マスコミの情報(特にテレビ局の映像)を裁判の証拠とすることについて

なぜNHKはオウム真理教の映像を「裁判の証拠」として使うことに反発したのか?

 

この記事は,上記のコラムに触発されて書きます。

マスコミの情報,特にニュース映像を裁判において証拠利用することについては,かねてから議論があります。大学では,憲法の講義の中で「知る権利」として取り上げられる話題です。

これについての判例に,「博多駅テレビフィルム提出命令事件」(最高裁大法廷昭和44年11月26日決定,取材フイルム提出命令に対する抗告棄却決定に対する特別抗告)があります。

これは,付審判請求(警察官の行為が特別公務員暴行陵虐罪にあたるとの主張に基づくもの)の審理のため,地裁がテレビ局に対し,事件当日の放送フィルムの提出を命じたことに関するものです。

最高裁決定は,次のように言っています。

報道機関の報道は、民主主義社会において、国民が国政に関与するにつき、重要な判断の資料を提供し、国民の「知る権利」に奉仕するものである。したがつて、思想の表明の自由とならんで、事実の報道の自由は、表現の自由を規定した憲法二一条の保障のもとにあることはいうまでもない。また、このような報道機関の報道が正しい内容をもつためには、報道の自由とともに、報道のための取材の自由も、憲法二一条の精神に照らし、十分尊重に値いするものといわなければならない。

ところで、本件において、提出命令の対象とされたのは、すでに放映されたフイルムを含む放映のために準備された取材フイルムである。それは報道機関の取材活動の結果すでに得られたものであるから、その提出を命ずることは、右フイルムの取材活動そのものとは直接関係がない。もつとも、報道機関がその取材活動によつて得たフイルムは、報道機関が報道の目的に役立たせるためのものであつて、このような目的をもつて取材されたフイルムが、他の目的、すなわち、本件におけるように刑事裁判の証拠のために使用されるような場合には、報道機関の将来における取材活動の自由を妨げることになるおそれがないわけではない。 しかし、取材の自由といつても、もとより何らの制約を受けないものではなく、たとえば公正な裁判の実現というような憲法上の要請があるときは、ある程度の制約を受けることのあることも否定することができない。

公正な刑事裁判を実現することは、国家の基本的要請であり、刑事裁判においては、実体的真実の発見が強く要請されることもいうまでもない。このような公正な刑事裁判の実現を保障するために、報道機関の取材活動によつて得られたものが、証拠として必要と認められるような場合には、取材の自由がある程度の制約を蒙ることとなつてもやむを得ないところというべきである。しかしながら、このような場合においても、一面において、審判の対象とされている犯罪の性質、態様、軽重および取材したものの証拠としての価値、ひいては、公正な刑事裁判を実現するにあたつての必要性の有無を考慮するとともに、他面において、取材したものを証拠として提出させられることによつて報道機関の取材の自由が妨げられる程度およびこれが報道の自由に及ぼす影響の度合その他諸般の事情を比較衡量して決せられるべきであり、これを刑事裁判の証拠として使用することがやむを得ないと認められる場合においても、それによつて受ける報道機関の不利益が必要な限度をこえないように配慮されなければならない。

次に,「日本テレビ事件」(最高裁第2小法廷平成元年1月30日決定,贈賄被疑事件について地方裁判所がした準抗告棄却決定に対する特別抗告)です。

これは,地検の検察事務官が贈賄被疑事件(リクルート事件)に関し裁判官の発した差押許可状に基づきビデオテープの差押処分をしたことについての決定です。このビデオテープには未放映部分が含まれていました。

