司法試験の受験回数制限、5回に?

司法試験「5年で3回」を「5年で5回」に緩和

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20140108-OYT1T00696.htm

政府は、司法試験の受験回数制限を現行の「5年で3回」から「5年で5回」に緩和することを柱とした司法試験法改正案を、1月召集の通常国会に提出する方針を固めた。司法試験の合格者数の増加につながりそうだ。
早ければ2015年実施の司法試験から適用される。

06年に始まった現行の司法試験制度では、初の制度見直しとなる。

法務省によると、司法試験受験資格を得た後、勉強時間を確保する目的で、年1回の司法試験をすぐには受験しない「受け控え」が目立っている。だが、13年実施の司法試験をみると、法科大学院修了直後の受験生の合格率が39%であるのに対し、09年修了の5年目の受験生は7%と、受験が遅れるほど合格率は低下する傾向にある。このため、回数制限について、「受験生を必要以上に慎重にさせている」と疑問視する声が出ていた。

(2014年1月8日14時59分  読売新聞)

司法試験の受験回数制限は緩和されるのか?

現在の制度になっている理由

現在の制度の概要

現在、司法試験は、法科大学院修了者または予備試験合格者が、その法科大学院修了・予備試験合格後5年のうちに3回まで受験できることになっています。3回不合格になるか、5年経過すると、受験資格を失います。

制度の根源~司法制度改革審議会~

このような制度になっている根源を探っていきますと、まず、「司法制度改革審議会」(内閣に設置)の存在があります。2001年(平成13年)6月12日付けの「司法制度改革審議会意見書~21世紀の日本を支える司法制度~」、これは、今、非常に問題になっている審議会の意見書です。

法曹養成制度については、その意見書の「III 司法制度を支える法曹の在り方」に書かれています。受験回数制限については、

第三者評価による適格認定を受けた法科大学院の修了者の新司法試験の受験については、上記のような法科大学院制度及び新司法試験制度の趣旨から、3回程度の受験回数制限を課すべきである。なお、予備的な試験に合格すれば新司法試験の受験資格を認めるなどの方策を講じることとした場合の受験回数については、別途検討が必要である。

と書かれています。ここで「上記のような法科大学院制度及び新司法試験制度の趣旨」が何かということですが、受験回数制限の記述の前には、

 (1) 基本的性格 
 「点」のみによる選抜から「プロセス」としての新たな法曹養成制度に転換するとの観点から、その中核としての法科大学院制度の導入に伴って、司法試験も、法科大学院の教育内容を踏まえた新たなものに切り替えるべきである。

 (2) 試験の方式及び内容 
 法科大学院において充実した教育が行われ、かつ厳格な成績評価や修了認定が行われることを前提として、新司法試験は、法科大学院の教育内容を踏まえたものとし、かつ、十分にその教育内容を修得した法科大学院の修了者に新司法試験実施後の司法修習を施せば、法曹としての活動を始めることが許される程度の知識、思考力、分析力、表現力等を備えているかどうかを判定することを目的とする。 
 新司法試験は、例えば、長時間をかけて、これまでの科目割りに必ずしもとらわれずに、多種多様で複合的な事実関係による設例をもとに、問題解決・紛争予防の在り方、企画立案の在り方等を論述させることなどにより、事例解析能力、論理的思考力、法解釈・適用能力等を十分に見る試験を中心とすることが考えられる。 
 新司法試験と法科大学院での教育内容との関連を確保するため、例えば、司法試験管理委員会に法科大学院関係者や外部有識者の意見を反映させるなど適切な仕組みを設けるべきである。

 (3) 受験資格 
 法科大学院制度の導入に伴い、適切な第三者評価の制度が整備されることを踏まえ、それによる適格認定を受けた法科大学院の修了者には、司法試験管理委員会により新司法試験の受験資格が認められることとすべきである。 
 また、経済的事情や既に実社会で十分な経験を積んでいるなどの理由により法科大学院を経由しない者にも、法曹資格取得のための適切な途を確保すべきである。このため、後述の移行措置の終了後において、法科大学院を中核とする新たな法曹養成制度の趣旨を損ねることのないよう配慮しつつ、例えば、幅広い法分野について基礎的な知識・理解を問うような予備的な試験に合格すれば新司法試験の受験資格を認めるなどの方策を講じることが考えられる(この場合には、実社会での経験等により、法科大学院における教育に対置しうる資質・能力が備わっているかを適切に審査するような機会を設けることについても検討する必要がある。)。 
 いずれにしても、21世紀の司法を支えるにふさわしい資質・能力を備えた人材を「プロセス」により養成することが今般の法曹養成制度改革の基本的視点であり、およそ法曹を志す多様な人材が個々人の事情に応じて支障なく法科大学院で学ぶことのできる環境の整備にこそ力が注がれるべきであることは、改めて言うまでもない。 

という記述がありますので、要するに、これからの司法試験は、法科大学院での教育効果をチェックする趣旨であり、せいぜい3回のチェックまでで合格しなければ法科大学院の教育により法曹適格性を身につけたとはいえない。ということを言いたいのだと思われます。

そして、司法制度改革審議会の議事録を探ると、35回議事録(2000年(平成12年)10月24日開催)に、

【佐藤会長】有り難うございます。

先ほど既に出ましたけれども、このまとめにもあるんですが、新司法試験についてはプロセスを大事にするということにも関係して、受験回数を3回程度に制限するということを考えるべきではないか。滞留するとまたいろいろ問題が出てくる。ちゃんと教育を受けて、3回とも通れないというのはいかがなものかということですね。その辺はよろしいでしょうか。

【曽野委員】それについては何年以内にというのは設けないんですか。せめて何年以内に3回と決めておく。

【佐藤会長】制度設計としては、試験時期が問題なんですけれども、そこで試験をまず受ける。そして、通らなければ次回。受験者はいろいろなことを考えるんでしょうね。

【井上委員】普通では続けて受験するということでしょう。時間を置くと法科大学院での教育の効き目も薄らいできますから、余り後になると多分受からないだろうと思うのですけれども、確かにおっしゃるように、飛び飛びに受けるという人が出てくることは考えられますね。その辺は、具体的な制度設計の段階で、考えてもらうということではいかがでしょうか。

【藤田委員】受験回数の制限は、学生たちの関心が非常に強くていろいろ質問に来るんですが、以前、敗者復活みたいな話がありましたね。何年か期間を置いて再度の挑戦を認めるとか、そういう議論は全くなかったんでしょうか。

【井上委員】余り期間を置きますと、プロセスによる養成というものの効果がなくなりますので、もう一回プロセスをやり直してくれと言わざるを得ないんじゃないかと思いますね。

【藤田委員】分かりました。

【佐藤会長】教育の中身も変わっていくかも分かりませんしね。

実際に具体的に考えるときに、曽野委員のご指摘も含めて考えさせていただきたいと思います。

とあり、軽く議題に上っています。35回司法制度改革審議会は、審議会の中間報告のとりまとめの時期でしたが、中間報告(2000年(平成12年)11月20日)を確認してみると、

新司法試験については、上記のような法科大学院制度及び新司法試験制度の趣旨から、3回程度の受験回数制限を課すべきである。

と、すでに最終意見書と同様のことが書かれているわけです。

では、これを言い出したのは誰(どこ)なのか、さらに議事録をさかのぼると、集中審議第1日議事録(2000年(平成12年)8月7日)が発見されます。

この集中審議第1日には、文部科学省に設置された「法科大学院(仮称)構想に関する検討会議」(小島武司座長)の審議状況についての報告がなされています。

ここで、小島座長は、「法科大学院制度及び新司法試験制度の趣旨を考えると、3回程度の受験回数制限を設けることが合理的と考えます。」との発言をしています。

この発言の根拠を探るため、法科大学院(仮称)構想に関する検討会議の議事録を検索しました。すると、唯一第8回議事録(2000年(平成12年)7月31日)に記載があり、小島武司(座長)、井田良、伊藤眞、加藤哲夫、田中成明、金築誠志、川端和治、清水潔、房村精一、井上正仁、鳥居泰彦、山本勝、吉岡初子の各氏出席によりなされた意見交換の場で、

