判例変更か? 預貯金は遺産分割の対象になる?

相続・遺産分割に関して、非常に重要なニュースがあった。
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG23HAW_T20C16A3CR8000/

預金の分割、大法廷が判断へ 遺産「対象外」見直しか
2016/3/23 21:15

預金を他の財産と合わせて遺産分割の対象にできるかどうかが争われた審判の許可抗告審で、最高裁第1小法廷(山浦善樹裁判長)は23日、審理を大法廷(裁判長・寺田逸郎長官)に回付した。実務では当事者の合意があれば分割の対象とするケースが主流となっており、「対象外」としてきた判例が見直される可能性がある。弁論期日は未定。

大法廷に回付されたのは、死亡した男性の遺族が、男性名義の預金約3800万円について別の遺族が受けた生前贈与などと合わせて遺産分割するよう求めた審判。

最高裁は2004年の判決などで「預金は相続によって当然に分割されるため遺産分割の対象外」としており、一審・大阪家裁と二審・大阪高裁は判例にしたがって分割を認めなかった。

しかし、遺産分割前に遺族が法定相続分の預金の払い戻しを求めても、銀行は遺族全員の同意が無ければ応じないケースが多い。家裁の調停手続きでも遺族間の合意があれば預金を遺産分割の対象に含めており、判例と実務に差が生じている。

専門家からは「預金は不動産と違って分配しやすく、遺産分割の際に遺族間の調整手段として有効」との指摘もあり、法制審議会(法相の諮問機関)の専門部会は15年4月から、遺産分割で預金をどう扱うべきかについて議論を始めている。

 わかりやすい言葉で言うと、現在の最高裁判例では、

遺産の預貯金は、被相続人が死亡したときに自動的に各相続人に法定相続分で分割されるので、各相続人は、金融機関にある被相続人名義の預貯金のうちの法定相続分にあたる分を払い戻せる

のであり、

遺産分割の協議をする前でも、当然分割なので、払い戻し可能

ということである。(ただし、現在の判例でも、遺言があると話は別。)

 しかし、遺産のうちで預貯金だけは遺産分割をする前に当然に分割され、遺産分割の話し合いの対象から外れる、という結論には、違和感を持つ人も多いところである。それに、ニュース記事にもあるように、金融機関は、相続人全員の印鑑のある払戻請求書、遺産分割協議書、調停調書といったものがないと払い戻しに応じてくれないことが多い(訴訟をすれば結局払い戻されるが)。

 そこで、家庭裁判所での遺産分割調停でも、相続人全員の合意のもとに、預貯金を遺産分割の話し合いの対象にするという扱いを取るケースも多い。合意によって、法律の原則の適用を外すということがされているわけである。

 今回、最高裁が審理を大法廷に回付したことにより、最高裁がこれまでとは別の考え方を取る可能性が出てきた。遺産にはほぼ必ず預貯金が含まれているので、ほとんどすべての相続・遺産分割にかかわってくるルールについての変更がされる可能性があるということである。

 遺産分割調停においては、当然このあたりの判例を踏まえて対応しなければならないが、これからは判例変更の可能性も念頭に置きながらやっていかなければいけないと思われる。判例が変わったら、従来の判例の理論は一気に実務で使いづらくなってしまう。現在、世の中で争われている遺産分割事件にも影響がかなりありそうだ。

上脇元神戸市議の事件で大阪高裁が再審を認めた

私はこれまで上脇義生氏の事件のことや再審請求のことを知らなかったのですが、今般の報道で初めて知り、注目しておかなければならないことであるように思ったので、私なりにまとめておきます。


【概要(ニュースや上脇氏のサイトを読んでまとめたもの)】

上脇義生・元神戸市議は、知人の元風俗店経営者に脱税の指南をした疑いをかけられ、2008年に逮捕・起訴され、2010年6月に国税徴収法違反の罪で有罪(懲役1年6月、執行猶予3年)が確定していた。

上脇氏は、起訴後に市議を辞職したが、一貫して無実を主張していた。
元経営者の証言や元従業員の供述調書などを主な根拠にして有罪が認定されたものであった。
しかし、元経営者は、検察に誘導されて本当でない内容の調書作成に応じ、公判でも虚偽を述べたことについて、2013年夏の元経営者の執行猶予期間(5年)明け後に上脇氏に真相を告白した。
上脇氏は、2014年8月、元経営者や元従業員が詳細に真相を語った陳述書などをもとに、神戸地裁に再審を請求した。陳述書は、上脇氏に脱税の指南を受けたものではないことを述べ、なぜ上脇氏に指導を受けたかのような調書や証言になったのかについて理由を語るものであった。

神戸地裁は、2015年2月、証人尋問をすることもなく、再審請求を棄却した。それに対し、上脇氏は大阪高裁に即時抗告した。
大阪高裁は、2015年3月、元経営者に対する尋問を行うことに決めた。5月28日に行われた証人尋問では、元経営者が上脇氏の事件への無関与を具体的に述べた。7月には、上脇氏側と検察側の双方から大阪高裁に対して最終意見書が出し合われた。
そして、

2015年10月7日、大阪高裁(的場純男裁判長)は、「共謀の認定には合理的な疑いが残る」と述べ、神戸地裁の再審請求棄却決定を取り消し、再審開始を決定した。


【私の感想】

捜査機関の事件の見立てが外れるケースがあるのだ、そして、関係者(特に捜査機関)はそういう可能性をよく踏まえて取り組まなければ冤罪を招いてしまうのだ、ということを改めて実感する。

捜査機関は、強力な権限や駆使できる影響力を持っているので、調べようとすること・集めようとする証拠には非常に手が届きやすい。捜査機関は、そうして集めた客観的な証拠や動かしがたい証言をもとに、事件の筋を探し当て、刑事裁判で被告人を有罪にして適正な刑を与えるため、見定めた事件の筋に沿う証拠をさらに集めて固めていくという作業をする。