最高裁決定は,次のように言っています。

報道機関の報道は、民主主義社会において、国民が国政に関与するにつき重要な判断の資料を提供し、国民の「知る権利」に奉仕するものであつて、表現の自由を保障した憲法二一条の保障の下にあり、したがつて報道のための取材の自由もまた憲法二一条の趣旨に照らし、十分尊重されるべきものであること、しかし他方、取材の自由も何らの制約をも受けないものではなく、例えば公正な裁判の実現というような憲法上の要請がある場合には、ある程度の制約を受けることのあることも否定できないことは、いずれも博多駅事件決定が判示するとおりである。もつとも同決定は、付審判請求事件を審理する裁判所の提出命令に関する事案であるのに対し、本件は、検察官の請求によつて発付された裁判官の差押許可状に基づき検察事務官が行つた差押処分に関する事案であるが、国家の基本的要請である公正な刑事裁判を実現するためには、適正迅速な捜査が不可欠の前提であり、報道の自由ないし取材の自由に対する制約の許否に関しては両者の間に本質的な差異がないことは多言を要しないところである。同決定の趣旨に徴し、取材の自由が適正迅速な捜査のためにある程度の制約を受けることのあることも、またやむを得ないものというべきである。そして、この場合においても、差押の可否を決するに当たつては、捜査の対象である犯罪の性質、内容、軽重等及び差し押えるべき取材結果の証拠としての価値、ひいては適正迅速な捜査を遂げるための必要性と、取材結果を証拠として押収されることによつて報道機関の報道の自由が妨げられる程度及び将来の取材の自由が受ける影響その他諸般の事情を比較衡量すべきであることはいうまでもない(同決定参照)。

本件差押処分は、被疑者Aがいわゆるリクルート疑惑に関する国政調査権の行使等に手心を加えてもらいたいなどの趣旨で衆議院議員Bに対し三回にわたり多額の現金供与の申込をしたとされる贈賄被疑事件を搜査として行われたものである。同事件は、国民が関心を寄せていた重大な事犯であるが、その被疑事実の存否、内容等の解明は、事案の性質上当事者両名の供述に負う部分が大であるところ、本件差押前の段階においては、Aは現金提供の趣旨等を争つて被疑事実を否認しており、またBも事実関係の記憶が必ずしも明確ではないため、他に収集した証拠を合わせて検討してもなお事実認定上疑点が残り、その解明のため更に的確な証拠の収集を期待することが困難な状況にあつた。しかもAは、本件ビデオテープ中の未放映部分に自己の弁明を裏付ける内容が存在する旨強く主張していた。そうしてみると、AとBの面談状況をありのままに収録した本件ビデオテープは、証拠上極めて重要な価値を有し、事件の全容を解明し犯罪の成否を判断する上で、ほとんど不可欠のものであつたと認められる。他方、本件ビデオテープがすべて原本のいわゆるマザーテープであるとしても、申立人は、差押当時においては放映のための編集を了し、差押当日までにこれを放映しているのであつて、本件差押処分により申立人の受ける不利益は、本件ビデオテープの放映が不可能となり報道の機会が奪われるという不利益ではなく、将来の取材の自由が妨げられるおそれがあるという不利益にとどまる。右のほか、本件ビデオテープは、その取材経緯が証拠の保全を意図したBからの情報提供と依頼に基づく特殊なものであること、当のBが本件贈賄被疑事件を告発するに当たり重要な証拠資料として本件ビデオテープの存在を挙げていること、差押に先立ち検察官が報道機関としての立場に配慮した事前折衝を申立人との間で行つていること、その他諸般の事情を総合して考えれば、報道機関の報道の自由、取材の自由が十分これを尊重すべきものであるとしても、前記不利益は、適正迅速な捜査を遂げるためになお忍受されなければならないものというべきであり、本件差押処分は、やむを得ないものと認められる。

さらに,「TBS ギミア・ぶれいく 事件」(最高裁第2小法廷平成2年7月9日決定,Aに対する暴力行為処罰に関する法律違反及び傷害被疑事件について地方裁判所がした準抗告棄却決定に対する特別抗告)があります。

これは,警察官が裁判官の発した差押許可状に基づきビデオテープの差押処分をしたことについての決定です。日本テレビ事件に比べると,差押の主体(裁判に直接証拠を提出するわけではない警察官)という点や比較的ありふれた刑事事件の捜査のための差押であったことが注意されるべきでしょう。