現行試験の受験回数制限については、弁護士会は、厳しい競争試験のうえ、さらに回数制限を行うことには弊害が多いため強く反対してきたが、司法試験が資格試験化し、相当割合が合格するのであれば、それに合格しないような者について制限をしても問題はないという考え方から方針を転換したものである。したがって、「現行制度についての反省及び法科大学院制度の趣旨を考える」という理由で回数制限を認めるという意見は少なくとも弁護士会には全くなく、「相当割合が合格する試験であることを考える」という内容に直すべきではないか。

とか

司法試験の受験回数の制限については現行制度に対する反省というよりも、「法科大学院制度及び司法試験制度の趣旨から考えると」とするべきではないか。

という意見が出されていて、この時点で、受験回数制限について、文部科学省側の会議の案に取り入れられていたことがわかります。このうち、1つ目の意見については、発言者が記録されていないようですが、発言の趣旨からすると、当時の日弁連副会長川端和治氏の発言であると推測されます。

話を司法制度改革審議会集中審議に戻します。司法制度改革審議会集中審議では、上記文部科学省検討会議の状況報告を受け、議論がなされています。受験回数制限については、井上正仁氏(学者)の発言があります。

今の司法試験の合格率が3%ということになってきたのは、一つは、オープンな性格の試験であるがゆえに受験回数の制限というのができなかったということもあるのですね。その辺は、今度はこういう丁寧な教育をした上で選別をするということで、受験回数の制限を最初から掛けていこう。それによって、たまってくる人は一定限度に抑えられるだろうという制度設計になっている。その点をまず指摘させていただきます。

この井上氏の発言は、わりと率直なもので、滞留者の増加を抑えたいがための制度設計であるということです。

さらに議事録をさかのぼり、回数制限についての言及を探すと、第8回議事録(1999年(平成11年)12月8日)に、原田明夫法務事務次官の発言として、

 司法試験の改革の話を、先ほどちょっと触れました。これは、ここの委員でもおられる中坊先生が日弁連の会長をなさっているときに、大きな転換を遂げました。司法試験の改革は本当に難しかったんですが、いろんな意見を集約して、とにもかくにも人数を、それまで500人くらいに据え置かれていた司法試験の合格者の数を700人にし、やがて800人にする。そして、そのための改革をやっていただきました。そのためには、実は合格枠という新たな設定をいたしました。これはある面で評判が悪かったんです。というのは、司法試験の合格者の年齢がどんどん高くなっていくわけです。そして、何年も何年も掛かるということになっております。これは、社会的問題にさえなってまいりましたのは、諸先生方も御承知のとおりでございます。そこで、一つの考え方として、一部の先生方、これは私大の先生方が多いんですが、もう回数制限をしてくれと。3回でもいい、5回でもいい。そうしないと、学生がかわいそうだと。一旦足を取られたら抜け出せないと。回数を制限してくれれば少し変わるんじゃないかという意見もございました。

 しかし、これに対しても、やはり学生諸君、または人材の中には、じっくり勉強して、だんだん育っていく人たちもいるわけでございますから、回数で、あるいは年齢で制限するのは問題だと。ですから、せめて、増やす200人分くらいは、3回の回数にいたしましょうということでつくったのが合格枠です。

 これもいろいろ考え方があって、憲法違反ではないかという意見もございました。その当時、憲法学者の先生方にも意見を聞きましたが、必要な場合に、その取り扱いさえ合理的で、かつ平等ならば、ある種の枠を考えるということも必要ではないか。必ずしも憲法違反とは言えないという考え方を示していただいて、そのような制度を採った。その結果、司法試験を受けようという学生の数が戻ってまいりした。そして、また、若い人たちも受かると同時に、例えば主婦の方とか、ある程度仕事をした方が、司法試験を目指して勉強して、3回目くらいですっと入ってくる人たちが増えてきました。

 私は、ある有名な政治家の方の息子さんのお嫁さんが、子育てが終わって試験を受けて合格して、非常にいい感覚を持って修習をしてくれるのに出会って、こういうこともあるんだなと思いました。ですから、私は、合格枠制も一つの使命を果たしてきたと思います。しかし、そのことはまた、それをこれからどうやっていくかということも、全体の法曹人口問題を考える中で、どうぞお考えいただかなきゃならないことだろうと思います。

というものがあるほか、第15回議事録(2000年(平成12年)3月14日)に小津博司法務大臣官房人事課長が

我が国の司法試験は、受験期間の長短や受験回数にかかわりなく、すべての人に全く同じ試験をいたしますので、長期受験者が非常に多くなった状況の中でどういう試験の運営をしたら、こういう能力を実質的にも公平に安定して選抜することができるのかということにつきまして、管理委員会と考査委員の先生が苦慮し続けてきたと申し上げてよろしいかと思います。

と述べています。

今回は、これ以上さかのぼりませんが、要するに、旧来の受験者滞留状況を打破し、法科大学院中心の法曹養成制度とするため、その一環として受験回数制限が導入されたといってよいでしょう。

受験回数制限の緩和の発想が出てくる理由

こうやって導入された受験回数制限を緩和する発想はどこから出てくるのでしょうか?

これを言っているのは,内閣に設置された法曹養成制度検討会議(佐々木毅座長)です。この会議の取りまとめ[pdf](2013年(平成25年)6月26日)は,次のように言っています。

○ 受験回数制限制度は維持した上で,法科大学院修了又は予備試験合格後5年以内に5回まで受験できるよう,その制限を緩和するべきである。

この理由は,次のとおりだそうです。

・ 受験回数制限制度は,旧司法試験の下での問題状況を解消するとともに,プロセスとしての法曹養成制度を導入する以上,法科大学院における教育効果が薄れないうちに司法試験を受験させる必要があるとの考え方から導入したものである。この点について,法科大学院の教育状況が目標としていたとおりにはなっていないことや法科大学院修了後5年の間に合格しない者が多数いることなどから,受験回数制限自体を撤廃すべきであるとの立場もあるが,受験回数制限を撤廃して旧司法試験の下で生じていた問題状況を再び招来することになるのは適当ではなく,また,法科大学院修了を受験資格とする以上は法科大学院の教育効果が薄れないうちに受験させる必要もあると考えられる。さらに,法曹を目指し,司法試験を受験する者の多くを占める20歳から30歳代は,人生で最も様々なものを吸収できる,あるいは吸収すべき世代であり,本人に早期の転進を促し,法学専門教育を受けた者を法曹以外の職業での活用を図るための一つの機会ともなる。したがって,受験回数制限を設けること自体は合理的である。

・ 受験回数については,現行制度は,3回程度の受験回数制限を課すことが適当と考えられ,その上で,受験生が特別の事情で受験できない場合があり得ることも考慮し,5年間に3回受験できることとされている。

・ もっとも,現在,多くの受験生がより多くの回数受験することができるものとすることを求めている。そもそも,受験回数制限制度において制限される回数については,3回とすることが必須であるというものではなく,その制度の趣旨に反しない限度であれば,受験回数制限を緩和することも考えられる。この点に関し,これまでの司法試験の結果によれば,法科大学院修了直後の者の合格率が最も高く,受験期間が長くなるにつれて合格率が低下する傾向にあるところ,受験期間を維持するのであれば,この傾向に与える影響は大きくないと考えられる。また,受験期間と受験回数との差がない方が,受験資格があるのに受験を控えるようなことはなく,全ての受験者が法科大学院教育の効果が最も高いときから間断なく受験することになるとの利点もあると考えられる。さらに,受験回数制限を緩和し,受験期間内において司法試験を受験できることとすれば,単年合格率が低下し,更に志願者を減少させるおそれがあるとの意見もあるが,受験回数制限を緩和しても受験期間の途中で司法試験を受験しなくなる者も一定数いることが想定されることからすれば,単年合格率の低下は一定の範囲にとどまると考えられるし,累積合格率はほとんど低下しないものと想定される。また,今後,制度全体の改善を図ることによって,法曹志願者の減少を防ぐことは可能であり,むしろ,受験回数制限を緩和し,5回まで受験できるとする方が法曹を志願しやすい環境につながると考えられる。以上のことから,受験回数制限制度は維持した上で,法科大学院修了又は予備試験合格後5年以内に5回まで受験できるよう,その制限を緩和することとするべきである。

「旧司法試験の下での問題状況」とは,受験生の滞留と合格率の低下のことでしょうか?

