北陸新幹線ルート問題について

北陸新幹線は、2015年3月に東京・金沢間が開業しましたが、今後、2022年度に福井県の敦賀まで開業するということです。
しかし、その先の大阪へのルートがまだ決まっていません。

もともとの北陸新幹線の計画(1973年)では福井県の小浜を通るとされていて、そこから京都府の亀岡を通り、新大阪まで行くというふうに考えられていました。
また、それとは別に、北陸から琵琶湖東岸を通って名古屋に行くという、北陸・中京新幹線計画というものもありました(これは立ち消えに)。

その北陸新幹線の計画に基づいて小浜を通るルートを「小浜ルート」とか「若狭ルート」といいます。

「小浜ルート」の主な難点は、建設費が高いこと、建設に時間がかかりやすいこと、京都市に駅を作れないこと、名古屋へのアクセスもよくないことなどです。

そこで、別の案として、琵琶湖の西岸を通って京都駅付近で東海道新幹線に接続する「湖西ルート」や滋賀県の琵琶湖東岸の米原駅で東海道新幹線に接続する「米原ルート」が提唱されているところです。

「湖西ルート」の主な難点は、建設費が安くはないこと、強風により運行に支障が生じやすいこと、京都での接続に難があること、名古屋へのアクセスがあまりよくないこと、滋賀県がJR湖西線の第三セクター化に難色を示すことなどです。

「米原ルート」の主な難点は、JR東海の運営する東海道新幹線への乗り入れが非常に困難であること(当初は米原での乗り換え等が発生しかねないこと)、大阪・京都への速達性がやや失われることなどです。

これらの案には一長一短あり、またそれぞれの短所がなかなか厄介な問題であるところ、いずれの案にも決まらないままになっています。

そこへ、今年8月になって、JR西日本が「小浜・京都ルート」を新たに検討し始めました。
想像ですが、JR西日本としては、東海道新幹線への乗り入れや接続ということはとにかく避けたいということなのでしょう。
そして、北陸の人々にとっては、京都駅へのアクセスというのがかなり大きな要素でしたので、その意味で従来の「小浜ルート」の難点がかなり解消される案になっています。
ただ、京都駅以南の路線整備にかなりのコストがかかる(従来の小浜ルート並みかそれ以上になる)上、路線が曲がるので時短効果が薄れるというところがあります。

運営主体となるJR西日本が持ち出してきた案であり、JR東海との調整を避けられる可能性があること、京都・大阪へのアクセス重視をする人たちの意向におおむね合致すること、関西自治体の利害にも合うことなどから、最有力に急浮上してきた案であるように思われました。

さらには、京都府選出の西田参院議員も、小浜・京都ルートを前提として、関空へのアクセスについてのさらなる構想を語るなど、かなり勢いがついてきた感があります。

石川県議会は、2015年の10月に、「米原ルート」に早期決定するよう国に求める決議をしたのですが、石川県民が大阪方面に行く場合に敦賀どまりになる期間を短くしたいというところからの発想のように思えます。これは近視眼的であるといえますし、JR西日本が小浜・京都ルートを提示した後でしたので、時期外れのナンセンスなものになってしまいました。
この石川県議会の決議では、米原ルートに特定しない案も少数会派から出されており、通常はそれを先に審議するルールになっているところ、多数会派はその審議をとばしてまでも「米原ルート」を決議してしまいました。

石川県が今後、「米原ルート」を実現したいのであれば、福井県・富山県と共同歩調を取り、JR西日本やJR東海を説得することが必要でしょうが、そのようなことはまずできないでしょう。

私としては、小浜・京都ルートは妥協案ではありますが、妙案という評価ができるように思います。政治的にも「地雷」をうまく回避できており、さらに関西の意欲を引き出すことの可能な案です。福井県はもちろん前向きでしょう。それに、富山県も、現在金沢乗り換えという不都合を味わっている中で、今後敦賀乗り換え→米原乗り換えということになるよりも、再び一本で京都や大阪へ行けるようになる希望を持ちたいと思うでしょう。そして、最もカギになるのは、先ほど述べたJR西日本の意向です。
よって、今後、小浜・京都ルートへの趨勢が強まっていくでしょう。
そのような中で、北陸各県は、これまでの持論を差し置いて、小浜・京都ルートを前提とした(またはそれを強く推進させるような)動きを取ることがよいのではないかと思うのですが、どうでしょうか。

上脇元神戸市議の事件で大阪高裁が再審を認めた

私はこれまで上脇義生氏の事件のことや再審請求のことを知らなかったのですが、今般の報道で初めて知り、注目しておかなければならないことであるように思ったので、私なりにまとめておきます。


【概要(ニュースや上脇氏のサイトを読んでまとめたもの)】

上脇義生・元神戸市議は、知人の元風俗店経営者に脱税の指南をした疑いをかけられ、2008年に逮捕・起訴され、2010年6月に国税徴収法違反の罪で有罪(懲役1年6月、執行猶予3年)が確定していた。

上脇氏は、起訴後に市議を辞職したが、一貫して無実を主張していた。
元経営者の証言や元従業員の供述調書などを主な根拠にして有罪が認定されたものであった。
しかし、元経営者は、検察に誘導されて本当でない内容の調書作成に応じ、公判でも虚偽を述べたことについて、2013年夏の元経営者の執行猶予期間(5年)明け後に上脇氏に真相を告白した。
上脇氏は、2014年8月、元経営者や元従業員が詳細に真相を語った陳述書などをもとに、神戸地裁に再審を請求した。陳述書は、上脇氏に脱税の指南を受けたものではないことを述べ、なぜ上脇氏に指導を受けたかのような調書や証言になったのかについて理由を語るものであった。

神戸地裁は、2015年2月、証人尋問をすることもなく、再審請求を棄却した。それに対し、上脇氏は大阪高裁に即時抗告した。
大阪高裁は、2015年3月、元経営者に対する尋問を行うことに決めた。5月28日に行われた証人尋問では、元経営者が上脇氏の事件への無関与を具体的に述べた。7月には、上脇氏側と検察側の双方から大阪高裁に対して最終意見書が出し合われた。
そして、

2015年10月7日、大阪高裁(的場純男裁判長)は、「共謀の認定には合理的な疑いが残る」と述べ、神戸地裁の再審請求棄却決定を取り消し、再審開始を決定した。


【私の感想】

捜査機関の事件の見立てが外れるケースがあるのだ、そして、関係者(特に捜査機関)はそういう可能性をよく踏まえて取り組まなければ冤罪を招いてしまうのだ、ということを改めて実感する。

捜査機関は、強力な権限や駆使できる影響力を持っているので、調べようとすること・集めようとする証拠には非常に手が届きやすい。捜査機関は、そうして集めた客観的な証拠や動かしがたい証言をもとに、事件の筋を探し当て、刑事裁判で被告人を有罪にして適正な刑を与えるため、見定めた事件の筋に沿う証拠をさらに集めて固めていくという作業をする。

人間は、過去のある時点・ある地点に行って見たいものを直接見てくるわけにはいかないので、何があったかを考える作業は、必然的に推測によるところが出てくるものである。そのこと自体は能力に限りのある人間が社会を作っていくためには致し方ない。そうした過去の出来事についての推測をする際に誤りが入り込む可能性は低くはない。特に、少人数の人間の発言やそれを書き取ったというものによる場合には、大なり小なりの誤りは入り込む。実際のところ、裁判では、少々の誤りや曖昧さについては、ほとんど無視するようにして判断が下されることもある。過去のことを100%の精度で解明・表現することはできないので、ある程度割り切って結論を示しているようなところがある。

まず問題にすべきなのは、捜査機関の見立てについて、「筋を大きく読み違えていないか」ということ、それに「信用できない証拠が混ざっていないか」ということである。

上脇氏の件で、検察は、別の可能性はないのか、仮説に合致しない証拠がないのか、冷静・公平な目で検討しながら進めることができていただろうか? 真実の可能性がある反対説が浮上したとき(当事者や関係者の誰かが反対説に基づく検討を求めたときなど)に、それに目を向けない、検討しようともしない態度を取らなかっただろうか? 捜査機関が一旦固めようとした筋に固執し、それに反する証拠を排除したり、むしろ筋に合致する証拠を無理に作っていくということをしなかっただろうか?

