弁護士が自分の名義の書面を知らないということがありうるのか

「訴状の作者」が訴状を知らない?

弁護士出身の稲田朋美防衛大臣が、かつて森友学園を原告とする訴訟の訴状の作成名義人(原告代理人)となっていたのに、「(森友学園を経営する)籠池夫妻から法律相談を受けたことはない」「裁判をおこなったこともない」と述べたことが問題となっている。

裁判所での第一回口頭弁論期日に稲田氏が出席したという記録が残っていたことから、稲田氏は発言を撤回し謝罪することになった。

稲田氏は、森友学園の代理人または復代理人として裁判所に行ったことが事実であるとしても、弁護士である夫が担当していた事件に関し、夫の代わりに出廷しただけだ、とも述べている。

要するに、稲田氏は、訴状の作成者として名前があるけれども、訴状の作成には関わっていない、内容もよく知らないということを述べていることになる。

そのようなことがありうるのか、訴訟を扱う(これまでたくさんの訴状や準備書面を書いてきたし見てきた)弁護士の立場から解説してみたい。

複数弁護士共同の法律事務所での依頼の受け方

弁護士が複数いる法律事務所と弁護士が1人だけの法律事務所がある。弁護士が1人だけの法律事務所であれば、依頼・委任を受けておいて、「知らない」ということはありえない。

弁護士が複数いる法律事務所に事件を委任する場合の委任状はどのようなものか。これは、事務所ごと、事件ごとに異なるというしかない。実際に事件を担当する弁護士に絞って委任状に名を記している場合もあるし、事務所に所属する弁護士全員を載せている場合もある。

なお、弁護士法人に関する問題が別にある。すくなくとも、現在、裁判所では、「弁護士法人」を代理人弁護士とした訴状や準備書面の提出は通常行われていない。訴訟代理人が裁判所に提出する委任状においても、弁護士名の横に「法人受任」という特記をすることはあるが、実際には、裁判所では、弁護士法人に参画していない弁護士との取り扱いの差はまったくない(参考:弁護士法人規程に関する表示等の確認事項)。

委任されているのに担当やチェックをしないことのリスク

弁護士の立場からすれば、事件を担当もしないしチェックもしない予定なのに委任を受けることにはリスクがあるといえる。

特に、共同受任した弁護士の訴訟遂行において問題が生じた場合には、懲戒請求リスクがある(実際に懲戒されるかは別として)。

ただ、複数事務所における利益相反については、相手方からの事件について直接委任を受けていなくても抵触しうるので、委任状に名前を載せなければ回避できるというものではない。同僚弁護士が取り組んでいる事件の依頼者・相手方の名前や事件名を把握しておく必要がある。

委任を受けるリスクと書面の作成者になるリスクとは別次元?

報道で見たところ、稲田氏は、訴状の作成名義人になっていたようだった。

私は、これまでたくさんの訴状や準備書面を見てきたが、委任を受けた弁護士全員が書面の作成者となっている場合と、そうでない場合(実質的な担当者だけが書面の作成者となっている等)とに分かれる。

安易に、委任を受けたから特段の注意を払わずに、書面の作成者としても記載する、という扱いが取られているようにも思われる。しかし、書面の作成者として記載されることにより、「抽象的な事件処理」の受任者というだけではなく、具体的な書面の作成責任者として事件の相手方や裁判所に表現を行うことになるわけであり、作成者として氏名を連ねる弁護士には、委任状の氏名記載を上回るリスクがあるのではないかと思われる。

氏名が記されている以上、その弁護士が目を通し、その主張や表現を是認したと見られても仕方ないところがあるだろう。また、事務所内で確認しないまま提出する扱いを取っているのだ、という主張をするならば、事務所内での態勢整備の甘さが問われかねない。

内容を知らない書面を「陳述」?

訴訟の第一回口頭弁論期日には、訴状を陳述する。

どのように陳述しているかというと、椅子から立ち上がって、「陳述します。」と発言することによって、書面の中身を陳述している。裁判傍聴に行かれるとわかるが、第一回は原告側弁護士だけが出廷し、一言だけで終わることもある。

中身を知らなくても陳述しようと思えばできるし、逆に、陳述したからといって必ずしも陳述者が中身を読んだことがあることを意味しない。

しかし、本来は、弁護士は、陳述する書面の内容を把握すべきだと思われる。自らが出頭して陳述した書面に問題があった場合には陳述者は書面の実質的作成者とともに責任を負うべき立場にあるといえる。

書面の作成者となっている上に陳述までしているとなると、弁護士としては、堂々と「自分が誰の件で何を陳述したか知らない」とはいえないのではないだろうか。

記憶の問題?

稲田氏の件は10年以上前のことだということなので、当時何もわからず出頭したというわけではなく、記憶が薄れているだけかもしれない。私はまだ弁護士になって10年経っていないので、その状況に共感はできないが…。

当時から、「よく知らない人の件で、内容を知らずに陳述していた」というのは、弁護士の目から見て、さすがに雑すぎるので、記憶が薄れた(のに、安倍首相を見習って強気に発言した)という説のほうが有力なのではないかと思う。

「新しい弁護士活用法」

私がよく読んでいるブログの一つに、「アメリカ法曹事情」というものがある。

このブログは、文字通り、アメリカの法曹事情を紹介し、そのうえで、かなり率直に日本の法曹界の現状・今後についても述べているので、参考になる。
そのブログの「新しい弁護士活用法?」というエントリ(2015年5月23日)は、興味深い。
要するに、国会議員秘書を増やし、弁護士枠をつくるという案である。

 

現実的な目で見ると、財政的な問題と、立法作業のできる弁護士の育成の問題はある。しかし、方向性としては賛成できる。

理由1 現状で国会議員の法案立案能力が高いとはいえない(法案の立案に使える資源の量も不足している)

#各省庁の官僚が中心となって用意する法案はもちろん法律としての体裁が整っているし、行政運用の安定にも資するが、必ず各省庁の案がベスト・ベターだというわけでもないはず。そのようなとき、国会議員からも案を出せるようになっていることが望ましい。また、従前とは異なる観点から法案を作っていくときには議員立法によることも多いが、立案能力の向上により、議員立法が活性化し、新しい発想を生かせる場面が増える。

##大まかに言うと、国会では、「対案出してみろ」的なことを与党が言って、野党がパッチワーク的な案を出し、微妙なところで妥協して成立させるということが行われている印象をもっていますが、背骨のある野党案を期待したいところなんですよね…。

理由2 もっと世間のためになるような場所に弁護士を増やしては?

#弁護士の数が急激に増えている昨今だが(自分も含めてだが)、弁護士の具体的な仕事のどれくらいがどのような意味で社会を向上させているのか、幸福をもたらしているのか、疑問なところがある。本質的に仕方ないことなのかもしれないが、「限られたパイの取り合い」に終始している感が強い。お客様「各自」の向上が基本である。確かに、それもそれとして重要なことはもちろんだけれど、そういう個対個(会社であってもその意味では「個」)に知恵を振り絞る役目の人ばかり増やすのではなく、もっと力を注ぎ知恵を振り絞ることで国や地域が向上していけるようなところに人を配置したほうがいいのではないか。

 

なお、以下は余談…。

国として、弁護士をどう活用するのか、ビジョンがちゃんとしていないままここまで来てしまっている感があって、そんななか、みんなが弁護士とすぐ・気軽に相談できるようにするのが理想だから各地域に細かく分散させて配置しようというような流れにある。しかし、本当にそうやって人数をとにかく増やして配置を進めていくことがみんなの幸せにつながるのか、私は実のところ疑問を持っている。相当程度お金を払ってまで法的にもめ事を解決してもらいたい、という需要がそこまで散在しているのかどうか…。それに、需要があったとして、介入していくことで幸せにつながらないようなものも多いだろう。根の深いご近所トラブルとか…。

本質的にたくさんの需要が散在している(多くの人が持っている願い)とすれば、もっと生活を便利にしたいとか、精神的にもあたたかく充実した生活を送りたいとか、物質面で恵まれたいとか、さまざまな趣味や楽しみに取り組んで文化的に暮らしたいとか、平和・安全に過ごしたいとか、そういうものだと思う。そして、この種の需要というのは、政治的な側面(非常に大雑把に言うと、自分のところに公的なお金を入れてくれ、みたいな話とつながる)もあるし、民間の営利活動によって叶っていくという面もある。

私は、そういう需要(需要の実現だけではなく、利害調整も含め)に応えたいとか、役立ちたいという思いは強くある。役立つための役回りは、いろいろあるだろうとは思う。

なお、上述の議員立法を担う国会議員秘書なんていうのも、そういう意味での役回りだろう。でも、ちらほらと入っていくだけではあまり意味がない。ちゃんと抜本的に制度化しないと、個々の頑張りも焼け石に水になる。