「プロセスとしての法曹養成制度を導入する以上,法科大学院における教育効果が薄れないうちに司法試験を受験させる必要があるとの考え方」ということは,導入当初はっきりと言われていなかったと思います。まぁ,とにもかくにも「プロセスとしての法曹養成制度」(もったいぶっていますが,要するに法科大学院のことです)を維持するためには,法科大学院を出てすぐの者だけに受験資格を限定しないと,大変なことになるよ,ということですね。

それで,「現在,多くの受験生がより多くの回数受験することができるものとすることを求めている」,「むしろ,受験回数制限を緩和し,5回まで受験できるとする方が法曹を志願しやすい環境につながると考えられる」ということが,回数制限の回数を3回から5回に増やす理由のようです。

井上正仁氏は回数制限緩和に反対

議事録をざっと読んでいると,法曹養成制度検討会議の構成員の中でも,賛否は分かれていたようです。詳しい議論は,第6回議事録(2012年(平成24年)12月25日)をご覧下さい。

回数制限の緩和に賛成の立場から発言をしているのは,清原慶子氏(三鷹市長),丸島俊介氏(弁護士),松野信夫氏(法務大臣政務官,民主党参院議員),岡田ヒロミ(消費生活専門相談員),国分正一氏(医師)であり,和田吉弘氏(弁護士)は「法科大学院修了を司法試験の受験要件から外すべきだ」というのが持論であるが受験要件を維持する前提であれば回数制限の緩和に賛成。

回数制限の緩和に反対の立場から発言をしているのは,井上正仁氏(学者),田中康郎氏(元裁判官,現学者)。

回数制限の緩和に消極的な発言をしているのは,伊藤鉄男氏(元次長検事,現弁護士),久保潔氏(元読売新聞),鎌田薫氏(学者,早稲田大学総長)。

意見を留保しているのは,萩原敏孝氏(小松製作所特別顧問)。

こうやって,意見が出された後,パブリックコメントを募集する際の「中間的取りまとめ」を出すにあたって,出てきた案というのが,まず,

○ 受験回数制限制度は維持した上で,制度の趣旨も踏まえつつ,その制限を一定程度緩和することが適当かどうか,更に検討する。

というもの(第11回議事録(2013年(平成25年)3月27日),第12回議事録(2013年(平成25年)4月9日)参照)。

これが,第11回,第12回で議論がほとんど深まらないまま,中間的取りまとめ[pdf](2013年(平成25年)4月9日)に反映されました。

会議の結論

第13回事務局提出資料[pdf]の資料2には,パブリックコメントの結果につき,次のとおり書かれています。

◎ 司法試験の受験回数制限につき,現行の制度を維持すべきであるとするもの,おおむね5年間に5回までに緩和(期間制限を維持し,回数制限を廃止する。)すべきであるとするもの,一切の制限を廃止すべきであるとするものが主に見られた。

ひどく羅列的なまとめ方になっていますが,こうなったのは,パブリックコメントを集めた結果,法科大学院を中心とする法曹養成制度への疑問が数多く寄せられたため,また,司法修習生への給費制復活を求める意見が数多く寄せられたため,意見の通数で優勢・劣勢を表現して結果を報告することが「危険」であると考えたからであると思われます。

受験回数制限については,意見の多寡を発表しても問題は生じなかったでしょうが,一律の扱いにしないと,法科大学院を強制する制度や給費制の問題について,パブリックコメントの結果を隠蔽しているかのように受け取られるからです。

実際には,受験回数を緩和すべきであるとした意見が多かったようです。

結局,法科大学院強制制度という根本問題や司法修習生への給費・貸与の問題については,パブリックコメントの意見の多さや内容は実質無視される形になりましたが,なぜか受験回数緩和についてだけ,パブリックコメント直後に「座長試案」が出される形で,一気に進展してしまいます(第13回事務局提出資料[pdf]の資料10~13)。

第13回議事録(2013年(平成25年)5月30日)では,井上氏が次のように発言しています。

○井上委員 すみません,これから授業があるものですから。簡単に2点だけ申させていただきますと,受験回数制限の緩和については,既に御意見を申し上げ,現行の制度を維持することに合理性があるということは述べてきたところですので,繰り返しませんが,仮にこの案のように,制限緩和というのが皆様の大方の意見であり,そういうまとめになるとしましても,その実施時期と経過措置については,十分慎重な配慮が必要だろうと思います。と言いますのは,今日お示しいただいたシミュレーションを見ましても,どのぐらいの幅になるかは別として,ようやく司法試験の合格率が下げどまりになって,これから徐々に上がっていく見込みが出てきたところですので,これを更に下げる結果となるようなことは,できる限り避けていただきたいからです。法科大学院志願者の減少については,弁護士の就職難が最大の理由だという御意見があったり,他の理由を上げる人もいますけれども,やはり,その大きな原因の少なくとも一つ,あるいは私などは最大の要因だと思っていますけれども,司法試験合格率が低迷しているということだと思うのですね。その点についての配慮が必要ですので,経過措置については,この案の①のほうが下げ幅が狭いので,そちらの方法を採る。実施時期についてもこのシミュレーションの結果などを踏まえて,いつから実施するかということについては慎重に検討していただきたいというのが1点目です。
2点目は,試案に盛り込まれていない部分ですけれども,予備試験について,何らかの方向を出すのは時期尚早だとされているわけですが,事態は非常に急速に,かつ広範囲で進行し深刻化しているのは紛れもない事実ですので,様子を見ながら検討するということで結構ですけれども,これも法的措置の検討などと平仄を合わせて,今後2年間で何らかの措置が必要かどうか,必要だとすればどうするかということを検討し,結論を出すということとしていただきたいと思います。

また,第14回議事録(2013年(平成25年)6月6日)では,井上氏が次のように発言しています。

○井上委員 受験回数の緩和については,私は反対ですけれども,その議論を繰り返すことはいたしません。ただ,この理由づけのところ,見え消しの18ページで,受験回数制限を緩和すると合格率が低下し,志願者が減少することにつながるのではないかという意見もあるが,の後ですが,受験回数制限を緩和しても云々という部分,これは前はこういう指摘もあるという文章だったのを,検討もせずにそのまま本会議の認識のように書かれてしまっているわけですが,結論を正当化するためにここまで書かざるを得ないのか,正直疑問に思います。特に,途中で司法試験を断念する者が相当数いることが想定されることからすれば,というのは,希望的観測に過ぎない。もちろんいることはいるだろうとは思いますけれども,相当数いるとまで言っていいのかどうかですね。御提案としては,そのような者もいること
が想定される,とするか,それでは勢いが出ないとすれば,少なくとも「相当数」を「一定数」と改めるべきだと考えます。結論として,回数制限緩和には反対ではありますけれども,この際ひっくり返すようなことは言いませんので,理由はもっと丁寧に書いていただきたいと思います。

第15回には,自由民主党司法制度調査会からの法曹養成制度についての中間提言[pdf]が提出されました。この4ページには,次のように書かれています。

現在は,5年間で3回と限定されている受験回数制限について,特に法科大学院生からは不安の最大の要因になっているとの声があった。このような制限は必要限度を超えており,まずは5年間で5回の受験を認めるべきである。

また,公明党法曹養成に関するプロジェクトチームが作った法曹養成に関する提言[pdf]も提出されましたが,7ページには次のように書かれています。

法科大学院を中核とするプロセスとしての法曹養成制度の下においては,司法試験は法科大学院教育における学習の成果を確認する試験と位置付けられるべきものから,これについて受験回数制限を設けることは適切である。しかし,現状の低合格率の下,法科大学院修了後5年以内に3回という回数制限を「有効に」活用するため,法科大学院を修了しても意図的に司法試験を受験しないという「受け控え」といわれる回数制限の趣旨に反する現象が広く生じている。このような現状を踏まえるならば,司法試験の受験回数制限については,法科大学院修了後5年以内に5回まで受験できるものと緩和することが適当である。

このように自公両党から意見が出されていることにつき,第15回議事録(2013年(平成25年)6月19日)で清原慶子三鷹市長は,次のように言っています。

そこで,1点目,「受験回数制限を5年間に5回」としたことは,本日紹介されました自由民主党及び公明党のそれぞれの提言でも書かれていることであり,意を強くしたところで,このことについてはなるべく早く実現できればと願っています。

そして,最終的に,「受験回数制限制度は維持した上で,法科大学院修了又は予備試験合格後5年以内に5回まで受験できるよう,その制限を緩和するべきである。」という取りまとめ内容に至ったものです。

受験回数制限の緩和は実現するか?