いわゆる「共犯者供述(証言)」に基づいて有罪に持ち込もうとする場合、そうした無理が生じやすい。しかし、裁判所は被告人の主張の排斥するための論理をパターンごとに用意しているので、単に実際のストーリーを述べ、「彼(共犯者)には虚偽を述べる動機がある」とだけ主張したところで、あっさりと主張が排斥されてしまう。上脇氏の件でも、公判の際、上脇氏は無実の主張を貫き、「共犯者」の主張のおかしさや虚偽を述べる動機についてさんざん主張しただろう。それでも有罪になるということである。

そして、一旦確定した判決を覆すというのは非常にハードルが高い中、再審請求審の神戸地裁があっさりと請求を棄却し、辛うじて大阪高裁で救われたようなものが今回の結果である(ただ、検察が最高裁に特別抗告する可能性はある。)。

元経営者の陳述書(上脇氏サイト)を読むと、裁判所が元経営者の当初の法廷証言を信じた理由がどのようなものであったのか、また、実際は信じるべき証言でなかったことがわかる。


【司法取引の話】

今後、約2年以内には司法取引が導入されるけれども、弁護人が基本的には個々に勉強して取り組んでいくことになる中、捜査機関は一体になってリソースを活用して取り組むことが想定される。司法取引は、こうした経済事件で、はっきりとした証拠が残らない点について最も活用されるはずの制度であると思われる。見立てが間違っている可能性に目をつぶり、とにかく有罪という結論に持っていくためのツールとして司法取引が使われるならば、冤罪のおそれは高まってしまうだろう。

逮捕時の実名報道による名誉毀損

逮捕時に実名報道がなされ、逮捕・勾留後に不起訴処分となった件での判決

私は特段フォローしていたわけではないが、こうした訴訟があり、最近判決が出たということだ。

http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2015093000868
(時事通信)

毎日新聞に55万円賠償命令=不起訴男性の名誉毀損-東京地裁

愛知県警に偽造有印私文書行使容疑で逮捕され、不起訴処分となった東京都の介護士佃治彦さん(57)が、逮捕時の実名報道によってプライバシーを侵害されたなどとして、朝日、毎日、中日の新聞3社に計2200万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が30日、東京地裁であった。阪本勝裁判長は毎日新聞に55万円の支払いを命じ、他2社への訴えは棄却した。
阪本裁判長は、3社の実名報道によるプライバシー侵害は認めなかった。一方で、毎日が逮捕容疑を「有印私文書偽造、同行使」と書いた点について「真実とは言えない」と指摘し、名誉毀損(きそん)に当たると認定した。
判決によると、佃さんは2010年2月、偽造された契約書を民事裁判で証拠として提出したとして逮捕されたが、一貫して容疑を否認。同年3月に不起訴処分となった。
毎日新聞社の話 判決内容を十分に検討の上、対応を決める。(2015/09/30-19:06)

http://www.sankei.com/affairs/news/150930/afr1509300029-n1.html
(共同通信の配信記事)

実名報道「意義大きい」 容疑誤報には賠償命じる

愛知県警に逮捕され不起訴となった佃治彦さん(57)が「実名報道で被害を受けた」などとして新聞3社に損害賠償を求めた訴訟の判決で、東京地裁は30日、「容疑者の氏名を公表する社会的意義は大きい」として、朝日新聞社と中日新聞社への請求を棄却した。逮捕容疑を誤って報道した毎日新聞社には、名誉を傷つけたとして55万円の支払いを命じた。
判決によると、佃さんは平成22年2月、偽造有印私文書行使容疑で逮捕されたことを3社に実名で報じられ、翌月不起訴処分となった。佃さんは、軽微な事件を実名報道する必要はないと主張したが、阪本勝裁判長は「容疑者を特定することで報道内容の真実性が担保され、捜査が適正か監視できる」と退けた。
判決後の記者会見で佃さんは控訴する方針を示した。毎日新聞は「判決を検討して対応を決めたい」、朝日新聞社広報部は「主張が認められた」、中日新聞は「妥当な判断だ」とのコメントをそれぞれ出した。

この件特有の事情もあるだろうが、それを捨象して一般論として考えると、有名でない市井の人がさほど社会的に緊急性・重大性のない事件で逮捕されたようなときに、すぐさま報道されてよいのか、という問題がありそうだ。

この問題に関しては、今回、朝日新聞社と中日新聞社への請求が棄却されたように、報道内容の真実性の担保、捜査の適正の監視、といったことを重視し、名誉毀損などの不法行為への該当を否定するのが現在の司法の主流的考え方だ。

報道内容に誤りがあった場合

しかし、今回、毎日新聞社への請求は一部認容された。それは、報じた被疑罪名に誤りがあったためであるようだ。
今回の間違い方のパターンだと、警察が誤った内容を報道機関に教えたというものではないし、誤りであることがはっきりしているので、毎日新聞社の記者が誤ったのだと判断しやすかったというところがあるだろう。
私の経験上、新聞報道に書かれていることが被疑事実や逮捕前後の経緯とは食い違っているということは、ときどきあることである。ただ、今回の毎日新聞のように「誤り」であることを認めないことができないようなケースばかりではない。警察が言っていることが事実を取り違えていたり、書き間違い・しゃべり間違いというようなことだったしたら、報道機関は「取材源が言っていたとおり書いただけだ」という反論をする可能性が高い。
どのような誤りがあったときに名誉棄損にあたるのか、また、報道機関側がどのような反論を提出可能なのかは、要検討だろう。

新聞かインターネットか

各地方で起きる刑事事件は、比較的幅広く地元紙に掲載されている。インターネットのニュースサイトに掲載されるのはそのごく一部だが、明確な選別基準があるわけではない。テレビのニュースになり、その原稿がインターネットに掲載されるという場合も多い。
新聞であれば、掲載された情報の伝播方法は、基本的に口コミである。しかし、インターネットの場合には、消さない限り発信し続けられていることになるし、コピーもしやすい。よって、報道による名誉棄損が認められるとして、地元紙の紙面だけなのか、全国紙なのか、インターネット上なのかというのは、相当重要な要素になってくるのではないだろうか。

マイナンバー普及策に取り込まれた「軽減税率」

消費税10%増税時の軽減税率導入論と、それへの批判

食料品等への軽減税率導入については、一部輿論を背景に、公明党や消費者団体の後押しがあり、2013年末頃、自民党・公明党が「消費税10%増税時に軽減税率を導入する」との合意に達した経緯がある。

消費税軽減税率は、もともと、消費税の増税効果を薄めてしまうほか、対象商品の線引きが困難であること、小売業者の経理負担が増大すること、低所得者層への効果が限定的であることといった理由で、財務省や小売業団体から批判の強い政策である。

2段階の消費税率を導入するとした場合、増税効果が薄まるのは原理的に仕方ないとしても、コストが上がるのはできるだけ避けたい。そのためには、線引きをできるだけわかりやすくし、微妙なところに線を引かない(対象をかなり広げるか、かなり狭める)ということが望ましいということになる。微妙なところに線を引くと、なんとか軽減税率を適用しようとして建設的でない理屈付け合戦が始まり、軽減税率の解釈をする「産業」とそれを取り仕切るための役人が誕生してしまう契機になってしまうのではないか。私は、そのように懸念する。

しかし、与党合意のもと、消費税10%増税時に軽減税率を導入することは内定しており、制度づくりが進められてきた。

給付付き税額控除

森信茂樹・中央大学大学院教授(財務省出身)は、消費税軽減税率について、かねてから厳しく批判している。給付付き税額控除を「消費税還付」という名で導入すべきという議論である。詳しくは、ダイヤモンドオンラインをご参照のこと。

給付付き税額控除に賛成する意見は、少なくない。政界でも、維新の党が主張しているし、以前は民主党の主張でもあった。
 

森信氏の意見は、与党が出している「生鮮食料品の8%軽減税による減収額が3400億円」というのに対応して、「世帯年収300万円未満の世帯について1人当たり一律2万円、300万円から400万円までの世帯については、その半分の1万円を給付する。ただし年金受給者と生活保護者は除く」というものである。

 

この場合、元になる数字は、世帯収入である。この制度のためには、世帯収入を正確に把握することが必要であり、マイナンバーが導入されればそれが可能になるという目論見である。

マイナンバー個人番号カード普及策との融合

 

財務省は、政治側から「軽減税率」導入を使命とされ、制度作りを試みたものの、小売業者など現場の反発が強く、また、高コストでうまくいかないおそれが強い制度をあえて作ることに抵抗感を持ったのではないだろうか。しかし、与党は既に「軽減税率」を掲げてしまっており、行政側で「やるべきでない」とは言いにくい。

 