私自身は、まだ漠然としているところもあるけれども、どのようにすることが社会の役に立つのか、いかにすれば本質的な意味で役立つ人として活用してもらえるようになるのか、さらに模索していきたい。

弁護士はつらいよ

ちょっと昔,「雪国はつらいよ条例」騒動というのがあり,その騒動というのは,新潟の魚沼のある自治体が制定した「雪国はつらつ条例」というのが,「雪国はつらいよ条例」として教科書に載ってしまったというものです。石川県も雪国で,冬場つらいことが多いです。雪国という言葉に明確な定義はないようですが,石川県は,雪国度において,新潟県よりは下,宮城県よりは上といったところでしょう。

それは,ともかく・・・,弁護士は,正負で言えば,負のことに関与することが多い仕事です。仕事としてやっているので,そんなものといえばそんなものです。「本人」の立場で直面するのとは,意味合いが全く異なるでしょう。負の立場に置かれた人のために仕事をして,すっきりと解決してよかったなと思うこともあれば,「負」に飲み込まれてしまいそうになることもあります。これは,「事案」にもよるし,同じような事案でも「人」の動きによるのですが。

弁護士になってしばらくは,合理的ではない行動をとりまくっている人とか,自分から厄介ごとに首を突っ込んでいく人とか,意味が分かりませんでした。「高校デビュー」とか「大学デビュー」とかいう言葉があり,それらは自分をこじらせてしょーもない自己アピールにいそしむことを指しますが,「弁護士デビュー」の場合は多くがめぐりめぐってくる事柄との遭遇により生じることなので,受け身であがく形になります。しかし,人間の心の動きには典型例があるようです。私は,いろんな種類の人たちの思考過程・思考パターンに慣れてきた気がします。

でも,最近,ここまでやる者もいるのかと思わされることがありました。一度だけ法律相談をした人が,「○○○○(その相談者)代理人弁護士山岸陽平」の名をかたって他人に振込を行い,山岸弁護士が代理人に就任しているという嘘を信じ込ませようとした,ということがあったのです。そもそも,その相談は半年くらい前で,相談者とはそれ以降会っておらず,それ以降のことを全然私は知りませんし,無関係なのです。「▲▲弁護士に相談している」とか「今,依頼をしているところだ」ということを大げさに口先で言う人はわりと多いですが,嘘を信じ込ませるためにそこまでするとは…。

少なくとも,弁護士法違反,有印私文書偽造,同行使の犯罪行為です。弁護士の立場は法律によって規律され,守られているともいえますが,こんな簡単に犯罪に巻き込まれるというのも,「弁護士はつらいよ」というところですね…。

相談初期の見立て,その前に…

「見立て」の前提となる事実とは?

相談を聞いた段階で,私(弁護士)は見立てをします。

その見立てというのは,実は,「(相談者が言っていることが真実ならば,)この事案は法律的にどう扱われていくべきか?」という見立てだけではないわけです。

見立てをするときには,必ず「相談者の発言は私に相談者の実体験をありのままに伝えているか?(私に伝わっているか?)」ということを考えなければならないわけです。

 

「語り」が内包する危険

刑事訴訟法の勉強をしていると,供述証拠が内包する危険について説明がなされますが,法律相談もそれと同じことが言えると思います。

語りによる相談は,次のような危険をはらんでいるのです。

知覚過程での 「見間違い」・「聞き間違い」

記憶過程での 「思い込みによる記憶の変容」

表現過程での 「いつわり」・「誇張」・「隠蔽」

叙述過程での 「言い間違い」・「言葉の選び方の誤り」

わざと嘘をつこうとしなくても,ほぼ必ずこうした誤りを含んでしまいます。私が誰かに話をする場合だってそうです。

そして,聞き手側でも,「聞き間違い」・「聞いた言葉の解釈の誤り」・「聞いた記憶内容の変化や消滅」などがあるわけです。たとえば,聞き手側が,相談者の話を聞いて,「あ,それはこういうことですね。○○○○」と言い直したようなとき,相談者は,(うーん,ちょっと違うんだけど,大きくは違わないし,自分に有利な言い方だから,いいか)と思って,「そうです!」と返事をしてしまう。こんなことはよくあることです。

こういうふうなわけで,法律解釈を示す前に,何があったのかを正確に把握すること自体,綱渡りな作業です。

事案・相談によっては,重要な書面が存在して,こうした危険性が薄いものもありますが,それでもトラブルになる事案ですからどこかに落とし穴があってもおかしくありません。

こうやって,危険をできるだけ排除しながらも,事実関係をほぼ把握することで,私(弁護士)は,やっと,それなりの自信を持って法律的な回答ができるようになります。ただ,それでも,「○○を前提としたら,こうなります」という答え方にならざるをえないこともあります。

何か,疑ってかかっているように感じられるかもしれませんが,弁護士の仕事の性質上,仕方のないことだと思います。「私はこういう症状です」という患者の自己申告だけで診断するようなものに近いところがありますので。

弁護士になってすぐは,相談者から聞いたことがほぼ真実なのだという前提で回答しがちです(少なくとも,私にはそういう傾向があったことは否めません)。相談者が語っている様子からしてウソっぽくはない,とか,相談者が言っていることを疑った形になるのはよくない,とか,そんな理由からだと思います。

ただ,法的紛争のほとんどは相手方が存在する話。ウソをつくような相談者ではなくても,思わぬ展開になってしまうこともありうるのです(そうなるのには,ここで書いた「「語り」が内包する危険」の他にもいろいろな要因がありますが)。

 

主張立証の問題(つづく)

ここで書いた「語り」が内包する危険を乗り越え,相談者の言っている真実を正確に把握でき,相談のときに弁護士が示した法律構成が正しいとしても,それでも本来あるべき解決を迎えられない場合があります。

そのひとつは,

裁判になった場合には相談者側が証明しなければならないことなのに,立証の材料(証拠)を相談者が有していないとき

です。私が法律相談をこなしているなかでもよくあります。

今度は,このことについて,もう少し書いてみようと思います。

若手弁護士の多数が自分たちのことについて積極的に発言しないわけ

若手が集まらない原因募集。弁護士法人 向原・川上総合法律事務所/福岡の家電弁護士のブログ

 

上記ブログで,大きめの県の弁護士会(単位会)において若手弁護士が会務に無関心な傾向があり,その原因は何か?ということが論じられています。

「お金の絡む問題」であっても「お金にならない場」に若手弁護士が来ない傾向にあるようです。

 

私が所属する弁護士会(単位会)においては,現在のところ,お金にならない委員会にも相当な割合の若手弁護士が参加してボランティア的に活動しているように思います。

ただ,最初から会務にほとんど参加しない新人弁護士が昔に比べて増えてきているのと,弁護士になって10年くらい経つと会務に積極的な弁護士と消極的な弁護士に分かれるように感じます。

それに,比較的,やる気のある若手弁護士が集まって業務経験に基づいて勉強会をするなど,切磋琢磨して研鑽を積もうとしている傾向にはあると思います。

 

ですので,まだ,私自身,「若手弁護士が集まらない,議論しない」ということを実感して,その理由を実地で探っているというわけではありません。

ただ,都市部の弁護士会において,若手が会務に参加せず,さらに,弁護士の「経営」や「将来の見通し」にかかわることに関しても積極的に発言しないことについては,なんとなく私なりに思うところがあるので,少し語ってみます。

 

今の若手弁護士の世代は,同じ先鋭的な意見を持つ者たちで団結して対外的に声を挙げた,という経験のない人たちがほとんどです(私もそうです)。経験がないばかりか,周囲にそうした人たちがほとんどいなかったと言ってもいいでしょう。

若手の皆さんも,たとえば政府や自治体の政策については,個々人それなりの見識をもとに,「おかしい」とか「こうすればよい」という意見は持ち続けてきたでしょう。しかし,そうした公共政策について,自分の生活や将来を左右することとして,友人と議論して,外部に明確に意思表示をしたという経験を持つ人は多くないと思います。議論さえしたことのない人さえ多いかもしれません。私も,そういう話をできる相手は限られています。社会的なことについてそれなりの知識を持っていて,自分の頭で考えることができる人,それでいて,自分のオリジナルな意見を他人に伝えることに抵抗のない人って,あまり多くないです。

そして,若手の世代は,「いずれしっかりした形で社会に出て,悪戦苦闘しつつ職業経験を積み重ねていけば,おのずから社会的な立場を得ることができる」という実感のない世代です(少なくとも私はそう思っています)。むしろ,人と違うことをして失敗すると,経済的に将来が危うくなるという感覚を持っている人が多く,当面の選択肢が狭まっている感じがします。

