【今後の抱負】社会福祉士試験に合格しました

このたび、社会福祉士国家試験に合格しました。

弁護士が携わる問題には、随所に「社会福祉」が関わってきます。特に、成年後見など高齢者障害者についての問題、子どもの問題などにおいてです。しかし、弁護士になるまでの勉強では、社会福祉の制度・歴史・考え方・現状を専門的に学ぶわけではありません。実務を通じて知ること・必要に応じて勉強することが多かったわけです。ある程度まとまった形で勉強をしたいと思い、レポート学習や試験勉強に取り組んでいました。

福祉施設での実習(フルタイム23日間)や演習では、高齢者などサービス利用者との面接技法やケアプランを学びました。特に、実習は、前の勤務先を退職して新事務所を設立するタイミングと同時並行でやっていたので、かなり大変でしたが、価値ある経験になりました。弁護士としての仕事の中でも活かしたいと思っています。

社会福祉士の資格者だけができる「独占業務」はありません。一般的には、福祉施設・社会福祉協議会・行政・病院などで働く方が取得する「プラスアルファ」の資格として考えられていますが、活かし方にはバリエーションがあります。

私は、今後も、仕事の軸足は「弁護士」に置き、一般的な訴訟や会社法務も含め、引き続き取り組んでいきます。成年後見など高齢者にかかわる仕事にはさらに力を入れていきます。その中で、社会福祉の知識や技能を取り入れていきたいと思っています。社会福祉の分野に限らずですが、さらに勉強の範囲を広げ、深めていきたいと思います。

社会福祉のあり方は社会にあり方そのものに直結します。日本では、社会のあり方や制度についての議論が足りないまま、仕組みが作られることが多いと思っています。知識を弁護士としての個々の業務に活かすだけではなく、社会のあり方、公の制度のあり方について発言をし続けていけるよう、努力を重ねていきたいと思います。

雑記 「柿木畠水掛け神輿」

開業からしばらく経ち、やや落ち着いてきました。
ただ、事務所の整備とか物品の買い入れがようやく一段落したというようなところであり、未処理になっている「やりたいこと・考えたいこと」は多くあります。
ウェブ上の発信もその一つで、まだ思い描いていたところまでは来ていません。
もっと相談のしやすい環境づくりを実現するため、取り組みを進めようと思っています。

6月中旬以降、眼や目の周りの腫れ・かゆみ、鼻の奥の痛み、中耳炎、外耳炎、顎痛、頭痛、体のだるさなど、次々と出現しましたが、なんとか頑張って立ち直りつつあります。
特に5月・6月とにかくいろいろ同時並行で進めたのと、食生活がおろそかになっていたことが影響しているかなと思います。
私は、これまであまりお医者さんには行かないほうでした。自分で何とかできるのかなと思っていました。ただ、だんだんと自分でもわかってきたのですが、どうも、私が「つらい」と言い出しているときには、医学的にはけっこうひどい状態にまでなっている傾向があるようです。そういう状況になって、寝てしばらくしても治らずに我慢ができなくなってから対処をするというのは問題があるかなと思うようになってきました。

それで今回は、自分なりには「さすがにつらい」となってから早めに病院に行きましたが、それでもまだ人から見ると遅いようです。眼科も耳鼻科も、ひどさの山に達した後に行きましたので、遅いのだと思います。
自分がつらさを我慢していればいいというだけではなく、自分のパフォーマンスが十全に発揮できない他の方にご迷惑をおかけしてしまうとも思うので、今後さらに自分のメンテナンスに気を遣うようにしたいと思います。

今日は日曜ですが、事務所の整備などで事務所に来ています。
金沢法律事務所のある香林坊・広坂・柿木畠・片町付近は、土日祝にイベント・お祭りが多いです。
ですので、9階にある事務所からそれらを眺めることができます。

今日、2016年7月24日は、柿木畠で、「第10回 柿木畠水掛け神輿」が開催されていました。

事務所から見える風景
事務所から見える風景
2016年7月24日 柿木畠商店街のお祭り
2016年7月24日 柿木畠商店街のお祭り

百万石通り(香林坊交差点~広坂交差点)の側でのイベントが多くて、柿木畠を行列が通るのは珍しいです。柿木畠は、地名も街の雰囲気も趣があり、いくつもいい店がありますから、より存在感が高まるとよいですね。

