲各大法廷判決の判示においても言及されているように,参議院の在り方をも踏まえた高度に政治的な判断が求められるなど,事柄の性質上課題も多いため,その検討に相応の時間を要することは認めざるを得ず,また,参議院の各会派による協議を経て改正の方向性や制度設計の方針を策定し,具体的な改正案を立案して法改正を実現していくためには,これらの各過程における諸々の手続や作業が必要となる。

しかるところ,平成24年大法廷判決の言渡しによって選挙区間における投票価値の不均衡が違憲の問題が生ずる程度の著しい不平等状態に至っていることを国会が認識し得た平成24年10月17日の時点から,本件選挙が施行された同25年7月21日までの期間は,約9か月にとどまるものであること,それ以前にも当裁判所大法廷の指摘を踏まえて参議院における選挙制度の改革に向けての検討が行われていたものの,それらはいまだ上記の状態に至っているとの判断がされていない段階での将来の見直しに向けての検討にとどまる上,前記2(3)のとおり上記改革の方向性に係る各会派等の意見は区々に分かれて集約されない状況にあったことなどに照らすと,平成24年大法廷判決の言渡しから本件選挙までの上記期間内に,上記のように高度に政治的な判断や多くの課題の検討を経て改正の方向性や制度設計の方針を策定し,具体的な改正案の立案と法改正の手続と作業を了することは,実現の困難な事柄であったものといわざるを得ない。

他方,国会においては,前記2(4)のとおり,平成24年大法廷判決の言渡し後,本件選挙までの間に,前記4増4減の措置に加え,附則において平成28年に施行される通常選挙に向けて選挙制度の抜本的な見直しについて引き続き検討を行い結論を得るものとする旨を併せて定めた平成24年改正法が成立するとともに,参議院の選挙制度の改革に関する検討会及び選挙制度協議会において,平成24年大法廷判決を受けて選挙制度の改革に関する検討が行われ,上記附則の定めに従い,選挙制度の仕組みの見直しを内容とする公職選挙法改正の上記選挙までの成立を目指すなどの検討の方針や工程が示されてきている。このことに加え,前記2(5)のとおり,これらの参議院の検討機関において,本件選挙後も,上記附則の定めに従い,平成24年大法廷判決の趣旨に沿った方向で選挙制度の仕組みの見直しを内容とする法改正の具体的な方法等の検討が行われてきていることをも考慮に入れると,本件選挙前の国会における是正の実現に向けた上記の取組は,具体的な改正案の策定にまでは至らなかったものの,同判決の趣旨に沿った方向で進められていたものということができる。

以上に鑑みると,本件選挙は,前記4増4減の措置後も前回の平成22年選挙当時と同様に違憲の問題が生ずる程度の投票価値の著しい不平等状態の下で施行されたものではあるが,平成24年大法廷判決の言渡しから本件選挙までの約9か月の間に,平成28年に施行される通常選挙に向けて選挙制度の抜本的な見直しについて引き続き検討を行い結論を得るものとする旨を附則に定めた平成24年改正法が成立し,参議院の検討機関において,上記附則の定めに従い,同判決の趣旨に沿った方向で選挙制度の仕組みの見直しを内容とする法改正の上記選挙までの成立を目指すなどの検討の方針や工程を示しつつその見直しの検討が行われてきているのであって,前記アにおいて述べた司法権と立法権との関係を踏まえ,前記のような考慮すべき諸事情に照らすと,国会における是正の実現に向けた取組が平成24年大法廷判決の趣旨を踏まえた国会の裁量権の行使の在り方として相当なものでなかったということはできず,本件選挙までの間に更に上記の見直しを内容とする法改正がされなかったことをもって国会の裁量権の限界を超えるものということはできない。

と判断した。そして、

国民の意思を適正に反映する選挙制度が民主政治の基盤であり,投票価値の平等が憲法上の要請であることや,さきに述べた国政の運営における参議院の役割等に照らせば,より適切な民意の反映が可能となるよう,従来の改正のように単に一部の選挙区の定数を増減するにとどまらず,国会において,都道府県を単位として各選挙区の定数を設定する現行の方式をしかるべき形で改めるなどの具体的な改正案の検討と集約が着実に進められ,できるだけ速やかに,現行の選挙制度の仕組み自体の見直しを内容とする立法的措置によって違憲の問題が生ずる前記の不平等状態が解消される必要があるというべきである。

と付言した。

平成26(2014年)最高裁大法廷判決は、平成24年(2012年)10月17日最高裁大法廷判決(参照URL1同2)に引き続き、都道府県を単位とした選挙区設定の見直しに言及したものである。都道府県を単位とした選挙区設定をしている限り、投票価値の平等の実現は困難であるし、無理に実現しようとすると議院の定員をどんどん増していかなければいけないとか、結果的に都道府県ごとに議員選出の方法が大きく異なることになってしまう(人口が少ない選挙区は改選数1となり小選挙区的な選出方法なのに、人口が多い選挙区は定数が10以上の大選挙区制になるなど)という問題が生じてしまうから、この最高裁の判断は当然である。

平成26(2014年)最高裁大法廷判決に至る経緯

この点(都道府県単位での選挙区設定)についての、平成24年(2012年)最高裁大法廷判決の説示を以下に掲載する。

 さきに述べたような憲法の趣旨,参議院の役割等に照らすと,参議院は衆議院とともに国権の最高機関として適切に民意を国政に反映する責務を負っていることは明らかであり,参議院議員の選挙であること自体から,直ちに投票価値の平等の要請が後退してよいと解すべき理由は見いだし難い。昭和58年大法廷判決は,参議院議員の選挙制度において都道府県を選挙区の単位として各選挙区の定数を定める仕組みにつき,都道府県が歴史的にも政治的,経済的,社会的にも独自の意義と実体を有し,政治的に一つのまとまりを有する単位として捉え得ることに照らし,都道府県を構成する住民の意思を集約的に反映させるという意義ないし機能を加味しようとしたものと解することができると指摘している。都道府県が地方における一つのまとまりを有する行政等の単位であるという点は今日においても変わりはなく,この指摘もその限度においては相応の合理性を有していたといい得るが,これを参議院議員の選挙区の単位としなければならないという憲法上の要請はなく,むしろ,都道府県を選挙区の単位として固定する結果,その間の人口較差に起因して投票価値の大きな不平等状態が長期にわたって継続していると認められる状況の下では,上記の仕組み自体を見直すことが必要になるものといわなければならない。また,同判決は,参議院についての憲法の定めからすれば,議員定数配分を衆議院より長期にわたって固定することも立法政策として許容されるとしていたが,この点も,ほぼ一貫して人口の都市部への集中が続いてきた状況の下で,数十年間にもわたり投票価値の大きな較差が継続することを正当化する理由としては十分なものとはいえなくなっている。さらに,同判決は,参議院議員の選挙制度の仕組みの下では,選挙区間の較差の是正には一定の限度があるとしていたが,それも,短期的な改善の努力の限界を説明する根拠としては成り立ち得るとしても,数十年間の長期にわたり大きな較差が継続することが許容される根拠になるとはいい難い。