さらには,世間一般を見渡して,一人で声を挙げた場合はもちろん,何人も集まって声を挙げても,その労力に比してどれだけの成果が得られているのか,ということがあります。声を挙げる過程で仲間と結束することができ,そのことで精神的な満足を得られるかもしれませんが,それは本来副産物ともいえます。自己満足で昂揚しない場合には,徒労感ばかりになってしまうのではないかということが世の中に満ちあふれています。単純に,権力に抗ったり(あらがったり),国や行政に助けてもらおうと運動しても,根本的な解決にならないのではないか,ということばかりです(きっと,以前は,そうでもなかったのではないでしょうか……)。

このように,一昔前と比べると,経済的な事情の変化から,現在の潮流を受けて育ってきた人たちは,「スタンダード」を逸脱しにくい心理になりやすいと思います。「スタンダード」を踏まえて,そのルールは前提として,その中で自分なりに頑張る,というのが染みついてしまっているのではないかと思います。

そのような状況が,若手弁護士が自分たちの将来に関わることについて発言しないことにもつながっているように私は思います。

正直言って,若手弁護士には,そんなには「しがらみ」はないはずです。ベテラン弁護士は,同期の旧友やお世話になった先輩の働きかけに応じざるを得ないことも多々あったのかもしれませんが,今はそんなものは急激に薄まっています。たとえば(たとえばですよ!),法科大学院(ロースクール)出身だから法科大学院を悪く言えないというのも,実際のところたいした圧力ではありません。ほんのちょっとした踏ん切りがあれば十分です。

皆さん,それぞれ,それなりに思っていることがあるはずです(と,私は思います)。

それでも,多くの人たちが率直に・積極的に発言しないのは,若手弁護士の世代が,そういう世代的状況(「スタンダード」は守って頑張るという方法を逸脱できない)に染まっているからなのではないかと思います。

あと,別角度から考えるとすれば,あまり率直に言わない方が営業的にイイ(むしろ甘っちょろいことを言っている弁護士を批判した方がかっこいい)というのもあるかもしれないし,情報発信力がある人は「スタンダード」の中での戦いに勝ち抜けるように仕事につながる情報発信にパワーを集中させるという傾向もあるでしょうね。まぁ,私は,それはそれで健全なんじゃないかと思ったりもしていて,若手弁護士が「弁護士」という職業の価値を守るために団結するのって本当に「公共善」なのか?と逡巡するところです。

もちろん,人のために,見返りを期待せずに頑張るということは,それだけでたいへん尊いことではあります。社会が良くなるようそれぞれの労力を注いでおられる方々には敬意を抱きます。私も,社会のために貢献したいという気持ちは強いので,頑張りどころを間違えず(これがやはり多いしもったいない),ここぞというときに奮闘したいと思っています。

2014年日弁連会長選の結果について

2014年の日弁連会長選は,2014年2月7日に投票が行われ,村越進氏が11,676票(51単位会で首位),武内更一氏が4,173票(1単位会で首位)となりました。投票率は46.65%でした。

 

この結果について,取り上げているブログがあります(まったく網羅はしていません)。

日弁連会長選挙 武内更一候補が善戦』(2月7日,猪野亨弁護士)

日弁連会長選挙には行かなかった。』(2月8日,PINE’s page)

日弁連会長選、史上最低投票率の現実』(2月10日,河野真樹氏・元「法律新聞」編集長の弁護士観察日記)

日弁連会長選挙の開票結果について』(2月12日,小林正啓弁護士)

 

この中で,分析的なのは,河野氏と小林弁護士のブログです。

河野氏は,

単独の獲得票が1万票を越したのは、今回が初めてですが、母数となる選挙人数が増員政策で年間約1600人ずつ増加しているうえに、再投票・再選挙にもつれ込んだ前回2012年の1回目の選挙で割れた、いわゆる「改革」路線派票の合計は1万票を越していることからも、注目すべきなのはやはりこちらではなく、投票率の方です。

と書いています。

また,小林弁護士は,

以上見てきたように、今回の日弁連会長選挙の開票結果は、子細に見れば注目点もあるが、全体としてみれば、史上最低の投票率という以外、何らかの傾向を読み取るべき材料を見いだすことができない。「特段新規な公約を打ち出さなかった主流派候補と、新左翼の対立候補では、勝敗は見えていた」ことが、史上最低の投票率の原因という、実も蓋もない分析結果で、お茶を濁すしかないようだ。

と書いています。

 

これらの分析を細かく見ていけば,「東京弁護士会内の最大派閥である法友会(平成22年度会員数2398人)が、集票マシンとしての実力を発揮したことを示している。」(小林弁護士),「愛知県の(投票率の)下落ぶりはすごい。だが何故かは分からない。」(小林弁護士),「前々回2010年選挙で再投票の結果、宇都宮健児氏がついに「改革」路線の執行部派候補を破り、2年間のかじ取りをしたものの、「改革」路線を大きく転換することはできず、続く宇都宮氏の続投をかけた前回2012年選挙が、前記したように再び再投票、初の再選挙にもつれこんだものの、執行部派の勝利で政権奪還します。反執行部派政権2年と、その後の会長選挙のゴタゴタは、会員の無力感と「嫌気」につながったとみることもできます。」(河野氏)といったところに,掘り下げの余地が十分あるように思われます。

東京弁護士会は,武内更一氏が東京弁護士会所属ということで,自分の会で接戦になると都合が悪いとか,そんな理由で頑張ったのかな,とか。

 

そして,私の視点(選挙マニア)を付け加えるとすれば・・・

前回・前々回,宇都宮氏に投票した票はどこへ行ったのか(前々回9,720票,前回1回目6,613票,前回2回目7,503票)ということです。

武内更一氏は前回の森川文人氏の系列の候補なので,前回の森川氏の得票1,805票がひとつの参考になります(森川氏は1回目で脱落)。そして,村越進氏は前回の山岸憲司氏の1回目得票7,964票,2回目8,570票が参考になります。なお,前回の投票率は1回目62.28%,2回目50.86%でした。

今回の村越氏は,11,676票でしたので,前回の山岸氏の2回目と比較して3,000票以上積み増ししています。対して,武内氏は,4,173票でしたので,前回の森川氏の1,805票から2,300票余りの積み増しになります。この積み増し比較は,候補者数や投票率の差を考えると,今回の武内氏にできるだけ有利になるような比較です。そんな比較でも敗北しているので,武内氏は村越氏との「旧宇都宮票」取り込み競争に敗北したといえます。

「旧宇都宮票」がいわゆる主流派批判票であったと考えるならば,武内氏はその受け皿たりえなかったということです。武内氏が髙山俊吉氏の系列であり,高山氏が投票率が2008年の選挙で7043票を獲得したことを考えると,武内氏は今回潜在的には掘り起こしえた有権者数の10%程度(約3,500人)の票を眠らせてしまったのではないでしょうか。

「勝敗が見えていたから」武内氏の得票が伸びなかったのではなく,根本的に何かが足りていなかった(または余計なことを言っていた)ので票が入らなかったと見るべきでしょう。確かに,選挙では,勝敗が見えていたから投票に行かないということもありますが,そもそもの圧勝の理由にはなりにくいです。

「旧宇都宮票」に戻りますが,これはいったい何の票だったのでしょうか? なぜ前回まで,「宇都宮を支える地方対主流派を支える東京」のような構図になっていて,今回それが雲散霧消したのでしょうか(そもそも,前回まで,何らかの政策を実現するために宇都宮氏が立候補していたとしたら,今回宇都宮氏に近い政策を実現するために立候補する人がいなかったのはなぜなのでしょうか?)。

この理由は,票数の分析だけからはわかりません。私の感覚でゆるく語るとすると,2007年の参院選・2009年の衆院選の民主党の勝利と,ターニングポイントとなった2010年の参院選,2012年の衆院選・2013年の参院選の民主党の得票の激減に近いものがあります。「とにかく政権交代を!」と言って政権に就いてみたものの,肝腎の問題を置いといてピントがずれたことをする(やってるときには,一応褒めそやされますが,だんだんとほころんできます)。そして,地力がまだ残っている派閥・土着層の巻き返しに遭う。右肩下がりになってからは,メッキが剥がれて回復困難。離脱者続出。かつて支持していたはずの有権者も,「投票したことがあったっけ?知らんなぁ」ってなもんです。それで,極端な人しか対抗馬として立たなくなるという(それも,当該選挙と直接関係のない他の政治運動の話をしたりする)。

まだ,自民党は民主党政権の反動で景気が良くなった感じを演出できたのでいいんですが,日弁連はそんなことも全くありませんし。弁護士の中に,もう日弁連には何も期待できない,と言っている人が散見されるのもむべなるかな,です(最近失望したというのなら,もともと宇都宮氏に何を期待したのか,ということも疑問として浮上しますが)。