人間は、過去のある時点・ある地点に行って見たいものを直接見てくるわけにはいかないので、何があったかを考える作業は、必然的に推測によるところが出てくるものである。そのこと自体は能力に限りのある人間が社会を作っていくためには致し方ない。そうした過去の出来事についての推測をする際に誤りが入り込む可能性は低くはない。特に、少人数の人間の発言やそれを書き取ったというものによる場合には、大なり小なりの誤りは入り込む。実際のところ、裁判では、少々の誤りや曖昧さについては、ほとんど無視するようにして判断が下されることもある。過去のことを100%の精度で解明・表現することはできないので、ある程度割り切って結論を示しているようなところがある。

まず問題にすべきなのは、捜査機関の見立てについて、「筋を大きく読み違えていないか」ということ、それに「信用できない証拠が混ざっていないか」ということである。

上脇氏の件で、検察は、別の可能性はないのか、仮説に合致しない証拠がないのか、冷静・公平な目で検討しながら進めることができていただろうか? 真実の可能性がある反対説が浮上したとき(当事者や関係者の誰かが反対説に基づく検討を求めたときなど)に、それに目を向けない、検討しようともしない態度を取らなかっただろうか? 捜査機関が一旦固めようとした筋に固執し、それに反する証拠を排除したり、むしろ筋に合致する証拠を無理に作っていくということをしなかっただろうか?

いわゆる「共犯者供述(証言)」に基づいて有罪に持ち込もうとする場合、そうした無理が生じやすい。しかし、裁判所は被告人の主張の排斥するための論理をパターンごとに用意しているので、単に実際のストーリーを述べ、「彼(共犯者)には虚偽を述べる動機がある」とだけ主張したところで、あっさりと主張が排斥されてしまう。上脇氏の件でも、公判の際、上脇氏は無実の主張を貫き、「共犯者」の主張のおかしさや虚偽を述べる動機についてさんざん主張しただろう。それでも有罪になるということである。

そして、一旦確定した判決を覆すというのは非常にハードルが高い中、再審請求審の神戸地裁があっさりと請求を棄却し、辛うじて大阪高裁で救われたようなものが今回の結果である(ただ、検察が最高裁に特別抗告する可能性はある。)。

元経営者の陳述書(上脇氏サイト)を読むと、裁判所が元経営者の当初の法廷証言を信じた理由がどのようなものであったのか、また、実際は信じるべき証言でなかったことがわかる。


【司法取引の話】

今後、約2年以内には司法取引が導入されるけれども、弁護人が基本的には個々に勉強して取り組んでいくことになる中、捜査機関は一体になってリソースを活用して取り組むことが想定される。司法取引は、こうした経済事件で、はっきりとした証拠が残らない点について最も活用されるはずの制度であると思われる。見立てが間違っている可能性に目をつぶり、とにかく有罪という結論に持っていくためのツールとして司法取引が使われるならば、冤罪のおそれは高まってしまうだろう。

逮捕時の実名報道による名誉毀損

逮捕時に実名報道がなされ、逮捕・勾留後に不起訴処分となった件での判決

私は特段フォローしていたわけではないが、こうした訴訟があり、最近判決が出たということだ。

http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2015093000868
(時事通信)

毎日新聞に55万円賠償命令=不起訴男性の名誉毀損-東京地裁

愛知県警に偽造有印私文書行使容疑で逮捕され、不起訴処分となった東京都の介護士佃治彦さん(57)が、逮捕時の実名報道によってプライバシーを侵害されたなどとして、朝日、毎日、中日の新聞3社に計2200万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が30日、東京地裁であった。阪本勝裁判長は毎日新聞に55万円の支払いを命じ、他2社への訴えは棄却した。
阪本裁判長は、3社の実名報道によるプライバシー侵害は認めなかった。一方で、毎日が逮捕容疑を「有印私文書偽造、同行使」と書いた点について「真実とは言えない」と指摘し、名誉毀損(きそん)に当たると認定した。
判決によると、佃さんは2010年2月、偽造された契約書を民事裁判で証拠として提出したとして逮捕されたが、一貫して容疑を否認。同年3月に不起訴処分となった。
毎日新聞社の話 判決内容を十分に検討の上、対応を決める。(2015/09/30-19:06)

http://www.sankei.com/affairs/news/150930/afr1509300029-n1.html
(共同通信の配信記事)

実名報道「意義大きい」 容疑誤報には賠償命じる

愛知県警に逮捕され不起訴となった佃治彦さん(57)が「実名報道で被害を受けた」などとして新聞3社に損害賠償を求めた訴訟の判決で、東京地裁は30日、「容疑者の氏名を公表する社会的意義は大きい」として、朝日新聞社と中日新聞社への請求を棄却した。逮捕容疑を誤って報道した毎日新聞社には、名誉を傷つけたとして55万円の支払いを命じた。
判決によると、佃さんは平成22年2月、偽造有印私文書行使容疑で逮捕されたことを3社に実名で報じられ、翌月不起訴処分となった。佃さんは、軽微な事件を実名報道する必要はないと主張したが、阪本勝裁判長は「容疑者を特定することで報道内容の真実性が担保され、捜査が適正か監視できる」と退けた。
判決後の記者会見で佃さんは控訴する方針を示した。毎日新聞は「判決を検討して対応を決めたい」、朝日新聞社広報部は「主張が認められた」、中日新聞は「妥当な判断だ」とのコメントをそれぞれ出した。

この件特有の事情もあるだろうが、それを捨象して一般論として考えると、有名でない市井の人がさほど社会的に緊急性・重大性のない事件で逮捕されたようなときに、すぐさま報道されてよいのか、という問題がありそうだ。

この問題に関しては、今回、朝日新聞社と中日新聞社への請求が棄却されたように、報道内容の真実性の担保、捜査の適正の監視、といったことを重視し、名誉毀損などの不法行為への該当を否定するのが現在の司法の主流的考え方だ。