おそらく規定があるのだと思うのですが、金沢法律事務所の近辺では、平日は、音を出すイベントは開催されないようです。ですので、街の中ですが、平日は相談も執務も、静かな環境の中でできています。
現在、基本的にはご相談は平日にしておりますが、将来的に土日祝のご相談をするとすればどのように環境を作っていくか、課題はあるかもしれません。

金沢法律事務所、はじまりました。

金沢法律事務所、はじまりました。

香林坊交差点の近くのビルにあります。

まだまだ慌ただしいですが、だんだんと情報発信をしていきたいと思います。

事務所のウェブページは、BengoKanazawa.jpですが、内容はまだ未整備です。これから頑張ります。

金沢法律事務所入口
金沢法律事務所入口
金沢法律事務所サイン
金沢法律事務所サイン

近時の状況(今年は大きく変わります!)

更新ができていません。書きたいことはちょくちょく思い浮かんでいるのですが、こういうのは習慣と意欲ですね…。

以前シリーズ化しようと思ったものもそのままですね。特に、選挙制度(投票価値)については、弁護士になる前から私なりにいろいろ調べていて、私なりにアクションを起こしたい気持ちを持って今年を迎えたのですが、これは1人で片手間では簡単なことではないですね。諦めてはいませんが。
大まかに言うと、私は、国政選挙は極力投票価値を等しくすべきであり、最大格差を無理矢理縮めて急場をしのぐという現在のやり方は論外だと思っています。都道府県など地方公共団体ごとの権利を主張して投票価値の原則の修正を図る(挙げ句にはそのための憲法改正を主張する)のも違うと思います。ちなみに、選挙制度の改正の際には、人気取りのために定数削減を言う政治家が多いですし有権者が呼応しやすいのですが、定数削減の議論が延々となされているのもおかしくて、適正な人数や制度の議論であるべきです。

他には、相続・遺言について、現在どのような制度になっているかわかりやすくご紹介したうえで、現在国会や政党で議論されている法改正についてはしっかり追っていかなければいけないと思っています。ふつうに、まっとうに生きている人が、自分で何かを引き起こしたわけでもないのに遭遇してしまう法律問題ですが、知っているか知らないかで差がつくことも多いので。

今年は、私の執務態勢が大きく変わる予定です。
2016年4月~6月上旬は新態勢の諸準備や研修受講などがあるため、新しい案件・ご相談の受任が困難です。また、私は、5月・6月は事務所にいないことがかなり多いと思います。ご迷惑をお掛けします。ご依頼中の案件は責任を持って取り組みます。
6月半ばころには金沢でバリバリ復帰する予定ですし、皆さんに知ってもらいたいと思うので、ウェブ上でも新態勢を展開していきます。

北陸新幹線ルート問題について

北陸新幹線は、2015年3月に東京・金沢間が開業しましたが、今後、2022年度に福井県の敦賀まで開業するということです。
しかし、その先の大阪へのルートがまだ決まっていません。

もともとの北陸新幹線の計画(1973年)では福井県の小浜を通るとされていて、そこから京都府の亀岡を通り、新大阪まで行くというふうに考えられていました。
また、それとは別に、北陸から琵琶湖東岸を通って名古屋に行くという、北陸・中京新幹線計画というものもありました(これは立ち消えに)。

その北陸新幹線の計画に基づいて小浜を通るルートを「小浜ルート」とか「若狭ルート」といいます。

「小浜ルート」の主な難点は、建設費が高いこと、建設に時間がかかりやすいこと、京都市に駅を作れないこと、名古屋へのアクセスもよくないことなどです。

そこで、別の案として、琵琶湖の西岸を通って京都駅付近で東海道新幹線に接続する「湖西ルート」や滋賀県の琵琶湖東岸の米原駅で東海道新幹線に接続する「米原ルート」が提唱されているところです。

「湖西ルート」の主な難点は、建設費が安くはないこと、強風により運行に支障が生じやすいこと、京都での接続に難があること、名古屋へのアクセスがあまりよくないこと、滋賀県がJR湖西線の第三セクター化に難色を示すことなどです。

「米原ルート」の主な難点は、JR東海の運営する東海道新幹線への乗り入れが非常に困難であること(当初は米原での乗り換え等が発生しかねないこと)、大阪・京都への速達性がやや失われることなどです。

