反対尋問を経ない陳述書の証明力について

最近、私が担当している民事訴訟で、証拠として関係者の陳述書を提出する機会がありました。

提出先は地方裁判所です。

弁論準備手続でその陳述書を取り調べたとき、裁判官がある発言をしたのですが、それは後述します。

この裁判官の発言を聞いて、以前簡易裁判所で経験した理不尽なことを思い出したのでした…。

陳述書って?

裁判所の民事訴訟では、「陳述書」を多用します。この陳述書、どういう位置づけかというと、訴訟での法律上の「主張」を裏付ける「証拠」です。要するに、証明したい事柄を記した書面ではなく、証明したい事柄を証明するための材料そのものです。

この、「主張」と「証拠」の違いが非常に重要なポイントです。

訴訟では、何も証拠を出さないと、相手が自分から認めない限り、「主張しているだけで証拠がない」という扱いになります。ここでいう「証拠」というのは、たとえば、契約書のようなもの、日記のようなもの、写真のようなもの、誰かの証言、現地を検証した結果などです。これは、訴訟の類型によって本当に千差万別です。

このうち、誰かの証言というのは、主に法廷で行われる証人尋問とか本人尋問のことです。証人や本人(原告や被告)が話したことが証拠になります。もちろん、言うだけで全部正しいとはなりません。他の証拠などによる裏付けがなければ、証明力(事実を証明する力)が弱くなります。証言の証明力もさまざまなのです。また、反対尋問と言って、相手方は証明力を崩すための尋問をしますので、一見もっともらしく証言しても、逆効果になることもあります。

ところで、現在、日本の裁判所では、ぶっつけで証人尋問や本人尋問をすることは少なく、事前に証人・本人を作成者とする「陳述書」を提出させます。これによって、裁判官は、事前に証人の発言内容を予測して、的確に発言を捉えることができるようになります。また、反対尋問をする相手方は、陳述書を参考にして反対尋問の準備をします。

こうした陳述書の作成者は、そこに名前を書く人(名義人)ということになります。

しかし、実際には、こうした陳述書の作成過程というのは多様です。名義人が自分で構成して仕上げるということもあります。弁護士が名義人から事情を聴き取ってそれを書面化し、名義人がその内容を確認の上署名押印するという場合もあります。弁護士が代理人に付いている訴訟の場合は、弁護士の手で証拠を裁判所に提出するのが通常ですので、どちらかといえば、弁護士が内容をまとめることのほうが多いでしょう。

このように、弁護士が話を聴き取って陳述書の内容をまとめるということ自体は、特に問題なく行われています。このようにして出来上がった書面であっても、作成者は名義人です。もちろん、名義人自身が書面の内容と自分の記憶をしっかりと照合して、内容に間違いのないことを確認した上で、署名押印をする必要があります。それをいい加減にしていると、証人尋問のとき、名義人自身が述べていることとして陳述書に書かれていることなのに、「そんなこと知りません」とか「違います」ということになって、陳述書の内容全体の信用性がガタッと落ちてしまいます。

逆の観点から言えば、陳述書におかしなこと(特に、重要な客観的証拠に反する内容)が書かれている場合、訴訟の相手方は、証人尋問(反対尋問)のときに、陳述書の名義人に対し、それを問いただす質問ができるということになります。陳述書というある意味「書き放題」な書面は、そうした反対尋問を経ることで、その信用性が測定されるわけです。

反対尋問がされないとき、陳述書は…

冒頭の話に戻ります。

私は、関係者が作成した陳述書を提出しました。しかし、重要な争点との関連性が薄いこともあり、私はその関係者の証人尋問を申請しませんでした。

相手方も、その関係者の証人尋問を申請せず、裁判所も職権で尋問することはないようでした。

この場合、この陳述書は、言いっぱなしになります。ここに書かれたことはどう扱われるべきでしょうか?

