裁判員裁判での量刑が重くなる理由

求刑超える判決、裁判員裁判で急増…評議検証へ

裁判員裁判で被告の量刑を話し合う評議の進め方について、全国の60地裁・支部が初の検証に乗り出すことが分かった。

裁判員制度の導入後、検察の求刑を上回る判決が増え、裁判官らの間で「他の裁判員裁判の量刑と不公平が生じる」との懸念が強まっており、裁判官が量刑の決め方などを十分に裁判員に説明できているかどうか調査する。各地裁は今夏までに検証を終える予定で、評議のあり方の見直しにつながる可能性がある。

裁判員制度が導入された2009年5月から13年10月までに判決が言い渡された5794人のうち、約50人に求刑を超える刑が言い渡された。年平均で約10人に上り、裁判官裁判時代の平均2~3人を大きく上回る。

例えば、女児の頭を床に打ちつけて死なせた傷害致死事件では、「児童虐待には厳罰を科すべきだ」として、両親に求刑(懲役10年)の1・5倍の懲役15年が言い渡された。姉を包丁で刺殺した発達障害のある男が、再犯の恐れがあることを理由に、求刑を4年上回る懲役20年とされたケースもある。

検察側は過去の裁判例を踏まえ、判決で被告に有利な事情が考慮されて刑が軽くなることも想定し、求刑を重めに設定することが多い。求刑を上回る判決が増えたことに対し、裁判官や弁護士からは「他の裁判員裁判の被告との間で不公平が生じる」と危惧する声が多く上がっている。

裁判所が目指すのは、過去の裁判例を踏まえた適正な量刑判断だ。裁判員制度の導入直後は、裁判官が裁判員に、〈1〉犯行形態〈2〉被害の大きさ〈3〉犯行の計画性や動機――などの要素を踏まえることを説明し、過去の類似事件の量刑を集めた「量刑検索システム」も参考にして量刑を判断するものと考えられていた。

しかし、求刑を上回ったケースでは、「どのような要素を重視して刑を重くすべきだと判断したのか不明確な判決が散見される」(最高裁関係者)という。

このため、各地裁の検証では、裁判所法で定められている「評議の秘密」に触れない範囲で、個々の裁判官に、量刑の判断方法を裁判員にどう説明し、量刑検索システムをどう活用しているのか発表してもらい、その後、裁判官同士で評議のあり方を議論する。

東京地裁ではすでに裁判部ごとに検証を始めた。各地裁の検証結果を踏まえ、最高裁でさらに議論される。最高裁関係者は「今回の検証は、より充実した評議を実現するためで、裁判員の市民感覚を尊重する姿勢は変わらない」と話している。

【評議】 裁判員と裁判官が、被告の有罪・無罪や量刑を話し合い、結論を導き出す議論。通常、証人尋問や被告人質問を経て結審した後、裁判官を進行役として行われる。ただ、非公開で、内容について守秘義務も課せられており、どのような議論を経て刑を決めたのか、その経緯を外部から把握することは難しい。最高裁によると、1事件での評議の平均時間は約9時間半。

(2014年1月29日07時34分 読売新聞)

裁判員による裁判で量刑が極端に重くなる理由は、裁判員が「相対的な思考」を取っていない場合があるからではないだろうか。

「相対的な思考」とはどういうことか、単なる私の思いつきだが、常々考えていることなので、この機会に書いておきたい。

裁判員は、「犯罪者」を裁いた経験がないので、「目の前にいる被告人が(罪を犯したことが認められるとして)、相対的に言ってどれだけ悪質なのか」ということが直観的にわからない。

また、裁判員は、裁判所で刑事裁判にかかっている事件(裁判員裁判以外も含めて)が、どんな量刑相場で判断されているのかも、あまり知らない。

そうすると、裁判員が判断材料にするのは、裁判所が用意した同じ罪名の量刑データ、検察官の主張、弁護人の主張、被告人の言動、そしてもちろん犯罪に関する事実経過、ということになる。場合によっては、ここに被害者参加人も加わる。

そうしたときに陥りがちなのは、次のような流れだ(ここでは量刑を問題にしているので、否認事件ではなく自白事件を例に取る)。

 

1 検察官が犯罪の内容の説明をするので、裁判員はそれをモニター画面でビジュアル的に見ながら聞く。裁判員は、「こんな事件なのか。これはひどい、悪質だ。」と考える。

(裁判員裁判にかかる事件は、そもそも重大な罪名なので、類型的に悪質な事案がほとんど。)

2 裁判員は、検察官の論告・求刑を聞く。「犯行態様などは悪質。動機に酌むべき点はナシ。反省の態度を示しているのは当然であって考慮する必要性ナシ。被害者は厳罰希望。全体的に見て情状酌量の余地ナシ。」というのが検察官論告の基本線だ。その上で、検察官は、裁判員制度においては、悪い情状について特に強調すべき点があれば、裁判員に強くアピールする。その上で、「求刑」を言う。裁判員は、「正論だ。確かに悪質。こんな犯罪を起こすなど身勝手極まりない。」と思う。