これらの案には一長一短あり、またそれぞれの短所がなかなか厄介な問題であるところ、いずれの案にも決まらないままになっています。

そこへ、今年8月になって、JR西日本が「小浜・京都ルート」を新たに検討し始めました。
想像ですが、JR西日本としては、東海道新幹線への乗り入れや接続ということはとにかく避けたいということなのでしょう。
そして、北陸の人々にとっては、京都駅へのアクセスというのがかなり大きな要素でしたので、その意味で従来の「小浜ルート」の難点がかなり解消される案になっています。
ただ、京都駅以南の路線整備にかなりのコストがかかる(従来の小浜ルート並みかそれ以上になる)上、路線が曲がるので時短効果が薄れるというところがあります。

運営主体となるJR西日本が持ち出してきた案であり、JR東海との調整を避けられる可能性があること、京都・大阪へのアクセス重視をする人たちの意向におおむね合致すること、関西自治体の利害にも合うことなどから、最有力に急浮上してきた案であるように思われました。

さらには、京都府選出の西田参院議員も、小浜・京都ルートを前提として、関空へのアクセスについてのさらなる構想を語るなど、かなり勢いがついてきた感があります。

石川県議会は、2015年の10月に、「米原ルート」に早期決定するよう国に求める決議をしたのですが、石川県民が大阪方面に行く場合に敦賀どまりになる期間を短くしたいというところからの発想のように思えます。これは近視眼的であるといえますし、JR西日本が小浜・京都ルートを提示した後でしたので、時期外れのナンセンスなものになってしまいました。
この石川県議会の決議では、米原ルートに特定しない案も少数会派から出されており、通常はそれを先に審議するルールになっているところ、多数会派はその審議をとばしてまでも「米原ルート」を決議してしまいました。

石川県が今後、「米原ルート」を実現したいのであれば、福井県・富山県と共同歩調を取り、JR西日本やJR東海を説得することが必要でしょうが、そのようなことはまずできないでしょう。

私としては、小浜・京都ルートは妥協案ではありますが、妙案という評価ができるように思います。政治的にも「地雷」をうまく回避できており、さらに関西の意欲を引き出すことの可能な案です。福井県はもちろん前向きでしょう。それに、富山県も、現在金沢乗り換えという不都合を味わっている中で、今後敦賀乗り換え→米原乗り換えということになるよりも、再び一本で京都や大阪へ行けるようになる希望を持ちたいと思うでしょう。そして、最もカギになるのは、先ほど述べたJR西日本の意向です。
よって、今後、小浜・京都ルートへの趨勢が強まっていくでしょう。
そのような中で、北陸各県は、これまでの持論を差し置いて、小浜・京都ルートを前提とした(またはそれを強く推進させるような)動きを取ることがよいのではないかと思うのですが、どうでしょうか。

「新しい弁護士活用法」

私がよく読んでいるブログの一つに、「アメリカ法曹事情」というものがある。

このブログは、文字通り、アメリカの法曹事情を紹介し、そのうえで、かなり率直に日本の法曹界の現状・今後についても述べているので、参考になる。
そのブログの「新しい弁護士活用法?」というエントリ(2015年5月23日)は、興味深い。
要するに、国会議員秘書を増やし、弁護士枠をつくるという案である。

 

現実的な目で見ると、財政的な問題と、立法作業のできる弁護士の育成の問題はある。しかし、方向性としては賛成できる。

理由1 現状で国会議員の法案立案能力が高いとはいえない(法案の立案に使える資源の量も不足している)

#各省庁の官僚が中心となって用意する法案はもちろん法律としての体裁が整っているし、行政運用の安定にも資するが、必ず各省庁の案がベスト・ベターだというわけでもないはず。そのようなとき、国会議員からも案を出せるようになっていることが望ましい。また、従前とは異なる観点から法案を作っていくときには議員立法によることも多いが、立案能力の向上により、議員立法が活性化し、新しい発想を生かせる場面が増える。

##大まかに言うと、国会では、「対案出してみろ」的なことを与党が言って、野党がパッチワーク的な案を出し、微妙なところで妥協して成立させるということが行われている印象をもっていますが、背骨のある野党案を期待したいところなんですよね…。

理由2 もっと世間のためになるような場所に弁護士を増やしては?