最高裁決定は,次のように言っています(この決定は,具体的な事案における判示に大きな意義があるので,その部分を抜粋します)。

本件差押は、暴力団組長である被疑者が、組員らと共謀の上債権回収を図るため暴力団事務所において被害者に対し加療約一箇月間を要する傷害を負わせ、かつ、被害者方前において団体の威力を示し共同して被害者を脅迫し、暴力団事務所において団体の威力を示して脅迫したという、軽視することのできない悪質な傷害、暴力行為等処罰に関する法律違反被疑事件の捜査として行われたものである。しかも、本件差押は、被疑者、共犯者の供述が不十分で、関係者の供述も一致せず、傷害事件の重要な部分を確定し難かったため、真相を明らかにする必要上、右の犯行状況等を収録したと推認される本件ビデオテープ(原決定添付目録15ないし18)を差し押さえたものであり、右ビデオテープは、事案の全容を解明して犯罪の成否を判断する上で重要な証拠価値を持つものであったと認められる。他方、本件ビデオテープは、すべていわゆるマザーテープであるが、申立人において、差押当時既に放映のための編集を終了し、編集に係るものの放映を済ませていたのであって、本件差押により申立人の受ける不利益は、本件ビデオテープの放映が不可能となって報道の機会が奪われるというものではなかった。また、本件の撮影は、暴力団組長を始め組員の協力を得て行われたものであって、右取材協力者は、本件ビデオテープが放映されることを了承していたのであるから、報道機関たる申立人が右取材協力者のためその身元を秘匿するなど擁護しなければならない利益は、ほとんど存在しない。さらに本件は、撮影開始後複数の組員により暴行が繰り返し行われていることを現認しながら、その撮影を続けたものであって、犯罪者の協力により犯行現場を撮影収録したものといえるが、そのような取材を報道のための取材の自由の一態様として保護しなければならない必要性は疑わしいといわざるを得ない。そうすると、本件差押により、申立人を始め報道機関において、将来本件と同様の方法により取材をすることが仮に困難になるとしても、その不利益はさして考慮に値しない。このような事情を総合すると、本件差押は、適正迅速な捜査の遂行のためやむを得ないものであり、申立人の受ける不利益は、受忍すべきものというべきである。

このように,裁判例は,将来の取材の自由にも配慮した判示をしているものの,それを踏まえても,フィルム・ビデオテープが重要な証拠価値を有する等の理由から各提出命令・差押許可は正しかったとしています。

他方,マスコミは,このように提出命令や差押を受ける場合だけではなく,刑事裁判で検察官・弁護人が自主的に証拠として,テレビ放映された番組を録画したビデオテープを裁判所に提出したような場合でも,抗議をすることがあります。民事裁判でもそのようなことがあります。

 

私は次のように考えます。

テレビ局が放映した映像を裁判の証拠として用いることにより,漠然と考えれば,将来の取材活動に悪影響を及ぼすおそれがないとはいえません。

しかし,その映像は,誰でも視聴できるように発信した情報であるので,もともと誰でも知ることができたわけです。それを裁判で証拠として提出しても,具体的に将来の取材活動にどのような悪影響があるのか,容易に想定はしづらいです。

他方で,未放映の映像については,差し押さえられると報道の機会が奪われる(未編集の場合),というのはもちろんですが,ジャーナリストが取捨選択(または未編集)の末に放送していないものを強引に見ることで,捜査機関や司法が報道機関の取材源に土足で踏み込むような形になります。何らかの理由で放送に適さない映像が証拠として用いられ,その映像の内容が世間に知られることにより,報道機関が信用を失い,将来の取材活動に悪影響を及ぼすということが現実味のある話に感じます。

よって,提出命令や差押の可否等を検討するにあたっても,当該映像がどのような段階にあるものなのかが重視されるべきだろうと思います。そういう意味では,私は,放映済み映像については,裁判の証拠化について比較的積極的な意見です(捜査機関,特に警察による差押については極力抑制されるべきだとは思いますが)。

ただ,最近の佐村河内守さん,小保方晴子さん,『ガレキとラジオ』・・・ばかりではないですが,マスコミ(特にテレビ局)が映像を駆使してセンセーショナルに継続的に取り上げることで,真偽の怪しいことを本当のように信じ込ませたり,イメージを実際以上に美化・悪化させたりすることができるわけです。いかにもノンフィクションであるかのようにドラマ(フィクション)を作ることもできるわけです(『放送禁止』シリーズなど)。そんなこんなを考えると,いかにも本当らしい映像(編集後,編集前にかかわらず)が証拠として提出され採用されたときに,法律家がその内容の真偽を見抜けるのかといえば,難しいかもしれません。そういう意味では,証拠としての取扱いは,非常に慎重になされるべきだと思います。

逮捕情報の公表・報道はどうあるべきか?