報道内容に誤りがあった場合

しかし、今回、毎日新聞社への請求は一部認容された。それは、報じた被疑罪名に誤りがあったためであるようだ。
今回の間違い方のパターンだと、警察が誤った内容を報道機関に教えたというものではないし、誤りであることがはっきりしているので、毎日新聞社の記者が誤ったのだと判断しやすかったというところがあるだろう。
私の経験上、新聞報道に書かれていることが被疑事実や逮捕前後の経緯とは食い違っているということは、ときどきあることである。ただ、今回の毎日新聞のように「誤り」であることを認めないことができないようなケースばかりではない。警察が言っていることが事実を取り違えていたり、書き間違い・しゃべり間違いというようなことだったしたら、報道機関は「取材源が言っていたとおり書いただけだ」という反論をする可能性が高い。
どのような誤りがあったときに名誉棄損にあたるのか、また、報道機関側がどのような反論を提出可能なのかは、要検討だろう。

新聞かインターネットか

各地方で起きる刑事事件は、比較的幅広く地元紙に掲載されている。インターネットのニュースサイトに掲載されるのはそのごく一部だが、明確な選別基準があるわけではない。テレビのニュースになり、その原稿がインターネットに掲載されるという場合も多い。
新聞であれば、掲載された情報の伝播方法は、基本的に口コミである。しかし、インターネットの場合には、消さない限り発信し続けられていることになるし、コピーもしやすい。よって、報道による名誉棄損が認められるとして、地元紙の紙面だけなのか、全国紙なのか、インターネット上なのかというのは、相当重要な要素になってくるのではないだろうか。

遺言控除、新設へ?

政府、相続税に「遺言控除」検討 資産移転を円滑化、在宅介護の促進後押し

2015.7.8 06:06

SankeiBiz

 政府・与党は、有効な遺言による相続であることを条件に、一定額を相続税の基礎控除額に上乗せして控除する「遺言控除」を新設する検討に入る。遺言の普及を促して遺産相続をめぐるトラブルを抑え、若い世帯へのスムーズな資産移転を図ることによって在宅介護の促進も後押しする。早ければ2017年度税制改正での実施を目指す。

 8日に開かれる自民党の「家族の絆を守る特命委員会」(古川俊治委員長)で、葉梨康弘法務副大臣が政府内の検討状況を説明する。

相続税は遺産総額から基礎控除額(今年1月から3000万円+法定相続人1人当たり600万円)が差し引かれた上で税率をかけて算出される。遺言控除が新設されると税金のかからない遺産が増える。制度設計は今後詰めるが、控除額は数百万円を軸に検討する。仮に300万円の遺言控除であれば30万~165万円の減税となる計算だ。

現状では相続税の課税対象のうち遺言が残された案件は2~3割程度。トラブルの解決にコストがかさむほか、不動産の処分が進まず、空き家が増える要因の一つとなっている。新制度で遺言を残す人が増えればトラブルが減る効果が見込める。

「終活税制」が本格的な検討に入ることで、配偶者控除など家族の在り方をめぐる税制議論全般に影響を与えそうだ。

 この動きは,相続時精算課税制度,直系尊属からの住宅取得等資金の贈与の非課税制度,子ども版NISAなどと軌を一にしていて,被相続人の生前から相続に向けた動きを取るよう政策的に誘導するものだろう。キーワードは,「資産の世代間移転」である。

 ただ,遺言控除ができたからといって,単に遺言を作ればお得になるという意識でやっていると,落とし穴があるのではないだろうか。相続税が課税される可能性のある人は,保有資産を分析し,どの制度・手段を用いるのかじっくり検討した上で進めたほうがよさそうだ。

 相続税を軽くするという手法で,遺言がもっと作成されるように政策的な誘導がなされるようになれば,特定の相続人が主導して被相続人に遺言を勧めるケースも,もっと増えるだろうと思う。そのような場合には,作られた遺言をめぐっての争いにも発展しやすい。死んだ後になって,被相続人の財産をめぐって,故人の真意を立証し合う争いが起きるわけであり,遺言を作らなかった場合に比べ,根の深い争いになりやすい。紛争になってしまうと,節税どころの話ではなくなってしまう。

 弁護士・税理士といった専門家と協議の上,遺言の利用を含めて資産継承の計画表を作り,被相続人と複数の相続人で認識を共有することができれば,ほぼ万全になるだろう。これは,被相続人の生前,それも意識障害の問題が生じる前にやるべきことだ。

 私も,弁護士として,自らの知識を深め,または他の専門家と連携して,税制を踏まえて「相続・資産継承」全体へのアドバイスをしていきたい。

間近に迫る注目刑事裁判の判決

岐阜県美濃加茂市の藤井浩人市長が受託収賄・事前収賄・あっせん利得処罰法違反の罪で2014年7月に起訴された刑事事件で、3月5日、名古屋地裁において判決が言い渡される予定だ。

世間から見ると意外かもしれないが、弁護士になって働いていると、同時代の別の事件について深く研究する機会があまりない。手持ちの事件に関係するものについてはよく調べるし、押さえなければならないところは押さえるが、やはり「仕事中心」になってしまう。

そうした中では、私は、この事件、比較的興味を持って見てきた。昨年9月、下記サイトの「弁護士コメント」のところにも書いたが、検察・警察がマスコミへどのように情報発信するのかということについて知見を持った郷原信郎弁護士が、それを乗り越えようとする弁護活動を続けてきているので、調べれば調べるだけ考えるための材料が豊富に出てくるというところがある。

http://www.bengo4.com/topics/2059/

(社会への情報発信を続ける郷原信郎弁護士が「自分の仕事」である個別事件についての情報発信も同じ場所(コラムのようなブログ)でして、それ以降ほぼそれに全力投球する形になっていったのには少々驚きもあったが、郷原弁護士はこの仕事に確信を持っていて、あえてその場を使っても情報発信をしたのだろうとも感じた。)