また、マイナンバーを普及させ、実質化させるということは、財務省の強い願いであり、給付付き税額控除のような制度を導入することで、個々の国民や世帯の所得データを掴みたい。この願いは、財務省の核心であり、行動力の源でもあろう。

 
 

こうして、知恵を結集させた案が、今回財務省が提案した「マイナンバー個人番号カードを通じて購入額を管理し、軽減税率分を還付する」という制度ということになる。これは、「個々の商品の税率が軽減されているという感覚を覚えるような制度」(軽減税率的)でありつつ、小売現場の経理負担を緩和し、税収減の見通しもクリアで、「マイナンバーで所得どころか消費を把握するところまで可能にし、マイナンバー個人番号カード(自動的には送られてこないカード)の普及率を一気に高める」という、”いいとこどり”の制度である。

 

確かに、小売現場の経理負担が緩和されることや、軽減税率の対象の論争が回避されやすいことは、メリットである。ただ、その他の部分には懸念がある。軽減税率の「メリット」として、食料品を買うたびに軽減税率の恩恵を感じる、というものがあるようで、今回提案の制度でも、対象が個々の食料品であるということに意味を持たせているようである。このような目先の「メリット」を安易に求めがちだが、本当に意味のあることなのかよく考えるべきだろう。また、国民にマイナンバーの情報流出への警戒感が強い中、中央官庁側では、このままでは住基カードと同様、個人番号カードが普及しないというおそれを持っており、この策によれば一気に個人番号カードが普及するという目論見だろう。この制度が導入されれば、個人番号カードを申請する国民が大多数になり、おそらく個人番号カードは普及するだろう。しかし、このように流されやすい国民性を利用して、十分な議論なしに、給付金をテコに情報を把握しよう(把握できる情報を増やしていこう)というのは、いいやり方だとは思えない。制度への十分な理解なしに多くの国民が個人番号カードを手にしたとき、さまざまなトラブルが起きるだろう。

非常に巧妙なやり方で、そういう意味でよく考えられているとは思うが、私は、こんな気味の悪い制度になるくらいなら、ストレートに給付付き税額控除を導入したほうがいいと思う。

財務省案への反対が大きくなれば、そのままの案では通らないという可能性もあるだろう。もっとも、財務省的には、この案がそのまま通らなくても、小売現場での2段階税率(一般的な軽減税率)導入を断念する方向になって、マイナンバーを活用する方向になれば、この案をぶち上げた成果があったと言えるだろう。

参議院の選挙制度問題 その1

初の合区導入

平成27年(2015年)7月24日、参議院の定数配分や選挙区設定を部分的に変える公職選挙法改正案が参議院本会議で可決された(自民党、維新の会などが賛成し、民主党、公明党、共産党などが反対した)。7月28日には衆議院でも可決され、成立する見込みだという。

この案の特徴は、これまで完全に都道府県単位だった「選挙区」選挙について、「鳥取+島根」、「徳島+高知」の2合区を設け、その他に宮城、新潟、長野の改選ごと定数を1減させることで、10減(改選ごと5減)を確保。その分を、北海道、東京、愛知、兵庫、福岡にそれぞれ改選1増し、10増(改選ごと5増)させるというものである。この改変により、平成22年(2010年)国勢調査に基づく「一票の較差」最大値は、2.97倍(価値最少が埼玉県民、価値最大が福井県民)となる。

平成25年(2013年)の参院選の「一票の較差」最大値は、4.77倍(価値最少が北海道民、価値最大が鳥取県民)だということなので、相当程度倍率が改善したことにはなる。

今回の「一票の較差」低減をどう評価するか

平成25年(2013年)参院選についての平成26(2014年)最高裁大法廷判決

最高裁大法廷は、平成26年(2014年)11月26日判決において、平成22年(2010年)の参院選について、

 さきに述べたような憲法の趣旨,参議院の役割等に照らすと,参議院は衆議院とともに国権の最高機関として適切に民意を国政に反映する機関としての責務を負っていることは明らかであり,参議院議員の選挙であること自体から,直ちに投票価値の平等の要請が後退してよいと解すべき理由は見いだし難い。昭和58年大法廷判決は,参議院議員の選挙制度において長期にわたる投票価値の大きな較差の継続を許容し得る根拠として,上記の選挙制度の仕組みや参議院に関する憲法の定め等を挙げていたが,これらの諸点も,平成24年大法廷判決の指摘するとおり,上記アにおいてみたような長年にわたる制度及び社会状況の変化を踏まえると,数十年間にもわたり5倍前後の大きな較差が継続することを正当化する理由としては十分なものとはいえなくなっているものといわざるを得ない。殊に,昭和58年大法廷判決は,上記の選挙制度の仕組みに関して,都道府県が歴史的にも政治的,経済的,社会的にも独自の意義と実体を有し,政治的に一つのまとまりを有する単位として捉え得ることに照らし,都道府県を各選挙区の単位とすることによりこれを構成する住民の意思を集約的に反映させ得る旨の指摘をしていたが,この点についても,都道府県が地方における一つのまとまりを有する行政等の単位であるという限度において相応の合理性を有していたことは否定し難いものの,これを参議院議員の各選挙区の単位としなければならないという憲法上の要請はなく,むしろ,都道府県を各選挙区の単位として固定する結果,その間の人口較差に起因して上記のように投票価値の大きな不平等状態が長期にわたって継続している状況の下では,上記の都道府県の意義や実体等をもって上記の選挙制度の仕組みの合理性を基礎付けるには足りなくなっているものといわなければならない

以上に鑑みると,人口の都市部への集中による都道府県間の人口較差の拡大が続き,総定数を増やす方法を採ることにも制約がある中で,半数改選という憲法上の要請を踏まえて定められた偶数配分を前提に,上記のような都道府県を各選挙区の単位とする仕組みを維持しながら投票価値の平等の実現を図るという要求に応えていくことは,もはや著しく困難な状況に至っているものというべきである。このことは,前記2(3)の平成17年10月の専門委員会の報告書において指摘されており,平成19年選挙当時も投票価値の大きな不平等がある状態であって選挙制度の仕組み自体の見直しが必要であることは,平成21年大法廷判決において特に指摘されていたところでもある。これらの事情の下では,平成24年大法廷判決の判示するとおり,平成22年選挙当時,本件旧定数配分規定の下での前記の較差が示す選挙区間における投票価値の不均衡は,投票価値の平等の重要性に照らしてもはや看過し得ない程度に達しており,これを正当化すべき特別の理由も見いだせない以上,違憲の問題が生ずる程度の著しい不平等状態に至っていたというほかはない。

としたうえで、平成25年(2013年)の参院選について、

 本件選挙は,平成24年大法廷判決の言渡し後に成立した平成24年改正法による改正後の本件定数配分規定の下で施行されたものであるが,上記ウのとおり,本件旧定数配分規定の下での選挙区間における投票価値の不均衡が違憲の問題が生ずる程度の著しい不平等状態にあると評価されるに至ったのは,総定数の制約の下で偶数配分を前提に,長期にわたり投票価値の大きな較差を生じさせる要因となってきた都道府県を各選挙区の単位とする選挙制度の仕組みが,長年にわたる制度及び社会状況の変化により,もはやそのような較差の継続を正当化する十分な根拠を維持し得なくなっていることによるものであり,同判決において指摘されているとおり,上記の状態を解消するためには,一部の選挙区の定数の増減にとどまらず,上記制度の仕組み自体の見直しが必要であるといわなければならない。しかるところ,平成24年改正法による前記4増4減の措置は,上記制度の仕組みを維持して一部の選挙区の定数を増減するにとどまり,現に選挙区間の最大較差(本件選挙当時4.77倍)については上記改正の前後を通じてなお5倍前後の水準が続いていたのであるから,上記の状態を解消するには足りないものであったといわざるを得ない(同改正法自体も,その附則において,平成28年に施行される通常選挙に向けて選挙制度の抜本的な見直しについて引き続き検討を行い結論を得るものとする旨を定めており,上記4増4減の措置の後も引き続き上記制度の仕組み自体の見直しの検討が必要となることを前提としていたものと解される。)。

したがって,平成24年改正法による上記の措置を経た後も,本件選挙当時に至るまで,本件定数配分規定の下での選挙区間における投票価値の不均衡は,平成22年選挙当時と同様に違憲の問題が生ずる程度の著しい不平等状態にあったものというべきである。