振り返ってみると、平成24年(2012年)以前の最高裁は、参議院の「一票の較差」について、二院制のもとでの各議院の特色を尊重し、緩やかな判断基準をもって臨んできた。これにより、結果として、投票価値の平等に著しく反する状況が放置されたことが否めない。

平成24年(2012年)以前に最高裁が参院選について唯一「違憲状態」だと述べたのが平成5年(1993年)最高裁大法廷判決である。平成4年(1992年)の参院選では、最大較差が6.59倍にまで達したので、最高裁もさすがにそれについては重い腰を上げ、

本件選挙当時、選挙区間における議員一人当たりの選挙人数の較差等からして、違憲の問題が生ずる程度の投票価値の著しい不平等状態が生じていたものといわざるを得ないが、本件選挙当時において本件定数配分規定が憲法に違反するに至っていたものと断ずることはできない

(平成5年(1993年)12月16日最高裁大法廷判決、参照URL)との判断を示して牽制したものである。

平成5年(1993年)最高裁大法廷判決においては、園部逸夫判事が参議院の「地域代表」的な特色を重視して、2人区(改選ごと1人区)については、人口比例主義がそのまま適用されず、一票の較差の問題を生じない、とまで述べたことが注目される。また、次の平成7年(1995年)の参院選についても、違憲訴訟が提起されたが、最高裁が合憲判決を出してしまった(平成10年(1998年)9月2日最高裁大法廷判決、参照URL、ただし、5人の判事の反対意見あり)。合憲の理由の主要点は、次に引用する。

 本件改正前の参議院議員定数配分規定(以下「改正前の定数配分規定」という。)の下で、昭和五八年大法廷判決は、昭和五二年七月一○日施行の参議院議員選挙当時における選挙区間の議員一人当たりの選挙人数の最大較差一対五・二六(以下、較差に関する数値は、すべて概数である。)について、いまだ許容限度を超えて違憲の問題が生ずる程度の著しい不平等状態が生じていたとするには足りない旨判示し、さらに、最高裁昭和五七年(行ツ)第一七一号同六一年三月二七日第一小法廷判決・裁判集民事一四七号四三一頁は、昭和五五年六月二二日施行の参議院議員選挙当時の最大較差一対五・三七について、最高裁昭和六二年(行ツ)第一四号同六二年九月二四日第一小法廷判決・裁判集民事一五一号七一一頁は、昭和五八年六月二六日施行の参議院議員選挙当時の最大較差一対五・五六について、最高裁昭和六二年(行ツ)第一二七号同六三年一○月二一日第二小法廷判決・裁判集民事一五五号六五頁は、昭和六一年七月六日施行の参議院議員選挙当時の最大較差一対五・八五について、いずれも、いまだ違憲の問題が生ずる程度の著しい不平等状態が生じていたとするには足りない旨判示していたが、平成八年大法廷判決は、平成四年七月二六日施行の参議院議員選挙当時の最大較差一対六・五九について、違憲の問題が生ずる程度の著しい不平等状態が生じていた旨判示するに至った。原審の適法に確定した事実関係等によれば、本件改正は、右のような選挙区間における較差を是正する目的で行われたものであるが、前記のような参議院議員の選挙制度の仕組みに変更を加えることなく、直近の平成二年の国勢調査結果に基づき、できる限り増減の対象となる選挙区を少なくし、かつ、いわゆる逆転現象を解消することとして、参議院議員の総定数(二五二人)及び選挙区選出議員の定数(一五二人)を増減しないまま、七選挙区で改選議員定数を四増四減したものであり、その結果、右国勢調査による人口に基づく選挙区間における議員一人当たりの人口の較差は、最大一対六・四八から最大一対四・八一に縮小し、いわゆる逆転現象は消滅することとなった。その後、本件定数配分規定の下において、人口を基準とする右較差は、平成七年一○月実施の国勢調査結果によれば最大一対四・七九に縮小し、また、選挙人数を基準とする右較差も、本件改正当時における最大一対四・九九から本件選挙当時における最大一対四・九七に縮小していることは、当裁判所に顕著である。そうであるとすれば、本件改正の結果なお右のような較差が残ることとなったとしても、前記のとおり参議院議員の選挙制度の仕組みの下においては投票価値の平等の要求は一定の譲歩を免れざるを得ないことに加えて、較差をどのような形で是正するかについては種々の政策的又は技術的な考慮要素が存在することや、さらに、参議院(選挙区選出)議員については、議員定数の配分をより長期にわたって固定し、国民の利害や意見を安定的に国会に反映させる機能をそれに持たせることとすることも、立法政策として合理性を有するものと解されることなどにかんがみると、右の較差が示す選挙区間における投票価値の不平等は、当該選挙制度の仕組みの下において投票価値の平等の有すべき重要性に照らして到底看過することができないと認められる程度に達しているとはいえず、本件改正をもって、その立法裁量権の限界を超えるものとはいえないというべきである。そして、右のとおり、本件改正後の本件定数配分規定の下における議員一人当たりの人口の較差及び選挙人数の較差は、いずれも、本件改正当時に比べて縮小しているというのであるから、本件選挙当時において本件定数配分規定が憲法に違反するに至っていたものとすることはできない。

最高裁大法廷の法廷意見は、この判断をするにあたって、次のようなことまで言ってしまっている。

 右のような参議院議員の選挙制度の仕組みは、憲法が二院制を採用した趣旨から、ひとしく全国民を代表する議員であるという枠の中にあっても、参議院議員の選出方法を衆議院議員のそれとは異ならせることによってその代表の実質的内容ないし機能に独特の要素を持たせようとする意図の下に、参議院議員を全国選出議員ないし比例代表選出議員と地方選出議員ないし選挙区選出議員とに分け、後者については、都道府県が歴史的にも政治的、経済的、社会的にも独自の意義と実体を有し政治的に一つのまとまりを有する単位としてとらえ得ることに照らし、これを構成する住民の意思を集約的に反映させるという意義ないし機能を加味しようとしたものであると解することができる。したがって、公職選挙法が定めた参議院議員の選挙制度の仕組みは、国民各自、各層の利害や意見を公正かつ効果的に国会に代表させるための方法として合理性を欠くものとはいえず、国会の有する立法裁量権の合理的な行使の範囲を逸脱するものであると断ずることはできない。