 

この裁判では、ほぼもっぱら、証人(贈賄側すなわち共犯者的な立場)の証言の信用性が問題になっているが、この「証言の信用性」というのは「融通無碍」的なところがある。判決を書く裁判官の胸先三寸で、有罪にも無罪にも書けるところがある。結論決め打ちの判決は、反対の結論に結びつきやすい重要な点を無視していたり一言の決まり文句で済ませていたりする(まともに書いてしまうと排斥しづらくなるから…)。

自分で記録を読んでいるわけではないので結局漏れ伝わることによるしかないが、今回の裁判では、市長の有罪を立証するための贈賄側証人の法廷外での言動や検察官との打ち合わせ状況についても法廷で話されるほど、この証人の証言の信用性について弁護側によって掘り下げた立証活動がなされていて、そうしたことをまともに取り入れて判断すると、検察官の立証には「合理的な疑い」が生じているといえる可能性が相当高まっているのではないかとも思う。

判決の主文に注目したいし、その理由にも注目したい判決だ。

反対尋問を経ない陳述書の証明力について

最近、私が担当している民事訴訟で、証拠として関係者の陳述書を提出する機会がありました。

提出先は地方裁判所です。

弁論準備手続でその陳述書を取り調べたとき、裁判官がある発言をしたのですが、それは後述します。

この裁判官の発言を聞いて、以前簡易裁判所で経験した理不尽なことを思い出したのでした…。

陳述書って?

裁判所の民事訴訟では、「陳述書」を多用します。この陳述書、どういう位置づけかというと、訴訟での法律上の「主張」を裏付ける「証拠」です。要するに、証明したい事柄を記した書面ではなく、証明したい事柄を証明するための材料そのものです。

この、「主張」と「証拠」の違いが非常に重要なポイントです。

訴訟では、何も証拠を出さないと、相手が自分から認めない限り、「主張しているだけで証拠がない」という扱いになります。ここでいう「証拠」というのは、たとえば、契約書のようなもの、日記のようなもの、写真のようなもの、誰かの証言、現地を検証した結果などです。これは、訴訟の類型によって本当に千差万別です。

このうち、誰かの証言というのは、主に法廷で行われる証人尋問とか本人尋問のことです。証人や本人(原告や被告)が話したことが証拠になります。もちろん、言うだけで全部正しいとはなりません。他の証拠などによる裏付けがなければ、証明力(事実を証明する力)が弱くなります。証言の証明力もさまざまなのです。また、反対尋問と言って、相手方は証明力を崩すための尋問をしますので、一見もっともらしく証言しても、逆効果になることもあります。

ところで、現在、日本の裁判所では、ぶっつけで証人尋問や本人尋問をすることは少なく、事前に証人・本人を作成者とする「陳述書」を提出させます。これによって、裁判官は、事前に証人の発言内容を予測して、的確に発言を捉えることができるようになります。また、反対尋問をする相手方は、陳述書を参考にして反対尋問の準備をします。

こうした陳述書の作成者は、そこに名前を書く人(名義人)ということになります。

しかし、実際には、こうした陳述書の作成過程というのは多様です。名義人が自分で構成して仕上げるということもあります。弁護士が名義人から事情を聴き取ってそれを書面化し、名義人がその内容を確認の上署名押印するという場合もあります。弁護士が代理人に付いている訴訟の場合は、弁護士の手で証拠を裁判所に提出するのが通常ですので、どちらかといえば、弁護士が内容をまとめることのほうが多いでしょう。

このように、弁護士が話を聴き取って陳述書の内容をまとめるということ自体は、特に問題なく行われています。このようにして出来上がった書面であっても、作成者は名義人です。もちろん、名義人自身が書面の内容と自分の記憶をしっかりと照合して、内容に間違いのないことを確認した上で、署名押印をする必要があります。それをいい加減にしていると、証人尋問のとき、名義人自身が述べていることとして陳述書に書かれていることなのに、「そんなこと知りません」とか「違います」ということになって、陳述書の内容全体の信用性がガタッと落ちてしまいます。

逆の観点から言えば、陳述書におかしなこと(特に、重要な客観的証拠に反する内容)が書かれている場合、訴訟の相手方は、証人尋問(反対尋問)のときに、陳述書の名義人に対し、それを問いただす質問ができるということになります。陳述書というある意味「書き放題」な書面は、そうした反対尋問を経ることで、その信用性が測定されるわけです。

反対尋問がされないとき、陳述書は…

冒頭の話に戻ります。

私は、関係者が作成した陳述書を提出しました。しかし、重要な争点との関連性が薄いこともあり、私はその関係者の証人尋問を申請しませんでした。

相手方も、その関係者の証人尋問を申請せず、裁判所も職権で尋問することはないようでした。

この場合、この陳述書は、言いっぱなしになります。ここに書かれたことはどう扱われるべきでしょうか?

ここで、裁判官の発言がありました。「反対尋問を経ていない陳述書ですので、相応の証明力になります。」という趣旨の発言でした。

私は、陳述書を提出した側ですが、この考え方については、一般論として賛同します。争いのある争点について、その関係者の述べることを柱に立証したいという場合には、立証したいと望む側がその関係者を証人申請して、相手方に反対尋問の機会を与えるべきであると思います。そうやって、反対尋問の洗礼を浴びてもなお、その関係者の述べることに真実味があると判断できる場合には、その陳述書や証言に高い証拠価値が置かれることになるべきです。

私の、簡裁での理不尽な記憶とは…

ここで、次のような考え方もあるかもしれません。

陳述書を提出した側がその関係者の証人申請をしない場合に、相手方もその関係者の証人申請をできるのではないか? そうやってスルーしたということは、反対尋問権の放棄と考えて、裁判所がその陳述書を根拠にして自由に事実認定してしまってよいのではないか? (特に、その関係者が裁判所に出て来られないような特段の事情がない場合です。)