#弁護士の数が急激に増えている昨今だが(自分も含めてだが)、弁護士の具体的な仕事のどれくらいがどのような意味で社会を向上させているのか、幸福をもたらしているのか、疑問なところがある。本質的に仕方ないことなのかもしれないが、「限られたパイの取り合い」に終始している感が強い。お客様「各自」の向上が基本である。確かに、それもそれとして重要なことはもちろんだけれど、そういう個対個(会社であってもその意味では「個」)に知恵を振り絞る役目の人ばかり増やすのではなく、もっと力を注ぎ知恵を振り絞ることで国や地域が向上していけるようなところに人を配置したほうがいいのではないか。

 

なお、以下は余談…。

国として、弁護士をどう活用するのか、ビジョンがちゃんとしていないままここまで来てしまっている感があって、そんななか、みんなが弁護士とすぐ・気軽に相談できるようにするのが理想だから各地域に細かく分散させて配置しようというような流れにある。しかし、本当にそうやって人数をとにかく増やして配置を進めていくことがみんなの幸せにつながるのか、私は実のところ疑問を持っている。相当程度お金を払ってまで法的にもめ事を解決してもらいたい、という需要がそこまで散在しているのかどうか…。それに、需要があったとして、介入していくことで幸せにつながらないようなものも多いだろう。根の深いご近所トラブルとか…。

本質的にたくさんの需要が散在している(多くの人が持っている願い)とすれば、もっと生活を便利にしたいとか、精神的にもあたたかく充実した生活を送りたいとか、物質面で恵まれたいとか、さまざまな趣味や楽しみに取り組んで文化的に暮らしたいとか、平和・安全に過ごしたいとか、そういうものだと思う。そして、この種の需要というのは、政治的な側面(非常に大雑把に言うと、自分のところに公的なお金を入れてくれ、みたいな話とつながる)もあるし、民間の営利活動によって叶っていくという面もある。

私は、そういう需要(需要の実現だけではなく、利害調整も含め)に応えたいとか、役立ちたいという思いは強くある。役立つための役回りは、いろいろあるだろうとは思う。

なお、上述の議員立法を担う国会議員秘書なんていうのも、そういう意味での役回りだろう。でも、ちらほらと入っていくだけではあまり意味がない。ちゃんと抜本的に制度化しないと、個々の頑張りも焼け石に水になる。

私自身は、まだ漠然としているところもあるけれども、どのようにすることが社会の役に立つのか、いかにすれば本質的な意味で役立つ人として活用してもらえるようになるのか、さらに模索していきたい。

村田のエラーになるのはやはりおかしいのでは

今日は野球のルール&ジャッジメント&記録のお話。

5月4日のプロ野球、巨人広島戦(マツダスタジアム)。9回裏、2対2の同点で迎えた広島の攻撃は一死満塁。走者1人が生還すれば試合終了の場面。投手はマシソン。一塁走者會澤、二塁走者天谷、三塁走者野間。打者は小窪。

小窪はマシソンの2球目を打ち、ボールはバットに当たったが、高く打ち上がってしまった。相当高く上がるフライになったが、誰が見ても、落下点はピッチャーのマウンドより手前のところ(むしろキャッチャーに近いところ)になりそうだった。

三塁手村田と一塁手フランシスコが捕球しようと走ってきた。しかし、2人の連携が取れず、お見合いをしてしまい、落球。どちらかというと、村田が捕球しようとしていたところをフランシスコが邪魔したような形だった。フランシスコが拾うと、球審福家は、フェアの判定。

三塁走者野間は、その状況を見て、ホームに向かって走ってきた。

ボールを持っているフランシスコは、ホームベースを踏んだ。球審福家は、三塁走者フォースアウトの判定。

フランシスコは、ホームベースに駆け込んでくる野間から意識を離し、打者走者をアウトにできないか一塁のほうを向いた。野間は、その間に、一応ホームベースを踏んだ。

 

このプレー(判定)について、広島ベンチは、抗議した。インフィールドフライだったのだから、ホームはタッチプレイになるはずで、野間がタッチされずにホームベースを踏んだ以上、得点が認められるべきだということだ。公認野球規則においてインフィールドフライ(・イフ・フェア)はこのように定められている↓