ただ,日本の国政と日弁連の異なるところとしては,自民党がいろいろとガッチリ押さえてしまった国政に対して,日弁連は1回の選挙で浮動票で・・・という可能性がまだ大いにあるということでしょう。「宇都宮票」を構成した移ろいやすい票についても,今後全く同じような現象として再結集することはなくても,何らかの形で主流派を苦しめることがあるかもしれません。そんな意味で,近い将来もうひと山あるのではないかと予想しています。

「佐村河内守」問題

最近大騒ぎになっている「佐村河内守」(さむらごうちまもる)問題。

佐村河内守という名前で作曲家を自称していた人が、実は全聾ではなく自分で作曲もしていなかったという疑惑。私は、ネットで騒ぎになるまで、「佐村河内守」のことを知らなかったが、テレビ各局が特集を組んだ結果、かなり有名になって売り上げにつながっていたらしい。

 

私は、この問題が発覚した後は、いろんな切り口があって興味深い問題だと思い、積極的に情報収集している。

まず、「佐村河内守」が自称していた聴力障害や作曲方法等が虚構であったとして、NHKがなぜプロモーションに協力する形になってしまったのか?ということ。特筆する知識や注意力のない個人であれば、それ相応の情報を与えられると、騙されることはあるものだろう。しかし、NHKスペシャルといえば、日本のテレビ界で最高峰ともいえるノンフィクション番組である。たくさんの人が、様々な方向から取材し、編集し、チェックし、審査していたはずである。疑問が生じなかったのか? 生じたとしたらどのプロセスでつぶされていたのか? または、虚偽の情報が入っていることに気づきながらそれを放置した者がいるのか? このことに大変に興味がある。民放については、広告代理店と結びついて物を売るための演出をしまくっているということで、私は醒めた目で見ているが、NHKについても直観的に近年どんどん民放に近くなっている気もしている。今のNHKなら、かつてのTBSのようにオウムの擁護をしてしまうかもしれない、というくらいに。

これについては、私自身に取材能力はないので、私が今後ブログなどで情報を発信してもたいした価値をもたないが、私自身としてはたいへんに関心がある事柄ではある。

これと関連して、マスコミにおいていかにして「売れる商品」が作り上げられていくか、その実態、技術、倫理、お金の動き方、いわゆる「弱者」の使われ方ということにも関心がある。まぁ、これも、ここでは長々と書かないが、大規模自然災害の時の募金の呼びかけ、募金詐欺、復興関連商法(NPO法人りばぁねっとのようなものも含めて)などと根っこは共通しているのではないかと思う。

 

法律が相当関係する問題としては、大きく分ければ、作られた曲の知的財産関係のこと、佐村河内守らの行為が刑事上の罪責を負うものかということ、である。

知的財産については、ソチオリンピックでのフィギュアスケートの高橋選手の曲に「佐村河内守」名義の曲が使われてる予定であったようで、JASRACの対応次第では現場で曲が使えない、曲を使えても放送できない、ということになりかねない、ということが、当面の大問題だ(理屈は知らないが、JASRACは権利の理由許諾を「保留」したという)。

そして、実作者であることを告白した新垣隆氏は、会見において、著作権を主張しないと言ったようだが、そうすると今後、曲についての権利はどうなるのか?というところだろう。

CDを購入した者が返金を請求できるか否か、という問題もあるが、誰に対してどのような根拠で請求するか、非常に難しいか。

刑事問題については、詐欺罪、身体障害者福祉法違反など、挙げている人たちがいるが、CDの販売に関して罪に問うのは基本的に難しく、虚偽申告により福祉関係の給付を不当に受けていたとすればそこを捉えての立件になるかと思う。

 

最後に…。今回、「佐村河内守」が体調不良を理由として表に出てこない代わりに代理人弁護士が記者の質問に応じて、「ご本人が、耳が聞こえないのは本当だろうと思っている。」と話していた。そして、弁護士自身も「佐村河内守」の身体障害者手帳を確認していると。

それって、弁護士という聴力判定についての「門外漢」が話しているだけで、それもまた騙されてるだけなんじゃないの? だって、他のたくさんの素人は騙されてきたんだし…、これで本当は聞こえていたというのが真実なら、発覚前のマスコミと同じように「信憑性」補強の道具に使われただけになるよね、と私は思った。

この件に限らず一般的なことだが、代理人というのは本人の「代理」をしているけれども、第三者としての発言を求められることもある。そのときにどう喋るか、どう立ち回るかというのは、相当難しいところだと思う。第三者の目で、本人の利益と関係なく、当該案件について知っていることをベラベラと喋るようなのは代理人ではない。しかし、本人の発言をそのまま伝えるだけというのであれば、代理人を立てる必要もない(単なる風よけだ)。基本的に、「本人のスポークスマンでいながら、交渉力も持つ」というくらいなのかな、というのが私の感覚だが、これも案件や場面次第で変わってくるだろう。

弁護士保険、弁護士費用特約の使い方

弁護士保険、弁護士費用特約を知っていますか?

弁護士保険」とか「弁護士費用特約」という言葉を聞いたことがある方は多いと思います。

これらは、日本では、自動車保険(共済)、火災保険、傷害保険の特約として、各損害保険会社・共済協同組合から販売されているものです。

自動車をお持ちの方であれば、自動車保険(共済)に入る際に、「弁護士費用特約」はどうしますか? と聞かれた経験があるかと思います。

「弁護士保険」と言っても「弁護士費用特約」と言ってもかまいませんし、保険会社によっては「弁護士費用補償特約」と呼ぶこともありますが、ここでは、「弁護士費用特約」と呼んで話を進めます。

弁護士費用特約が使えるのはどんなとき?

弁護士費用特約がどんなときに使えるかは、その保険の契約書に書いてあります!

・・・というのが正確な答えではありますが、不親切ですので、多くの場合はこうです、ということをご説明します。

ここでは、自動車事故を例に挙げて説明します

弁護士費用特約が使えるのは、

  1. 契約中の自動車の搭乗者が自動車事故に遭って、死亡・後遺障害・ケガによる入院通院といった損害を受けた場合(人的損害、人損
  2. 契約中の自動車の搭乗者が自動車事故に遭って、その自動車など所有・使用・管理する物品に損害を受けた場合(物的損害、物損
  3. 記名被保険者(大雑把に言うと保険の加入者)等が受けた損害については、契約中の自動車に搭乗していない場面についても費用補償

と、簡単に言うと、このようになります。

そして、事故に遭って、相手方や相手方の保険会社と交渉をしても納得のいく回答がもらえないときなどに、ご自身が加入している保険会社の同意のもと、相手方への損害賠償請求を弁護士に依頼することができるのです。

訴訟(裁判)にならない段階でも弁護士に依頼することができますし、最終的に訴訟(裁判)に至らないで解決することも現にあります。

弁護士費用特約を使うと、費用面でどのようなメリットがあるか?

弁護士費用特約が付加されている場合、多くの特約では、相談料としては最大10万円まで、弁護士費用総額としては最大300万円までが補償される内容になっています。

多くの交通事故案件では、弁護士費用がこの最大額を超えることはありません。最大額を超える場合には、賠償額自体がかなり大きくなっています。

弁護士費用の算出方法については、私にご依頼をいただく際には、しっかりと説明いたします(保険会社が費用を負担する形になりますが、依頼者と弁護士の間の契約でもあるためです)。

なお、弁護士費用特約を使っても、自動車保険の等級は下がりません。

弁護士費用特約を使ったほうがいいとき(交通事故編)

死亡・後遺障害・ケガなど、人的損害が発生した事故の場合

人的損害が発生しているときには、相手方保険会社の提示している額でいいのか、弁護士のアドバイスをもらう方が望ましいといえます。

弁護士の使い方としては、訴訟(裁判)をする場合はもちろん、紛争解決センターを利用したり、示談交渉を任せたりすることもできます。

保険会社から提示された賠償額にどこか疑問があるとき、その額が妥当適切か確認するために法律相談を受け、その後の対応を検討する、という利用方法もあると思います。

過失割合に争いがある場合

交通事故の当事者の間では、どちらに何割過失があるかということが問題になることがよくあります。

これを 過失割合 といいます。

過失割合については、裁判例の積み重ねなどから、事故類型ごとに基準が作られています(赤本、青本といった書籍があります)。

保険会社は、そうした裁判例や基準を念頭に提示をしてきますが、やはり相当程度、自車側に有利な見方をすることも多いです。

類型は用意されていますが、実際のところ、類型に当てはめてすぐ解決する事故ばかりではありません。

普段このようなことに馴染みのない交通事故被害者が交渉をしていくことは、相当難しいといえます。

このようなときにこそ弁護士に依頼した方がいいでしょう。

10対0で相手方が悪い事故(もらい事故)の場合

自車側にも過失がある場合については、相手への損害賠償をする必要があるので、自車側で加入している保険会社が相手方と交渉をする流れになります。

しかし、自車側に過失がない場合、自車側で加入している保険会社は相手方と交渉する根拠がありませんので、被害者が自ら相手方本人や相手方保険会社と交渉しなければならないことになってしまいます。

このようなとき、相手方本人や相手方保険会社から誠実な回答がなされなければ、自車側の保険会社から同意を得た上で、弁護士に依頼して、相手方と交渉してもらうことも手法の一つでしょう。

弁護士費用特約で依頼する弁護士は選べる?