しかし、このような考え方は妥当ではないと私は思います。陳述書を出して証人申請しないという場合、そこに書かれたことを単にそのまま引用して判決を書かれても困るので、相手方が証人申請しないといけなくなります。相手方の証人を裁判所に同行するわけにもいかないので、裁判所を通じて呼出状を出してもらい、旅費や日当なども仮に負担したりしなければならなくなります。

これは明らかに実のない駆け引きです。こういう事態を誘発しないように、陳述書を出した側(立証したいことがある側)がその陳述書の作成者を証人申請しない場合には、相手方が作成者を証人申請しなくても、陳述書の証明力はそれ相応に取り扱われるべきでしょう。

この考え方は、法曹一般に理解されていることだと思っています。

しかし、弁護士になって間もない頃、私は、簡易裁判所で理不尽な思いをしました。私が被告側を引き受けていた民事訴訟でのことです。

大まかな事件の構図を言うと、両者の押印のある典型的な契約書があり、相手方(原告)がその契約書の内容とは異なる契約内容を主張しているという事件でした。相手方(原告)は原告本人の陳述書を提出しましたが、それは弁護士がまとめた作文のような内容で、原告本人尋問も申請しませんでした。被告申請により、被告関係者の尋問だけが行われました。

ところが、判決には、「被告は原告の陳述書の作成の真正を争っておらず、原告の陳述書を証拠とすることに同意している」とか「原告の陳述書は具体的で迫真性を有するから信用できる」「それに反する被告の主張は採用できない」というような意味合いのことが書かれていて、契約書は無視されてしまい、陳述書に書かれた契約内容がそのまま事実として認定されてしまいました。

私は、この判決を読んで、簡易裁判所の場合は、裁判官役の人が法律家の常識を備えていない場合もあるのだと知りました。これ以降、かなり警戒感を持っています。

ただ、このときの対応に関しては、私もかなり甘かったのだと思います。その簡裁判事は、「原告自身がこの陳述書を作成したという点については、被告も争わないのですね」ということをわざわざ確かめてきたことがあったのです。刑事事件で、弁護人が、検察官や警察官作成の被告人供述調書をそのまま証拠とすることに同意するかしないか意見を言うシステムがあるのですが、その裁判官役は、どうやらそのやり方で証拠とすることの同意をとってしまえば陳述書の内容をそのまま判決にできると思ったようなのです。その頃の私は、判決を読んではじめてその発言の意図を知った未熟者でした。イヤな予感はしていたのですが、本当にそうだったのか、という…。

なお、その判決書には、私の名前の前に

訴訟代理人弁護人って書かれてました。

いや、私、刑事事件の弁護人じゃないんですが…。何の法廷だったのか。

その後も、簡裁ってどうかな、と思う出来事がいくつかあるんですが、この件が最も強烈で、ずっと忘れません。

最近、こちらが訴えた簡裁の事件で、相手方(被告)の弁護士が、移送の上申書ではなく、うまく準備書面で移送をやんわりと促していて、簡裁判事もそれを読んで地裁に移送していました。ベテランになると、簡裁判事の顔を潰さず移送させるうまいやり方を持っておられるのだなぁと思いました。

今回の地裁の裁判官の発言で、苦い思い出をまた思い出し、それとともに、地裁はまだ基本的な部分で信頼できるなと思った次第です…。これからも経験を積み重ねて、いろいろな事態に対応できるよう努めていきたいと思っています。

相続問題の疑問点 ~やしきたかじん篇~

最近のホットトピックといえば、やしきたかじん氏の晩年をめぐる問題だ。

百田尚樹著・幻冬舎刊の『殉愛』(11月7日発刊)が発刊され、同日そのプロモーション的特集がTBS(金スマ)で放映されたが、それ以降、ネット・裁判所などいろいろな場所を舞台として、現在まで盛り上がりを見せている。

ここでは、私が読んだ週刊新潮12月18日号(以下「新潮」)をあてにして、法律的なことを中心に何か書いてみたいと思う(なお、私は『殉愛』をまだ読んでいないし、他の雑誌の記事もあまり読んでいない。)。

H 対 幻冬舎

まず、新潮には、11月21日に、たかじん氏の唯一の子「H」氏が『殉愛』の出版差し止め及び1100万円の損害賠償を求める訴えを東京地裁に起こしたと書かれている。新潮には書かれていないが、この訴訟の被告は幻冬舎である。この訴訟では、ほぼ専ら、百田尚樹氏の取材執筆がどのような資料をもとになされたのか、その資料に根拠があったのかが争われるだろう。

百田氏は、Twitterで、「今まで言わなかったこと、本には敢えて書かなかったいろんな証拠を、すべて法廷に提出する」、「一番おぞましい人間は誰か、真実はどこにあるか。すべて明らかになる。世間はびっくりするぞ」と力を込めている。訴訟の中での証拠提出行為がさらなる名誉毀損に当たることもあるので注意である。

新潮には、日本筆跡鑑定協会指定鑑定人の藤田晃一氏が「メモ偽造疑惑」をシロと判断したと書かれている。しかし、金スマで放映されたメモには、たかじんの妻の「S」氏の癖と似た癖が出ているように見えるものもあるし、私は本当にシロなのかわからないように思う。

なお、裁判所は、筆跡鑑定を他の科学的鑑定と同列には扱っておらず、筆跡鑑定への信頼をあまり持っていない。裁判所は、むしろ、書かれた状況や内容を重視して、真筆か否か判定する傾向にある。

そこで、どのような経緯で書かれたものなのかが焦点となってくるだろう。ただ、「S」氏が裁判所に出廷するのは当分先になるし、しかるべく準備をして臨むことは間違いないので、本当の真実が裁判所の法廷で明らかになるとは考えないほうがいいだろう。