このように公職選挙法が採用した参議院(選挙区選出)議員についての選挙制度の仕組みが国会にゆだねられた裁量権の合理的行使として是認し得るものである以上、その結果として各選挙区に配分された議員定数とそれぞれの選挙区の選挙人数又は人口との比率に較差が生じ、そのために選挙区間における選挙人の投票価値の平等がそれだけ損なわれることとなったとしても、先に説示したとおり、これをもって直ちに右の議員定数の定めが憲法一四条一項等の規定に違反して選挙権の平等を侵害したものとすることはできないといわなければならない。すなわち、右のような選挙制度の仕組みの下では、投票価値の平等の要求は、人口比例主義を最も重要かつ基本的な基準とする選挙制度の場合と比較して、一定の譲歩を免れないと解さざるを得ない。

こうして、都道府県単位の選挙区は参議院の選挙制度の特色であり、その特色の前には投票価値の平等の要請が後退し、最大較差6倍超にならないと「違憲状態」には至らず、5倍未満では「合憲」だというのが、立法府における多くの議員の認識として固着してしまった。それでもなお、反対意見を出す最高裁判事も多い中、最高裁判事の構成の変化により、多数派が逆転し、平成24年(2012年)の5.00倍での「違憲状態」判決に至ったものである(選挙制度の改正の必要性にも言及したのは上述のとおり)。

こうして、平成24年(2012年)の最高裁判決をきっかけとして、立法府において、選挙制度の改正を含めた議論が本格化した。同判決後になされた平成24年(2012年)の公職選挙法改正に際しては、選挙制度の抜本的な見直しについて引き続き検討を行い結論を得るという内容の附則が盛り込まれた。

この後の自民党内の動きが大変に問題であるが、これについては次回以降触れる。

今回の検討のため、自作したエクセルデータを試しにコピーしてみる。

 人口(千人)現行法人口/議員数改正法案人口/議員数公明党案人口/議員数脇当初案人口/議員数
北海道    5,43141357.756905.1666905.1666905.166
青森県    1,3352667.52667.52667.52667.5
岩手県    1,2952647.52647.52647.54586.25
秋田県    1,0502525252521095.5
山形県    1,1412570.52570.54867.25
宮城県    2,3284582211644582
福島県    1,9462973297329732973
茨城県    2,9314732.754732.754732.754732.75
栃木県    1,9862993299329932993
群馬県    1,9842992299229922992
埼玉県    7,22261203.66661203.6668902.758902.75
千葉県    6,19261032610326103261032
東京都    13,300101330121108.333121108.333121108.333
神奈川県   9,07981134.87581134.87581134.87510907.9
石川県    1,1592579.52579.529772977
福井県    7952397.52397.5
山梨県    8472423.52423.54742.254742.25
長野県    2,1224530.521061
新潟県    2,3304582.5211654582.54851.5
富山県    1,076253825384781.75
岐阜県    2,05121025.521025.521025.5
静岡県    3,7234930.754930.754930.754930.75
愛知県    7,44361240.58930.3758930.3758930.375
三重県    1,8332916.52916.52916.52916.5
滋賀県    1,4162708270827082708
京都府    2,6174654.254654.254654.254654.25
兵庫県    5,55841389.56926.3336926.3336926.333
奈良県    1,3832691.52691.54590.52691.5
和歌山県   9792489.52489.510982.8
大阪府    8,84981106.12581106.12581106.125
鳥取県    5782289264026402640
島根県    7022351
岡山県    1,9302965296529652965
広島県    2,8404710471047104710
山口県    1,4202710271027102710
香川県    9852492.52492.54597.54597.5
愛媛県    1,4052702.52702.5
徳島県    77023852757.52757.52757.5
高知県    7452372.5
福岡県    5,09041272.56848.3336848.3336848.333
佐賀県    8402420242021118.5
長崎県    1,3972698.52698.52698.5
熊本県    1,8012900.52900.52900.52900.5
大分県    1,178258925894574.52589
宮崎県    1,120256025604700
鹿児島県   1,680284028402840
沖縄県    1,4152707.52707.52707.52707.5
合計127,297146146146146
最大値1389.51203.6661134.8751108.333
最小値289397.5574.5586.25
最大較差4.8079583.0280921.9754131.890547
avg人口/議員764.0567794.0879837.3524828.5692
標準偏差293.4218224.4199173.6112144.6685

今回の改正に対する評価(私の意見)

1 合区で当面手当てするにしても、あまりに不十分である。
 2 合区以外の定数削減(宮城、新潟、長野)により深まった不平等を看過できない。
3 そもそも都道府県ごとの選挙区設定に無理がある。都道府県にこだわらず抜本的に選挙制度の改正をすべきである。

今回の公職選挙法改正は、都道府県ごとの選挙区を基本的には維持し、一票の較差の最大値を縮小させるために、人口の少ない県を2つずつ合区するものである。総務省統計局の2013年(平成25年)の推計値で、人口の少ないほうから、鳥取県(578千人)、島根県(702千人)、高知県(745千人)、徳島県(770千人)、福井県(795千人)、佐賀県(840千人)、山梨県(847千人)である。これらの県は、衆議院選挙の小選挙区数も2とされている。

たまたま、人口が少ないほうから4つの県が2つずつ隣接していたので、合区して、いわば一つの県と同じような扱いにしたわけである。

しかし、そのようなことをしても、最大較差は約3倍である(選挙時点では3倍超になる可能性が非常に高い。)。人口比例主義に反することは明らかである。よって、今回の改正は、当面の弥縫策としても不十分である。

また、今回の改正では、合区の数を減らすことをできるだけ避けようとし、かつ、北海道、東京、愛知、兵庫、福岡にそれぞれ改選1増する必要があったため、宮城、新潟、長野について改選1減している。このやり方は、不適当である。特に、宮城、新潟は、最も価値を低められている埼玉に次いで価値を低められてしまう(神奈川よりも悪化してしまう。埼玉は公明党・民主党案では定数増の対象である。)。最大較差を低くすることばかりにとらわれ、実質的な不平等が新たに生じているのである。これについては、次回以降さらに述べていきたい。