2・40 『インフィールドフライ』
無死または1死でランナーが1・2塁、1・2・3塁にあるとき、バッターが打った飛球(ライナー及びバントを企てて飛球となったものを除く)で内野手が普通の守備行為をすれば捕球できるものをいう。この場合、ピッチャー、キャッチャー及び外野手が内野で前記の飛球に対して守備したときは、内野手と同様に扱う。審判員は、打球が明らかにインフィールドフライになると判断した場合には、ランナーが次の行動を容易にとれるように、直ちにインフィールドフライを宣告しなければならない。また打球がベースラインの近くに上がった場合にはインフィールドフライ・イフ・フェアを宣告する。インフィールドフライが宣告されてもボールインプレイであるから、ランナーは離塁しても進塁してもよいが、そのフライが捕らえられればリタッチの義務が生じ、これを果たさなかった場合には普通のフライの場合と同様アウトにされる恐れがある。たとえ審判員の宣告があっても、打球がファウルボールとなれば、インフィールドフライとはならない。
「付記」インフィールドフライと宣告された打球が、最初に(何物にも触れないで)内野に落ちても、ファウルボールとなれば、インフィールドフライとはならない。またこの打球が、最初に(何物にも触れないで)ベースラインの外へ落ちても、結局フェアボールとなれば、インフィールドフライとなる。
「原注」審判員はインフィールドフライの規則を適用するにあたって、内野手が普通の守備行為をすれば捕球できるかどうかを基準とすべきであって、例えば、芝生やベースラインなどを勝手に境界線として設定すべきではない。たとえ、フライが外野手によって処理されても、それは内野手によって容易に捕球されるはずだったと審判員が判断すればインフィールドフライとすべきである。インフィールドフライはアピールプレイであると考えられるような要素はどこにもない。審判員の判断が優先し、その決定は直ちに下さなければならない。インフィールドフライが宣告されたとき、ランナーは危険を承知で進塁してもよい。インフィールドフライと宣告された飛球を内野手が故意落球したときは6・05(l)の規定にもかかわらずボールインプレイである。インフィールドフライの規則が優先する。
インフィールドフライが宣告されたときに妨害が発生した場合、打球がフェアかファウルかが確定するまでボールインプレイの状態は続く。打球がフェアになれば、野手の守備を妨害したランナーと、バッターがアウトになる。打球がファウルになれば、野手の守備を妨害したランナーだけがアウトになり、その打球がキャッチされたとしても、バッターは打ち直しとなる。
「注」インフィールドフライは、審判員が宣告して初めて効力を発する。公認野球規則 下線は引用者 参考:セットポジション

このルールに照らすと、小窪の打球は明らかにインフィールドフライ(・イフ・フェア)とされるべき打球である。

しかし、球審福家の動きは、インフィールドフライ(・イフ・フェア)のものではなかった(インフィールドフライの場合には、打者走者がアウトになるために一塁・二塁・三塁走者の進塁義務が生じないので、ボールを持った野手がホームベースを踏んでも三塁走者はアウトにならない)。

実際、球審福家は、広島ベンチの抗議を受けた当初は、三塁走者野間がアウトだと述べていたようだ。しかし、三塁塁審(責任審判)の丹波がホーム付近にやってきて、三塁塁審と二塁塁審の嶋田がインフィールドフライを宣告していたから、小窪のフライはインフィールドフライであり、小窪はアウト、野間はタッチされずにホームに生還していると述べたので、球審福家も小窪の打球がインフィールドフライであったことを前提に広島の得点を認めた。

これにより、広島が9回裏に1点を挙げ、サヨナラ勝ち・ゲームセットとなった。

この判定には、巨人の原監督が納得いかず、球審によるインフィールドフライの宣告がなかったことについて抗議したが、判定は覆らなかった。

このプレーの公式記録がどうなったかというと、打者小窪は三塁手へのインフィールドフライで凡退、そして、三塁手村田のエラーがあって三塁走者野間が生還ということになったようである。

しかし、この記録は正しく実態を反映していないと思う。仮に落球の責任がほぼ専ら村田にあるとしても、である。

その理由として、野間をアウトにできなかったことについて、村田の落球の影響は実質的にないし形式的にも影響が遮断されているということが挙げられる。フランシスコがボールを拾った段階でプレーは次の段階に移っているし、フランシスコがボールを拾ってから野間にタッチしようとすれば容易にできたはずで、そこから先は村田の行動や判断の問題ではないからである。

そこで、公式記録上、村田のエラーが記録されているのはおかしいというのが私の考えである。

達川のインフィールドフライ事件のとき、達川のエラーがついたのは、ノーバウンド捕球できるところをワンバウンド捕球したという理由ではなく、三塁走者へのタッチを怠った(ホームベースを踏んだだけだった)ことが理由だったはずである。

