当事務所:土日祝日の刑事弁護態勢

土曜・日曜・祝日の刑事弁護のご依頼について

当事務所(金沢法律事務所、弁護士山岸陽平、金沢弁護士会所属)は、弁護士1名の事務所です。石川県内の他の法律事務所と同様、土曜・日曜・祝日を定休としております。

しかし、土曜・日曜・祝日においても、石川県(特に金沢市)付近で逮捕や勾留された方のご親族などからご要請があれば、私選弁護のお引き受けをできる場合がありますので、そうしたご事情がおありの方は、金沢法律事務所の電話(076-208-3227)にお電話をお願いします。

※ 転送対応ですので、都合により電話に出られないことがあります。また、非通知または携帯電話からの折り返し電話をする場合もあります。その日ごとの事情により、対応できないこともありますので、ご了承下さい。

年末年始につきましても、できるだけ対応します。

費用は事案によりますが、こちら(当事務所ウェブページ)を参考になさって下さい。

※ 距離との兼ね合いで、当事務所で対応しやすいのは、石川県内では、金沢中警察署、金沢東警察署、金沢西警察署(以上、金沢市)、白山警察署(白山市・野々市市)、寺井警察署(能美市・川北町)、小松警察署(小松市)、津幡警察署(かほく市・津幡町・内灘町)、羽咋警察署(羽咋市・志賀町・宝達志水町)。富山県内では、砺波警察署(砺波市)、南砺警察署(南砺市)、小矢部警察署(小矢部市)、高岡警察署(高岡市・射水市一部)。というあたりですが、それ以外の警察署の案件にも対応できることがあります。

※ 勾留された人(被疑者)は裁判所に国選弁護人の選任を求めることができる場合もあります(詐欺、傷害、窃盗、強盗、恐喝、強制わいせつ、自動車運転致傷、違法薬物使用等は被疑者国選対象です。住居侵入、暴行、脅迫、器物損壊等は被疑者国選対象ではありません。)。いずれにしても、逮捕直後(1~3日間程度)の段階では国選弁護人は選任されません。

 

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雑記 「柿木畠水掛け神輿」

開業からしばらく経ち、やや落ち着いてきました。
ただ、事務所の整備とか物品の買い入れがようやく一段落したというようなところであり、未処理になっている「やりたいこと・考えたいこと」は多くあります。
ウェブ上の発信もその一つで、まだ思い描いていたところまでは来ていません。
もっと相談のしやすい環境づくりを実現するため、取り組みを進めようと思っています。

6月中旬以降、眼や目の周りの腫れ・かゆみ、鼻の奥の痛み、中耳炎、外耳炎、顎痛、頭痛、体のだるさなど、次々と出現しましたが、なんとか頑張って立ち直りつつあります。
特に5月・6月とにかくいろいろ同時並行で進めたのと、食生活がおろそかになっていたことが影響しているかなと思います。
私は、これまであまりお医者さんには行かないほうでした。自分で何とかできるのかなと思っていました。ただ、だんだんと自分でもわかってきたのですが、どうも、私が「つらい」と言い出しているときには、医学的にはけっこうひどい状態にまでなっている傾向があるようです。そういう状況になって、寝てしばらくしても治らずに我慢ができなくなってから対処をするというのは問題があるかなと思うようになってきました。

それで今回は、自分なりには「さすがにつらい」となってから早めに病院に行きましたが、それでもまだ人から見ると遅いようです。眼科も耳鼻科も、ひどさの山に達した後に行きましたので、遅いのだと思います。
自分がつらさを我慢していればいいというだけではなく、自分のパフォーマンスが十全に発揮できない他の方にご迷惑をおかけしてしまうとも思うので、今後さらに自分のメンテナンスに気を遣うようにしたいと思います。

今日は日曜ですが、事務所の整備などで事務所に来ています。
金沢法律事務所のある香林坊・広坂・柿木畠・片町付近は、土日祝にイベント・お祭りが多いです。
ですので、9階にある事務所からそれらを眺めることができます。

今日、2016年7月24日は、柿木畠で、「第10回 柿木畠水掛け神輿」が開催されていました。

事務所から見える風景
事務所から見える風景
2016年7月24日 柿木畠商店街のお祭り
2016年7月24日 柿木畠商店街のお祭り

百万石通り(香林坊交差点~広坂交差点)の側でのイベントが多くて、柿木畠を行列が通るのは珍しいです。柿木畠は、地名も街の雰囲気も趣があり、いくつもいい店がありますから、より存在感が高まるとよいですね。