こうして、最大較差だけではなく、最大・最小ではない各選挙区間の均衡の問題も考えると、結局、脇雅史参議院選挙制度改革評議会座長の当初案ほど抜本的に合区する(改選ごと定数が複数の選挙区も合区対象とする。)のではない限り、都道府県ごとの選挙区設定には無理があるといえる。そして、脇氏の当初案ほどにまでなるとすでに都道府県を一応の単位としている意味も薄れてくるということもある。そこまでして、都道府県境に固執して、合区で解決することにこだわるのではなく、別の選挙の仕方を考えたほうがよいというのが私の意見である。

衆議院解散(第47回総選挙)にあたって

安倍首相の衆議院解散と長谷川幸洋氏の予想的中

政界は風雲急である。

安倍首相の発言で、「おやっ、これは…」と思ったのが、2014/11/07のBSフジの番組。「解散について総理大臣に聞けば、『考えていない』というのが、これはもう決まりなんですよ」と発言。

安倍首相の性格を考えると、この発言は、「『考えている』と言いたいけど言わない約束なんだよ」と翻訳できる。実際のところ、その時点で、安倍首相の腹の内は解散総選挙だったのだろう。

昨今私が注目しているジャーナリストは長谷川幸洋氏だが、現代ビジネスに掲載された自民党の稲田朋美政調会長へのインタビュー記事(2014/10/24)の末尾に「今冬早期解散説」が論じられていて、説得力があったので情勢を注視していた。

はたして、長谷川氏の分析・予測は的中し、消費税増税先送りと絡めての解散総選挙と相成ったわけである。長谷川氏は、「増税の凍結延期から解散総選挙へ—菅義偉官房長官の発言を読み解いた私の見立て」(2014/10/31)、「なぜ記者はこうも間違うのか!? 消費増税見送り解散&総選挙には大義がある」(2014/11/14)と、読みの解説をした上で、解散総選挙には大義があるとぶっている。

長谷川説は当を得ている…ただし…

今回長谷川氏が衆議院解散総選挙の流れを完全に言い当てられたのは、長谷川氏が自分で解説しているとおり、安倍首相が有していた「消費税再増税延期」を実現するための手法としての衆議院解散という発想を把握することができたからであろう。

私も、長谷川氏が指摘するように、安倍首相は、解散総選挙により、国民の判断として「既定路線としての消費税再増税」を”撤回”する、選挙というパワーゲームを道具として、消費税再増税延期路線で自民党を束ねるというチャレンジをしたという側面が確かにあると思う。

ただ、以上は、安倍首相の立場からの説明であり、与党凡百側の発想ではない。この時期に解散に至ったのは、安倍首相の決断力というより、与党議員がこの時期の解散を期待した(来年以降になるよりも)ということが影響していると私は思う。与党議員がなぜこの時期に解散を厭わないかというと、来年以降の解散では不利または不意の要素が多すぎるからである。

これは一般の政治マスコミもよく書いていて月並みも月並みなことだが、来年2015年は、春に統一地方選がある。公明党は、特に、統一地方選から総選挙の時期をできるだけ離してほしいと強く希望しており、与党全体の集票にもかかわるので、この前後の衆院選は非常に困難である。2015年10月には、消費税の10%への増税が予定されている。消費再増税となると、そこからしばらくは景気の低迷が見込まれ、政権批判の高まりが懸念される。だからといって、増税直前の総選挙はよろしくない。そうすると、2015年から2016年初頭の解散総選挙は困難となり、2016年夏の参院選とのダブル選挙というのが最大のタイミングとなるが、経済の減速等の理由から、この時期に非常に政権支持率の低い状態で迎えてしまうと、迎え撃つ野党が態勢を整える中、自民党は議席を相当程度落とし、自公連立の維持さえ困難な状況を迎えてしまうかもしれない。

要するに、2012年12月から始まった任期にもかかわらず、2014年中に解散総選挙をしないと、解散時期を見失い、追い込まれ解散・与党の議席激減というおそれが大きくなるのである。

自民党は、民主党政権への国民の批判を逆手にとって議席を増大させ、いまや栄華を愉しんでいるように見える。しかし、実のところ、不人気の政権を担いで選挙を勝ち抜けるほどの圧倒的な力はない。野党が分散していた橋本政権下の1998年参院選で自民党は政権批判の前に議席を大きく減らし、森喜朗政権下の2000年衆院選は民由合併前ということで小選挙区のメリットを生かして辛勝。2001年参院選・2003年衆院選・2005年衆院選と小泉首相でしのいだものの(2004年参院選は民主党が改選第一党)、2007年参院選では安倍首相が民主党に敗北し、2009年衆院選での政権交代へとつながった。今日まで禍根を残している鳩山首相の失政などのため、民主党は今の形では今後しばらく政権復帰が困難であると思われるが、政権批判が強まっている時期に選挙となり、そのとき国民輿論の幅広い受け皿となる政党(連合体)があるだけで形勢は容易に変わりうるのである。

それを前提に置くと、野党勢力が結集しがたく自民党が一方的な悪になりにくいテーマ(民主党政権下で決められた消費税増税先送り)を設定して、野党勢力がまとまらず期待も集まっていないタイミングで、景気の悪化や汚職問題等によって政権が輿論の批判を受けないうちに、ここで一度解散しておいて、2018年ころまで安泰に生き永らえるというのが、政権中枢と与党の凡百の議員の共通利益となる。

増税推進派とみられている自民党谷垣幹事長が、2014/10/29、これまでの経緯はどうしたものか、「厳しい状況を打開しなきゃいけない時には、いろいろ議論が出てくる」などと述べ、解散の雰囲気づくりに貢献していたが、こういう発言は大義だなんだというレッテルの問題はともかく、有利に選挙したいという自民党内の議員一般の心理を表していたように思う。

そこで、長谷川説は当を得ているとはいえるのだが、私はそれよりも、安倍首相はうまく批判回避のタイミングを見つけたなとの思いが強い。すなわち、これ以上総選挙の時期を引っ張って、景気の悪化がはっきりしたところで選挙となり、「政権の実績」が真っ向から問われる事態になれば、政権の維持・与党の議席の確保が困難になるから、とりあえず今のタイミングで解散したように思えるのだ。そして、5%から8%への消費増税の爪痕が重態であったことをこの解散は如実に示しているように思えてならない…。

そういう意味で、私は、マスコミ各社が解散濃厚であるとの報道を繰り広げる様子を見て、5%から8%への消費税増税の爪痕が小さく順調に景気が回復しているのであれば、そこまで急いで、やや突拍子もなく解散をしようとする必要もないのだから、今回の選挙後に深刻な景気低迷が訪れる可能性が高いということなのではないかと直感し、暗澹とした。

そこへ、予想通りというか、予想以上の景気指標の悪化が発表されたのであった(内閣府発表の2014年7~9月実質GDP速報値マイナス0.4%)。

総選挙で争われることは? 「景気」評価が論点に?