ここで、裁判官の発言がありました。「反対尋問を経ていない陳述書ですので、相応の証明力になります。」という趣旨の発言でした。

私は、陳述書を提出した側ですが、この考え方については、一般論として賛同します。争いのある争点について、その関係者の述べることを柱に立証したいという場合には、立証したいと望む側がその関係者を証人申請して、相手方に反対尋問の機会を与えるべきであると思います。そうやって、反対尋問の洗礼を浴びてもなお、その関係者の述べることに真実味があると判断できる場合には、その陳述書や証言に高い証拠価値が置かれることになるべきです。

私の、簡裁での理不尽な記憶とは…

ここで、次のような考え方もあるかもしれません。

陳述書を提出した側がその関係者の証人申請をしない場合に、相手方もその関係者の証人申請をできるのではないか? そうやってスルーしたということは、反対尋問権の放棄と考えて、裁判所がその陳述書を根拠にして自由に事実認定してしまってよいのではないか? (特に、その関係者が裁判所に出て来られないような特段の事情がない場合です。)

しかし、このような考え方は妥当ではないと私は思います。陳述書を出して証人申請しないという場合、そこに書かれたことを単にそのまま引用して判決を書かれても困るので、相手方が証人申請しないといけなくなります。相手方の証人を裁判所に同行するわけにもいかないので、裁判所を通じて呼出状を出してもらい、旅費や日当なども仮に負担したりしなければならなくなります。

これは明らかに実のない駆け引きです。こういう事態を誘発しないように、陳述書を出した側(立証したいことがある側)がその陳述書の作成者を証人申請しない場合には、相手方が作成者を証人申請しなくても、陳述書の証明力はそれ相応に取り扱われるべきでしょう。

この考え方は、法曹一般に理解されていることだと思っています。

しかし、弁護士になって間もない頃、私は、簡易裁判所で理不尽な思いをしました。私が被告側を引き受けていた民事訴訟でのことです。

大まかな事件の構図を言うと、両者の押印のある典型的な契約書があり、相手方(原告)がその契約書の内容とは異なる契約内容を主張しているという事件でした。相手方(原告)は原告本人の陳述書を提出しましたが、それは弁護士がまとめた作文のような内容で、原告本人尋問も申請しませんでした。被告申請により、被告関係者の尋問だけが行われました。

ところが、判決には、「被告は原告の陳述書の作成の真正を争っておらず、原告の陳述書を証拠とすることに同意している」とか「原告の陳述書は具体的で迫真性を有するから信用できる」「それに反する被告の主張は採用できない」というような意味合いのことが書かれていて、契約書は無視されてしまい、陳述書に書かれた契約内容がそのまま事実として認定されてしまいました。

私は、この判決を読んで、簡易裁判所の場合は、裁判官役の人が法律家の常識を備えていない場合もあるのだと知りました。これ以降、かなり警戒感を持っています。

ただ、このときの対応に関しては、私もかなり甘かったのだと思います。その簡裁判事は、「原告自身がこの陳述書を作成したという点については、被告も争わないのですね」ということをわざわざ確かめてきたことがあったのです。刑事事件で、弁護人が、検察官や警察官作成の被告人供述調書をそのまま証拠とすることに同意するかしないか意見を言うシステムがあるのですが、その裁判官役は、どうやらそのやり方で証拠とすることの同意をとってしまえば陳述書の内容をそのまま判決にできると思ったようなのです。その頃の私は、判決を読んではじめてその発言の意図を知った未熟者でした。イヤな予感はしていたのですが、本当にそうだったのか、という…。

なお、その判決書には、私の名前の前に

訴訟代理人弁護人って書かれてました。

いや、私、刑事事件の弁護人じゃないんですが…。何の法廷だったのか。

その後も、簡裁ってどうかな、と思う出来事がいくつかあるんですが、この件が最も強烈で、ずっと忘れません。

最近、こちらが訴えた簡裁の事件で、相手方(被告)の弁護士が、移送の上申書ではなく、うまく準備書面で移送をやんわりと促していて、簡裁判事もそれを読んで地裁に移送していました。ベテランになると、簡裁判事の顔を潰さず移送させるうまいやり方を持っておられるのだなぁと思いました。

今回の地裁の裁判官の発言で、苦い思い出をまた思い出し、それとともに、地裁はまだ基本的な部分で信頼できるなと思った次第です…。これからも経験を積み重ねて、いろいろな事態に対応できるよう努めていきたいと思っています。