おそらく規定があるのだと思うのですが、金沢法律事務所の近辺では、平日は、音を出すイベントは開催されないようです。ですので、街の中ですが、平日は相談も執務も、静かな環境の中でできています。
現在、基本的にはご相談は平日にしておりますが、将来的に土日祝のご相談をするとすればどのように環境を作っていくか、課題はあるかもしれません。

金沢法律事務所、はじまりました。

金沢法律事務所、はじまりました。

香林坊交差点の近くのビルにあります。

まだまだ慌ただしいですが、だんだんと情報発信をしていきたいと思います。

事務所のウェブページは、BengoKanazawa.jpですが、内容はまだ未整備です。これから頑張ります。

金沢法律事務所入口
金沢法律事務所入口
金沢法律事務所サイン
金沢法律事務所サイン

選挙おくちいっぱいメモ~動員篇~

10月5日に投票が行われる金沢市長選に向けてお伝えする「選挙おくちいっぱいメモ」。

今回は、特別篇として、「動員」について取り上げます。

 

勤務先などで、選挙のために人員を集めて何かをさせることを動員と言います。

動員の目的は、大きく分けて、選挙運動のためか投票そのもののためです。

 

選挙運動に関しては、どうしても実働部隊が必要だというところがあるようです。たとえば、選挙の公示日の朝、掲示板に一斉にポスターが貼られている様子を目にしますが、公示日翌日になっても貼られていない(貼り漏らしがある)候補者もいます。これをきっちりやるには、人手が必要です。

そうした作業をどうやってするのかについては、それぞれ違いはあるでしょう。

 

投票に関しては、投票日における投票を強く促されるほか、期日前投票の制度ができてからは期日前での投票を強く推奨される形で「動員」がかかるようです。

この投票の催促・推奨は、組織が特定の候補者を推薦・支持・支援しているようなときに、特定候補者への集票を企図して行われることが多いようです。

これ自体は、公職選挙法上、違法ということにはなりません。

ただ、バスに集団を乗せて投票所近くまで運んでいく、というところまでやると、やり過ぎと感じます(やり方によっては、刑罰法規に触れることもあるでしょう)。

なお、投票所に赴き、そこで、誰の名前(または政党名)を書くかは自由です。候補者や政党の主張や信用性によって判断すればいいということになります。また、動員にあたって政策の良し悪しについての説明さえ十分になく、一方的になされた動員の効果を薄めたいというなら、むしろ別の人や政党の名を記入するというのも有力な手段でしょう。

しかし、本来は、誰かに従うとか反発するという感覚で投票先を決めるのではなく、投票行動は各人で考え、それをもとに議論した結果の反映であるべきです。

 

以上、「選挙おくちいっぱいメモ」は「動員」についてお伝えしました。

最近のわたし~金沢市の町名~

最近の私の興味は,金沢市の町名である。

金沢市の町名と言えば,旧町名復活運動がある。平成に入り,かつての町名変更で消えてしまった町名を復活させる機運が出てきた。市議会の議決により,平成11年には主計町,平成12年には飛梅町・下石引町,平成15年には木倉町・柿木畠,平成16年には六枚町,平成17年には並木町,平成19年には袋町,平成20年には南町,平成21年には下新町・上堤町が復活した(一旦名前が変えられたものが元の名前に戻された)。

金沢市が旧町名復活運動の先進地となっている感もある。

しかし,そもそも,金沢市は,昭和37年(1962年)5月施行の住居表示法(正式名称「住居表示に関する法律」)に基づく住居表示整備実験都市の指定を昭和37年8月に自治省から受け,住居表示の現代化のモデル都市とされ,それに基づいて,歴史的な町名が整理統合されて急激に塗り替えられてしまったという経緯がある。

金沢市は歴史ある都市で,それゆえか,全国の都市の中でも,町名が細かく分かれていた。当時,東京オリンピック(昭和39年,1964年)の開催が決まり,国際化,特に欧米の風習を取り入れて欧米に追いつくという意識が強まる中,昔ながらに細かく分かれた町名は,非合理的な旧弊と捉えられた。殊に,国の指導者層や中央官庁においては,そうした旧弊ひとつひとつが気になったのだろう。郵便事業との関係で,行政活動の利便性向上を期した面も大きかった。今となって捉えれば,金沢市もそうした潮流に呑まれた構図だが,金沢市民の気風からしてみれば,全国に先駆けて新しい風習を取り入れることに市民自身が積極的だったのかもしれない。