判例上、概して、公益性・公共性・真実性が認められれば名誉毀損にあたらないとされており、今回の裁判でも、たかじん氏の晩年の出来事についてノンフィクションや記事にして出版することの公共性・公益性も問題になってくる可能性がある。そうすると、今後の芸能人のゴシップ記事一般への影響もありうるだろう。

S 対 ネット

新潮には、たかじん氏の妻の「S」氏が、ネット上の「重婚」(イタリア人男性や別の男性との婚姻歴があること)や「偽造」(上述のメモ)に関する書き込みの一部について警察に被害届を提出済みであり、さらには名誉毀損で訴える準備も進めていると書かれている。

面白いのは、上記の東京地裁の訴訟で、おそらく幻冬舎側は、たかじん氏は有名人なので『殉愛』の出版には公共性・公益性があると主張すると想定されるところであるのに、仮に「S」氏がネットの書き込み者に名誉毀損の民事訴訟を提起するとすれば、「S」氏についての事実指摘は公共性・公益性がないと主張することになるだろうということ。確かに「S」氏の個人的な事柄がネットで暴露された形ではあるが、それは自ら作家と組んで世間に広めようとしたことに関連する事柄であり、一部は自らブログに載せていたことであるようで、その場合には、公共性・公益性等がどのように判断されるべきなのか興味深い点である。

遺産分割(相続)

新潮によると、「S」氏の代理人弁護士は、次のように語っている。なお、以下の引用で「さくらさん」とは「S」氏のこと。

遺言書を作成する場合、通常は遺留分を総額の半分くらいは残しておかなければなりません。さくらさんも“そこは考えてください”と言っていたのに、遺言執行者だったY弁護士が遺留分を全く考慮せずに遺言書を作成したのです

私には、これがちょっと理解しがたい。

このときの遺言というのは、たかじん氏が死に直面しているということで、危急時遺言(民法976条)が用いられたらしい(参考ブログ→http://mmtdayon.blog.fc2.com/blog-entry-153.html)。これは、民法の定めに基づき、遺言者が証人の1人に遺言の趣旨を口授することで行われる。そして、遺言の趣旨の口授を受けた証人はそれを筆記し、筆記した内容を遺言者に閲覧させるか読み聞かせるものである。

そうすると、ここでの遺言は、遺言者であるたかじん氏の言ったことが反映されているはずである。「Y」弁護士はたかじん氏の発言を聞き取ってその場で遺言書を作成したはずであり、その内容を「考えなおす」か否かもたかじん氏が決めることであるから、「S」氏が事前に「Y」弁護士にそう言っておいたのにそうなっていないからおかしい、というほうがおかしいのである。

確かに、これは建前の議論であって、実際には受贈者が主導してスレスレの作られ方をする遺言もあるのだろう。しかし、「S」氏の代弁者である代理人弁護士が、遺言が「S」氏の指示通りになっていないと公に語るのはちょっとヘンな気がするのである。

特に、これは、危急時遺言という特殊形式の遺言である。この遺言形式は、自筆でもなく、公正証書に依るでもないものであり、その代わりに、3名以上の証人が立ち会い、その場で「口授」「筆記」「閲覧or読み聞かせ」「承認」をなす必要があるというものである。自筆や公正証書の場合には、事前に遺言者と打ち合わせて原案を作り、それをもとに自筆するか公証役場で概要を話させるという方法がありうるが、危急時遺言の場合には「そこに書いてあるとおりです」という口授の仕方は基本的に不可能であると思われ、そうすると作り方が異なってくるはずである。

そして、この危急時遺言という遺言の形式は例外的で特殊ゆえに、自筆証書遺言の場合にしなければならない家裁の「検認手続」の前に「確認手続」も取らなければならないとされている(ちなみに、公正証書の場合はどちらも要らない)。家裁は、遺言が遺言者の真意に出たものであるという心証を得た場合に「確認」の審判をすることになるのだが、この確認の審判というのは、いわば仮定的な判断であり、もしその後に地裁で「遺言無効確認訴訟」が提起されてそこで争われた場合には、そこではまた1から遺言の有効性が争われることになる。「確認手続」における、遺言者の真意に出たかどうかの判断にあたっては、家庭裁判所は、証人の意見を聞く程度であり、その遺言によって不利な影響を受ける者の参加が法定されていないから、特定受遺者と不利を受けた法定相続人の間での本格的な争いは、家裁ではなく地裁で行われるということになる(遺言の無効を確認する訴訟は、遺産分割の前提になる議論ではあるけれども、地方裁判所に提起することになっている。)。

たかじん氏の遺言については、「確認」が平成26年1月22日に、「検認」が平成26年2月25日になされたようである。これに関し、たかじん氏の遺言の有効性が裁判所で争われ、すでに有効と決していると書かれているのを見たが、これは上記の「確認」のことであって、一般的な「遺言無効確認訴訟」ではないのではないかと思われる(私は、この件で仮に遺言無効確認訴訟を提起した場合、こんな短期間のうちに地裁の判断は出ないはずだという感覚を持っているため、このように書いている。もう遺言無効確認訴訟も終わっているのだということであれば、ご指摘いただきたい…。)。

新潮には、「H」氏が遺留分減殺請求権をめぐって訴訟をするかどうか検討中であるように書かれているが、仮にたかじん氏が証人3名のいる前で危急時遺言を口授したか否かについても疑問だということになれば、形式不備で遺言無効という可能性もあるから、遺言無効確認訴訟提起の見込みもあるように思う。

そして、この件では、行方不明のお金や、「S」氏用金庫のお金の位置づけなど、遺産の範囲についての争いもあるようで、これはこれで遺産分割ではとどまらず、地裁の訴訟で決すべき話になってくる。

このほかにも、S氏はたかじん氏の個人事務所に対し株主総会決議取消訴訟を起こしているということである。

ということで、この件は、ゴシップ的に面白いのに加えて、法的にもこの種の事案にまつわるいろんな要素を含んでいて、「フルコース」といった様相で、興味深いところである。

