最近大騒ぎになっている「佐村河内守」(さむらごうちまもる)問題。
佐村河内守という名前で作曲家を自称していた人が、実は全聾ではなく自分で作曲もしていなかったという疑惑。私は、ネットで騒ぎになるまで、「佐村河内守」のことを知らなかったが、テレビ各局が特集を組んだ結果、かなり有名になって売り上げにつながっていたらしい。
私は、この問題が発覚した後は、いろんな切り口があって興味深い問題だと思い、積極的に情報収集している。
まず、「佐村河内守」が自称していた聴力障害や作曲方法等が虚構であったとして、NHKがなぜプロモーションに協力する形になってしまったのか?ということ。特筆する知識や注意力のない個人であれば、それ相応の情報を与えられると、騙されることはあるものだろう。しかし、NHKスペシャルといえば、日本のテレビ界で最高峰ともいえるノンフィクション番組である。たくさんの人が、様々な方向から取材し、編集し、チェックし、審査していたはずである。疑問が生じなかったのか? 生じたとしたらどのプロセスでつぶされていたのか? または、虚偽の情報が入っていることに気づきながらそれを放置した者がいるのか? このことに大変に興味がある。民放については、広告代理店と結びついて物を売るための演出をしまくっているということで、私は醒めた目で見ているが、NHKについても直観的に近年どんどん民放に近くなっている気もしている。今のNHKなら、かつてのTBSのようにオウムの擁護をしてしまうかもしれない、というくらいに。
これについては、私自身に取材能力はないので、私が今後ブログなどで情報を発信してもたいした価値をもたないが、私自身としてはたいへんに関心がある事柄ではある。
これと関連して、マスコミにおいていかにして「売れる商品」が作り上げられていくか、その実態、技術、倫理、お金の動き方、いわゆる「弱者」の使われ方ということにも関心がある。まぁ、これも、ここでは長々と書かないが、大規模自然災害の時の募金の呼びかけ、募金詐欺、復興関連商法(NPO法人りばぁねっとのようなものも含めて)などと根っこは共通しているのではないかと思う。
法律が相当関係する問題としては、大きく分ければ、作られた曲の知的財産関係のこと、佐村河内守らの行為が刑事上の罪責を負うものかということ、である。
知的財産については、ソチオリンピックでのフィギュアスケートの高橋選手の曲に「佐村河内守」名義の曲が使われてる予定であったようで、JASRACの対応次第では現場で曲が使えない、曲を使えても放送できない、ということになりかねない、ということが、当面の大問題だ(理屈は知らないが、JASRACは権利の理由許諾を「保留」したという)。
そして、実作者であることを告白した新垣隆氏は、会見において、著作権を主張しないと言ったようだが、そうすると今後、曲についての権利はどうなるのか?というところだろう。
CDを購入した者が返金を請求できるか否か、という問題もあるが、誰に対してどのような根拠で請求するか、非常に難しいか。
刑事問題については、詐欺罪、身体障害者福祉法違反など、挙げている人たちがいるが、CDの販売に関して罪に問うのは基本的に難しく、虚偽申告により福祉関係の給付を不当に受けていたとすればそこを捉えての立件になるかと思う。
最後に…。今回、「佐村河内守」が体調不良を理由として表に出てこない代わりに代理人弁護士が記者の質問に応じて、「ご本人が、耳が聞こえないのは本当だろうと思っている。」と話していた。そして、弁護士自身も「佐村河内守」の身体障害者手帳を確認していると。
それって、弁護士という聴力判定についての「門外漢」が話しているだけで、それもまた騙されてるだけなんじゃないの? だって、他のたくさんの素人は騙されてきたんだし…、これで本当は聞こえていたというのが真実なら、発覚前のマスコミと同じように「信憑性」補強の道具に使われただけになるよね、と私は思った。
この件に限らず一般的なことだが、代理人というのは本人の「代理」をしているけれども、第三者としての発言を求められることもある。そのときにどう喋るか、どう立ち回るかというのは、相当難しいところだと思う。第三者の目で、本人の利益と関係なく、当該案件について知っていることをベラベラと喋るようなのは代理人ではない。しかし、本人の発言をそのまま伝えるだけというのであれば、代理人を立てる必要もない(単なる風よけだ)。基本的に、「本人のスポークスマンでいながら、交渉力も持つ」というくらいなのかな、というのが私の感覚だが、これも案件や場面次第で変わってくるだろう。