 (ほとんどの事件は、「起こしても仕方がなかった事件、非常に同情すべき被告人」とはならない。ただし、介護殺人系の場合は、検察官の主張が緩やかなことがある。また、男性に従属的に行動した女性の場合には非常に同情視されるストーリーで起訴されるケースも散見されるが、男性の被告人の場合には「従属的な立場だった」というストーリーを検察官はめったに立てない。)

3 被害者参加人がいる場合、検察官よりもさらに重い量刑意見を述べる場合が多い。本来は、検察官も被害者の被害感情をよく聴き取ってそれを求刑に反映させている。ただ、裁判の場では、被害者は、検察官とは別に量刑意見を述べることができるので、検察官の主張にさらに厳しい被害者の意見を付け加える形になる。

 (裁判体によっては、被害者が述べた量刑意見を検察官の求刑と同じくらいに重要視するという流れが作られる。特に、「検察官の求刑は被害者の考えを十分に酌まないものだ。」という受け止めがされた場合、「被害者の意見を重視すれば、検察官の求刑以上の刑もありうる。」と裁判員が思うことにつながる。)

4 弁護人は、検察官が被告人に不利な事情を挙げるのに対し、被告人にとって有利な事情を挙げていく。被告人が事件を起こすまでのいきさつ、被害弁償や反省の状況など。

(有利な事情といっても、不利な事情を打ち消すほどのものは通常ないので、検察官の主張に真っ向から立ち向かうように主張すると、逆に「検察官の言ってることの方がもっともだ。」と思われて説得力を感じてもらえなくなる。また、裁判員の中には、被害弁償や反省をするのは当然のことであり、有利な事情として取り扱うのもおかしい、という直観を有している人がいることもある。)

 

このような流れの中では、「この被告人の事件は、相対的にどれだけ悪質なのか?」ということがほとんど考えられていない。

犯行は極めて悪質 → 被害弁償や反省も犯罪の大きさからすれば重視できない → 特に酌むべき事情もない → 同種の量刑データを参考にするにしても重い方に位置付けよう(少なくとも、平均より軽いなんてことは言えない)

と、情緒的に流れやすい。

 

しかし、そうした過去の量刑データ(裁判例)自体、

1 重大な犯罪類型に属する、すなわち極めて悪質なものが多い事案についてのものであり、

2 そのほとんどが「起こしても仕方がなかった」なんてことは言えない「身勝手な犯行」であり、

3 被害者の意思が厳罰希望であればそれも踏まえて判断がなされており、

4 被害弁償ができたケース・できなかったケースに分かれていて、できなかったら重い方向にできれば軽い方向に考慮されていた

のである。

 

このことを踏まえて考える、すなわち、「相対的な思考」ができていないと、「とにかく悪質な事案で、有利な事情は一応あるが事件の重大性に比べればほとんど無視してもよい程度の微々たる事情でしかなく、刑を軽くする事情として挙げるのも難しい。」というふうになりがちである。

そして、中には、検察官の求刑の中に被害者の意見が十分に取り入れられていないと感じ取った裁判員が、求刑以上の量刑を主張することがあるのだと思う(確かに、被害者の被害状況や意見が相当重視されるべきであることは言うまでもないことだが、他の要素をかき消して、相対的な判断ができないほどになると問題である。)。

 

しかし、これは、裁判員になった人たちが責められるべきというものではなく、普段「被告人」、特に重い罪に問われた被告人を見慣れていないので、仕方ないと思う。突然、人の死亡が関わる事案で被告人を裁けと言われ、検察官から事案を聞かされると「一般人がしないようなことをする悪人」としか思えないし、そういうことをした人にとっていかに「有利な事情」を挙げても、「そもそもそんな悪いことをしたのがおかしい」、「悪いことをしておいて被害回復をしたといっても、当然であり、むしろ足りない・遅いくらいだ」と思うのも当然かもしれない。

 

こうして、「量刑相場」に照らして軽い判断は出にくい一方で、重い判断は出しやすいので、厳罰化が進むのだと思う。

(もちろん、「陥りがちな流れ」というだけであって、しっかり相対的に判断できている裁判体も多いとは思う。)

 

これは、弁護人(弁護士)のやり方が良くない、というのもあるかもしれない。組織一丸で裁判員制度対策ができる検察庁・検察官と比べて、組織一丸とはいかない弁護人(弁護士)の立場があって、個別の事件ごとに弁護人が「まずい意見の出し方」を繰り返している可能性もある。

弁護人(弁護士)も研鑽を積もうとしているが、自主努力になってしまうし、被告人にとっては国選でつく弁護人は選べないから、裁判員の考え方や評議のあり方をよく理解した弁護人がつくかつかないかで差が出る可能性がある。

そうすると、弁護士の研鑽が行き渡るのを待つというのでは遅いので、こうやって裁判所が評議のあり方を検討していくということは、裁判員制度を維持するのであれば非常に重要なことであると思う。

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