金沢市議会は,昭和38年3月,「金沢市住居表示に関する条例」を可決,同6月には市役所内に住居表示課ができ,同月には寺町地区などで最初の住居表示が実施される迅速さだった。

こうして,昭和38年から昭和45年ころにかけて,どんどんと金沢市の旧町名は消え,新しい住居表示が導入されていった。

たとえば,「中央通町」というのは,昭和40年9月の町名変更で新しくできた町名である。昭和39年に「片町中央通り」が開通し,その周辺が「中央通町」と名付けられたわけである。この町名に統合されたのは,裏伝馬町,下伝馬町,古藤内町,茶木町,犀川下川除町(一部),南長門町(一部),横伝馬町(一部),塩川町(一部),宝船路町(一部),西御影町(一部),富本町(一部),西馬場町(一部),新川除町(一部)である。

また,新町名を作るのではなく,代表的な旧町名をひとつ残してそこに統合したパターンも多い。たとえば,「尾張町」。昭和45年6月の町名変更で,今町,尾張町(南部),殿町(一部),味噌蔵町下中丁(一部),味噌蔵町片原町(一部),博労町(一部),橋場町(一部),中町(一部)が合わさって尾張町一丁目になり,上新町,下新町,主計町,尾張町(北部),橋場町(一部),母衣町(一部),博労町(一部),下近江町(一部),彦三二番丁(一部),桶町(一部),袋町(一部),青草町(一部)が合わさって尾張町二丁目になった。

「材木町」は,もともと,材木町通りの両側から成り立っていた町名だったが,旧材木町三丁目・四丁目・五丁目以外は,別の町名になってしまった。

このような勢いで,金沢市の町名は全域的に改変の対象になってしまった。

もちろん,町名の改変に対しては反対する声もあった。金沢市でも,町名改変や吸収統合に町会が納得しなかったなどの理由から,旧町名がそのまま残されたものがあった。たとえば,十間町,博労町,西町三番丁,西町四番丁,西町藪ノ内通,下堤町,下松原町,青草町,上近江町,下近江町といった近江町周辺の町名である(一部は尾張町に吸収されるなどしたが)。

全国的に町名変更(新住居表示)が行われる中で,町名に愛着のある人たちは容易に納得することはなく,次第に反対の声が大きくなっていって,町名変更作業が滞るようになっていった。特に,東京オリンピック前後に,お上から降って湧いたように町名変更が行われた東京では,反対の声が抵抗運動に結びつき,昭和40年代には町名変更の取消訴訟が複数提起された。昭和42年には,そうした全国の地域住民からの批判が高まった結果,「できるだけ従来の区域及び名称を尊重する」との立法趣旨のもと住居表示法の改正まで行われた。

ついに昭和58年(1983年)には,自治省行政局振興課長が各都道府県総務部長にあてて,「住居表示の実施に伴う町区域及び町名の取扱いについて」と題して,「現在の町区域及び町名はそれ自体が地域の歴史,伝統,文化を承継するものである」から,「今後の住居表示の実施に当たっては,住民の意思を尊重しつつ,みだりに従来の町区域を全面的に改編し,整一化を図ったり,また,町名を全面的に変更するということのないよう」都道府県が市町村を指導せよ,と通達した。

金沢市の町名改変についても,昭和57年(1982年)出版の『金沢・町物語~町名の由来と人と事件の四百年~』の中で,元中日新聞北陸本社報道部次長・編集委員・事業部長の高室信一氏が批判的な目を向けている(私のこの投稿は,この書籍に拠るところが大きい)。

こうして,一回りして,金沢市でも,強引な町名改変への反省と,伝統的な町名の見直しの機運が高まっていったのである。

しかし,金沢市での旧町名復活は,ごく一部にとどまり,今後もどんどんと実現が見込まれる状況にはない。その要因としては,一度変更したものを再度戻す場合のコストの問題,新旧名称の好き嫌いの問題,分断された旧町名を再統合することの困難さ,旧町名で道路方式をとっていた場合に現在金沢市で取っている街区方式から逸脱するので採用困難であること,等が挙げられる。

私は,かなり新しいもの好きだけれども,歴史あるもの・由来のあるものも好きだ。しかし,この問題については,歴史・由来重視である。利便性を優先して新しいものに変えていくという発想もあってよいと思うが,それならそれで,歴史を踏まえて考え尽くし,遺憾のないようにすべきである。一旦壊してしまうと,戻らないものも多いのだから。