と判断した。なお、ア~ウの中身など、詳細は原典参照。

そして、公職選挙法の規定が憲法違反となるか否かについて、判断基準としては、

 参議院議員の選挙における投票価値の較差の問題について,当裁判所大法廷は,これまで,①当該定数配分規定の下での選挙区間における投票価値の不均衡が,違憲の問題が生ずる程度の著しい不平等状態に至っているか否か,②上記の状態に至っている場合に,当該選挙までの期間内にその是正がされなかったことが国会の裁量権の限界を超えるとして当該定数配分規定が憲法に違反するに至っているか否かといった判断の枠組みを前提として審査を行ってきており

として、その判断基準を再び採った上で、

 参議院議員の選挙における投票価値の不均衡については,平成10年及び同12年の前掲各大法廷判決は違憲の問題が生ずる程度の著しい不平等状態に至っていないとする判断を示し,その後も平成21年大法廷判決に至るまで上記の状態に至っていたとする判断が示されたことはなかったものであるところ,違憲の問題が生ずる程度の著しい不平等状態に至っているとし,その解消のために選挙制度の仕組み自体の見直しが必要であるとする当裁判所大法廷の判断が示されたのは,平成24年大法廷判決の言渡しがされた平成24年10月17日であり,国会において上記の状態に至っていると認識し得たのはこの時点からであったというべきである

この違憲の問題が生ずる程度の投票価値の著しい不平等状態を解消するためには,平成24年大法廷判決の指摘するとおり,単に一部の選挙区の定数を増減するにとどまらず,都道府県を単位として各選挙区の定数を設定する現行の方式をしかるべき形で改めるなど,現行の選挙制度の仕組み自体の見直しを内容とする立法的措置を講ずることが求められていたところである。このような選挙制度の仕組み自体の見直しについては,平成21年及び同24年の前掲各大法廷判決の判示においても言及されているように,参議院の在り方をも踏まえた高度に政治的な判断が求められるなど,事柄の性質上課題も多いため,その検討に相応の時間を要することは認めざるを得ず,また,参議院の各会派による協議を経て改正の方向性や制度設計の方針を策定し,具体的な改正案を立案して法改正を実現していくためには,これらの各過程における諸々の手続や作業が必要となる。

しかるところ,平成24年大法廷判決の言渡しによって選挙区間における投票価値の不均衡が違憲の問題が生ずる程度の著しい不平等状態に至っていることを国会が認識し得た平成24年10月17日の時点から,本件選挙が施行された同25年7月21日までの期間は,約9か月にとどまるものであること,それ以前にも当裁判所大法廷の指摘を踏まえて参議院における選挙制度の改革に向けての検討が行われていたものの,それらはいまだ上記の状態に至っているとの判断がされていない段階での将来の見直しに向けての検討にとどまる上,前記2(3)のとおり上記改革の方向性に係る各会派等の意見は区々に分かれて集約されない状況にあったことなどに照らすと,平成24年大法廷判決の言渡しから本件選挙までの上記期間内に,上記のように高度に政治的な判断や多くの課題の検討を経て改正の方向性や制度設計の方針を策定し,具体的な改正案の立案と法改正の手続と作業を了することは,実現の困難な事柄であったものといわざるを得ない。

他方,国会においては,前記2(4)のとおり,平成24年大法廷判決の言渡し後,本件選挙までの間に,前記4増4減の措置に加え,附則において平成28年に施行される通常選挙に向けて選挙制度の抜本的な見直しについて引き続き検討を行い結論を得るものとする旨を併せて定めた平成24年改正法が成立するとともに,参議院の選挙制度の改革に関する検討会及び選挙制度協議会において,平成24年大法廷判決を受けて選挙制度の改革に関する検討が行われ,上記附則の定めに従い,選挙制度の仕組みの見直しを内容とする公職選挙法改正の上記選挙までの成立を目指すなどの検討の方針や工程が示されてきている。このことに加え,前記2(5)のとおり,これらの参議院の検討機関において,本件選挙後も,上記附則の定めに従い,平成24年大法廷判決の趣旨に沿った方向で選挙制度の仕組みの見直しを内容とする法改正の具体的な方法等の検討が行われてきていることをも考慮に入れると,本件選挙前の国会における是正の実現に向けた上記の取組は,具体的な改正案の策定にまでは至らなかったものの,同判決の趣旨に沿った方向で進められていたものということができる。

以上に鑑みると,本件選挙は,前記4増4減の措置後も前回の平成22年選挙当時と同様に違憲の問題が生ずる程度の投票価値の著しい不平等状態の下で施行されたものではあるが,平成24年大法廷判決の言渡しから本件選挙までの約9か月の間に,平成28年に施行される通常選挙に向けて選挙制度の抜本的な見直しについて引き続き検討を行い結論を得るものとする旨を附則に定めた平成24年改正法が成立し,参議院の検討機関において,上記附則の定めに従い,同判決の趣旨に沿った方向で選挙制度の仕組みの見直しを内容とする法改正の上記選挙までの成立を目指すなどの検討の方針や工程を示しつつその見直しの検討が行われてきているのであって,前記アにおいて述べた司法権と立法権との関係を踏まえ,前記のような考慮すべき諸事情に照らすと,国会における是正の実現に向けた取組が平成24年大法廷判決の趣旨を踏まえた国会の裁量権の行使の在り方として相当なものでなかったということはできず,本件選挙までの間に更に上記の見直しを内容とする法改正がされなかったことをもって国会の裁量権の限界を超えるものということはできない。

と判断した。そして、

国民の意思を適正に反映する選挙制度が民主政治の基盤であり,投票価値の平等が憲法上の要請であることや,さきに述べた国政の運営における参議院の役割等に照らせば,より適切な民意の反映が可能となるよう,従来の改正のように単に一部の選挙区の定数を増減するにとどまらず,国会において,都道府県を単位として各選挙区の定数を設定する現行の方式をしかるべき形で改めるなどの具体的な改正案の検討と集約が着実に進められ,できるだけ速やかに,現行の選挙制度の仕組み自体の見直しを内容とする立法的措置によって違憲の問題が生ずる前記の不平等状態が解消される必要があるというべきである。

と付言した。

平成26(2014年)最高裁大法廷判決は、平成24年(2012年)10月17日最高裁大法廷判決(参照URL1同2)に引き続き、都道府県を単位とした選挙区設定の見直しに言及したものである。都道府県を単位とした選挙区設定をしている限り、投票価値の平等の実現は困難であるし、無理に実現しようとすると議院の定員をどんどん増していかなければいけないとか、結果的に都道府県ごとに議員選出の方法が大きく異なることになってしまう(人口が少ない選挙区は改選数1となり小選挙区的な選出方法なのに、人口が多い選挙区は定数が10以上の大選挙区制になるなど)という問題が生じてしまうから、この最高裁の判断は当然である。

平成26(2014年)最高裁大法廷判決に至る経緯

この点(都道府県単位での選挙区設定)についての、平成24年(2012年)最高裁大法廷判決の説示を以下に掲載する。

 さきに述べたような憲法の趣旨,参議院の役割等に照らすと,参議院は衆議院とともに国権の最高機関として適切に民意を国政に反映する責務を負っていることは明らかであり,参議院議員の選挙であること自体から,直ちに投票価値の平等の要請が後退してよいと解すべき理由は見いだし難い。昭和58年大法廷判決は,参議院議員の選挙制度において都道府県を選挙区の単位として各選挙区の定数を定める仕組みにつき,都道府県が歴史的にも政治的,経済的,社会的にも独自の意義と実体を有し,政治的に一つのまとまりを有する単位として捉え得ることに照らし,都道府県を構成する住民の意思を集約的に反映させるという意義ないし機能を加味しようとしたものと解することができると指摘している。都道府県が地方における一つのまとまりを有する行政等の単位であるという点は今日においても変わりはなく,この指摘もその限度においては相応の合理性を有していたといい得るが,これを参議院議員の選挙区の単位としなければならないという憲法上の要請はなく,むしろ,都道府県を選挙区の単位として固定する結果,その間の人口較差に起因して投票価値の大きな不平等状態が長期にわたって継続していると認められる状況の下では,上記の仕組み自体を見直すことが必要になるものといわなければならない。また,同判決は,参議院についての憲法の定めからすれば,議員定数配分を衆議院より長期にわたって固定することも立法政策として許容されるとしていたが,この点も,ほぼ一貫して人口の都市部への集中が続いてきた状況の下で,数十年間にもわたり投票価値の大きな較差が継続することを正当化する理由としては十分なものとはいえなくなっている。さらに,同判決は,参議院議員の選挙制度の仕組みの下では,選挙区間の較差の是正には一定の限度があるとしていたが,それも,短期的な改善の努力の限界を説明する根拠としては成り立ち得るとしても,数十年間の長期にわたり大きな較差が継続することが許容される根拠になるとはいい難い。