※記事をお読みになるにあたっての注意点※ 金沢法律事務所(弁護士 山岸陽平)では、「逮捕されたとき(起訴、判決時)の報道発表を食い止める」という弁護活動を行っていませんのでご了承ください。

被疑者は報道によってダメージを受けることが多い

刑事事件の弁護をしていると、自分や家族の逮捕が報道されたかどうか気にする人が非常に多いです。

人によっては、逮捕されたという事実そのものよりも、逮捕されたことが報道されたという事実により精神的ダメージを受けます。また、精神的ダメージだけではなく、経済的なダメージにも結び付きやすいです(勤務先を自主退職に追い込まれたり、現実的に客商売ができなくなるなど)。

特に、ムラ社会なコミュニティにおいて実名報道がされると、非常に厳しいものがあります。

このように、報道により被報道者(=ここでは被疑者)が受ける損害はただならぬものがあると言ってよいでしょう。

なかには、逮捕されずに、略式命令(略式起訴)で罰金を科せられて終わる刑事事件もありますが、そういう取扱いと逮捕された場合の感覚は、天と地ほどの差があると言っても過言ではありません。前科としては、まったく同じ意味を持つのですけどね…。

事件報道により報道の受け手が享受する利益は?

一般に報道機関による報道は、国民(市民)の知る権利に資するものです。

ここで、知る権利と言っても、他人が隠したいことを興味本位で暴くということを実現するための権利ではありません。

事件報道の関係では、何を実現するために「知る」意義があるのでしょうか。

それは、まず、行政(警察も行政です)が間違いなく仕事をしているかチェックするためです。以前の記事でも書きましたが、逮捕されるべきでない人を逮捕しておいて、そのことについて警察が発表もしなければ、行政に都合が悪いというだけで根拠なく逮捕しても、その是非が検証されずにうやむやにできてしまうおそれがあります。国民主権のもとで警察も動いているので、警察が何をしているのか国民が知るのは当然だという考え方です。

また、凶悪な事件に関しては、周辺住民が身を守るため、という理屈立てもあるかもしれません。あとは、ぶっちゃけて、誰が犯罪に手を染めたのか知って警戒するため、という欲求が大きいかもしれません(いや、しかし、私は、それを逮捕直後、警察発表に基づいてやるのはどうなんだろう…と思います)。

石川県における報道の問題点

北國新聞、北陸中日新聞

北國、北陸中日の2紙は、警察発表を基本的にそのまま記事にしているようです。

ですから、非常に微小な案件でも、ほぼ漏れなく実名で掲載されます。たとえば、数十円の物品の窃盗や運転免許証の提示拒否で逮捕されても掲載されます。(ごくたまに、逮捕されても掲載されていない案件もありますが、どのような基準で漏れ落ちているのか詳しいことは知りません。そのような案件も、勾留段階や起訴段階で検察庁が報道機関に情報提供して載ることがあります。)

これにより、石川県では、逮捕された場合、周囲の人は基本的にみなそれを知っている(報道されなければ運がいい?)、という前提になってきます。

この2紙は石川県内でのシェアが高く、多くの被報道者(被疑者)にダメージを与えているといえます。

警察がしっかり発表していなかったり、マスコミがちゃんと取材できていなかったりして、事件のあらましや被疑者の言い分が誤って報道されていることもしばしばありますが、後日訂正されることはほとんどありません(訂正を兼ねて再度報道されるのもイヤでしょうし、あまり初期報道に抗議することは多くないというのもあります)。

ただ、北國新聞と北陸中日新聞は、紙面に載せた逮捕情報をそのままインターネット掲載するということはありません。さすがにそれをすると大変なことになる、ということをわかってるんでしょう…。