そうすると、今回エラーがつくのは一塁手フランシスコとなるべきだろう(場合によっては盗塁が記録されてもおかしくないとも思うが)。

 

そして、このプレーで野間のボーンヘッドを指摘する意見もあるようだ。確かに、フランシスコが野間にタッチしていたら、野間はアウトになっていたことになる。

しかし、普通は、このケースで、球審が捕球or落球までにインフィールドフライ(または、イフ・フェア)の宣告をするのが当然なので、それがなかったときに三塁走者に進塁義務が生じたと考えて本塁に向かって走った判断は責められないように思う。むしろ、インフィールドフライがアピールプレーでないことをよく踏まえて行動したと評価されるべきだろう。

審判たちは、球審がインフィールドフライであることをもっとわかりやすく示すべきだった、と反省の弁を述べているようだが、球審のジャッジをよく見れば見るほど誤ったプレーをしてしまうことになっていたわけであり、本当のところは、わかりやすいかどうかという問題ではなく球審の判断が根本的に誤っていたということだろう。

 

※ 後日,ほぼ同旨のことをお書きになっているブログを発見。むしろ,そっちのブログほうがわかりやすく書かれているかも。5/19追記

弁護士はつらいよ

ちょっと昔,「雪国はつらいよ条例」騒動というのがあり,その騒動というのは,新潟の魚沼のある自治体が制定した「雪国はつらつ条例」というのが,「雪国はつらいよ条例」として教科書に載ってしまったというものです。石川県も雪国で,冬場つらいことが多いです。雪国という言葉に明確な定義はないようですが,石川県は,雪国度において,新潟県よりは下,宮城県よりは上といったところでしょう。

それは,ともかく・・・,弁護士は,正負で言えば,負のことに関与することが多い仕事です。仕事としてやっているので,そんなものといえばそんなものです。「本人」の立場で直面するのとは,意味合いが全く異なるでしょう。負の立場に置かれた人のために仕事をして,すっきりと解決してよかったなと思うこともあれば,「負」に飲み込まれてしまいそうになることもあります。これは,「事案」にもよるし,同じような事案でも「人」の動きによるのですが。

弁護士になってしばらくは,合理的ではない行動をとりまくっている人とか,自分から厄介ごとに首を突っ込んでいく人とか,意味が分かりませんでした。「高校デビュー」とか「大学デビュー」とかいう言葉があり,それらは自分をこじらせてしょーもない自己アピールにいそしむことを指しますが,「弁護士デビュー」の場合は多くがめぐりめぐってくる事柄との遭遇により生じることなので,受け身であがく形になります。しかし,人間の心の動きには典型例があるようです。私は,いろんな種類の人たちの思考過程・思考パターンに慣れてきた気がします。

でも,最近,ここまでやる者もいるのかと思わされることがありました。一度だけ法律相談をした人が,「○○○○(その相談者)代理人弁護士山岸陽平」の名をかたって他人に振込を行い,山岸弁護士が代理人に就任しているという嘘を信じ込ませようとした,ということがあったのです。そもそも,その相談は半年くらい前で,相談者とはそれ以降会っておらず,それ以降のことを全然私は知りませんし,無関係なのです。「▲▲弁護士に相談している」とか「今,依頼をしているところだ」ということを大げさに口先で言う人はわりと多いですが,嘘を信じ込ませるためにそこまでするとは…。

少なくとも,弁護士法違反,有印私文書偽造,同行使の犯罪行為です。弁護士の立場は法律によって規律され,守られているともいえますが,こんな簡単に犯罪に巻き込まれるというのも,「弁護士はつらいよ」というところですね…。

最近のわたし~金沢市の町名~

最近の私の興味は,金沢市の町名である。

金沢市の町名と言えば,旧町名復活運動がある。平成に入り,かつての町名変更で消えてしまった町名を復活させる機運が出てきた。市議会の議決により,平成11年には主計町,平成12年には飛梅町・下石引町,平成15年には木倉町・柿木畠,平成16年には六枚町,平成17年には並木町,平成19年には袋町,平成20年には南町,平成21年には下新町・上堤町が復活した(一旦名前が変えられたものが元の名前に戻された)。