私は、消費税増税先送りの決断を旗頭に安倍首相・自民党が選挙戦を戦うことで、いわゆるアベノミクスへの疑問や「政治とカネ」問題を抱えながらも、自民党は大崩れしない選挙が戦え、逆に野党は結集することができず、現有勢力とあまり変わらない(やや維新・みんなが減らし、民主党が少々回復するかもしれないが)結果になるのではないかと考えていた。端的に言って、アベノミクスはうまく行っていないと思う国民が多いものの国民大多数の実感というまでには程遠く、消費税増税を延期するということについては賛成する国民が多いからである。

しかし、この実質GDP速報値の一報を聞き、これは選挙戦に相当程度影響してくるのではないかと感じた。

選挙戦で消費税増税の先送り判断そのものに異を唱える勢力は実質的になく、そうすると、各党の主張の違いは、アベノミクスへの評価や景気対策ということになってくるのではないか。そうなると、論戦の流れや野党の結集・再編状況によっては、議席数への影響はあるだろう。そうはいっても、この時期に解散総選挙するというだけで、政権維持は確約されたようなもので、あとは選挙後の政権基盤や政界再編へのつながりの問題なのだろうが…。

ここからの流れで注目すべきは、安倍首相が、消費税の増税を延期して、次の増税時期や判断方法についてどのような発言をするかであろう。今回のGDP発表により、景気の急激な悪化が鮮明になりすぎて、消費増税の延期が当然のことと受け止められる風潮が一気に広がったように思うので、単に消費税の増税延期をして2017年4月にはほぼ確実に増税しますと言うだけでは、選挙戦で「アベノミクスの失敗」がクロースアップされる展開もありうるように思う。長谷川氏が言うように、安倍首相が消費税の増税時期を1年半延期するというだけにとどまらず実質的な無期限延期まで踏み込むのか、このあたりがキーポイントだろう。

選挙おくちいっぱいメモ~動員篇~

10月5日に投票が行われる金沢市長選に向けてお伝えする「選挙おくちいっぱいメモ」。

今回は、特別篇として、「動員」について取り上げます。

 

勤務先などで、選挙のために人員を集めて何かをさせることを動員と言います。

動員の目的は、大きく分けて、選挙運動のためか投票そのもののためです。

 

選挙運動に関しては、どうしても実働部隊が必要だというところがあるようです。たとえば、選挙の公示日の朝、掲示板に一斉にポスターが貼られている様子を目にしますが、公示日翌日になっても貼られていない(貼り漏らしがある)候補者もいます。これをきっちりやるには、人手が必要です。

そうした作業をどうやってするのかについては、それぞれ違いはあるでしょう。

 

投票に関しては、投票日における投票を強く促されるほか、期日前投票の制度ができてからは期日前での投票を強く推奨される形で「動員」がかかるようです。

この投票の催促・推奨は、組織が特定の候補者を推薦・支持・支援しているようなときに、特定候補者への集票を企図して行われることが多いようです。

これ自体は、公職選挙法上、違法ということにはなりません。

ただ、バスに集団を乗せて投票所近くまで運んでいく、というところまでやると、やり過ぎと感じます(やり方によっては、刑罰法規に触れることもあるでしょう)。

なお、投票所に赴き、そこで、誰の名前(または政党名)を書くかは自由です。候補者や政党の主張や信用性によって判断すればいいということになります。また、動員にあたって政策の良し悪しについての説明さえ十分になく、一方的になされた動員の効果を薄めたいというなら、むしろ別の人や政党の名を記入するというのも有力な手段でしょう。

しかし、本来は、誰かに従うとか反発するという感覚で投票先を決めるのではなく、投票行動は各人で考え、それをもとに議論した結果の反映であるべきです。

 

以上、「選挙おくちいっぱいメモ」は「動員」についてお伝えしました。

金沢市長辞任の謎

これは、このブログにふさわしい記事なのか分からないが、最近の私の情報発信の場所がここなので、とりあえずここで…。

山野之義金沢市長辞任

山野之義金沢市長が名古屋競輪の場外車券売場の誘致に関し、金沢市松村のゼノンビルの管理業者「太晃産業」の太田代表取締役の求めに応じ、誘致に同意する文書に署名押印したという問題は、以前から知られていた(北國新聞記事2013/03/27)。

それでもなお、山野市長は、2014年12月に予定されていた市長選に再選出馬するつもりだった。

しかし、自民党の推薦選考の終盤、馳浩衆院議員(石川1区)が保有していた「資料」により、山野市長が上記の業者に対し、場外車券売場が誘致できない場合に誘致対象地にリサイクル施設を作る等の提案をしたなどという指摘が行われた。

それにより、市議会自民など主要会派が百条委員会(地方自治法100条に基づいて地方議会が自治体の事務の調査をするために設ける特別委員会)の設置を示唆し、山野市長に再選出馬断念どころか、実質的に辞任を迫る形になった。

山野市長は、百条委員会の設置を強く嫌気し、辞任した。とってもあっさりした結末だった。

追い落とし

素直に見れば、市長選の再選を阻止する材料を持っていた森-馳浩-下沢ラインが仕掛けた動きであり、追い落としを試みたものである。石川県では、この系統が自民の主流だと見てよいと思われる。

山野前市長が自民の主流から追い落とされたのは、前回の2010年の市長選の経緯による。多選の山出保市長への対抗馬を自民(森系)が模索していたのだが、下沢県議などが勝てるとは限らずへっぴり腰になっていたところへ、猪突猛進、山野市議・安居市議などが手を挙げ、山出氏の対抗馬が山野氏に一本化された上で、自民は山出氏と山野氏を両者推薦ということになった。そして、結局、多選批判などで山野氏が当選したのだが、もともと森系のお抱え候補ではないのと、市政運営批判から、隙あらば引きずり下ろしたいという状況にはあったわけである。