振り返ってみると、平成24年(2012年)以前の最高裁は、参議院の「一票の較差」について、二院制のもとでの各議院の特色を尊重し、緩やかな判断基準をもって臨んできた。これにより、結果として、投票価値の平等に著しく反する状況が放置されたことが否めない。

平成24年(2012年)以前に最高裁が参院選について唯一「違憲状態」だと述べたのが平成5年(1993年)最高裁大法廷判決である。平成4年(1992年)の参院選では、最大較差が6.59倍にまで達したので、最高裁もさすがにそれについては重い腰を上げ、

本件選挙当時、選挙区間における議員一人当たりの選挙人数の較差等からして、違憲の問題が生ずる程度の投票価値の著しい不平等状態が生じていたものといわざるを得ないが、本件選挙当時において本件定数配分規定が憲法に違反するに至っていたものと断ずることはできない

(平成5年(1993年)12月16日最高裁大法廷判決、参照URL)との判断を示して牽制したものである。

平成5年(1993年)最高裁大法廷判決においては、園部逸夫判事が参議院の「地域代表」的な特色を重視して、2人区(改選ごと1人区)については、人口比例主義がそのまま適用されず、一票の較差の問題を生じない、とまで述べたことが注目される。また、次の平成7年(1995年)の参院選についても、違憲訴訟が提起されたが、最高裁が合憲判決を出してしまった(平成10年(1998年)9月2日最高裁大法廷判決、参照URL、ただし、5人の判事の反対意見あり)。合憲の理由の主要点は、次に引用する。

 本件改正前の参議院議員定数配分規定(以下「改正前の定数配分規定」という。)の下で、昭和五八年大法廷判決は、昭和五二年七月一○日施行の参議院議員選挙当時における選挙区間の議員一人当たりの選挙人数の最大較差一対五・二六(以下、較差に関する数値は、すべて概数である。)について、いまだ許容限度を超えて違憲の問題が生ずる程度の著しい不平等状態が生じていたとするには足りない旨判示し、さらに、最高裁昭和五七年(行ツ)第一七一号同六一年三月二七日第一小法廷判決・裁判集民事一四七号四三一頁は、昭和五五年六月二二日施行の参議院議員選挙当時の最大較差一対五・三七について、最高裁昭和六二年(行ツ)第一四号同六二年九月二四日第一小法廷判決・裁判集民事一五一号七一一頁は、昭和五八年六月二六日施行の参議院議員選挙当時の最大較差一対五・五六について、最高裁昭和六二年(行ツ)第一二七号同六三年一○月二一日第二小法廷判決・裁判集民事一五五号六五頁は、昭和六一年七月六日施行の参議院議員選挙当時の最大較差一対五・八五について、いずれも、いまだ違憲の問題が生ずる程度の著しい不平等状態が生じていたとするには足りない旨判示していたが、平成八年大法廷判決は、平成四年七月二六日施行の参議院議員選挙当時の最大較差一対六・五九について、違憲の問題が生ずる程度の著しい不平等状態が生じていた旨判示するに至った。原審の適法に確定した事実関係等によれば、本件改正は、右のような選挙区間における較差を是正する目的で行われたものであるが、前記のような参議院議員の選挙制度の仕組みに変更を加えることなく、直近の平成二年の国勢調査結果に基づき、できる限り増減の対象となる選挙区を少なくし、かつ、いわゆる逆転現象を解消することとして、参議院議員の総定数(二五二人)及び選挙区選出議員の定数(一五二人)を増減しないまま、七選挙区で改選議員定数を四増四減したものであり、その結果、右国勢調査による人口に基づく選挙区間における議員一人当たりの人口の較差は、最大一対六・四八から最大一対四・八一に縮小し、いわゆる逆転現象は消滅することとなった。その後、本件定数配分規定の下において、人口を基準とする右較差は、平成七年一○月実施の国勢調査結果によれば最大一対四・七九に縮小し、また、選挙人数を基準とする右較差も、本件改正当時における最大一対四・九九から本件選挙当時における最大一対四・九七に縮小していることは、当裁判所に顕著である。そうであるとすれば、本件改正の結果なお右のような較差が残ることとなったとしても、前記のとおり参議院議員の選挙制度の仕組みの下においては投票価値の平等の要求は一定の譲歩を免れざるを得ないことに加えて、較差をどのような形で是正するかについては種々の政策的又は技術的な考慮要素が存在することや、さらに、参議院(選挙区選出)議員については、議員定数の配分をより長期にわたって固定し、国民の利害や意見を安定的に国会に反映させる機能をそれに持たせることとすることも、立法政策として合理性を有するものと解されることなどにかんがみると、右の較差が示す選挙区間における投票価値の不平等は、当該選挙制度の仕組みの下において投票価値の平等の有すべき重要性に照らして到底看過することができないと認められる程度に達しているとはいえず、本件改正をもって、その立法裁量権の限界を超えるものとはいえないというべきである。そして、右のとおり、本件改正後の本件定数配分規定の下における議員一人当たりの人口の較差及び選挙人数の較差は、いずれも、本件改正当時に比べて縮小しているというのであるから、本件選挙当時において本件定数配分規定が憲法に違反するに至っていたものとすることはできない。

最高裁大法廷の法廷意見は、この判断をするにあたって、次のようなことまで言ってしまっている。

 右のような参議院議員の選挙制度の仕組みは、憲法が二院制を採用した趣旨から、ひとしく全国民を代表する議員であるという枠の中にあっても、参議院議員の選出方法を衆議院議員のそれとは異ならせることによってその代表の実質的内容ないし機能に独特の要素を持たせようとする意図の下に、参議院議員を全国選出議員ないし比例代表選出議員と地方選出議員ないし選挙区選出議員とに分け、後者については、都道府県が歴史的にも政治的、経済的、社会的にも独自の意義と実体を有し政治的に一つのまとまりを有する単位としてとらえ得ることに照らし、これを構成する住民の意思を集約的に反映させるという意義ないし機能を加味しようとしたものであると解することができる。したがって、公職選挙法が定めた参議院議員の選挙制度の仕組みは、国民各自、各層の利害や意見を公正かつ効果的に国会に代表させるための方法として合理性を欠くものとはいえず、国会の有する立法裁量権の合理的な行使の範囲を逸脱するものであると断ずることはできない。

このように公職選挙法が採用した参議院(選挙区選出)議員についての選挙制度の仕組みが国会にゆだねられた裁量権の合理的行使として是認し得るものである以上、その結果として各選挙区に配分された議員定数とそれぞれの選挙区の選挙人数又は人口との比率に較差が生じ、そのために選挙区間における選挙人の投票価値の平等がそれだけ損なわれることとなったとしても、先に説示したとおり、これをもって直ちに右の議員定数の定めが憲法一四条一項等の規定に違反して選挙権の平等を侵害したものとすることはできないといわなければならない。すなわち、右のような選挙制度の仕組みの下では、投票価値の平等の要求は、人口比例主義を最も重要かつ基本的な基準とする選挙制度の場合と比較して、一定の譲歩を免れないと解さざるを得ない。

こうして、都道府県単位の選挙区は参議院の選挙制度の特色であり、その特色の前には投票価値の平等の要請が後退し、最大較差6倍超にならないと「違憲状態」には至らず、5倍未満では「合憲」だというのが、立法府における多くの議員の認識として固着してしまった。それでもなお、反対意見を出す最高裁判事も多い中、最高裁判事の構成の変化により、多数派が逆転し、平成24年(2012年)の5.00倍での「違憲状態」判決に至ったものである(選挙制度の改正の必要性にも言及したのは上述のとおり)。

こうして、平成24年(2012年)の最高裁判決をきっかけとして、立法府において、選挙制度の改正を含めた議論が本格化した。同判決後になされた平成24年(2012年)の公職選挙法改正に際しては、選挙制度の抜本的な見直しについて引き続き検討を行い結論を得るという内容の附則が盛り込まれた。