ネット掲載

多くの事件は、北國・北陸中日の逮捕時の報道だけで終わります(場合によっては、勾留の有無や裁判の報道もあります)。しかし、地元テレビ局や全国紙の支局記者が注目する事件になると、テレビで流れたり、インターネットに掲載されたりします。

どういう事件がそうなりやすいかというと、

1 結果が重大な事件(人が死亡した場合、重傷を負った場合、大きなお金が絡む場合)

2 関係者(被疑者や被害者)の職業や知名度などにニュースバリューがある事件

3 連続的な犯罪の場合

4 ちょっと変わった方法での犯罪の場合(目につきやすい、ネタにしやすい等)

といったところでしょうか。

地元テレビ局には報道したニュースを掲載するサイトを用意しているところも多いですが(ITC、MRO、HABなど)、北國新聞や北陸中日新聞のように原則全件報道というわけではありません。ですので、結局のところ、報道機関がニュースバリューありと判断したものがネットに載り、後日逮捕情報が検索しやすい状態で残ってしまうという形です。

「社会的制裁」のありようが地方によって大きく異なるのもおかしな話では

社会的制裁については、正式裁判になっても判決では大きく考慮がされることはほとんどありません。

「報道によって仕事を辞めなくてはならなくなった」というのなら、まぁそれも考慮するか、という程度であり、「報道により社会復帰に支障をきたしている」という漠然とした主張では取り上げてもらいにくいと言っていいです。

しかし、既に述べたとおり、逮捕時の実名報道が実質的な社会的制裁になっていることは間違いないところです。周りを気にせず生きていけばいいといえばそうなのかもしれませんが、みんなが周囲を気にするような社会であればなかなか難しいところです。

こういう取扱いが公の議論の結果、各都道府県でなされているのなら、それは根拠のある扱いなのかと思うのですが、実際には各都道府県での取り扱いについてそんな議論がなされた経緯は聞いたことがありません(全国メディアでは、被疑者の実名報道の基準について議論されたことがあるようですが、地方紙についてはどうなんでしょう…。そもそも特定トピックについて各県で議論してることがあまりないですよね。)。

「公の機関が発表しているから、基本間違いない」、「警察が実名で発表するから、載せない理由はない」、「疑われるようなことをした者にも責任はある」、「知りえた情報を載せることで部数を稼げるなら載せる(ライバル紙も載せているし、載せなくなったら部数が奪われる)」、「警察の顔を立てることで、取材もしやすくなる」というようなのが現実的な理由で、たいした議論もなく続いているのかなと思っています。

私は、各都道府県の地元紙の報道のありかたを熟知しているわけではありませんが、全都道府県で、同じような事件を起こした時に、報道されるかされないか、大きな違いがあることは確実です。特に、大都市部と田舎県では大きな違いがあるでしょう。

各都道府県の報道機関や警察の取り扱いによって、被疑者被告人がどれだけ実質的な社会的制裁を受けるか大きく異なるというのも、ちょっとおかしな話だと思っています。

逮捕情報のネット掲載(匿名)をしている警察もある

ここで私が注目しているのは、匿名で逮捕情報をネットに掲載している自治体警察の存在です。

たとえば、北海道警青森県警長野県警大阪府警奈良県警広島県警島根県警山口県警愛媛県警福岡県警佐賀県警長崎県警です。他にもあるかもしれませんが、ざっと。

全件載せているかどうか、これ以外の報道機関向け発表はどうなっているか、という問題もありますが、これで「行政の動き」としては把握できるし、報道機関が警察からの「又聞き」で被疑者の言い分をもっともらしく発表する→そしてだれも「誤報」の責任を取らないという流れに比べれば、警察が自己の言い分を発表しているということですっきりします。

こうやって行政機関が直接国民・市民に情報を提供することができるようになっているわけで、こういう仕組みを生かして、行政は国民・市民のチェックを受けてほしいと思います。地元報道機関に対して発表するのでそれを通じてチェックしてもらえればいい、という考え方も全否定はしませんが、時代に合わせた工夫の仕方があるのではないかと考えます。

これについては、また機会があればさらに書きたいと思います。