誰に依頼するか選べます

弁護士費用特約を使った場合には、自分が加入した保険会社が選んだ弁護士をつけなければならないのでしょうか?

答えは、 No です。選べます。

保険会社によっては、特定の弁護士を紹介する会社もありますし、弁護士会(日弁連)を通じて名簿順に紹介してもらう会社もあります。

そうやって、知っている弁護士がいない人には、何らかの形で弁護士を紹介する制度はあります。

しかし、実際は、ご自分で探して、最も良いと思われた弁護士に依頼するということも可能です。

石川県、富山県、福井県の事件を重点的にお受けします

私は、石川県金沢市の事務所に勤める弁護士ですが、弁護士費用特約を使って弁護士に依頼したいという方には積極的にご対応いたします。

石川県内については金沢市周辺だけではなく、七尾市や小松市周辺の方の案件をお受けすることも多いですし、富山県西部(高岡市、小矢部市、砺波市、南砺市など)の案件をお受けすることもあります。福井県の方についても、交通事故・交通事故以外とも受任経験があります。

基本的には、相談は法律事務所で、ということになりますので、ある程度近くて相談しやすい弁護士がいいと思いますが、ご縁次第というところもあります。

弁護士費用特約を使って弁護士に依頼したいときには、まずは電話かメールで、私に連絡してみてください。

司法試験の受験回数制限、5回に?

司法試験「5年で3回」を「5年で5回」に緩和

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20140108-OYT1T00696.htm

政府は、司法試験の受験回数制限を現行の「5年で3回」から「5年で5回」に緩和することを柱とした司法試験法改正案を、1月召集の通常国会に提出する方針を固めた。司法試験の合格者数の増加につながりそうだ。
早ければ2015年実施の司法試験から適用される。

06年に始まった現行の司法試験制度では、初の制度見直しとなる。

法務省によると、司法試験受験資格を得た後、勉強時間を確保する目的で、年1回の司法試験をすぐには受験しない「受け控え」が目立っている。だが、13年実施の司法試験をみると、法科大学院修了直後の受験生の合格率が39%であるのに対し、09年修了の5年目の受験生は7%と、受験が遅れるほど合格率は低下する傾向にある。このため、回数制限について、「受験生を必要以上に慎重にさせている」と疑問視する声が出ていた。

(2014年1月8日14時59分  読売新聞)

司法試験の受験回数制限は緩和されるのか?

現在の制度になっている理由

現在の制度の概要

現在、司法試験は、法科大学院修了者または予備試験合格者が、その法科大学院修了・予備試験合格後5年のうちに3回まで受験できることになっています。3回不合格になるか、5年経過すると、受験資格を失います。

制度の根源~司法制度改革審議会~

このような制度になっている根源を探っていきますと、まず、「司法制度改革審議会」(内閣に設置)の存在があります。2001年(平成13年)6月12日付けの「司法制度改革審議会意見書~21世紀の日本を支える司法制度~」、これは、今、非常に問題になっている審議会の意見書です。

法曹養成制度については、その意見書の「III 司法制度を支える法曹の在り方」に書かれています。受験回数制限については、

第三者評価による適格認定を受けた法科大学院の修了者の新司法試験の受験については、上記のような法科大学院制度及び新司法試験制度の趣旨から、3回程度の受験回数制限を課すべきである。なお、予備的な試験に合格すれば新司法試験の受験資格を認めるなどの方策を講じることとした場合の受験回数については、別途検討が必要である。

と書かれています。ここで「上記のような法科大学院制度及び新司法試験制度の趣旨」が何かということですが、受験回数制限の記述の前には、

 (1) 基本的性格 
 「点」のみによる選抜から「プロセス」としての新たな法曹養成制度に転換するとの観点から、その中核としての法科大学院制度の導入に伴って、司法試験も、法科大学院の教育内容を踏まえた新たなものに切り替えるべきである。

 (2) 試験の方式及び内容 
 法科大学院において充実した教育が行われ、かつ厳格な成績評価や修了認定が行われることを前提として、新司法試験は、法科大学院の教育内容を踏まえたものとし、かつ、十分にその教育内容を修得した法科大学院の修了者に新司法試験実施後の司法修習を施せば、法曹としての活動を始めることが許される程度の知識、思考力、分析力、表現力等を備えているかどうかを判定することを目的とする。 
 新司法試験は、例えば、長時間をかけて、これまでの科目割りに必ずしもとらわれずに、多種多様で複合的な事実関係による設例をもとに、問題解決・紛争予防の在り方、企画立案の在り方等を論述させることなどにより、事例解析能力、論理的思考力、法解釈・適用能力等を十分に見る試験を中心とすることが考えられる。 
 新司法試験と法科大学院での教育内容との関連を確保するため、例えば、司法試験管理委員会に法科大学院関係者や外部有識者の意見を反映させるなど適切な仕組みを設けるべきである。

 (3) 受験資格 
 法科大学院制度の導入に伴い、適切な第三者評価の制度が整備されることを踏まえ、それによる適格認定を受けた法科大学院の修了者には、司法試験管理委員会により新司法試験の受験資格が認められることとすべきである。 
 また、経済的事情や既に実社会で十分な経験を積んでいるなどの理由により法科大学院を経由しない者にも、法曹資格取得のための適切な途を確保すべきである。このため、後述の移行措置の終了後において、法科大学院を中核とする新たな法曹養成制度の趣旨を損ねることのないよう配慮しつつ、例えば、幅広い法分野について基礎的な知識・理解を問うような予備的な試験に合格すれば新司法試験の受験資格を認めるなどの方策を講じることが考えられる(この場合には、実社会での経験等により、法科大学院における教育に対置しうる資質・能力が備わっているかを適切に審査するような機会を設けることについても検討する必要がある。)。 
 いずれにしても、21世紀の司法を支えるにふさわしい資質・能力を備えた人材を「プロセス」により養成することが今般の法曹養成制度改革の基本的視点であり、およそ法曹を志す多様な人材が個々人の事情に応じて支障なく法科大学院で学ぶことのできる環境の整備にこそ力が注がれるべきであることは、改めて言うまでもない。 

という記述がありますので、要するに、これからの司法試験は、法科大学院での教育効果をチェックする趣旨であり、せいぜい3回のチェックまでで合格しなければ法科大学院の教育により法曹適格性を身につけたとはいえない。ということを言いたいのだと思われます。

そして、司法制度改革審議会の議事録を探ると、35回議事録(2000年(平成12年)10月24日開催)に、

【佐藤会長】有り難うございます。

先ほど既に出ましたけれども、このまとめにもあるんですが、新司法試験についてはプロセスを大事にするということにも関係して、受験回数を3回程度に制限するということを考えるべきではないか。滞留するとまたいろいろ問題が出てくる。ちゃんと教育を受けて、3回とも通れないというのはいかがなものかということですね。その辺はよろしいでしょうか。

【曽野委員】それについては何年以内にというのは設けないんですか。せめて何年以内に3回と決めておく。

【佐藤会長】制度設計としては、試験時期が問題なんですけれども、そこで試験をまず受ける。そして、通らなければ次回。受験者はいろいろなことを考えるんでしょうね。

【井上委員】普通では続けて受験するということでしょう。時間を置くと法科大学院での教育の効き目も薄らいできますから、余り後になると多分受からないだろうと思うのですけれども、確かにおっしゃるように、飛び飛びに受けるという人が出てくることは考えられますね。その辺は、具体的な制度設計の段階で、考えてもらうということではいかがでしょうか。

【藤田委員】受験回数の制限は、学生たちの関心が非常に強くていろいろ質問に来るんですが、以前、敗者復活みたいな話がありましたね。何年か期間を置いて再度の挑戦を認めるとか、そういう議論は全くなかったんでしょうか。

【井上委員】余り期間を置きますと、プロセスによる養成というものの効果がなくなりますので、もう一回プロセスをやり直してくれと言わざるを得ないんじゃないかと思いますね。

【藤田委員】分かりました。

【佐藤会長】教育の中身も変わっていくかも分かりませんしね。

実際に具体的に考えるときに、曽野委員のご指摘も含めて考えさせていただきたいと思います。

とあり、軽く議題に上っています。35回司法制度改革審議会は、審議会の中間報告のとりまとめの時期でしたが、中間報告(2000年(平成12年)11月20日)を確認してみると、