このように政府案としてお膳立てされ,与党である自公両党が推進している方向の変更ですから,今年1月召集の通常国会で法案が成立すると考えるべきでしょう。

会議体に日弁連が派遣している構成員も賛成するくらいですから,民主党,共産党など野党がほとんど賛成する可能性も高いと思います。みんなの党(結いの党)は司法改革に一家言あるようですが,反対するかどうかは何とも言えませんし,人数が少なすぎます。

この後説明しますが,この緩和により,法科大学院の足もとはさらに揺らぐことが予想されます。そんなことは,少し考えればわかることであるのに,法科大学院寄りの構成員の意見を排斥しても受験回数制限の緩和という方向へ行くのですから,政治的に何らかの推進力がかかったものではないかと,私は考察しています(文部科学省の内部にもいろいろあるのかもしれません)。

司法試験の受験回数制限により,何かが好転するのか?

結論

しません(断言)。

理由

井上正仁氏が言うように,この変更は,年ごとの司法試験合格率を低下させる可能性が非常に高いです。

途中で司法試験を断念する者が相当数いることが想定されることからすれば,というのは,希望的観測に過ぎない」と井上氏が言っていますが,まったくそのとおりです。

そして,自民党の意見書の中に書かれている「5年間で3回と限定されている受験回数制限について,特に法科大学院生からは不安の最大の要因になっているとの声があった」ということ。このような不安除去を受験回数制限維持&緩和の正当化根拠とするのは,完全に間違いです。3回でも5回でも不安なものは不安です。むしろ,4回目(4年目)・5回目(5年目)になると,余計不安です。おそらく,これは,自民党が法科大学院生の意見を曲解して採り上げているのだと思いますが,本当に法科大学院生がこのように言っているとすれば,不安の先送りばかり考えて冷静さを欠いているのではないかと思います。

よって,井上氏が危惧するところは当たっていて,司法試験や法科大学院への志望者を回復するどころか,減らす施策であるといえます。少なくとも,割合的に,志望者の中のまともな人が減り,まともでない人が増える,そんな施策です。

うまくいかないとすればどうなるか?

一旦5年5回にしてしまったら,5年3回に戻すのは非常に難しいので,つらい状況が続くだけでしょう(本当は,3年3回にすれば少しはまともになるでしょうが,政治的に無理でしょう)。

5年5回の「先」の問題が出てくる頃までには,法科大学院をいくつか取りつぶしてみたり,予備試験の受験を制限してみたり,いろいろやるかもしれませんが,制度上法科大学院への進学を強制している限り,好転はしないでしょう。「法科大学院修了者で司法試験に合格しない(受験しない)人」というのが「学部卒」よりも就職市場において価値が出てくれば話は別ですが。

ちなみに

ちなみに,私の持論は法科大学院強制制度を撤廃し,誰でも受験できるようにすること,その上で司法試験合格者数はある程度のボリュームを保つことです。

回数制限は…,いつ方針転換するかは,自己責任,自己決定なんじゃないのかなと思います。というか,もう,法曹資格を持っているだけでどうにかなるという時代ではないわけで,法曹資格を持っているいないにかかわらず,どうやって仕事をしていくかということを真剣に考えた方がいいんじゃないかと思うのです。

弁護士の「専門」とは?

「専門」を名乗る弁護士が増えている

昨今は、インターネット上で、専門性を謳う弁護士が多く見られます。

専門表示が多い分野は?

昨今多い専門表示は、「離婚専門」と「交通事故専門」の2種類です。

離婚については、「離婚弁護士」という自称の仕方もあります。要するに、離婚問題ばかりを扱っているとか、離婚問題を扱う割合が非常に高いとか、離婚問題に相当注力している、という自己紹介です。

交通事故というのは、交通事故後の示談交渉や訴訟を引き受ける、ということです。

最近は下火ですが、過払い・債務整理の専門性を誇る事務所・弁護士も多いようです。

また、これまではほとんど見られませんでしたが、最近では、「刑事専門」を謳う事務所も出現してきました。

実際にはどうなのか? ~本当に「専門」なのか~

実際のところ、「専門」と表示していても、そればかりをしているという弁護士はかなり少ないように思います。

世の中には、ある分野の仕事だけに集中している弁護士もいますが、そうした弁護士の多くは、仕事の供給元も相当程度固定化しているので、外部へ向けて「専門」を自称する機会があまりありません。

一般的には、弁護士ごとに、「○○パーセントが××の案件、○○パーセントが▲▲の案件」というような傾向の差はありますので、それぞれの弁護士において、何らかの仕事についての経験や手持ち案件が多い、ということは言えるものと思います。

特に、地方の弁護士は、基本的に何かに特化していません。地方で弁護士をしていると、自然といろいろな法律相談を担当し、いろいろな依頼を受任することになるからです。

ですから、地方で弁護士をしていて、「何が専門ですか?」と聞かれると、なかなか答えづらいものがあります。たとえば、医者が「耳鼻咽喉科」や「産婦人科」や「心療内科」に所属していれば、基本的にその科に関係する患者さんが来て、問診をして診察することになるわけです。そういうのに比べると、○○の案件が多めというだけで「○○専門」と言っていいものかどうか、たいへん迷ってしまいます。

インターネット時代の傾向

ただし、上の説明は、だんだんと不正確になってきているかもしれません。インターネットの普及によって、それぞれの弁護士が見知らぬ人に向けて、受任したい事件をアピールすることができるようになっているためです。

たとえば、離婚事件の経験がごく少なくても、離婚事件を他に今やっていなくても、離婚事件の集客をすることが可能です(その際、離婚専門と自称するのは間違っていると思いますが、力を入れたい分野とか鍛錬している分野としてアピールすることは問題ないはずです)。

そうして、結果的に、受任する案件の多くが離婚事件になったとして…。そうすると、客観的に「離婚専門弁護士」と言ってもおかしくない状態にはなります(受けている案件が多いだけで本当に「専門」なのかという問題はありますが)。

これは、交通事故や刑事事件など、他の分野でも言えることです。

弁護士探しにおいて注意すべきこと

客観性が担保されていない「専門」表示

日弁連では、専門表示は客観性が担保されていないことから、「現状ではその表示を控えるのが望ましい」としています(参考サイト 小松亀一弁護士「弁護士業務広告規程ガイドライン(運用指針)全文紹介3」)。

要するに、現状で「専門」を名乗るために必要な要件があるわけではないのです。

そのような状況で、各自の判断で「専門」を自称しているわけです。

同じ事務所や同じ弁護士が「交通事故専門サイト」「過払い金専門サイト」「離婚専門サイト」「相続専門サイト」など、複数のサイト(ドメインが違っていたりする)を運用しているのは、それぞれの弁護士が自己責任において自称できるからです。

そもそも、「専門」弁護士を選ぶべきか?

もっと大事なことがある?