それで、市長選に向けてベストのタイミングで、スキャンダルが破裂させられて、立候補不可能または立候補しても落選する・・・というふうになったということだ。

ただ、そもそも場外車券売場というようなものの誘致のために、わけのわからない書面に署名押印して、おかしな業者に動かれるということ自体、適格性を疑われることだし、揚げ足を取られるべくして取られたというところもあるのだろう。

弁護士の動きの謎

この騒動の中で面白かったのは、山野氏の主張として、「金沢市役所の顧問弁護士として月10万円で雇ってほしい。そうすれば業者を抑える。」と山野氏に言った弁護士がいて、その弁護士は太晃産業の代理人だということなのだった(読売新聞記事2014/08/14、北陸中日新聞2014/08/13、あくまで山野氏の主張)。

そして、山野氏の行為が公選法違反(利害誘導)などにあたると主張したのは、その弁護士なのだった。

顧問弁護士としての売り込みの真偽はともかく、山野氏は太晃産業と組んで何かしようとした又は太晃産業系統からの圧力に屈したせいでこうなっているわけで、山野氏の行為が刑事罰対象であるとあえて指摘するということはちょっと異様なこと(自分の依頼者側も共犯者なのではないか?)で、何を意図しているのかと訝りたくなる。

地元メディアの「奥歯に物が挟まった」感

地元石川県のメディア、新聞報道など読み尽くしたわけではないけれど、特に北國新聞なんかはいろいろと情報は集まっていそうなのに「奥歯に物が挟まった感」がある。特に山野氏の辞任の後は「疑惑に幕引きが図られ、詳細は明らかにならず」という、上っ面の報道である(新聞がまとまって分析したのは、市長辞任にあたってひととおり特集を組んだそのコーナーの中くらいだと思う…。地元対象で突っ込んだ報道をする雑誌メディアなどそもそもないし)。

公のことについては、もうちょっと突っ込んで報道してほしい。「推測」「憶測」「うがった見方」を提示するところまでしなくても、関係者の話を照らし合わせるなどして、判明した事実は報じて、考える材料を与えてほしいと思う。

東京都議会「セクハラヤジ」問題

東京都議会のセクハラヤジ問題では、鈴木章浩議員(大田区選出、当選3回、自民党)が塩村文夏議員(世田谷区選出、当選1回、みんなの党)に「早く結婚した方がいい」と言ったということが特定されて、鈴木議員が自民党会派を離脱した。

今は、マスコミ各社(NHKを含めて)が、他に誰が何を言ったのか、ということを競って伝えている状況だが、そろそろマスコミ報道はもう惰性だけの下らない流れになってきているように感じる。声紋分析の鈴木松美さん親子がまた出てきた。マスコミ御用達なんだなぁ。この流れでよくあるのが、今度は週刊誌が塩村議員側のスキャンダルを書き立てるというような流れだが、本当にそうなったら、「いやぁ、マスコミらしいですね」という感じだ。塩村議員もマスコミ出身で、マスコミの使い方がうまいように思えるから、流れが逆流することも当然予測しているのだろうが。

そして、こうやってマスコミが過熱しておかしなところで盛り上がったときにはマスコミ批判が出てくるが、批判がたいして反映されている様子もなく、同じような流れが繰り返される。

結局、マスコミが取り扱った本題に関して、社会がよりよい方向に向かったということもあまりないし、報道の仕方や盛り上がり方での反省が次につなげられることもあまりない。よっぽどひどいことをしたらしばらくは検証の会みたいなものが作られるけど。

今回の件で言えば、議員を名指ししてつるし上げるという、ときどき行われることがまたされているのだなと思う(かつてすごかったのは古賀潤一郎の件)。

もちろん、今回の件で、鈴木議員や自民党を批判するなというのではない。子育て関係の質問を真摯に行っている議員に対して、「早く結婚した方がいい」とか「産めないのか」とか大声で言うことは、鋭い指摘というより単なる中傷と妨害と憂さ晴らしであり、公のお金をもらって公のための議論をしなければならない場所でそういうことをしている人たちにはあきれるし、そういう行動をとる人たちを抱えながらまともな対処ができないグループもどうかと思う。そういうグループは、あえて言わずそのままにしておくのが当然という空気になっている。

発言議員の特定も、するなというのではない。できるならすればよい。でも、マスコミが鈴木松美さん親子を登場させて、どうのこうの言わせるようなことは、社会的な意義が乏しいなと思う。それで特定できなければ幕引き、とか書いてるのもおかしな話で、真の問題の所在を見つけて、議論を続けていけばいいのではないか。自分たちが面白くなくなったら「幕引き」にして報道は終わりですか。

私は、この件を次に行かすのであれば、塩村対鈴木(ほか自民党)という扱いにして、今回の件で何とかつるしあげをしようというのではなくて、議会のルールをもっとよくするとか、同様のことが起きたときに事実関係を把握しやすいようにするとか、自民党議員の本音を探って政権政党が本音とは違う政策を推進してストレスを溜め込むことになっている状況を検証するとか、そんなことだと思う。特に、国会でも地方議会でも行政施策に近い立場にある人たちがヤジでは本音を言えるけれども議論は本心ではないなんて状況があるとしたら社会的な病理か何かだと思う。

ヤジの中身としても、「結婚していないやつが物を言うな」とか「産んでから物を言え」ということなのだが(まぁこういう話は実際よく言われてる)、女性に対するセクハラという捉え方の是非はともかく(私は、幅広く「セクハラ」と捉えることで物が言えなくなるというデメリットもあると思う)、「話者が○○○でないと語る資格がない」というのは、政策に正当性があるかもしれないけど提案したのが誰々だから内容もまともに聞かない論じないということにつながるので、公の話し合いの場所での発言として本当によくないと思う。都民の代表として議論しに来ているのなら、まずは、何が話されているのか聞くべきだ。

そんなことを言って妨害しなければならないほど自分たちがストレスを抱えている、その原因を探ることで、自民党の議員(鈴木議員も会派を離脱しただけで自民党の議員である)には政策の向上につなげていただきたいと思う。