新司法試験については、上記のような法科大学院制度及び新司法試験制度の趣旨から、3回程度の受験回数制限を課すべきである。

と、すでに最終意見書と同様のことが書かれているわけです。

では、これを言い出したのは誰(どこ)なのか、さらに議事録をさかのぼると、集中審議第1日議事録(2000年(平成12年)8月7日)が発見されます。

この集中審議第1日には、文部科学省に設置された「法科大学院(仮称)構想に関する検討会議」(小島武司座長)の審議状況についての報告がなされています。

ここで、小島座長は、「法科大学院制度及び新司法試験制度の趣旨を考えると、3回程度の受験回数制限を設けることが合理的と考えます。」との発言をしています。

この発言の根拠を探るため、法科大学院(仮称)構想に関する検討会議の議事録を検索しました。すると、唯一第8回議事録(2000年(平成12年)7月31日)に記載があり、小島武司(座長)、井田良、伊藤眞、加藤哲夫、田中成明、金築誠志、川端和治、清水潔、房村精一、井上正仁、鳥居泰彦、山本勝、吉岡初子の各氏出席によりなされた意見交換の場で、

現行試験の受験回数制限については、弁護士会は、厳しい競争試験のうえ、さらに回数制限を行うことには弊害が多いため強く反対してきたが、司法試験が資格試験化し、相当割合が合格するのであれば、それに合格しないような者について制限をしても問題はないという考え方から方針を転換したものである。したがって、「現行制度についての反省及び法科大学院制度の趣旨を考える」という理由で回数制限を認めるという意見は少なくとも弁護士会には全くなく、「相当割合が合格する試験であることを考える」という内容に直すべきではないか。

とか

司法試験の受験回数の制限については現行制度に対する反省というよりも、「法科大学院制度及び司法試験制度の趣旨から考えると」とするべきではないか。

という意見が出されていて、この時点で、受験回数制限について、文部科学省側の会議の案に取り入れられていたことがわかります。このうち、1つ目の意見については、発言者が記録されていないようですが、発言の趣旨からすると、当時の日弁連副会長川端和治氏の発言であると推測されます。

話を司法制度改革審議会集中審議に戻します。司法制度改革審議会集中審議では、上記文部科学省検討会議の状況報告を受け、議論がなされています。受験回数制限については、井上正仁氏(学者)の発言があります。

今の司法試験の合格率が3%ということになってきたのは、一つは、オープンな性格の試験であるがゆえに受験回数の制限というのができなかったということもあるのですね。その辺は、今度はこういう丁寧な教育をした上で選別をするということで、受験回数の制限を最初から掛けていこう。それによって、たまってくる人は一定限度に抑えられるだろうという制度設計になっている。その点をまず指摘させていただきます。

この井上氏の発言は、わりと率直なもので、滞留者の増加を抑えたいがための制度設計であるということです。

さらに議事録をさかのぼり、回数制限についての言及を探すと、第8回議事録(1999年(平成11年)12月8日)に、原田明夫法務事務次官の発言として、

 司法試験の改革の話を、先ほどちょっと触れました。これは、ここの委員でもおられる中坊先生が日弁連の会長をなさっているときに、大きな転換を遂げました。司法試験の改革は本当に難しかったんですが、いろんな意見を集約して、とにもかくにも人数を、それまで500人くらいに据え置かれていた司法試験の合格者の数を700人にし、やがて800人にする。そして、そのための改革をやっていただきました。そのためには、実は合格枠という新たな設定をいたしました。これはある面で評判が悪かったんです。というのは、司法試験の合格者の年齢がどんどん高くなっていくわけです。そして、何年も何年も掛かるということになっております。これは、社会的問題にさえなってまいりましたのは、諸先生方も御承知のとおりでございます。そこで、一つの考え方として、一部の先生方、これは私大の先生方が多いんですが、もう回数制限をしてくれと。3回でもいい、5回でもいい。そうしないと、学生がかわいそうだと。一旦足を取られたら抜け出せないと。回数を制限してくれれば少し変わるんじゃないかという意見もございました。

 しかし、これに対しても、やはり学生諸君、または人材の中には、じっくり勉強して、だんだん育っていく人たちもいるわけでございますから、回数で、あるいは年齢で制限するのは問題だと。ですから、せめて、増やす200人分くらいは、3回の回数にいたしましょうということでつくったのが合格枠です。

 これもいろいろ考え方があって、憲法違反ではないかという意見もございました。その当時、憲法学者の先生方にも意見を聞きましたが、必要な場合に、その取り扱いさえ合理的で、かつ平等ならば、ある種の枠を考えるということも必要ではないか。必ずしも憲法違反とは言えないという考え方を示していただいて、そのような制度を採った。その結果、司法試験を受けようという学生の数が戻ってまいりした。そして、また、若い人たちも受かると同時に、例えば主婦の方とか、ある程度仕事をした方が、司法試験を目指して勉強して、3回目くらいですっと入ってくる人たちが増えてきました。

 私は、ある有名な政治家の方の息子さんのお嫁さんが、子育てが終わって試験を受けて合格して、非常にいい感覚を持って修習をしてくれるのに出会って、こういうこともあるんだなと思いました。ですから、私は、合格枠制も一つの使命を果たしてきたと思います。しかし、そのことはまた、それをこれからどうやっていくかということも、全体の法曹人口問題を考える中で、どうぞお考えいただかなきゃならないことだろうと思います。

というものがあるほか、第15回議事録(2000年(平成12年)3月14日)に小津博司法務大臣官房人事課長が

我が国の司法試験は、受験期間の長短や受験回数にかかわりなく、すべての人に全く同じ試験をいたしますので、長期受験者が非常に多くなった状況の中でどういう試験の運営をしたら、こういう能力を実質的にも公平に安定して選抜することができるのかということにつきまして、管理委員会と考査委員の先生が苦慮し続けてきたと申し上げてよろしいかと思います。

と述べています。

今回は、これ以上さかのぼりませんが、要するに、旧来の受験者滞留状況を打破し、法科大学院中心の法曹養成制度とするため、その一環として受験回数制限が導入されたといってよいでしょう。

受験回数制限の緩和の発想が出てくる理由

こうやって導入された受験回数制限を緩和する発想はどこから出てくるのでしょうか?

これを言っているのは,内閣に設置された法曹養成制度検討会議(佐々木毅座長)です。この会議の取りまとめ[pdf](2013年(平成25年)6月26日)は,次のように言っています。

○ 受験回数制限制度は維持した上で,法科大学院修了又は予備試験合格後5年以内に5回まで受験できるよう,その制限を緩和するべきである。

この理由は,次のとおりだそうです。

・ 受験回数制限制度は,旧司法試験の下での問題状況を解消するとともに,プロセスとしての法曹養成制度を導入する以上,法科大学院における教育効果が薄れないうちに司法試験を受験させる必要があるとの考え方から導入したものである。この点について,法科大学院の教育状況が目標としていたとおりにはなっていないことや法科大学院修了後5年の間に合格しない者が多数いることなどから,受験回数制限自体を撤廃すべきであるとの立場もあるが,受験回数制限を撤廃して旧司法試験の下で生じていた問題状況を再び招来することになるのは適当ではなく,また,法科大学院修了を受験資格とする以上は法科大学院の教育効果が薄れないうちに受験させる必要もあると考えられる。さらに,法曹を目指し,司法試験を受験する者の多くを占める20歳から30歳代は,人生で最も様々なものを吸収できる,あるいは吸収すべき世代であり,本人に早期の転進を促し,法学専門教育を受けた者を法曹以外の職業での活用を図るための一つの機会ともなる。したがって,受験回数制限を設けること自体は合理的である。

・ 受験回数については,現行制度は,3回程度の受験回数制限を課すことが適当と考えられ,その上で,受験生が特別の事情で受験できない場合があり得ることも考慮し,5年間に3回受験できることとされている。

・ もっとも,現在,多くの受験生がより多くの回数受験することができるものとすることを求めている。そもそも,受験回数制限制度において制限される回数については,3回とすることが必須であるというものではなく,その制度の趣旨に反しない限度であれば,受験回数制限を緩和することも考えられる。この点に関し,これまでの司法試験の結果によれば,法科大学院修了直後の者の合格率が最も高く,受験期間が長くなるにつれて合格率が低下する傾向にあるところ,受験期間を維持するのであれば,この傾向に与える影響は大きくないと考えられる。また,受験期間と受験回数との差がない方が,受験資格があるのに受験を控えるようなことはなく,全ての受験者が法科大学院教育の効果が最も高いときから間断なく受験することになるとの利点もあると考えられる。さらに,受験回数制限を緩和し,受験期間内において司法試験を受験できることとすれば,単年合格率が低下し,更に志願者を減少させるおそれがあるとの意見もあるが,受験回数制限を緩和しても受験期間の途中で司法試験を受験しなくなる者も一定数いることが想定されることからすれば,単年合格率の低下は一定の範囲にとどまると考えられるし,累積合格率はほとんど低下しないものと想定される。また,今後,制度全体の改善を図ることによって,法曹志願者の減少を防ぐことは可能であり,むしろ,受験回数制限を緩和し,5回まで受験できるとする方が法曹を志願しやすい環境につながると考えられる。以上のことから,受験回数制限制度は維持した上で,法科大学院修了又は予備試験合格後5年以内に5回まで受験できるよう,その制限を緩和することとするべきである。

「旧司法試験の下での問題状況」とは,受験生の滞留と合格率の低下のことでしょうか?