そういう意味では、今は、特に都市部においては、注意して探せば、ある種類の案件を中心に取り扱っている弁護士を探し当てることはできるはずです(しょせん「専門」は自称可能ですので、相談のときにしっかり確認することが前提になりそうですが…)。

しかし、ある種類の案件をたくさん扱っているからといって、その案件の処理について適切な処理を受けられるかというと、必ずしもそうではないと思います。

確かに、同じ種類の案件をたくさん扱っていれば、他の案件での経験を生かして手慣れた処理がされる可能性は高いといえます。その点は比較的安心だろうと思います。ただ、最も重要なのは、依頼する弁護士との意思疎通をしっかりできるか否かなのです。また、あなたの案件に労力をしっかり振り向けてもらえるかということも重要です。

「専門」表示は参考程度に

ここまで書いてきたように、○○専門という表示をすることについて明確な規制はありません。また、たとえば「離婚が得意」「交通事故が得意」という表示については、もしかすると弁護士が自分でそう思っているだけ、ということもありえます…。

そして、「専門」というのが嘘ではないにしても、どこまでその種類の仕事に集中しているのかは、なかなか確かめにくいところです。

ですから、あまり「専門」を追い求めても、得るものは大きくないのでは、と思います(特に、インターネット上では、定型的な宣伝サイトも多いので、客観的な比較が困難)。

それから、繰り返しますが、弁護士に依頼するにあたって大事なのは、「意思疎通」、「労力の振り分け」です。依頼する案件がどういう種類のものなのかにもよりますが、専門性の高さ低さについて弁護士を比較するよりは、弁護士の人格や事務所の態勢を判断し、実際に依頼したときの受任態勢を確認するほうに力を注いだ方がいいのではないかと思います。

保釈とは?

保釈とは?

前提知識

  • 起訴(公判請求)… 検察官(検事など)が裁判所に正式な刑事裁判を提起すること
  • 被告人 … 起訴(公判請求)された者 (なお、民事訴訟で訴えられた者は「被告」という)
  • 被疑者 … 捜査機関により、罪を犯したとの嫌疑を持たれている者
  • 逮捕 … 被疑者の逃亡や罪証隠滅を防止するため身体を拘束する処分(裁判所解説
  • 勾留 … 被疑者・被告人の逃亡や罪証隠滅を防止するため身体を拘束する処分 (裁判所解説

保釈とは?

対象は「勾留されている被告人」

逮捕から引き続き勾留されている被疑者は、その勾留中に起訴(公判請求)されて「被告人」の立場になった場合、基本的にそのまま勾留され続けます。

起訴後の勾留は、被告人が刑事裁判を受けるにあたって、証拠隠滅や逃亡を図るおそれがあるとして、それらを防止するためになされるものです。

しかし、証拠隠滅や逃亡を図るおそれがある(と裁判所が考えた)場合であっても、裁判の結論が出るまで身体拘束を受け続けなければならないのは過酷です。そこで、刑事訴訟法により、保釈保証金を納付して、被告人の身体を解放する制度が用意されています。これが保釈です。

※ なお、身体のことを「身柄」と書く場合がありますが、やや人間の尊厳に反する言い方のように思えますので、ここでは「身体」で統一します。

保釈が認められる場合、認められない場合

保釈は、お金が用意できるからといって、必ず認められるわけではありません。裁判所が、「被告人に保証金を納付させれば、逃亡や証拠隠滅を防止できる」と考えなければ、保釈の許可は得られません。

お金が用意できるかできないかは、保釈の可否の判断には関係がない、と言ってもいいくらいです。(ただ、お金が用意できなければ、保釈が認められても保証金の納付ができないから、そもそも保釈請求をしない傾向にある、ということはあります。)

保釈保証金の金額は、保釈を許可するときに、裁判所が裁判所の判断で決めます。この額は、疑われている犯罪の軽重、被告人の経済状態などさまざまな事情を考慮の上で決められます。あまり重くない罪であっても、150万円から200万円程度とされる場合が多いです。

裁判所は、まだ裁判が始まっていない被告人(第1回公判期日前)については、証拠隠滅や逃亡のおそれがあるとして、保釈を認めない傾向にあります。第1回公判期日で被告人が罪を認めたようなときは、証拠を隠滅する可能性が大きく減る、と考えるわけです。

※最近、徳州会をめぐる刑事事件で、ある被告人が、被疑者段階の「勾留理由開示」の法廷で罪を認めるということがありました(参考記事)が、それから2週間足らず(第1回公判期日前)に保釈が認められました(参考記事)。本来は、「勾留理由開示」の手続は、罪を認めるということを言う場ではないのですが、この被告人(被疑者)の弁護人は、早期保釈を実現するため、公開の場を利用したのではないかと思われます。

弁護士(弁護人)の立場からすると、「認めれば出られる」・「認めなければずっと出られない」、という捜査機関のやり方(人質司法といわれます)を裁判所も踏襲しているように見えてあまり望ましい傾向とは思いませんが、現実の運用を踏まえて対処するのも弁護士の仕事としては重要です。

保釈保証金の貸付制度について

このような中、民間業者が、保釈保証金の貸付事業を始めました。大雑把にいえば、被告人の家族などが借り入れをして、そのお金を裁判所に納める、というわけです。また、そのような状況を憂慮して(対抗して?)、全国弁護士協同組合連合会が「保釈保証書発行事業」というものを始めました。

このような制度の利用にはリスクが伴うこともあります。特に、被告人本人以外があまりにも大きなリスクを負うことのないよう十分注意すべきです。

保釈と釈放の違い

最後に、よく混同されている「保釈」と「釈放」の違いについて、ご説明します。

保釈とは(おさらい)

保釈については、ここまで述べたとおりです。起訴後に勾留されている被告人について、裁判所が保釈保証金の納付と引き換えに身体解放することをいいます。

釈放とは

これに対し、釈放は、身体解放を総称した呼び方です。

特に、検察や警察といった捜査機関が被疑者の身体を解放することを釈放と呼ぶことが多いです。たとえば、逮捕や被疑者勾留のあと、処分を決めないで身体解放することを、「処分保留で釈放」と表現します。

ですから、釈放となり、家に帰れることになっても、それだけで罪に問われないということを意味しません。釈放は、あくまで、身体が解放される、ということだけを指すからです。

家庭裁判所の調停で注意すべきこと

どんなときに家庭裁判所で調停をするか?

家庭裁判所で調停(家事調停)をするのはどのようなときでしょうか?

これは、一言でいえば、「家族関係・血縁関係についての話し合いをするとき」です。

夫婦間の話し合い

まず、多いのは、夫婦間の話し合いです。

夫婦間の話し合いの項目としては、離婚をするか否かについて、子の監護養育について、養育費について、婚姻費用について、親権者について、財産分与について、などがあります。

離婚が絡む場合は、離婚した後の話もしますし、離婚するまでの間についての話もします。

相続人同士での話し合い

次に多いのは、相続人同士での話し合いです。

誰かが亡くなったときには、誰がどのように財産を相続するか、遺産相続(遺産分割)の話をしなければなりませんが、その話し合いがまとまらないことがあります。

そのようなときは、家庭裁判所で、調停を開き、話し合いをすることになります。

それ以外の調停

それ以外にも、子どもの認知、親子関係の不存在確認、夫婦円満などの調停があります。

誰が調停に参加するか?

  • 申立人(話し合いをしたいと言っている側)
  • 相手方(話し合いの相手)

申立人・相手方とも、1人でもいいですし、複数でもかまいません。ただし、裁判所の手続費用は増加します。このほか、「利害関係人」といって、紛争に関係すると思われる人が参加する場合もあります。

よく、離婚の話では、親御さんが当事者の代わりに話をしたがることがありますが、裁判所の手続上は、当事者本人(または付き添っている弁護士)が意思を述べるのが大原則になります。よって、事情にもよりますが、多くの場合は、親御さんの関与は待合室のご同行までです。

話し合いはどのように行われるか?