そして、鈴木議員は、もし今後自民党会派が自浄作用を備えてもそのとき自民党会派にいない以上自分で何とかするしかないのだから、ちゃんと自己分析をしてそういう作文でも発表してから自民党会派に戻るべきだと思う。自民党会派も、自己分析のできていない鈴木議員を戻したならば、それは即自浄作用が備えられていないことを意味すると思う。たとえば、女性は社会進出よりまずは出産であるとの本音を誰かが持っているとして、その本音が議論に挙がる前に消えるのはおかしいし、本音も政策に反映されていいのではないかと思うので、反省ポーズで口を噤むことは求めたくない。鈴木議員が今すべきこととしては、今後言いたいことを政策に反映するにはどうすればいいかを考えることだ。他人の発言を妨害するのではなくて。

全国最年少の市長が逮捕された件

政治ネタ

世知辛い世の中、私もそれなりにストレスを浴びています。

そういうときは、マニアな趣味の政治ネタで気を紛らわしましょう。

美濃加茂市長 逮捕

現在全国最年少の市長である、藤井浩人・岐阜県美濃加茂市長(29歳。就任時点で28歳10か月)が6月24日、愛知県警に逮捕されました。

各報道によると、被疑事実に係る罪名は受託収賄罪と事前収賄罪など。美濃加茂市議会議員だった2013年3~4月、業者から「浄水設備を市に導入してほしい」と依頼され、市議会本会議で設備導入の検討を求める発言をしたほか、市の担当者に契約締結を要望した。その見返りとして業者から10万円を受け取った。さらに、2013年6月の市長選に立候補を表明する直前の4月、業者から「市長就任後も浄水設備の契約締結を進めてほしい」と頼まれ、20万円を受け取った。・・・ということだといいます。

受託収賄罪というのは、「公務員が」、「請託を受けて」、「その職務に関し」、「賄賂を収受し、又はその要求若しくは約束をしたとき」に成立する。7年以下の懲役。報道を元にすれば、今回の件は、市議会議員としての職務に関することです。

事前収賄罪というのは、「公務員になろうとする者が」、「その担当すべき職務に関し」、「請託を受けて」、「賄賂を収受し、又はその要求若しくは約束をしたとき」に成立する。処罰されるのは、「公務員となった場合」である。5年以下の懲役。これは、今回の件で言えば、市長の職務に関することで、市長になる前に受け取った金のことです。

藤井市長は、収賄なんて、事実無根なので、しっかり捜査には協力し潔白をはらしたいと思います!」とTweetしているが、事実無根で逮捕されたのなら大問題です。

実際にどういうことがあったのかということは、まだ明らかになりません。

報道の中には、

 議会関係者によると、藤井市長は2013年3月議会の委員会で、プールに雨水をためておき、災害時にろ過して飲料水に使うよう市議として提案。一般質問では市幹部から「雨水ろ過の導入を検討する」という答弁を引き出した。捜査2課はこうした質問が業者の参入に有利となり、便宜供与にあたると判断した模様だ。

http://mainichi.jp/shimen/news/20140624dde041040036000c.html

というものがありましたので(他社にも同様の報道あり)、美濃市議会の議事録を見てみましたが、インターネットで見られる本会議の議事録には、藤井市議(当時)の質問に答える形で直接的に「雨水ろ過の導入を検討する」という答弁がなされている箇所がないように思えたし、飲用の利用についてはともかく「加茂川総合内水対策計画」というもののなかで、すでに雨水対策として貯留浸透施設を校庭に設置するという案が出ていたのであって、藤井市議の質問によって「雨水ろ過の導入を検討する」という答弁があえて引き出されたという評価には違和感があります。

お金を渡したのか渡していなかったのか、渡したとしてどのような意味合いで渡したのか、ということもありますが、少なくとも受託収賄に関しては、現時点で私はちょっとすっきりしません。贈賄側業者が認める形になっているようで、有罪認定に進みやすいのでしょうが、それでいいのかなと疑問に思います。

ただ、事前収賄については、市長就任後のこの事業関係の進め方が性急かつ特異であり(業者負担で実証実験名目で設備が作られたという)、仮に市議時代に金銭の授受があったとすれば、藤井市長の進め方に甘さがあったように感じられます。

KSD(村上正邦)事件などを取ってみても、一旦起訴されれば、裁判所は、「請託」や「賄賂性(見返り)」の認定がゆるやかであると感じます。ですから、金銭の授受があるような場合に、争って無実を晴らすことは、容易なことではないでしょう。

最年少市長といえば

私がこの件で思い出したのが、志々田浩太郎・元東京都武蔵村山市長。

郵政官僚から、日本新党のスタッフになり、1997年に28歳0か月で武蔵村山市長となった志々田氏でしたが、再選後に三選を目指して臨んだ2002年の選挙で落選しました。そして、その選挙の選挙公報に石原慎太郎東京都知事らの推薦文を勝手に掲載した公職選挙法違反(虚偽事項の公表)で逮捕起訴されました。のちに八王子簡裁で罰金と公民権停止4年の略式命令。選挙期間中に石原氏側から問題視され謝罪する、という下らない経緯でした。

志々田氏の最年少市長記録は今も破られていません。就任時最年少市長記録1位は志々田氏、2位は藤井氏です。

若い政治家は経験が薄い分、狙われやすいのでは

市長の最年少逮捕記録は藤井氏になったわけですが、市長経験者最年少有罪記録とならなければいいのですが。

それにしても、政治の世界は、見返りを期待して近づいてくる人たちが多いですし、それに加えてあまり世間慣れしていないと、いいように使ってやろうと狙う人たちのターゲットになりやすいです。

藤井氏も、議会活動・日常活動とも頑張っていたようですし、市長の立場での振る舞い方を間違った(市議と違って思いついたことも押し通せるので…)のかもしれませんが、あえて自分から市民を裏切って私腹を肥やすというあくどい気持ちまであったかというと「?」です。

今回の件は、別件で逮捕されるような業者に好き勝手やられてしまったという側面があり、業者に引きずられるようにして「市長の収賄」が捜査機関の手の届きやすいところにお膳立てされたという形なのではないでしょうか。

とはいえ、そうした業者と懇意にして、特別な関係と見られてしまうこと自体、政治家(特に首長)として未熟なのかもしれませんし、未熟ゆえにこうなったとしても「次は頑張れ」と言える状況までになるかどうか、というところなのですが。

特定秘密保護法は便利な捜査ツールか?