この後の自民党内の動きが大変に問題であるが、これについては次回以降触れる。

今回の検討のため、自作したエクセルデータを試しにコピーしてみる。

 人口(千人)現行法人口/議員数改正法案人口/議員数公明党案人口/議員数脇当初案人口/議員数
北海道    5,43141357.756905.1666905.1666905.166
青森県    1,3352667.52667.52667.52667.5
岩手県    1,2952647.52647.52647.54586.25
秋田県    1,0502525252521095.5
山形県    1,1412570.52570.54867.25
宮城県    2,3284582211644582
福島県    1,9462973297329732973
茨城県    2,9314732.754732.754732.754732.75
栃木県    1,9862993299329932993
群馬県    1,9842992299229922992
埼玉県    7,22261203.66661203.6668902.758902.75
千葉県    6,19261032610326103261032
東京都    13,300101330121108.333121108.333121108.333
神奈川県   9,07981134.87581134.87581134.87510907.9
石川県    1,1592579.52579.529772977
福井県    7952397.52397.5
山梨県    8472423.52423.54742.254742.25
長野県    2,1224530.521061
新潟県    2,3304582.5211654582.54851.5
富山県    1,076253825384781.75
岐阜県    2,05121025.521025.521025.5
静岡県    3,7234930.754930.754930.754930.75
愛知県    7,44361240.58930.3758930.3758930.375
三重県    1,8332916.52916.52916.52916.5
滋賀県    1,4162708270827082708
京都府    2,6174654.254654.254654.254654.25
兵庫県    5,55841389.56926.3336926.3336926.333
奈良県    1,3832691.52691.54590.52691.5
和歌山県   9792489.52489.510982.8
大阪府    8,84981106.12581106.12581106.125
鳥取県    5782289264026402640
島根県    7022351
岡山県    1,9302965296529652965
広島県    2,8404710471047104710
山口県    1,4202710271027102710
香川県    9852492.52492.54597.54597.5
愛媛県    1,4052702.52702.5
徳島県    77023852757.52757.52757.5
高知県    7452372.5
福岡県    5,09041272.56848.3336848.3336848.333
佐賀県    8402420242021118.5
長崎県    1,3972698.52698.52698.5
熊本県    1,8012900.52900.52900.52900.5
大分県    1,178258925894574.52589
宮崎県    1,120256025604700
鹿児島県   1,680284028402840
沖縄県    1,4152707.52707.52707.52707.5
合計127,297146146146146
最大値1389.51203.6661134.8751108.333
最小値289397.5574.5586.25
最大較差4.8079583.0280921.9754131.890547
avg人口/議員764.0567794.0879837.3524828.5692
標準偏差293.4218224.4199173.6112144.6685

今回の改正に対する評価(私の意見)

1 合区で当面手当てするにしても、あまりに不十分である。
 2 合区以外の定数削減(宮城、新潟、長野)により深まった不平等を看過できない。
3 そもそも都道府県ごとの選挙区設定に無理がある。都道府県にこだわらず抜本的に選挙制度の改正をすべきである。

今回の公職選挙法改正は、都道府県ごとの選挙区を基本的には維持し、一票の較差の最大値を縮小させるために、人口の少ない県を2つずつ合区するものである。総務省統計局の2013年(平成25年)の推計値で、人口の少ないほうから、鳥取県(578千人)、島根県(702千人)、高知県(745千人)、徳島県(770千人)、福井県(795千人)、佐賀県(840千人)、山梨県(847千人)である。これらの県は、衆議院選挙の小選挙区数も2とされている。

たまたま、人口が少ないほうから4つの県が2つずつ隣接していたので、合区して、いわば一つの県と同じような扱いにしたわけである。

しかし、そのようなことをしても、最大較差は約3倍である(選挙時点では3倍超になる可能性が非常に高い。)。人口比例主義に反することは明らかである。よって、今回の改正は、当面の弥縫策としても不十分である。

また、今回の改正では、合区の数を減らすことをできるだけ避けようとし、かつ、北海道、東京、愛知、兵庫、福岡にそれぞれ改選1増する必要があったため、宮城、新潟、長野について改選1減している。このやり方は、不適当である。特に、宮城、新潟は、最も価値を低められている埼玉に次いで価値を低められてしまう(神奈川よりも悪化してしまう。埼玉は公明党・民主党案では定数増の対象である。)。最大較差を低くすることばかりにとらわれ、実質的な不平等が新たに生じているのである。これについては、次回以降さらに述べていきたい。

こうして、最大較差だけではなく、最大・最小ではない各選挙区間の均衡の問題も考えると、結局、脇雅史参議院選挙制度改革評議会座長の当初案ほど抜本的に合区する(改選ごと定数が複数の選挙区も合区対象とする。)のではない限り、都道府県ごとの選挙区設定には無理があるといえる。そして、脇氏の当初案ほどにまでなるとすでに都道府県を一応の単位としている意味も薄れてくるということもある。そこまでして、都道府県境に固執して、合区で解決することにこだわるのではなく、別の選挙の仕方を考えたほうがよいというのが私の意見である。

遺言控除、新設へ?

政府、相続税に「遺言控除」検討 資産移転を円滑化、在宅介護の促進後押し

2015.7.8 06:06

SankeiBiz

 政府・与党は、有効な遺言による相続であることを条件に、一定額を相続税の基礎控除額に上乗せして控除する「遺言控除」を新設する検討に入る。遺言の普及を促して遺産相続をめぐるトラブルを抑え、若い世帯へのスムーズな資産移転を図ることによって在宅介護の促進も後押しする。早ければ2017年度税制改正での実施を目指す。

 8日に開かれる自民党の「家族の絆を守る特命委員会」(古川俊治委員長)で、葉梨康弘法務副大臣が政府内の検討状況を説明する。

相続税は遺産総額から基礎控除額(今年1月から3000万円+法定相続人1人当たり600万円)が差し引かれた上で税率をかけて算出される。遺言控除が新設されると税金のかからない遺産が増える。制度設計は今後詰めるが、控除額は数百万円を軸に検討する。仮に300万円の遺言控除であれば30万~165万円の減税となる計算だ。

現状では相続税の課税対象のうち遺言が残された案件は2~3割程度。トラブルの解決にコストがかさむほか、不動産の処分が進まず、空き家が増える要因の一つとなっている。新制度で遺言を残す人が増えればトラブルが減る効果が見込める。

「終活税制」が本格的な検討に入ることで、配偶者控除など家族の在り方をめぐる税制議論全般に影響を与えそうだ。

 この動きは,相続時精算課税制度,直系尊属からの住宅取得等資金の贈与の非課税制度,子ども版NISAなどと軌を一にしていて,被相続人の生前から相続に向けた動きを取るよう政策的に誘導するものだろう。キーワードは,「資産の世代間移転」である。

 ただ,遺言控除ができたからといって,単に遺言を作ればお得になるという意識でやっていると,落とし穴があるのではないだろうか。相続税が課税される可能性のある人は,保有資産を分析し,どの制度・手段を用いるのかじっくり検討した上で進めたほうがよさそうだ。

 相続税を軽くするという手法で,遺言がもっと作成されるように政策的な誘導がなされるようになれば,特定の相続人が主導して被相続人に遺言を勧めるケースも,もっと増えるだろうと思う。そのような場合には,作られた遺言をめぐっての争いにも発展しやすい。死んだ後になって,被相続人の財産をめぐって,故人の真意を立証し合う争いが起きるわけであり,遺言を作らなかった場合に比べ,根の深い争いになりやすい。紛争になってしまうと,節税どころの話ではなくなってしまう。

 弁護士・税理士といった専門家と協議の上,遺言の利用を含めて資産継承の計画表を作り,被相続人と複数の相続人で認識を共有することができれば,ほぼ万全になるだろう。これは,被相続人の生前,それも意識障害の問題が生じる前にやるべきことだ。

 私も,弁護士として,自らの知識を深め,または他の専門家と連携して,税制を踏まえて「相続・資産継承」全体へのアドバイスをしていきたい。

「新しい弁護士活用法」

私がよく読んでいるブログの一つに、「アメリカ法曹事情」というものがある。

このブログは、文字通り、アメリカの法曹事情を紹介し、そのうえで、かなり率直に日本の法曹界の現状・今後についても述べているので、参考になる。
そのブログの「新しい弁護士活用法?」というエントリ(2015年5月23日)は、興味深い。
要するに、国会議員秘書を増やし、弁護士枠をつくるという案である。

 

現実的な目で見ると、財政的な問題と、立法作業のできる弁護士の育成の問題はある。しかし、方向性としては賛成できる。

理由1 現状で国会議員の法案立案能力が高いとはいえない(法案の立案に使える資源の量も不足している)

#各省庁の官僚が中心となって用意する法案はもちろん法律としての体裁が整っているし、行政運用の安定にも資するが、必ず各省庁の案がベスト・ベターだというわけでもないはず。そのようなとき、国会議員からも案を出せるようになっていることが望ましい。また、従前とは異なる観点から法案を作っていくときには議員立法によることも多いが、立案能力の向上により、議員立法が活性化し、新しい発想を生かせる場面が増える。

##大まかに言うと、国会では、「対案出してみろ」的なことを与党が言って、野党がパッチワーク的な案を出し、微妙なところで妥協して成立させるということが行われている印象をもっていますが、背骨のある野党案を期待したいところなんですよね…。

理由2 もっと世間のためになるような場所に弁護士を増やしては?