金沢市が旧町名復活運動の先進地となっている感もある。

しかし,そもそも,金沢市は,昭和37年(1962年)5月施行の住居表示法(正式名称「住居表示に関する法律」)に基づく住居表示整備実験都市の指定を昭和37年8月に自治省から受け,住居表示の現代化のモデル都市とされ,それに基づいて,歴史的な町名が整理統合されて急激に塗り替えられてしまったという経緯がある。

金沢市は歴史ある都市で,それゆえか,全国の都市の中でも,町名が細かく分かれていた。当時,東京オリンピック(昭和39年,1964年)の開催が決まり,国際化,特に欧米の風習を取り入れて欧米に追いつくという意識が強まる中,昔ながらに細かく分かれた町名は,非合理的な旧弊と捉えられた。殊に,国の指導者層や中央官庁においては,そうした旧弊ひとつひとつが気になったのだろう。郵便事業との関係で,行政活動の利便性向上を期した面も大きかった。今となって捉えれば,金沢市もそうした潮流に呑まれた構図だが,金沢市民の気風からしてみれば,全国に先駆けて新しい風習を取り入れることに市民自身が積極的だったのかもしれない。

金沢市議会は,昭和38年3月,「金沢市住居表示に関する条例」を可決,同6月には市役所内に住居表示課ができ,同月には寺町地区などで最初の住居表示が実施される迅速さだった。

こうして,昭和38年から昭和45年ころにかけて,どんどんと金沢市の旧町名は消え,新しい住居表示が導入されていった。

たとえば,「中央通町」というのは,昭和40年9月の町名変更で新しくできた町名である。昭和39年に「片町中央通り」が開通し,その周辺が「中央通町」と名付けられたわけである。この町名に統合されたのは,裏伝馬町,下伝馬町,古藤内町,茶木町,犀川下川除町(一部),南長門町(一部),横伝馬町(一部),塩川町(一部),宝船路町(一部),西御影町(一部),富本町(一部),西馬場町(一部),新川除町(一部)である。

また,新町名を作るのではなく,代表的な旧町名をひとつ残してそこに統合したパターンも多い。たとえば,「尾張町」。昭和45年6月の町名変更で,今町,尾張町(南部),殿町(一部),味噌蔵町下中丁(一部),味噌蔵町片原町(一部),博労町(一部),橋場町(一部),中町(一部)が合わさって尾張町一丁目になり,上新町,下新町,主計町,尾張町(北部),橋場町(一部),母衣町(一部),博労町(一部),下近江町(一部),彦三二番丁(一部),桶町(一部),袋町(一部),青草町(一部)が合わさって尾張町二丁目になった。

「材木町」は,もともと,材木町通りの両側から成り立っていた町名だったが,旧材木町三丁目・四丁目・五丁目以外は,別の町名になってしまった。

このような勢いで,金沢市の町名は全域的に改変の対象になってしまった。

もちろん,町名の改変に対しては反対する声もあった。金沢市でも,町名改変や吸収統合に町会が納得しなかったなどの理由から,旧町名がそのまま残されたものがあった。たとえば,十間町,博労町,西町三番丁,西町四番丁,西町藪ノ内通,下堤町,下松原町,青草町,上近江町,下近江町といった近江町周辺の町名である(一部は尾張町に吸収されるなどしたが)。

全国的に町名変更(新住居表示)が行われる中で,町名に愛着のある人たちは容易に納得することはなく,次第に反対の声が大きくなっていって,町名変更作業が滞るようになっていった。特に,東京オリンピック前後に,お上から降って湧いたように町名変更が行われた東京では,反対の声が抵抗運動に結びつき,昭和40年代には町名変更の取消訴訟が複数提起された。昭和42年には,そうした全国の地域住民からの批判が高まった結果,「できるだけ従来の区域及び名称を尊重する」との立法趣旨のもと住居表示法の改正まで行われた。

ついに昭和58年(1983年)には,自治省行政局振興課長が各都道府県総務部長にあてて,「住居表示の実施に伴う町区域及び町名の取扱いについて」と題して,「現在の町区域及び町名はそれ自体が地域の歴史,伝統,文化を承継するものである」から,「今後の住居表示の実施に当たっては,住民の意思を尊重しつつ,みだりに従来の町区域を全面的に改編し,整一化を図ったり,また,町名を全面的に変更するということのないよう」都道府県が市町村を指導せよ,と通達した。