特定秘密保護法の成立

特定秘密保護法は、去る国会で成立した。

法案の国会提出後、マスコミも含め、反対論が膨らんだが、自民党・公明党の法案成立への意思は揺るがず、結局成立した。

ただ、成立以降も、法律の運用について懸念の声が少なくなく、まだマスコミの報道もやんでいない。

私の、特定秘密保護法への、もともとのスタンス

私は、特定秘密保護法の立法の目的については、否定しない。大雑把に言って、高度な外交秘密や安全保障上の秘密を他国に漏らさないための法制度は必要だと思う。

特に、現在、東アジア情勢は一筋縄ではいかない状況である。対中・対韓の関係については、表面的に友好化すればいいというものではなく、常に注意を払わなければならない。そのような中、情報漏洩を防ぐ手立てを講じる必要はある。

本来的には、国民は、安全保障に関しても、多様な情報を知った上で議論し、輿論を形成し、選挙権を行使すべきである。しかし、すべてガラス張りで議論することで、国民主権の足場が崩れることもある。そうであるならば、秘密とする情報の範囲はできるだけ抑制的であることが望ましいが、秘密を保護する法律を制定すること自体否定されるべきではない。

強く残る懸念(捜査機関にとって便利なツールであるといえること)

特定秘密保護法案に関する議論の当初、私は賛否を決めかねていたが、その理由としては、刑事罰に関する構成要件が曖昧であったり、刑事手続と「秘密」との関係がはっきりしない点があった。

日本の現実として、捜査機関が被疑者を逮捕・勾留すると、マスコミは疑いの内容を警察(検察)発表どおりに実名を付して報じ、それを受けて社会はおおむね被疑者を犯人視する。特に、捜査機関が力を入れている事件については、どのように報じられるかを意識して情報をリークすることで、輿論を味方につけ、捜査段階から被疑者に社会的制裁を与えようとする。

こういうことになっているから、捜査機関がある人物を立件したいというときに、いかなる理由をつけて(いかなる罪名を適用して)立件できるかが非常に重要なのである。今回の、特定秘密保護法(案)は、構成要件が曖昧であり、読み方にブレが生じるゆえに、捜査機関は法律を広く解釈して被疑者の逮捕・勾留を裁判所に請求し、裁判所もあっさりと認めるのではないかという懸念がある。

このあたりのことを漠然と考えていたが、落合洋司弁護士の稿(弁護士 落合洋司 (東京弁護士会) の 「日々是好日」 2013/12/02 国家機密と刑事訴訟 特定秘密保護法案の刑事手続上の論点)を読んで、「特定秘密保護法違反」の刑事事件を想定したときの問題点がさらにはっきりわかった。私が上に書いたように、「特定秘密保護法違反」として被疑者を逮捕・勾留することもありうるだろうし、大まかに「特定秘密保護法違反」の被疑事実があるからとマスコミその他の関係先を捜索するということも十分考えられる。そして、刑事手続が進む中でも、捜査機関側は、外形的に「特定秘密」にあたることに関わった何らかの証拠を裁判所に提出するかもしれないが、その提出証拠は、捜査機関に都合の悪い部分を隠したものであることもありうる(そのような操作が簡単にできるだろう)。

もちろん、私は、秘密漏洩を食い止めるため、罰するべき事案もあることは認める立場である。しかし、行政機関には、「行政側から睨まれてでもやる」という人物を排除したいという欲求があり、そうした人物の行為が公益に資するか否かは、当事者の行政では究極的判断ができないのでないかと思う。そういうとき、行政がそうした人物を邪魔だと思い、そうした人物が関わった情報が「特定秘密」に属するものであれば、「特定秘密保護法違反」として逮捕、ということにも直結しうる。このような場合、行為をした本人以外の者も共犯者(の疑いがある者)として逮捕されることもある。逮捕までいかずとも、非常なプレッシャーをかけられる。

郷原信郎弁護士も、次のように指摘し、この法律が誤った方向で用いられるおそれがあるとする(郷原信郎が斬る 2013/12/05「特定秘密保護法 刑事司法は濫用を抑制する機能を果たせるのか」)。

特定秘密保護法案に関して問題なのは、法案の中身自体というより、むしろ、現行の刑事司法の運用の下で、このような法律が成立し、誤った方向に濫用された場合に、司法の力でそれを抑制することが期待できないということである。

他方、長谷部恭男東京大学教授(憲法学)は、衆議院国家安全特別委員会で、参考人として話をしたが、このあたりの問題については、次のとおり述べている(引用元サイト)。

それから第四、それでもこの法案の罰則規定には当たらないはずの行為に関しましても、例えば捜査当局がこの法案の罰則規定違反の疑いで逮捕や捜索を行う危険性、それはあるのではないかと言われることがございます。我が国の刑事手法、ご案内の通り捜索や逮捕につきましては令状主義を取っておりまして、令状とるには罪を犯したと考えられる相当の理由ですとか、捜索の必要性、これを示す必要がございますので、そうした危険が早々あるとは私は考えておりませんが、もちろん中には大変な悪だくみをする捜査官がいて、悪知恵を働かせて逮捕や捜索をするという可能性はないとは言い切れません。

ただあの、そうした捜査官は、実はどんな法律であっても悪用するでございましょうから、そうした捜査官が出現する可能性が否定できないということは、正にこの法案を取り上げて批判する根拠にはやはりならないのではないかと。むしろそうした捜査官が仮に出現するのでありましたら、そうした人たちにいかに対処するのかと。その問題にむしろ注意を向けるべきではないかと考えております。

この長谷部教授の発言は、落合氏・郷原氏の議論に直接対応するものではない。長谷部教授の問題設定は「この法律が悪用されないか?」というものであり、巧妙に「活用」されるという問題についての議論ではないからだ。

ここで、長谷部教授は、こういうことを言っている。「逮捕」や「捜索」については令状主義をとっているから、必ず裁判官のチェックを受けるのである。罰則規定にあたらないはずの行為を取り上げて逮捕や捜索を受ける可能性は、他の法律による場合と同様、捜査官の個性の問題になる、と。

しかし、実際には、裁判官の令状審査が実質的に機能しているか疑問が大きい。令状主義をとっていることだけで、捜査機関がこの法律を巧妙に「活用」することは、防げないだろう。

以上から、私は、最終的に、特定秘密保護法案に反対する意見を持ったし、現在でも特定秘密保護法がどのように運用されていくか、強い懸念を持っている。実質的に、安全保障のためという目的をそこそこにして、捜査機関の便利ツールとして使われていく可能性があると思っている。

この法律の運用については、今後とも注目していきたい。