「プロセスとしての法曹養成制度を導入する以上,法科大学院における教育効果が薄れないうちに司法試験を受験させる必要があるとの考え方」ということは,導入当初はっきりと言われていなかったと思います。まぁ,とにもかくにも「プロセスとしての法曹養成制度」(もったいぶっていますが,要するに法科大学院のことです)を維持するためには,法科大学院を出てすぐの者だけに受験資格を限定しないと,大変なことになるよ,ということですね。

それで,「現在,多くの受験生がより多くの回数受験することができるものとすることを求めている」,「むしろ,受験回数制限を緩和し,5回まで受験できるとする方が法曹を志願しやすい環境につながると考えられる」ということが,回数制限の回数を3回から5回に増やす理由のようです。

井上正仁氏は回数制限緩和に反対

議事録をざっと読んでいると,法曹養成制度検討会議の構成員の中でも,賛否は分かれていたようです。詳しい議論は,第6回議事録(2012年(平成24年)12月25日)をご覧下さい。

回数制限の緩和に賛成の立場から発言をしているのは,清原慶子氏(三鷹市長),丸島俊介氏(弁護士),松野信夫氏(法務大臣政務官,民主党参院議員),岡田ヒロミ(消費生活専門相談員),国分正一氏(医師)であり,和田吉弘氏(弁護士)は「法科大学院修了を司法試験の受験要件から外すべきだ」というのが持論であるが受験要件を維持する前提であれば回数制限の緩和に賛成。

回数制限の緩和に反対の立場から発言をしているのは,井上正仁氏(学者),田中康郎氏(元裁判官,現学者)。

回数制限の緩和に消極的な発言をしているのは,伊藤鉄男氏(元次長検事,現弁護士),久保潔氏(元読売新聞),鎌田薫氏(学者,早稲田大学総長)。

意見を留保しているのは,萩原敏孝氏(小松製作所特別顧問)。

こうやって,意見が出された後,パブリックコメントを募集する際の「中間的取りまとめ」を出すにあたって,出てきた案というのが,まず,

○ 受験回数制限制度は維持した上で,制度の趣旨も踏まえつつ,その制限を一定程度緩和することが適当かどうか,更に検討する。

というもの(第11回議事録(2013年(平成25年)3月27日),第12回議事録(2013年(平成25年)4月9日)参照)。

これが,第11回,第12回で議論がほとんど深まらないまま,中間的取りまとめ[pdf](2013年(平成25年)4月9日)に反映されました。

会議の結論

第13回事務局提出資料[pdf]の資料2には,パブリックコメントの結果につき,次のとおり書かれています。

◎ 司法試験の受験回数制限につき,現行の制度を維持すべきであるとするもの,おおむね5年間に5回までに緩和(期間制限を維持し,回数制限を廃止する。)すべきであるとするもの,一切の制限を廃止すべきであるとするものが主に見られた。

ひどく羅列的なまとめ方になっていますが,こうなったのは,パブリックコメントを集めた結果,法科大学院を中心とする法曹養成制度への疑問が数多く寄せられたため,また,司法修習生への給費制復活を求める意見が数多く寄せられたため,意見の通数で優勢・劣勢を表現して結果を報告することが「危険」であると考えたからであると思われます。

受験回数制限については,意見の多寡を発表しても問題は生じなかったでしょうが,一律の扱いにしないと,法科大学院を強制する制度や給費制の問題について,パブリックコメントの結果を隠蔽しているかのように受け取られるからです。

実際には,受験回数を緩和すべきであるとした意見が多かったようです。

結局,法科大学院強制制度という根本問題や司法修習生への給費・貸与の問題については,パブリックコメントの意見の多さや内容は実質無視される形になりましたが,なぜか受験回数緩和についてだけ,パブリックコメント直後に「座長試案」が出される形で,一気に進展してしまいます(第13回事務局提出資料[pdf]の資料10~13)。

第13回議事録(2013年(平成25年)5月30日)では,井上氏が次のように発言しています。

○井上委員 すみません,これから授業があるものですから。簡単に2点だけ申させていただきますと,受験回数制限の緩和については,既に御意見を申し上げ,現行の制度を維持することに合理性があるということは述べてきたところですので,繰り返しませんが,仮にこの案のように,制限緩和というのが皆様の大方の意見であり,そういうまとめになるとしましても,その実施時期と経過措置については,十分慎重な配慮が必要だろうと思います。と言いますのは,今日お示しいただいたシミュレーションを見ましても,どのぐらいの幅になるかは別として,ようやく司法試験の合格率が下げどまりになって,これから徐々に上がっていく見込みが出てきたところですので,これを更に下げる結果となるようなことは,できる限り避けていただきたいからです。法科大学院志願者の減少については,弁護士の就職難が最大の理由だという御意見があったり,他の理由を上げる人もいますけれども,やはり,その大きな原因の少なくとも一つ,あるいは私などは最大の要因だと思っていますけれども,司法試験合格率が低迷しているということだと思うのですね。その点についての配慮が必要ですので,経過措置については,この案の①のほうが下げ幅が狭いので,そちらの方法を採る。実施時期についてもこのシミュレーションの結果などを踏まえて,いつから実施するかということについては慎重に検討していただきたいというのが1点目です。
2点目は,試案に盛り込まれていない部分ですけれども,予備試験について,何らかの方向を出すのは時期尚早だとされているわけですが,事態は非常に急速に,かつ広範囲で進行し深刻化しているのは紛れもない事実ですので,様子を見ながら検討するということで結構ですけれども,これも法的措置の検討などと平仄を合わせて,今後2年間で何らかの措置が必要かどうか,必要だとすればどうするかということを検討し,結論を出すということとしていただきたいと思います。

また,第14回議事録(2013年(平成25年)6月6日)では,井上氏が次のように発言しています。

○井上委員 受験回数の緩和については,私は反対ですけれども,その議論を繰り返すことはいたしません。ただ,この理由づけのところ,見え消しの18ページで,受験回数制限を緩和すると合格率が低下し,志願者が減少することにつながるのではないかという意見もあるが,の後ですが,受験回数制限を緩和しても云々という部分,これは前はこういう指摘もあるという文章だったのを,検討もせずにそのまま本会議の認識のように書かれてしまっているわけですが,結論を正当化するためにここまで書かざるを得ないのか,正直疑問に思います。特に,途中で司法試験を断念する者が相当数いることが想定されることからすれば,というのは,希望的観測に過ぎない。もちろんいることはいるだろうとは思いますけれども,相当数いるとまで言っていいのかどうかですね。御提案としては,そのような者もいること
が想定される,とするか,それでは勢いが出ないとすれば,少なくとも「相当数」を「一定数」と改めるべきだと考えます。結論として,回数制限緩和には反対ではありますけれども,この際ひっくり返すようなことは言いませんので,理由はもっと丁寧に書いていただきたいと思います。

第15回には,自由民主党司法制度調査会からの法曹養成制度についての中間提言[pdf]が提出されました。この4ページには,次のように書かれています。

現在は,5年間で3回と限定されている受験回数制限について,特に法科大学院生からは不安の最大の要因になっているとの声があった。このような制限は必要限度を超えており,まずは5年間で5回の受験を認めるべきである。

また,公明党法曹養成に関するプロジェクトチームが作った法曹養成に関する提言[pdf]も提出されましたが,7ページには次のように書かれています。

法科大学院を中核とするプロセスとしての法曹養成制度の下においては,司法試験は法科大学院教育における学習の成果を確認する試験と位置付けられるべきものから,これについて受験回数制限を設けることは適切である。しかし,現状の低合格率の下,法科大学院修了後5年以内に3回という回数制限を「有効に」活用するため,法科大学院を修了しても意図的に司法試験を受験しないという「受け控え」といわれる回数制限の趣旨に反する現象が広く生じている。このような現状を踏まえるならば,司法試験の受験回数制限については,法科大学院修了後5年以内に5回まで受験できるものと緩和することが適当である。

このように自公両党から意見が出されていることにつき,第15回議事録(2013年(平成25年)6月19日)で清原慶子三鷹市長は,次のように言っています。

そこで,1点目,「受験回数制限を5年間に5回」としたことは,本日紹介されました自由民主党及び公明党のそれぞれの提言でも書かれていることであり,意を強くしたところで,このことについてはなるべく早く実現できればと願っています。

そして,最終的に,「受験回数制限制度は維持した上で,法科大学院修了又は予備試験合格後5年以内に5回まで受験できるよう,その制限を緩和するべきである。」という取りまとめ内容に至ったものです。

受験回数制限の緩和は実現するか?