#弁護士の数が急激に増えている昨今だが(自分も含めてだが)、弁護士の具体的な仕事のどれくらいがどのような意味で社会を向上させているのか、幸福をもたらしているのか、疑問なところがある。本質的に仕方ないことなのかもしれないが、「限られたパイの取り合い」に終始している感が強い。お客様「各自」の向上が基本である。確かに、それもそれとして重要なことはもちろんだけれど、そういう個対個(会社であってもその意味では「個」)に知恵を振り絞る役目の人ばかり増やすのではなく、もっと力を注ぎ知恵を振り絞ることで国や地域が向上していけるようなところに人を配置したほうがいいのではないか。

 

なお、以下は余談…。

国として、弁護士をどう活用するのか、ビジョンがちゃんとしていないままここまで来てしまっている感があって、そんななか、みんなが弁護士とすぐ・気軽に相談できるようにするのが理想だから各地域に細かく分散させて配置しようというような流れにある。しかし、本当にそうやって人数をとにかく増やして配置を進めていくことがみんなの幸せにつながるのか、私は実のところ疑問を持っている。相当程度お金を払ってまで法的にもめ事を解決してもらいたい、という需要がそこまで散在しているのかどうか…。それに、需要があったとして、介入していくことで幸せにつながらないようなものも多いだろう。根の深いご近所トラブルとか…。

本質的にたくさんの需要が散在している(多くの人が持っている願い)とすれば、もっと生活を便利にしたいとか、精神的にもあたたかく充実した生活を送りたいとか、物質面で恵まれたいとか、さまざまな趣味や楽しみに取り組んで文化的に暮らしたいとか、平和・安全に過ごしたいとか、そういうものだと思う。そして、この種の需要というのは、政治的な側面(非常に大雑把に言うと、自分のところに公的なお金を入れてくれ、みたいな話とつながる)もあるし、民間の営利活動によって叶っていくという面もある。

私は、そういう需要(需要の実現だけではなく、利害調整も含め)に応えたいとか、役立ちたいという思いは強くある。役立つための役回りは、いろいろあるだろうとは思う。

なお、上述の議員立法を担う国会議員秘書なんていうのも、そういう意味での役回りだろう。でも、ちらほらと入っていくだけではあまり意味がない。ちゃんと抜本的に制度化しないと、個々の頑張りも焼け石に水になる。

私自身は、まだ漠然としているところもあるけれども、どのようにすることが社会の役に立つのか、いかにすれば本質的な意味で役立つ人として活用してもらえるようになるのか、さらに模索していきたい。

リキュール(発泡性)①の罠 ~解題?~

以前(昨年6月),リキュール(発泡性)①の罠という記事で,サッポロビールの「極ZERO」の酒税問題を取り上げた。

当時のプレスリリースや報道では,具体的に「極ZERO」がいかなる規定をクリアしておらず,税務当局により第三のビールと認められなかったのか,書かれていなかった。そこで,法規を読みながら分析する記事を書いた。

要するに,これまでの極ZEROは国税庁の解釈に従えばエキス分が2度未満であり,リキュール(発泡性)①ではなく,スピリッツ(発泡性)②であったのではないか,というのが私の推測(憶測)だ。

サッポロは,いったん,115億円+延滞税1億円を追納した。

その後,サッポロは,今年1月に,国税庁に対して,納付した酒税の返還を要求した。極ZEROが第三のビールだという確証が取れたという理由だった。

それに対し,今年4月28日,国税庁は,サッポロに対し,返還しない通知をした(産経記事)。

 

最近,ダイヤモンド・オンライン掲載の記事で,興味深いものがあった(リンク)。筆者は,週刊ダイヤモンド編集部泉秀一氏。

新情報として,極ZEROが国税庁により第三のビールと認められなかった理由が書かれている。

要するに,極ZEROは,発酵が不十分な発泡酒を用いていたのだという。

噛み砕いて説明してみる。

まずは,第三のビールのうち,酒税法23条2項3号ロの要件のおさらい。「発泡酒(酒税法施行令第20条第2項に規定するものに限る。)にスピリッツ(酒税法施行令第20条第3項に規定するものに限る。)を加えたもの(エキス分が2度以上のものに限る。)」

発泡酒について(酒税法施行令20条2項)・・・「法第二十三条第二項第三号 ロに規定する政令で定める発泡酒は、麦芽及びホップを原料の一部として発酵させたもので、その原料中麦芽の重量が水以外の原料の重量の百分の五十未満のものとする。」

スピリッツについて(酒税法施行令20条3項)・・・「法第二十三条第二項第三号 ロに規定する政令で定めるスピリッツは、次の各号のいずれかに掲げるものとする。
一  大麦を原料の一部として発酵させたアルコール含有物(大麦以外の麦を原料の一部としたものを除く。)を蒸留したもの
二  小麦を原料の一部として発酵させたアルコール含有物(小麦以外の麦を原料の一部としたものを除く。)を蒸留したもの」

この規定を満たして発売したとサッポロとしては思っていたのだが,国税庁の見解では,発泡酒の発酵が不十分であり,「麦芽及びホップを原料の一部として発酵させたもの」ではないのだと。

発酵の判断が難しいことについては,ダイヤモンド以外の記事にも書かれている(フライデーIRORIO)。

私は,発泡酒は当然発酵させて作られるものだと思っていたのだが,どうもそうとは限らないらしく,定義の上では発酵が要件に含まれない。ところが,税率の低いリキュール(発泡性)①に該当するために用いられる発泡酒は発酵させたものでないとならないということのようだ。

ノンアルコールビールなどでは発酵させないでそれらしく作る技術が開発されているようだが,極ZEROも特殊な発酵技術を用いたものだということなのだろうか。

調べるうち,発酵度という用語が見つかり,アサヒビールのスタイルフリーは通常の発泡酒の1.3倍の発酵度だなどと書かれていたが,発酵度とは初期糖度と残糖度を比較してどれだけ酵母が糖を食べたのかということを示す数値らしい。

仮に,残糖度だとか発酵度だとかが基準だというのであれば,ある程度機械的に判定できそうだが,それでもスピリッツを加える時点で発泡酒がどのような発酵状態であるかということを正確に判定することは困難で解釈が分かれるということだろうか。

 

ダイヤモンドの記事の言うように,解釈については「国税庁の示す解釈が不当か否か」という争いになってくるだろうからメーカーにとってはまずもって不利な土俵であるうえに,ただでさえ強い監督官庁たちのなかでも最強といわれる国税であるから,闘い続けていくというだけでメーカーは満身創痍になりかねない。しかし,判官贔屓として,また,公平な判断者による論理的な判断を知りたい者として,サッポロビールには期待したい。

村田のエラーになるのはやはりおかしいのでは

今日は野球のルール&ジャッジメント&記録のお話。

5月4日のプロ野球、巨人広島戦(マツダスタジアム)。9回裏、2対2の同点で迎えた広島の攻撃は一死満塁。走者1人が生還すれば試合終了の場面。投手はマシソン。一塁走者會澤、二塁走者天谷、三塁走者野間。打者は小窪。

小窪はマシソンの2球目を打ち、ボールはバットに当たったが、高く打ち上がってしまった。相当高く上がるフライになったが、誰が見ても、落下点はピッチャーのマウンドより手前のところ(むしろキャッチャーに近いところ)になりそうだった。

三塁手村田と一塁手フランシスコが捕球しようと走ってきた。しかし、2人の連携が取れず、お見合いをしてしまい、落球。どちらかというと、村田が捕球しようとしていたところをフランシスコが邪魔したような形だった。フランシスコが拾うと、球審福家は、フェアの判定。

三塁走者野間は、その状況を見て、ホームに向かって走ってきた。

ボールを持っているフランシスコは、ホームベースを踏んだ。球審福家は、三塁走者フォースアウトの判定。

フランシスコは、ホームベースに駆け込んでくる野間から意識を離し、打者走者をアウトにできないか一塁のほうを向いた。野間は、その間に、一応ホームベースを踏んだ。

 