残業代(割増賃金)の付加金 訴額に入れるのか入れないのか

最近、破産管財に関する懇談会・勉強会に出席したところ、話題の一環として、未払い残業代の「付加金」の話が出てきた。

破産者の破産管財人は、破産者が使用者(雇用主)に対し未払い残業代の支払い請求権を有している場合、使用者(雇用主)に対して訴訟を提起して残業代のみならず付加金の支払いを求めることができるか? できるとすれば金額(割合)に限度があるのか? というような話だ。

この話の中で、訴訟で付加金請求をしたときの訴額算定の話がちらりと出て、どなたかが「付加金の金額も訴額算定の基礎になる」という発言をされた。

しかし、私は、付加金(労働基準法114条)というのは、裁判所が使用者に対する制裁として命じることができる政策的なものであり(もちろん反射的に雇用者への恩恵になるが)、これが独立して訴訟物を構成するものではないから、未払い残業代(割増賃金)と同額の付加金を請求に挙げたことによって残業代(割増賃金)についての訴額が実質的に倍になってしまうというのに違和感があった。

そこで、ちょっと調べてみたところ、なんと、裁判所ごとに考え方が異なっていて、付加金を訴額算定の基礎に入れる地裁と入れない地裁があるということのようだ。

東京地裁は、付加金請求は付帯請求であると考えて、訴額には入れない。

大阪地裁は、請求する付加金の金額を訴額に入れる扱い。

東京の弁護士による説明には、訴額に入れないとはっきり書いているのもあるくらいなのに…。

大阪には、この差異について取り上げて語っておられる弁護士も複数おられる。(坂本昌史先生 sir.child先生…)

訴額への影響が大きいため、管轄(簡易裁判所に訴訟提起できるか、できないか)にも関わってくる。そこで、地方裁判所の訴訟代理権のない司法書士も気にする点のようだ。

そして、巷の情報(ブログなど…)によると、福岡地裁・神戸地裁は訴額に算入しない、驚くことに大阪地裁堺支部も訴額に算入しないのだとか。ただ、これって、一般論に立ち返ると、裁判長(裁判官)の訴状審査権(民事訴訟法137条)によるものだろうから、必ずしも地裁(支部)ごとの話ではなく、事件が係属する裁判体ごとの判断ということになってくるのだろう。でも、東京地裁本庁と大阪地裁本庁での扱いは、裁判官ごとの自由というよりは、それぞれの労働専門部の見解なのだろう。たぶん。

そこで、金沢地裁、富山地裁、福井地裁やそれらの各支部での扱いが気になってくるところだ。司法書士のすずきしんたろう先生によると、名古屋地裁本庁では訴額に入れるらしく、2010年に北陸のどこかの地裁本庁に電話をかけて、「名古屋では入る」と言いながら聞いたところ、「名古屋に準じて入る」と言われたそうな。

しかし、その時点から今まで日が経っていて裁判官も書記官も代わっている中で、その取り扱いが受け継がれているのかは謎だ(そもそも、当時扱いがしっかり定まっていたのかも謎だ)。ただ、冒頭に書いた懇談会・勉強会で、弁護士のどなたかが「入る」という旨のご発言をなさったということで、現在金沢地裁では「入る」扱いをとっているか、そういう扱いをとる裁判官がいるのではないかと思われる(全員そうかどうかはわからない)。

何もないのに聞くというのもおかしいので、今度付加金が発生するような案件(端的に言えば、残業代請求とか…)があったらどうなっているのか聞いてみたい。印紙不足で訴状却下にされた上で即時抗告で争うなんてのは、さすがに大変だと思うけれど(それをやるなら、できるだけ東京高裁管内でやりたい気がする。なんとなく。)。

破産申立 初歩の初歩

破産の初歩の初歩

破産についてよく知らないまま、債務を抱えて苦しんでいる方(個人、会社)もおられるのではないかと思いますので、「初歩の初歩」を書いてみます。

弁護士に破産や債務整理などの相談に行く決断をするにあたっての参考になれば幸いです。

破産って?

法律上、「破産」とは、破産者(個人または会社)の財産をお金に換えて、債権者に公平に分配する手続のことを言います。各地の地方裁判所に申し立てます(石川県なら、金沢地方裁判所本庁か小松・七尾・輪島支部です)。

ここで、浮かんできやすい疑問は、次のようなものでしょう。

 私は、財産なんて全然持っていなくて、負債しかない。それなのに、「財産をお金に換えて分配」って何のためにやるの? どういうメリットがあるの?

特に、不動産を有していない個人がクレジットカード債務に追われているような場合ですね。

これに対しては、次のようにお答えできます。

 破産手続が終わった後に、裁判所から「免責許可決定」を受けることにより、債務を支払う責任がなくなります。財産をほとんど持っていない個人も含め、破産者にとっての破産申立てのメリットはここにあります。

なお、ふつうは、破産を裁判所に申し立てると、裁判所が破産者ごとに破産管財人を選任します。破産管財人は、破産者の財産をお金に換えるなどの役割をもっています。しかし、換金する財産がほとんどないような個人の場合には、破産管財人を選任せずに裁判所の書類チェックだけで破産手続が終わることがあります(これを「同時廃止」といいます)。

会社の破産の場合には、破産管財人の選任が必須です。また、財産のない個人でも、事業をしていた人が破産する場合には、原則として破産管財人を選任しなければならない扱いになっています(少なくとも、金沢地裁はそのような扱いです)。管財人を選任しなければならない場合、破産者において裁判所への「予納金」として数十万円~百万円超を納めなければならないことになります。

お金をたくさん借りて、好き放題に使いまくって破産?