このように政府案としてお膳立てされ,与党である自公両党が推進している方向の変更ですから,今年1月召集の通常国会で法案が成立すると考えるべきでしょう。

会議体に日弁連が派遣している構成員も賛成するくらいですから,民主党,共産党など野党がほとんど賛成する可能性も高いと思います。みんなの党(結いの党)は司法改革に一家言あるようですが,反対するかどうかは何とも言えませんし,人数が少なすぎます。

この後説明しますが,この緩和により,法科大学院の足もとはさらに揺らぐことが予想されます。そんなことは,少し考えればわかることであるのに,法科大学院寄りの構成員の意見を排斥しても受験回数制限の緩和という方向へ行くのですから,政治的に何らかの推進力がかかったものではないかと,私は考察しています(文部科学省の内部にもいろいろあるのかもしれません)。

司法試験の受験回数制限により,何かが好転するのか?

結論

しません(断言)。

理由

井上正仁氏が言うように,この変更は,年ごとの司法試験合格率を低下させる可能性が非常に高いです。

途中で司法試験を断念する者が相当数いることが想定されることからすれば,というのは,希望的観測に過ぎない」と井上氏が言っていますが,まったくそのとおりです。

そして,自民党の意見書の中に書かれている「5年間で3回と限定されている受験回数制限について,特に法科大学院生からは不安の最大の要因になっているとの声があった」ということ。このような不安除去を受験回数制限維持&緩和の正当化根拠とするのは,完全に間違いです。3回でも5回でも不安なものは不安です。むしろ,4回目(4年目)・5回目(5年目)になると,余計不安です。おそらく,これは,自民党が法科大学院生の意見を曲解して採り上げているのだと思いますが,本当に法科大学院生がこのように言っているとすれば,不安の先送りばかり考えて冷静さを欠いているのではないかと思います。

よって,井上氏が危惧するところは当たっていて,司法試験や法科大学院への志望者を回復するどころか,減らす施策であるといえます。少なくとも,割合的に,志望者の中のまともな人が減り,まともでない人が増える,そんな施策です。

うまくいかないとすればどうなるか?

一旦5年5回にしてしまったら,5年3回に戻すのは非常に難しいので,つらい状況が続くだけでしょう(本当は,3年3回にすれば少しはまともになるでしょうが,政治的に無理でしょう)。

5年5回の「先」の問題が出てくる頃までには,法科大学院をいくつか取りつぶしてみたり,予備試験の受験を制限してみたり,いろいろやるかもしれませんが,制度上法科大学院への進学を強制している限り,好転はしないでしょう。「法科大学院修了者で司法試験に合格しない(受験しない)人」というのが「学部卒」よりも就職市場において価値が出てくれば話は別ですが。

ちなみに

ちなみに,私の持論は法科大学院強制制度を撤廃し,誰でも受験できるようにすること,その上で司法試験合格者数はある程度のボリュームを保つことです。

回数制限は…,いつ方針転換するかは,自己責任,自己決定なんじゃないのかなと思います。というか,もう,法曹資格を持っているだけでどうにかなるという時代ではないわけで,法曹資格を持っているいないにかかわらず,どうやって仕事をしていくかということを真剣に考えた方がいいんじゃないかと思うのです。

弁護士の「専門」とは?

「専門」を名乗る弁護士が増えている

昨今は、インターネット上で、専門性を謳う弁護士が多く見られます。

専門表示が多い分野は?

昨今多い専門表示は、「離婚専門」と「交通事故専門」の2種類です。

離婚については、「離婚弁護士」という自称の仕方もあります。要するに、離婚問題ばかりを扱っているとか、離婚問題を扱う割合が非常に高いとか、離婚問題に相当注力している、という自己紹介です。

交通事故というのは、交通事故後の示談交渉や訴訟を引き受ける、ということです。

最近は下火ですが、過払い・債務整理の専門性を誇る事務所・弁護士も多いようです。

また、これまではほとんど見られませんでしたが、最近では、「刑事専門」を謳う事務所も出現してきました。

実際にはどうなのか? ~本当に「専門」なのか~

実際のところ、「専門」と表示していても、そればかりをしているという弁護士はかなり少ないように思います。

世の中には、ある分野の仕事だけに集中している弁護士もいますが、そうした弁護士の多くは、仕事の供給元も相当程度固定化しているので、外部へ向けて「専門」を自称する機会があまりありません。

一般的には、弁護士ごとに、「○○パーセントが××の案件、○○パーセントが▲▲の案件」というような傾向の差はありますので、それぞれの弁護士において、何らかの仕事についての経験や手持ち案件が多い、ということは言えるものと思います。

特に、地方の弁護士は、基本的に何かに特化していません。地方で弁護士をしていると、自然といろいろな法律相談を担当し、いろいろな依頼を受任することになるからです。

ですから、地方で弁護士をしていて、「何が専門ですか?」と聞かれると、なかなか答えづらいものがあります。たとえば、医者が「耳鼻咽喉科」や「産婦人科」や「心療内科」に所属していれば、基本的にその科に関係する患者さんが来て、問診をして診察することになるわけです。そういうのに比べると、○○の案件が多めというだけで「○○専門」と言っていいものかどうか、たいへん迷ってしまいます。

インターネット時代の傾向

ただし、上の説明は、だんだんと不正確になってきているかもしれません。インターネットの普及によって、それぞれの弁護士が見知らぬ人に向けて、受任したい事件をアピールすることができるようになっているためです。

たとえば、離婚事件の経験がごく少なくても、離婚事件を他に今やっていなくても、離婚事件の集客をすることが可能です(その際、離婚専門と自称するのは間違っていると思いますが、力を入れたい分野とか鍛錬している分野としてアピールすることは問題ないはずです)。

そうして、結果的に、受任する案件の多くが離婚事件になったとして…。そうすると、客観的に「離婚専門弁護士」と言ってもおかしくない状態にはなります(受けている案件が多いだけで本当に「専門」なのかという問題はありますが)。

これは、交通事故や刑事事件など、他の分野でも言えることです。

弁護士探しにおいて注意すべきこと

客観性が担保されていない「専門」表示

日弁連では、専門表示は客観性が担保されていないことから、「現状ではその表示を控えるのが望ましい」としています(参考サイト 小松亀一弁護士「弁護士業務広告規程ガイドライン(運用指針)全文紹介3」)。

要するに、現状で「専門」を名乗るために必要な要件があるわけではないのです。

そのような状況で、各自の判断で「専門」を自称しているわけです。

同じ事務所や同じ弁護士が「交通事故専門サイト」「過払い金専門サイト」「離婚専門サイト」「相続専門サイト」など、複数のサイト(ドメインが違っていたりする)を運用しているのは、それぞれの弁護士が自己責任において自称できるからです。

そもそも、「専門」弁護士を選ぶべきか?

もっと大事なことがある?

そういう意味では、今は、特に都市部においては、注意して探せば、ある種類の案件を中心に取り扱っている弁護士を探し当てることはできるはずです(しょせん「専門」は自称可能ですので、相談のときにしっかり確認することが前提になりそうですが…)。

しかし、ある種類の案件をたくさん扱っているからといって、その案件の処理について適切な処理を受けられるかというと、必ずしもそうではないと思います。

確かに、同じ種類の案件をたくさん扱っていれば、他の案件での経験を生かして手慣れた処理がされる可能性は高いといえます。その点は比較的安心だろうと思います。ただ、最も重要なのは、依頼する弁護士との意思疎通をしっかりできるか否かなのです。また、あなたの案件に労力をしっかり振り向けてもらえるかということも重要です。

「専門」表示は参考程度に

ここまで書いてきたように、○○専門という表示をすることについて明確な規制はありません。また、たとえば「離婚が得意」「交通事故が得意」という表示については、もしかすると弁護士が自分でそう思っているだけ、ということもありえます…。

そして、「専門」というのが嘘ではないにしても、どこまでその種類の仕事に集中しているのかは、なかなか確かめにくいところです。

ですから、あまり「専門」を追い求めても、得るものは大きくないのでは、と思います(特に、インターネット上では、定型的な宣伝サイトも多いので、客観的な比較が困難)。

それから、繰り返しますが、弁護士に依頼するにあたって大事なのは、「意思疎通」、「労力の振り分け」です。依頼する案件がどういう種類のものなのかにもよりますが、専門性の高さ低さについて弁護士を比較するよりは、弁護士の人格や事務所の態勢を判断し、実際に依頼したときの受任態勢を確認するほうに力を注いだ方がいいのではないかと思います。