別席調停が多い

事案の種類にもよりますが、調停に持ち込まれる事案は、争いがあって同席をすることが難しい場合が多いので、別席調停となることがほとんどです。

ただし、平成25年から始まった家事事件手続法の運用では、基本的に同席でするとされている事柄もあります。東京家裁は、つぎのとおり説明しています。

調停期日の始めと終わりに,双方当事者本人が調停室に立ち会った上で,裁判所から,手続の説明,進行予定や次回までの課題の確認等を,また,成立・不成立等により事件が終了する際の意思確認を行います。これは,家事法制定の趣旨の一つである,調停手続の透明性の確保の観点から,主体的な合意形成の前提となる,手続の進行状況や対立点,他の当事者が提出した資料の内容等について,両当事者と裁判所が共通の認識を持つための取り組みです。手続代理人が選任されている場合でも,出頭した本人に手続等の内容を理解して頂くために,代理人のみではなく,双方当事者本人に立ち会ってもらい確認,説明を行います。
ドメスティック・バイオレンス(精神的暴力,性的暴力も含みます。)等の問題が窺われる等により立ち会うことに具体的な支障がある場合は実施しませんので,そのような場合には,「進行に関する照会回答書」(2の書面)に具体的な事情を記載してください。また,一律,硬直的な扱いではなく,事案等に応じて柔軟に実施してまいりますので,ご協力をお願い申し上げます。

要するに、調停期日の各回において、始まりと終わりに、当事者全員が立ち会って、いろいろなことを確認します、ということです。

ただ、当事者のいずれかが難色を示した場合は同席させないで説明・確認をする場合も多いと思われます(平成25年以降、金沢家裁で私が関わった事件では、同席確認をしなかったことのほうが多いです)。

別席調停の方法

さて、別席調停の仕方ですが、多くの場合、申立人と相手方が30分程度ずつ交互に調停室に入り、調停委員2名(男女)と話をします。調停委員は、聞き取った話を元に、着地点を探ります。双方当事者が、調停室への出入りを繰り返す中で、調停委員と話をして、対立当事者との歩み寄りを模索するわけです。

多くの場合、1回の期日は2~3時間となります。その日に話し合いがまとまらなければ、次の日程を決めて、その日はおしまいになります。

どのような方が調停委員になっているのか、どんな形で調停が進むのかについては、NPO法人シニアわーくすRyoma21の上平慶一氏のエッセイを参考になさるとよいでしょう。

成立と不成立

何らかの形で話し合いがまとまった場合には、調停調書に、決まったことを書き記します。これを調停の「成立」といいます。

調停は、話し合いですので、話し合いが全くまとまりそうになかったり、どちらか一方がもう話し合いをしないと宣言すれば、「不成立」ということで、終わってしまいます。

不成立の場合には、そのまま終わってしまうものもありますが、事案によっては、「審判」の手続に自動的に移行します。

このほか、申立人が調停を取り下げた場合には、そこで調停は終わります。

調停で注意すべきこと

調停は、訴訟に比べれば、一般人でも申し立てやすい手続です。しかし、実は、弁護士でも一筋縄ではいかないことの多い手続です。

家事調停に臨むにあたって、どの場合でも注意すべきことを以下に書き出してみました。このほかにも、個々の事案ごとに、注意すべき事柄はあると思われます。

対立当事者が何を言っているのか正確に把握すること

別席調停では、調停委員を介しての話し合いにならざるを得ません。調停委員は、学識・経験を認められて裁判所から選ばれているのですから、基本的には信頼でき、対立当事者(申立人←→相手方)の言っていることをおおむね正確に伝えてようとしてくれていると思っていいのですが、それでも不正確な点が含まれることもあります。

調停委員は、和解を模索する役目がありますので、双方への伝え方を工夫されています。その中で、やんわり伝えようとしたり、調停委員なりの提案を付け加えようとしたりする中で、正確性が失われやすいと思われます。

よって、対立当事者の言っていることが正確に表現されていないのではないかと思ったら、率直に指摘して、再確認をしてもらったほうがよいです。

調停は口頭で進みますので、ボタンの掛け違いが起こったら、時間を浪費してしまいますし、合意できないような状況になってしまうこともありますので…。

不成立になった場合にどうなるかを常に考えること

調停は「話し合い」ですから、双方がYesと言ったことだけが調停調書の中身になるわけです。

しかし、だからといって、「自分の気に入らないことは全部Noだ」と言っていると、のちのち大変なことになる場合があります。

「調停で決まらないときには審判で決めなければならない」と法律上決められている事項について、調停が不成立になったら、誰かが「No」だと言っていても、家庭裁判所が審判をして決めてしまうことがあります。たとえば、結婚していながら別居しているときの婚姻費用であるとか、遺産分割がまとまらないときであるとかは、自動的に審判に移行します。

家庭裁判所の審判の内容は、調停で話し合いのされていたこととは原則無関係です。調停で話し合いが進んでいた内容とは全く異なる、意外な内容の審判が出されることもじゅうぶんありえます。

家庭裁判所が審判をすると、基本的にはそれに従わなければならなくなります。そうなってから「また調停に戻してほしい」と言っても、もう遅いということになります。即時抗告などの異議申し立ての手段もありますが、弁護士でも苦心する手続です。

ですから、もし調停が不成立になったらどういう展開になるか、ということを常に考えるべきだということになります。

調停調書の内容にこだわること

家庭裁判所の書記官は、最終的に調停での約束内容を記した書面を作ります。これを「調停調書」といいます。

調停調書の効力は、大きいものがあります。

たとえば、「AがBに毎月○○円支払う」という内容の調書になっていたときに、もしAがその額の支払いをしなければ、Bは家庭裁判所に申し立てて強制執行の手続をとることができます。

一般的な話し合い(裁判所での調停ではない)で上記のような支払い約束がされていても、すぐには強制執行をすることはできませんから、調停調書は強力です。

逆に言うと、調停の話し合いの中で「案」として出されていても、調停調書に書かれていなければ、「調停上の約束」ではないのです。

後日、「あのときの調停で、そういう話になったはずです。調停調書に書いてないのがおかしいのです。調停委員に聞いたり、調停委員のつけていたメモを見ればわかります」と言っても、手続上、調停調書ができあがるときに当事者みんなが内容をしっかり確認したことになっているのですから、難しいのです。

また、調停調書の文言(調停条項)の書き方によって、上記のような執行力(不履行の時に強制執行できる効力)をもつ場合ともたない場合に分かれます。

ですから、話し合いがまとまる方向で進んで、最後、調停調書を作るということになったら、内容にはこだわるべきですし、細かな言葉遣いにも注意を払うべきだということになります。

まとめ

  • 家事調停は、別席調停が多い。
  • 相手の主張、調停委員の提案など、正しく確認するよう努めたい。
  • 調停不成立の場合、審判に移行するかどうかを押さえておくべきである。
  • 調書の調停条項の書き方には細心の注意を払うべきである。

弁護士の探し方・見つけ方・選び方

変わってきている「弁護士の探し方・見つけ方」

変化のきっかけ=広告解禁

弁護士と依頼者とのマッチングについては、2000年に弁護士の広告が解禁され(それまでは日弁連の規定で自主規制されてきた)、インターネットを活用する弁護士が増えたことで急激に様相が変わってきています。

以下は、時事通信が配信した2000年9月30日の記事です。

弁護士広告、10月1日解禁=ネットで検索サービスも

 これまで原則的に禁止されていた弁護士の広告が10月1日、解禁される。今のとこ
ろ、多くの事務所が「周りの様子を見てから」としており出足は鈍そうだが、インター
ネットを使った検索サービスが同日、スタートする。いずれはテレビや折り込みのチラ
シを使って得意分野をアピールする広告も現れそうで、「敷居の高かった弁護士にアク
セスしやすくなれば」と期待が高まっている。
 日弁連はこれまで、「弁護士の広告は品位を落とす」などの理由で、氏名や弁護士登
録の時期などを除いて禁止。媒体も電話帳、看板、新聞、雑誌などに限定していた。

広告解禁前は、多くが、知人の知人といった人づてであるとか、事業者であれば事業者団体の関係などで、弁護士にたどり着き、たどり着いた弁護士にそのまま依頼するというのが通常パターンであり、つてがない人は弁護士会などの法律相談を利用して新しく弁護士と知り合っていたのでしょう。

そして、今でも、そうしたパターンは相当の割合を占めています(今では、国が設立した「法テラス」もあり、そうした機関で案内される法律相談を利用して弁護士を探すことが容易になってきています)。

しかし、その一方、テレビやインターネットなど、かつて使われていなかった媒体で弁護士(法律事務所)を知り、依頼にまで結びつくケースも確実に増えてきています。

テレビCMと弁護士

たとえば北陸では・・・

北陸(富山県・石川県・福井県)においては、地元の弁護士や法律事務所が単独でテレビコマーシャル(CM)を打つことは今のところほとんどありません。地元の弁護士たちは、全員が県別の弁護士会に所属していますが、所属の弁護士会がテレビCMを打つことはあります(石川県の金沢弁護士会はCMを打っています)。その場合、必然的に、「ご相談は、地元の弁護士会へ」という内容になります。

これに対し、事務所単体でテレビCMを打つのが、東京等に本部を置く法律事務所です。体感的に、石川県で最もCMが多いのは、弁護士法人アディーレ法律事務所です。ここは、東京に本部を置きつつ、金沢支店や富山支店を設置しています。他にもCMを打っている法律事務所がありますが、北陸には支店がない法律事務所も多いです。

また、法律事務所(弁護士の事務所)ではない「司法書士事務所」、「行政書士事務所」、「法務事務所」などがCMを打っているケースもあります。

どちらがいいのか?