このプレー(判定)について、広島ベンチは、抗議した。インフィールドフライだったのだから、ホームはタッチプレイになるはずで、野間がタッチされずにホームベースを踏んだ以上、得点が認められるべきだということだ。公認野球規則においてインフィールドフライ(・イフ・フェア)はこのように定められている↓

2・40 『インフィールドフライ』
無死または1死でランナーが1・2塁、1・2・3塁にあるとき、バッターが打った飛球(ライナー及びバントを企てて飛球となったものを除く)で内野手が普通の守備行為をすれば捕球できるものをいう。この場合、ピッチャー、キャッチャー及び外野手が内野で前記の飛球に対して守備したときは、内野手と同様に扱う。審判員は、打球が明らかにインフィールドフライになると判断した場合には、ランナーが次の行動を容易にとれるように、直ちにインフィールドフライを宣告しなければならない。また打球がベースラインの近くに上がった場合にはインフィールドフライ・イフ・フェアを宣告する。インフィールドフライが宣告されてもボールインプレイであるから、ランナーは離塁しても進塁してもよいが、そのフライが捕らえられればリタッチの義務が生じ、これを果たさなかった場合には普通のフライの場合と同様アウトにされる恐れがある。たとえ審判員の宣告があっても、打球がファウルボールとなれば、インフィールドフライとはならない。
「付記」インフィールドフライと宣告された打球が、最初に(何物にも触れないで)内野に落ちても、ファウルボールとなれば、インフィールドフライとはならない。またこの打球が、最初に(何物にも触れないで)ベースラインの外へ落ちても、結局フェアボールとなれば、インフィールドフライとなる。
「原注」審判員はインフィールドフライの規則を適用するにあたって、内野手が普通の守備行為をすれば捕球できるかどうかを基準とすべきであって、例えば、芝生やベースラインなどを勝手に境界線として設定すべきではない。たとえ、フライが外野手によって処理されても、それは内野手によって容易に捕球されるはずだったと審判員が判断すればインフィールドフライとすべきである。インフィールドフライはアピールプレイであると考えられるような要素はどこにもない。審判員の判断が優先し、その決定は直ちに下さなければならない。インフィールドフライが宣告されたとき、ランナーは危険を承知で進塁してもよい。インフィールドフライと宣告された飛球を内野手が故意落球したときは6・05(l)の規定にもかかわらずボールインプレイである。インフィールドフライの規則が優先する。
インフィールドフライが宣告されたときに妨害が発生した場合、打球がフェアかファウルかが確定するまでボールインプレイの状態は続く。打球がフェアになれば、野手の守備を妨害したランナーと、バッターがアウトになる。打球がファウルになれば、野手の守備を妨害したランナーだけがアウトになり、その打球がキャッチされたとしても、バッターは打ち直しとなる。
「注」インフィールドフライは、審判員が宣告して初めて効力を発する。公認野球規則 下線は引用者 参考:セットポジション

このルールに照らすと、小窪の打球は明らかにインフィールドフライ(・イフ・フェア)とされるべき打球である。

しかし、球審福家の動きは、インフィールドフライ(・イフ・フェア)のものではなかった(インフィールドフライの場合には、打者走者がアウトになるために一塁・二塁・三塁走者の進塁義務が生じないので、ボールを持った野手がホームベースを踏んでも三塁走者はアウトにならない)。

実際、球審福家は、広島ベンチの抗議を受けた当初は、三塁走者野間がアウトだと述べていたようだ。しかし、三塁塁審(責任審判)の丹波がホーム付近にやってきて、三塁塁審と二塁塁審の嶋田がインフィールドフライを宣告していたから、小窪のフライはインフィールドフライであり、小窪はアウト、野間はタッチされずにホームに生還していると述べたので、球審福家も小窪の打球がインフィールドフライであったことを前提に広島の得点を認めた。

これにより、広島が9回裏に1点を挙げ、サヨナラ勝ち・ゲームセットとなった。

この判定には、巨人の原監督が納得いかず、球審によるインフィールドフライの宣告がなかったことについて抗議したが、判定は覆らなかった。

このプレーの公式記録がどうなったかというと、打者小窪は三塁手へのインフィールドフライで凡退、そして、三塁手村田のエラーがあって三塁走者野間が生還ということになったようである。

しかし、この記録は正しく実態を反映していないと思う。仮に落球の責任がほぼ専ら村田にあるとしても、である。

その理由として、野間をアウトにできなかったことについて、村田の落球の影響は実質的にないし形式的にも影響が遮断されているということが挙げられる。フランシスコがボールを拾った段階でプレーは次の段階に移っているし、フランシスコがボールを拾ってから野間にタッチしようとすれば容易にできたはずで、そこから先は村田の行動や判断の問題ではないからである。

そこで、公式記録上、村田のエラーが記録されているのはおかしいというのが私の考えである。

達川のインフィールドフライ事件のとき、達川のエラーがついたのは、ノーバウンド捕球できるところをワンバウンド捕球したという理由ではなく、三塁走者へのタッチを怠った(ホームベースを踏んだだけだった)ことが理由だったはずである。

そうすると、今回エラーがつくのは一塁手フランシスコとなるべきだろう(場合によっては盗塁が記録されてもおかしくないとも思うが)。

 

そして、このプレーで野間のボーンヘッドを指摘する意見もあるようだ。確かに、フランシスコが野間にタッチしていたら、野間はアウトになっていたことになる。

しかし、普通は、このケースで、球審が捕球or落球までにインフィールドフライ(または、イフ・フェア)の宣告をするのが当然なので、それがなかったときに三塁走者に進塁義務が生じたと考えて本塁に向かって走った判断は責められないように思う。むしろ、インフィールドフライがアピールプレーでないことをよく踏まえて行動したと評価されるべきだろう。

審判たちは、球審がインフィールドフライであることをもっとわかりやすく示すべきだった、と反省の弁を述べているようだが、球審のジャッジをよく見れば見るほど誤ったプレーをしてしまうことになっていたわけであり、本当のところは、わかりやすいかどうかという問題ではなく球審の判断が根本的に誤っていたということだろう。

 

※ 後日,ほぼ同旨のことをお書きになっているブログを発見。むしろ,そっちのブログほうがわかりやすく書かれているかも。5/19追記

弁護士はつらいよ

ちょっと昔,「雪国はつらいよ条例」騒動というのがあり,その騒動というのは,新潟の魚沼のある自治体が制定した「雪国はつらつ条例」というのが,「雪国はつらいよ条例」として教科書に載ってしまったというものです。石川県も雪国で,冬場つらいことが多いです。雪国という言葉に明確な定義はないようですが,石川県は,雪国度において,新潟県よりは下,宮城県よりは上といったところでしょう。

それは,ともかく・・・,弁護士は,正負で言えば,負のことに関与することが多い仕事です。仕事としてやっているので,そんなものといえばそんなものです。「本人」の立場で直面するのとは,意味合いが全く異なるでしょう。負の立場に置かれた人のために仕事をして,すっきりと解決してよかったなと思うこともあれば,「負」に飲み込まれてしまいそうになることもあります。これは,「事案」にもよるし,同じような事案でも「人」の動きによるのですが。

弁護士になってしばらくは,合理的ではない行動をとりまくっている人とか,自分から厄介ごとに首を突っ込んでいく人とか,意味が分かりませんでした。「高校デビュー」とか「大学デビュー」とかいう言葉があり,それらは自分をこじらせてしょーもない自己アピールにいそしむことを指しますが,「弁護士デビュー」の場合は多くがめぐりめぐってくる事柄との遭遇により生じることなので,受け身であがく形になります。しかし,人間の心の動きには典型例があるようです。私は,いろんな種類の人たちの思考過程・思考パターンに慣れてきた気がします。

でも,最近,ここまでやる者もいるのかと思わされることがありました。一度だけ法律相談をした人が,「○○○○(その相談者)代理人弁護士山岸陽平」の名をかたって他人に振込を行い,山岸弁護士が代理人に就任しているという嘘を信じ込ませようとした,ということがあったのです。そもそも,その相談は半年くらい前で,相談者とはそれ以降会っておらず,それ以降のことを全然私は知りませんし,無関係なのです。「▲▲弁護士に相談している」とか「今,依頼をしているところだ」ということを大げさに口先で言う人はわりと多いですが,嘘を信じ込ませるためにそこまでするとは…。

少なくとも,弁護士法違反,有印私文書偽造,同行使の犯罪行為です。弁護士の立場は法律によって規律され,守られているともいえますが,こんな簡単に犯罪に巻き込まれるというのも,「弁護士はつらいよ」というところですね…。