こういう説明をすると、あくどい(短絡的な)人は、次のように考えたりします。

 俺は財産も持っていないし、「同時廃止」で破産を受け付けてもらえる可能性が高い。お金をとにかくたくさん借りて、好き放題に使いまくって、なくなったときに破産すればいいんじゃないか。あるいは、破産の相談に行く前にクレジットカードで高額商品を買いこんでおいてどこかに隠しておいて、それで破産すればいいんじゃないか。

しかし、こういう考えは通用しません。

各債権者との取引履歴や、過去の預貯金通帳も裁判所へ提出する必要があります。そこで、不自然なお金の動きがあると、裁判所のほうで同時廃止で受け付けてもらえずに管財案件とされたり、「免責許可決定」が下りずに債務支払いの責任が残ったりすることがあります。

また、財産を隠すようなことがあると、「免責許可決定」は下りなくなるおそれが大きいといえます。免責されなければ、たまった債務を自分で払っていくしかなくなります。

ひどいやり方で借金を積み重ねても、弁護士に破産申立を任せれば、なんとかなる・・・という考え方は間違っています。そのような考え方で動いてしまうと、後でつらい目に遭うでしょうから、甘い考えを持たないほうがよいでしょう。

会社・事業者の破産は、事業停止前に考えたほうがよい

会社や個人事業者の破産については、先ほど申し上げた予納金(そのほとんどが破産管財人を選任するための費用に使われる)の準備が大変になります。特に、債権者数・負債額・従業員・店舗が多い会社については、破産管財人の仕事も膨大になるので、裁判所に納める費用だけで100万円超を求められることもあります。

会社の場合、代表者が債務を保証していることも多いので、代表者も同時に破産申し立てすることも多く、その分の予納金も必要になります。

それに加えて、破産申立をお願いする弁護士にも費用を支払う必要がありますので、かなり現金が必要になってくるといえます。

動いている会社の場合には事業停止の直前にでもこうした費用を比較的捻出しやすいです。しかし、事業停止してしまうと、会社や代表者の取引先金融機関の口座は実質的に使えなくなることが多いですし、残っている売掛金の回収を費用に充てようとしてもなかなかうまくいきません。

定期的な入金や残存しているお金以外のところからお金を集めて破産手続開始申立てをするのは、本当に大変な思いをします。よって、会社・事業者が法的に現在の事業を整理することを検討している場合には、破産などの費用を想定しておくとともに、緊急事態になる前に弁護士に相談しておくほうがよいでしょう。

年金担保貸付に要注意

年金担保貸付の落とし穴

独立行政法人福祉医療機構の「年金担保貸付」という制度がある。

この制度は、年金受給権を担保として融資を受けられる制度であるが、厚生年金保険法と国民年金法で年金受給権を担保とした貸付が禁じられている中で、国が特別に設けた制度である。

福祉医療機構という善良そうな組織名と、国が特別に作った制度だということで、何やら表面的には安心感が漂う…。しかし、実は、高齢債務者の債務整理にあたり、債務者がこの制度を利用していた場合、生活債権の足かせになりかねないものである。

破産後も年金から差し引かれ続ける

どういうことかというと、まず第一に、この制度によって年金受給権を担保に供していた場合、破産しても、福祉医療機構が相変わらず年金支給機関から年金を受け取り、契約で定められた分年金をきっちり差し引いてしまう、受給者が受け取れるのは差し引かれた後の年金だということである。よって、現実的に働くことのできない高齢債務者は、破産後、年金が差し引かれているうちは自主的な生活再建が困難である。

高齢の年金受給者で、やむをえず破産に至る可能性の高いのは、企業経営絡みで連帯保証人になっている者ではないかと思われるが、そうした者がこの「年金担保貸付」を利用している場合、取り扱いに注意すべきだ。

代理店金融機関が得るおこぼれ

第二に、私が破産手続ではなく任意整理において、職務上経験したケース。

この「年金担保貸付」は「独立行政法人福祉医療機構代理店」と表示されている金融機関を通じて申し込むのだが、福祉医療機構が年金支給機関から年金を受け取り、福祉医療機構の分を差し引き、その後は、代理店の金融機関の口座に入金することになっている。そこで、高齢債務者が債務不履行状態になっていて、代理店金融機関に対する債務のある場合には、代理店金融機関は債務者名義の口座を凍結し預金と債務を相殺しようとする。

そこで、である。この場合、福祉医療機構の分を差し引いても、年金は半分程度残っていたりするのだが、代理店の金融機関は、それが入金されるのを待ち構えていて相殺しようとするのである。

これについては、そうやって入ってくるお金は明らかに年金であるから、「差押禁止債権を原資とする預金債権の差押え」の問題となるのではないかと考えられる。

この点、私のケースで、石川県の某金融機関は、最高裁平成10年2月10日判決を盾にとって、預金として入金後は識別不可能だから差押え可能だと説明し、差押えを実行した。このケースでは諸事情あり、裁判所で争うことはなかったが、私は、このケースは、上記最高裁判決後に出された東京地裁平成15年5月28日判決のように、実質的には識別・特定可能であり(だって、凍結しているところにまんまと入ってくるお金だし・・・)、差押禁止にあたり相殺できないのではないかと思う。

しかし、このケースそのものについての判決例は見当たらなかった。そのため、こうやって争いになること自体が嫌忌すべきリスクではあろう。

なお、この場合でも、任意整理ではなく破産手続を選択すれば、代理店金融機関が優先的に弁済を受けることはできないことになるだろう。

年金担保は縮小、廃止へ

この年金担保という制度、年金の前借りというような異様な制度であり、それなのに実質的に審査しているのが窓口金融機関ということで、福祉的な観点が薄れ、望ましくない様相を呈していた。

また、この制度と生活保護を併用するような人たち(年金を前借りしておいて、後の期間で生活費が不足したら生活保護を受けるというような形か・・・)も出現するに至って、廃止論が高まり、民主党政権下の事業仕分けで廃止評決が出された。

それを受けて、厚生労働省は、制度の廃止に向けて現在も動いている(融資限度額を下げるなどしている)が、なかなかすっぱりとは廃止できないようである。