テレビCMを打つ法律事務所(弁護士)がいいのか、そうでない法律事務所(弁護士)がいいのか?

これについては、福岡県の向原弁護士がわかりやすくまとめておられ、私もほとんど同感です。

日弁連の規定では、依頼者が弁護士に任せた仕事は、依頼された弁護士自身(または弁護士資格者からなる弁護士法人)が責任を持ってこなさないといけないことになっています。法律事務所の事務職員は、あくまで弁護士の仕事を補助する立場です。事務職員に仕事を振り分けすぎて、弁護士が個別の仕事の進捗を把握できなくなっているとすれば、その弁護士には問題があるといえます。

もちろん、CMを打って大量に受注する法律事務所(弁護士)でも、そのあたりをしっかりやっているところもあるでしょう。しかし、CMだけを見てもその法律事務所(弁護士)の事務処理体制はわかりません。CMはあくまで事務所が伝えたいイメージなのです。

以上からすると、テレビCMを出している事務所に案件を任せようとする場合は、正式に任せる前に、「どのように処理をしてもらえるのか、弁護士が案件にどれだけ関わるのか、案件の処理について聞きたいことが出たらどこに聞いたらいいのか」ということを確認した上で、できれば、地元の弁護士と比較して決めた方がいいということになると思われます。

では、地元の弁護士をどうやって探すか、見つけるか?

テレビ・新聞・電話「広告」ではわからない

地元の弁護士は東京等の弁護士事務所と違ってテレビCMを打たないし、新聞や電話帳などを見てもよくわからない。新聞広告や電話帳広告にも、何か実のある情報が載っているわけではないので…。

弁護士会や各種公的機関に相談に行っても、どんな弁護士が担当するか分からない。

そこで、どうすればいいでしょうか?

これについて、簡単に私の考えを書きたいと思います。

「広告」的な部分以外でのフィーリングの合い方を重視

今は、弁護士の人数が増え、特に若い弁護士が増えている時代ですので、地元のお知り合いをたどっていけば、意外と弁護士にたどり着く可能性もあるように思います。本来は、共通の知人がいれば、依頼する関係になってもコミュニケーションがとりやすいのです。ただ、そうは言っても、知り合いの知り合いに弁護士がいるかどうかは、人によるでしょうね…。

人づて・口コミといったところが難しいとなれば、どこかの相談担当弁護士に相談するか、またはインターネットを使うか、ということになります。

弁護士会、法テラス、市役所等の相談は、弁護士と知り合うきっかけにはなります。ただ、偶然出てきた弁護士と相談して、そこでの応対だけで、依頼するかどうか選べ(信頼できるか否か判断しろ)、というのは、本当は難しいことです。

これまで弁護士は情報発信をしなさすぎたきらいがありますが、少しずつ、弁護士にもインターネットでいろいろと書く人が増えてきました。そこで、普段からご自身の気になる話題などについて、インターネットで調べながら、その書き手がどんな人物かお知りになることがいいのではないかと思います。

そういう意味で、インターネットのサイト(ブログ等)のなかの、いかにも「広告」っぽいという部分以外から感じ取れるものがけっこう重要なのではないかなと思うのです。

ただし、インターネットでのコミュニケーションに限界があるのはもちろんのことです。文章を読むだけでは、どんな人かわからない、ということもあると思います。それに、ちゃんと法律相談しようと思えば面談しなければいけませんので、やはり一度面談で法律相談をした上で、信頼できるか最終的に判断して、委任するかどうかを決めればよいと思います。

(この関係で、まだ書き足りないところがありますので、また書きます。)

養育費・婚姻費用「算定表」とは何か?

婚姻費用・養育費のおさらい

今回は,全国の家庭裁判所で用いられている,婚姻費用と養育費の算定表についてご説明します。

まず,その前に,婚姻費用と養育費についておさらいします。

婚姻費用とは?

婚姻費用とは,結婚している夫婦について,対等の社会生活を維持するために必要な費用のことをいいます。

婚姻費用の中には,子どもの養育にかかるお金も含まれるため,結婚している間は,通常,子どもにかかる費用も含めて,婚姻費用の問題として解決します

別居をしている夫婦でも,離婚が決まるまでは,婚姻費用が発生します

法律的には,「夫婦合わせてかかるお金をどう分担するのか?」という考え方をします。このことを,婚姻費用の分担といいます。

より詳しく知りたい方は,私が婚姻費用について解説したブログを見てください。

養育費とは?

養育費とは,未成年者の子どもを監護養育している親が,監護養育していない親に対し請求することができる,子どもの監護養育のための費用です。

上で書いたように,結婚中も当然子どもを育てなければいけませんが,結婚中は婚姻費用として問題が処理されます。よって,養育費(だけ)の問題として浮上するのは離婚後です

裁判所では,養育費についても,婚姻費用と同じような考え方によって定められています。要するに,親同士の収入の差によって,養育費の額が大きく増減するというわけです

この考え方をより詳しく知りたい方は,私が養育費について解説したブログを見てください。

養育費・婚姻費用算定表とは何か?

養育費・婚姻費用算定表はどこで見ることができるか

養育費・婚姻費用算定表とは,これまで養育費・婚姻費用について説明した考え方をもとに,夫婦(元夫婦)の年収を当てはめたときに,養育費・婚姻費用がおよそ何円になるか,見やすくした表です。

裁判所(東京家庭裁判所)のホームページにも掲載されています。左のリンクをクリックしていただくと,裁判所のページが表示され,実際に使われている養育費・婚姻費用算定表を見ることができます

また,多くの法律事務所(弁護士の事務所)や各地の裁判所,法テラスなどにも,参照できるように置いてあることが多いです。

裁判所では算定表が重視されている

この算定表(及び算定表の元になる考え方)は,東京・大阪の裁判官が研究会を開いて作り上げたものであり,東京家裁・大阪家裁だけではなく,全国の家庭裁判所がこれを参考にしています

養育費・婚姻費用が訴訟や家事審判で決まる場合には,裁判官や家事審判官がこの算定表に重きを置いて額を決定することが非常に多くなっています

養育費・婚姻費用が家事調停で決まる場合にも,多くの弁護士や調停委員は,この算定表を参考にします。弁護士や調停委員には,この算定表に対して賛成意見と反対意見がありますが,裁判所が重視している算定表ですので,無視できないのが実情です。

なお,この算定表は,最大で子どもが3人のケースまでしか掲載されていませんが,子どもが4人以上いても,算定表の考え方を元に計算することが可能です。

算定表の額は絶対なのか?

よく,夫婦(元夫婦)の片方又は両方から,「自分たち夫婦(元夫婦)の場合,算定表のままではおかしいと思います。○○の事情があるからです。」といった意見が出ることがあります。

算定表は,あくまで統計を元に,標準的なケースで妥当する額を示していますので,そのような意見が出ることは当然だと思います。

しかし,裁判所の裁判官の多くは,この算定表は,「それぞれの夫婦には事情があり,完全に標準的なケースなどはない」という前提で,額の幅を持たせて作られているのだから,あまりに特別な事情がない限りは,額の幅のうちの最大限・最小限をとることで済む,と考えているように思います。これは,私が,何件も,養育費・婚姻費用の算定についての争いを扱った上で感じていることです。

一方の弁護士が増額方向での事情を挙げれば,もう一方の弁護士が減額方向での事情を挙げる……。そんなケースも多いなかで,裁判所は,基本的には算定表を基本に置きつつ,夫婦双方の事情を踏まえて額を決めていると思われます。

ですから,弁護士が付いたというだけで,大幅に額が増減するというものではありません。やはり,基本となるのは,夫婦(元夫婦)の収入額や夫婦ごとの事情です。しかし,養育費や婚姻費用の問題を抱えた方が裁判所や相手方に対し,適切なタイミングで適切な主張をするためには,養育費・婚姻費用について,裁判所の実務を理解している弁護士に依頼・相談するということは重要であるといえます。

特定秘密保護法は便利な捜査ツールか?

