東京都議会「セクハラヤジ」問題

東京都議会のセクハラヤジ問題では、鈴木章浩議員(大田区選出、当選3回、自民党)が塩村文夏議員(世田谷区選出、当選1回、みんなの党)に「早く結婚した方がいい」と言ったということが特定されて、鈴木議員が自民党会派を離脱した。

今は、マスコミ各社(NHKを含めて)が、他に誰が何を言ったのか、ということを競って伝えている状況だが、そろそろマスコミ報道はもう惰性だけの下らない流れになってきているように感じる。声紋分析の鈴木松美さん親子がまた出てきた。マスコミ御用達なんだなぁ。この流れでよくあるのが、今度は週刊誌が塩村議員側のスキャンダルを書き立てるというような流れだが、本当にそうなったら、「いやぁ、マスコミらしいですね」という感じだ。塩村議員もマスコミ出身で、マスコミの使い方がうまいように思えるから、流れが逆流することも当然予測しているのだろうが。

そして、こうやってマスコミが過熱しておかしなところで盛り上がったときにはマスコミ批判が出てくるが、批判がたいして反映されている様子もなく、同じような流れが繰り返される。

結局、マスコミが取り扱った本題に関して、社会がよりよい方向に向かったということもあまりないし、報道の仕方や盛り上がり方での反省が次につなげられることもあまりない。よっぽどひどいことをしたらしばらくは検証の会みたいなものが作られるけど。

今回の件で言えば、議員を名指ししてつるし上げるという、ときどき行われることがまたされているのだなと思う(かつてすごかったのは古賀潤一郎の件)。

もちろん、今回の件で、鈴木議員や自民党を批判するなというのではない。子育て関係の質問を真摯に行っている議員に対して、「早く結婚した方がいい」とか「産めないのか」とか大声で言うことは、鋭い指摘というより単なる中傷と妨害と憂さ晴らしであり、公のお金をもらって公のための議論をしなければならない場所でそういうことをしている人たちにはあきれるし、そういう行動をとる人たちを抱えながらまともな対処ができないグループもどうかと思う。そういうグループは、あえて言わずそのままにしておくのが当然という空気になっている。

発言議員の特定も、するなというのではない。できるならすればよい。でも、マスコミが鈴木松美さん親子を登場させて、どうのこうの言わせるようなことは、社会的な意義が乏しいなと思う。それで特定できなければ幕引き、とか書いてるのもおかしな話で、真の問題の所在を見つけて、議論を続けていけばいいのではないか。自分たちが面白くなくなったら「幕引き」にして報道は終わりですか。

私は、この件を次に行かすのであれば、塩村対鈴木(ほか自民党)という扱いにして、今回の件で何とかつるしあげをしようというのではなくて、議会のルールをもっとよくするとか、同様のことが起きたときに事実関係を把握しやすいようにするとか、自民党議員の本音を探って政権政党が本音とは違う政策を推進してストレスを溜め込むことになっている状況を検証するとか、そんなことだと思う。特に、国会でも地方議会でも行政施策に近い立場にある人たちがヤジでは本音を言えるけれども議論は本心ではないなんて状況があるとしたら社会的な病理か何かだと思う。

ヤジの中身としても、「結婚していないやつが物を言うな」とか「産んでから物を言え」ということなのだが(まぁこういう話は実際よく言われてる)、女性に対するセクハラという捉え方の是非はともかく(私は、幅広く「セクハラ」と捉えることで物が言えなくなるというデメリットもあると思う)、「話者が○○○でないと語る資格がない」というのは、政策に正当性があるかもしれないけど提案したのが誰々だから内容もまともに聞かない論じないということにつながるので、公の話し合いの場所での発言として本当によくないと思う。都民の代表として議論しに来ているのなら、まずは、何が話されているのか聞くべきだ。

そんなことを言って妨害しなければならないほど自分たちがストレスを抱えている、その原因を探ることで、自民党の議員(鈴木議員も会派を離脱しただけで自民党の議員である)には政策の向上につなげていただきたいと思う。

そして、鈴木議員は、もし今後自民党会派が自浄作用を備えてもそのとき自民党会派にいない以上自分で何とかするしかないのだから、ちゃんと自己分析をしてそういう作文でも発表してから自民党会派に戻るべきだと思う。自民党会派も、自己分析のできていない鈴木議員を戻したならば、それは即自浄作用が備えられていないことを意味すると思う。たとえば、女性は社会進出よりまずは出産であるとの本音を誰かが持っているとして、その本音が議論に挙がる前に消えるのはおかしいし、本音も政策に反映されていいのではないかと思うので、反省ポーズで口を噤むことは求めたくない。鈴木議員が今すべきこととしては、今後言いたいことを政策に反映するにはどうすればいいかを考えることだ。他人の発言を妨害するのではなくて。