有罪に導く検察官の供述調書ライティング技術

八田隆氏のブログから

所得税法違反の罪に問われ東京地検特捜部により起訴された八田隆氏(元クレディ・スイス証券勤務)のブログに、検察官がどのように取り調べをし、供述調書の作成をしようとしたか、書かれています。

検察特捜部の取調べが始まる前に、主任弁護人の小松正和弁護士に説明されたのは、調書における符牒でした。通常、調書は一人称で書かれます。第三者の検察官が作成しながら、文章は「私は」で始まる文体になっています。しかし、検察官が「この被疑者は嘘をついているな」と思われる部分は問答形式になります。

一人称の文章の中に突然、
検察官「~ではないのですか」
被疑者「いえ、それは~です」
という問答形式の会話が挿入されます。これが検察官による符牒です。

私はそれを聞いていたため、案の定、検察官がそのような問答形式の文章をはさんで検面調書を作成し始めた時に、徹底的に抵抗しました。

かなりの長時間、検面調書の様式に関し怒鳴り合いが続き、その中では「どうして我々が怪しいと思っていることを裁判官に伝えることがいけないんだ!」という検察官の言葉もありました。

結局、根負けした検察官の選択は、裁判官も見たことがないであろう、全て問答形式の調書でした。小松弁護士の事前の情報インプットがなければ、そうした調書は生まれなかったものです。

#検察なう (352) 「起訴前弁護の重要性」 12/5/2013

問答形式は常套手段

八田氏の場合

このように、東京地検特捜部の検事は、八田氏の供述調書に問答形式を入れ込もうとしたようです。

このやり方が特捜部独特のものかというと、決してそんなことはありません。

各都道府県にある検察庁(地検)の検事は、同じように問答形式の調書を作ることがありますし、各都道府県の警察官も問答形式の調書を作ることがあります。

八田氏の調書は、弁護人のアドバイスを受けて捜査に対応した結果、すべて問答形式で統一されているという、かなり珍しい調書になったようですが、本来検察官や警察官が目指す調書はそのようなものではありません。八田氏は、弁護人の好プレイにより、致命的な供述調書をとられることを防いだといえます。

供述調書の役割

検察官(警察官にも同じことが言えますが、以下では「検察官」と書きます)は、検察官自身の書面として「供述調書(供述録取書ともいいます)」を作成します。供述調書は、検察官が自分の名前で作る書面。まずは、これが重要ですから、押さえておいて下さい。

通常、被疑者(被告人)が犯行を認めているようなときには、被疑者が話したことを検察官が再構成して、あたかも被疑者が一本のストーリーをすらすらと語っているようにして、検察官が調書を書きます(これを「物語形式」といいます)。そして、内容を被疑者に読み聞かせ、そのように供述したことで間違いないということを確認させた上で、被疑者に署名・押印(指印)してもらい、最後に検察官が署名押印して一丁上がりです。

大雑把に言えば、こうやってできあがった調書は、被疑者(被告人)が裁判所において自分の口で話すことと同じくらい、いや、それ以上に重視される傾向にあります。

検察官が再構成していることもあり、検察官が裁判所に提出する他の証拠(関係者や被害者の証言等や物証等)と一致し、論理的で筋が通っていて、読みやすいものになっているのです。

被疑者(被告人)が検察の見立てに乗らない場合

被疑者(被告人)が否認しているときには、検察官は、できるだけ有罪にもちこめるような証拠を作るため、供述調書を一工夫します。

まず、争っていない部分については、通常通り「物語形式」で調書を作成します。他の部分では文句があるかもしれないけど、ここは文句がないだろう、というわけです。

そして、争っている部分については、「問答形式」を使います。八田氏がブログで書いている形式です。

たとえば、

検察官「あなたは、そのとき、○○にいたのか。」

被疑者「そのときそこにはいませんでした。そこには行った記憶がありません。」

検察官「では、あなたの指紋と酷似した指紋が○○の食器から見つかったのは、なぜか。」

被疑者「私にはわかりません。」

というような感じです。

怪しいのに認めていない、これだけ不利な証拠があるのによくわからない弁解をしている、ということを読み手(裁判官)に印象づける手段です。

検察官は、この「問答形式」の部分について、被疑者が難色を示すと、たとえば、「あなたが答えたとおり書いているではないか、しゃべったことと書かれていることが違っているというなら、言うとおり直すから、指摘しろ」というようなことを言います。そして、この問答も含めて、被疑者が語ったこととして、調書を作ろうとします。

「部分的な問答形式」の落とし穴

そうやって、被疑者は、一応は自分の言い分も書いてもらったから、ちょっと不本意だけれども署名・押印するしかないか、ということで、応じがちです。

しかし、特に複雑な事件の場合によく言えることですが、検察官が被疑者に見せていない証拠の中に被疑者の弁解と一見矛盾するものがあったり、他の調書でサラッと書かれていることが被疑者の弁解と矛盾するようになっていたりすることがあります。

また、はっきり矛盾していなくても、いかにも怪しい点として、「問答形式」の部分が浮かび上がるようになっており、裁判になってからその部分だけ争っても、その調書をもとに、全体的に検察官のストーリーに信用性が認められる、という効果をもたらしがちです。

このほかにもいろいろある

検察官は、裁判官に有罪判決を書かせる、すなわち被疑者・被告人を有罪に導く技術をこのほかにもたくさん持っています。

たとえば、一旦できあがった調書を読み聞かせたときに、被疑者が「内容があまりにおかしい、直してくれ」と申し出たとします。検察官は、被疑者が指摘した点について調書を書き足して訂正します。しかし、検察官は、それに応じた上で、裁判になったときに、その調書の他の部分について被疑者・被告人が争うと、「訂正してほしい、という部分は訂正したのだから、その他の部分は間違いないとはっきり認めた、ということだ」と主張することがあります。

被疑者としては、元の調書よりはマシになったと思って署名押印したつもりでも、裁判になると、それを逆手に取られる、ということです。

こういうやり方は、必要な手段という側面もあるのでしょう。しかし、検察官にいろいろな手法を駆使された結果、本来は有罪といえるか非常に微妙であるのに、巧妙・強引に有罪に持ち込まれたというケースもあるように思います。

特に、八田氏の場合には、逮捕されずに在宅起訴でしたが、逮捕勾留されている中で取り調べを受ける心理は、相当厳しいものがあります。初めて逮捕されるような人が、そのような状況で、警察官・検察官の取り調べに1人で対応できるわけがないと思います。

弁護士は、検察官と違い、基本的には個々で活動しているので、いろいろな事件における経験をまるっと共有するわけにはいきません。ただ、その分、自分の経験から推し量って考えたり、他の弁護士の経験を知る機会があればどんどんと学び取っていかなければならないと思います。