金沢市の町名改変についても,昭和57年(1982年)出版の『金沢・町物語~町名の由来と人と事件の四百年~』の中で,元中日新聞北陸本社報道部次長・編集委員・事業部長の高室信一氏が批判的な目を向けている(私のこの投稿は,この書籍に拠るところが大きい)。

こうして,一回りして,金沢市でも,強引な町名改変への反省と,伝統的な町名の見直しの機運が高まっていったのである。

しかし,金沢市での旧町名復活は,ごく一部にとどまり,今後もどんどんと実現が見込まれる状況にはない。その要因としては,一度変更したものを再度戻す場合のコストの問題,新旧名称の好き嫌いの問題,分断された旧町名を再統合することの困難さ,旧町名で道路方式をとっていた場合に現在金沢市で取っている街区方式から逸脱するので採用困難であること,等が挙げられる。

私は,かなり新しいもの好きだけれども,歴史あるもの・由来のあるものも好きだ。しかし,この問題については,歴史・由来重視である。利便性を優先して新しいものに変えていくという発想もあってよいと思うが,それならそれで,歴史を踏まえて考え尽くし,遺憾のないようにすべきである。一旦壊してしまうと,戻らないものも多いのだから。

金沢大学の新入生さんに道案内・・・

今日の夕方,時間が少しあったので,裁判所に向かって歩いていました。

今日はお役所の人事異動の日であり,金沢地方裁判所の裁判官も何人か代わるので,開廷表の横にその名前が貼り出されるかな?と思って。

 

そんなわけで,歩いていたとき,1人の女性が道を尋ねてこられました。

持ちにくそうな大きな荷物を持って歩いておられ,金沢の繁華街の中心部(香林坊)の方向を尋ねられたので,お教えしました。大きな荷物を抱えて歩くのが大変なようで,兼六園下から香林坊までは歩くと少し遠く,兼六園下のバス停からバスに乗った方がいいですよ,とも言ってあげたら,バスに乗っていくことにしたようでした。

関西から金沢大学に入学することが決まった新入生の方だということでした。下宿で使う電化製品を運んでいるようで。

私は,北陸から関西へ出たクチですが,その逆パターンもあるんやな~と,思いました。

いや~,金沢,車がないと不便すぎるよね。私も,住み始めたとき,車がなくて,方向音痴なものだから,思ったように進めなくて泣きそうになりました。特に金沢地裁の周りは何かあるようで何もなさすぎるし,ぐねぐね道が曲がっていて高低差があって,慣れていないとよくわからないんです。

あのままだととてもつらい思いをしたはずなので,私が道案内してあげたことで,たぶんけっこう助かっただろうな,と思いました。

私は,こうやって助けてあげることが好きです。気持ちよさを感じますね。ボランティアでガイドをしようと思ったことはないですけど。

 

それで,本題の,金沢地裁の裁判官の異動ですが,なんと,裁判所内の開廷表横の掲示は,3月までの裁判官の名前のままでした

正式には今日じゃないってことなんですかね?

いや,しかし,金沢地裁・金沢家裁のホームページはもう今日の時点で更新されている!→ 金沢地方裁判所 金沢家庭裁判所

(これは各地裁ごとに更新するようなので,ずっと更新しないサボリの地裁もあるくらいだから,全国基準からすると相当早い取り扱いですよ。)

そうすると,なぜそうなっているのか?

4月1日は公開の裁判の開廷予定がないので,前のままでも嘘にはならない,また,次に開廷表を貼るときに一緒に貼りかえれば省力化できる(ホームページの更新との違いは,ホームページには開廷表がないので,いずれは裁判官の名前を単独で更新しなければならない。それに対して,掲示の貼り紙の場合,一緒に貼りかえにに来ることによって,職員のエネルギー消費量を抑えることができる。)ということですかね?

いや,実際,それくらいしか理由なくないですかね?

(または,一旦変更しても,また数日したら再変更しなければならないっていうような事情があるとか。これも,紙ベースの場合は紙の節約になる。)

これ自体すごくどうでもいいことですが,上に書いたようにホームページ更新サボリの地裁があったり,役所によってもいろいろと性格が違うようで,面白いです。特に,裁判所は,妙なところで決まり事を作って自己正当化(と言ってはよくないですかね)の理屈づけをしていたり,逆に決まり事がないものについてはルーズに済ませたりするので,それが面白いんですよね……。