特定秘密保護法の成立

特定秘密保護法は、去る国会で成立した。

法案の国会提出後、マスコミも含め、反対論が膨らんだが、自民党・公明党の法案成立への意思は揺るがず、結局成立した。

ただ、成立以降も、法律の運用について懸念の声が少なくなく、まだマスコミの報道もやんでいない。

私の、特定秘密保護法への、もともとのスタンス

私は、特定秘密保護法の立法の目的については、否定しない。大雑把に言って、高度な外交秘密や安全保障上の秘密を他国に漏らさないための法制度は必要だと思う。

特に、現在、東アジア情勢は一筋縄ではいかない状況である。対中・対韓の関係については、表面的に友好化すればいいというものではなく、常に注意を払わなければならない。そのような中、情報漏洩を防ぐ手立てを講じる必要はある。

本来的には、国民は、安全保障に関しても、多様な情報を知った上で議論し、輿論を形成し、選挙権を行使すべきである。しかし、すべてガラス張りで議論することで、国民主権の足場が崩れることもある。そうであるならば、秘密とする情報の範囲はできるだけ抑制的であることが望ましいが、秘密を保護する法律を制定すること自体否定されるべきではない。

強く残る懸念(捜査機関にとって便利なツールであるといえること)

特定秘密保護法案に関する議論の当初、私は賛否を決めかねていたが、その理由としては、刑事罰に関する構成要件が曖昧であったり、刑事手続と「秘密」との関係がはっきりしない点があった。

日本の現実として、捜査機関が被疑者を逮捕・勾留すると、マスコミは疑いの内容を警察(検察)発表どおりに実名を付して報じ、それを受けて社会はおおむね被疑者を犯人視する。特に、捜査機関が力を入れている事件については、どのように報じられるかを意識して情報をリークすることで、輿論を味方につけ、捜査段階から被疑者に社会的制裁を与えようとする。

こういうことになっているから、捜査機関がある人物を立件したいというときに、いかなる理由をつけて(いかなる罪名を適用して)立件できるかが非常に重要なのである。今回の、特定秘密保護法(案)は、構成要件が曖昧であり、読み方にブレが生じるゆえに、捜査機関は法律を広く解釈して被疑者の逮捕・勾留を裁判所に請求し、裁判所もあっさりと認めるのではないかという懸念がある。

このあたりのことを漠然と考えていたが、落合洋司弁護士の稿(弁護士 落合洋司 (東京弁護士会) の 「日々是好日」 2013/12/02 国家機密と刑事訴訟 特定秘密保護法案の刑事手続上の論点)を読んで、「特定秘密保護法違反」の刑事事件を想定したときの問題点がさらにはっきりわかった。私が上に書いたように、「特定秘密保護法違反」として被疑者を逮捕・勾留することもありうるだろうし、大まかに「特定秘密保護法違反」の被疑事実があるからとマスコミその他の関係先を捜索するということも十分考えられる。そして、刑事手続が進む中でも、捜査機関側は、外形的に「特定秘密」にあたることに関わった何らかの証拠を裁判所に提出するかもしれないが、その提出証拠は、捜査機関に都合の悪い部分を隠したものであることもありうる(そのような操作が簡単にできるだろう)。

もちろん、私は、秘密漏洩を食い止めるため、罰するべき事案もあることは認める立場である。しかし、行政機関には、「行政側から睨まれてでもやる」という人物を排除したいという欲求があり、そうした人物の行為が公益に資するか否かは、当事者の行政では究極的判断ができないのでないかと思う。そういうとき、行政がそうした人物を邪魔だと思い、そうした人物が関わった情報が「特定秘密」に属するものであれば、「特定秘密保護法違反」として逮捕、ということにも直結しうる。このような場合、行為をした本人以外の者も共犯者(の疑いがある者)として逮捕されることもある。逮捕までいかずとも、非常なプレッシャーをかけられる。

郷原信郎弁護士も、次のように指摘し、この法律が誤った方向で用いられるおそれがあるとする(郷原信郎が斬る 2013/12/05「特定秘密保護法 刑事司法は濫用を抑制する機能を果たせるのか」)。

特定秘密保護法案に関して問題なのは、法案の中身自体というより、むしろ、現行の刑事司法の運用の下で、このような法律が成立し、誤った方向に濫用された場合に、司法の力でそれを抑制することが期待できないということである。

他方、長谷部恭男東京大学教授(憲法学)は、衆議院国家安全特別委員会で、参考人として話をしたが、このあたりの問題については、次のとおり述べている(引用元サイト)。

それから第四、それでもこの法案の罰則規定には当たらないはずの行為に関しましても、例えば捜査当局がこの法案の罰則規定違反の疑いで逮捕や捜索を行う危険性、それはあるのではないかと言われることがございます。我が国の刑事手法、ご案内の通り捜索や逮捕につきましては令状主義を取っておりまして、令状とるには罪を犯したと考えられる相当の理由ですとか、捜索の必要性、これを示す必要がございますので、そうした危険が早々あるとは私は考えておりませんが、もちろん中には大変な悪だくみをする捜査官がいて、悪知恵を働かせて逮捕や捜索をするという可能性はないとは言い切れません。

ただあの、そうした捜査官は、実はどんな法律であっても悪用するでございましょうから、そうした捜査官が出現する可能性が否定できないということは、正にこの法案を取り上げて批判する根拠にはやはりならないのではないかと。むしろそうした捜査官が仮に出現するのでありましたら、そうした人たちにいかに対処するのかと。その問題にむしろ注意を向けるべきではないかと考えております。

この長谷部教授の発言は、落合氏・郷原氏の議論に直接対応するものではない。長谷部教授の問題設定は「この法律が悪用されないか?」というものであり、巧妙に「活用」されるという問題についての議論ではないからだ。

ここで、長谷部教授は、こういうことを言っている。「逮捕」や「捜索」については令状主義をとっているから、必ず裁判官のチェックを受けるのである。罰則規定にあたらないはずの行為を取り上げて逮捕や捜索を受ける可能性は、他の法律による場合と同様、捜査官の個性の問題になる、と。

しかし、実際には、裁判官の令状審査が実質的に機能しているか疑問が大きい。令状主義をとっていることだけで、捜査機関がこの法律を巧妙に「活用」することは、防げないだろう。

以上から、私は、最終的に、特定秘密保護法案に反対する意見を持ったし、現在でも特定秘密保護法がどのように運用されていくか、強い懸念を持っている。実質的に、安全保障のためという目的をそこそこにして、捜査機関の便利ツールとして使われていく可能性があると思っている。

この法律の運用については、今後とも注目していきたい。

武藤敏郎氏の講演を聴きに行きました

日記的なものも書いてみます

せっかくブログ形式なので、いろいろ試してみます。

私の2014年は情報発信の年だと思っていますので(いや、今決めたんですが)、来年へ向けて、環境整備です。

 数年前までは、実名ではありませんが、マニアックな分野の話題など、さかんに情報発信していたものです。選挙分析とか…。予測とかデータとか分析とか人事とか、そういうことが元来好きなんですね…。また、議論好きでもあります(法律の議論はそんなに好きでもないけど)

 この職に就いてからは、情報発信と仕事との関係性について、考えが定まらず、そのため、匿名で広く情報発信することがほとんどなくなりましたし、だからといって実名でのSNS(ソーシャルネット)の利用も増えませんでした。

 弁護士と実名SNSの関係って微妙なところがあると思うんです。依頼者が、自分の依頼している弁護士と相手方の弁護士がSNS上で仲良くしているのを見ると、どうなんでしょうか。コメント付けたりして仲良くしなくても、フレンド登録していたりするだけで、何か思われることがあるかもしれません。「親しいからといって裏で談合したりしていないですよね?」と依頼者・相談者から聞かれても、「人間関係の親しさと、仕事の遂行とは関係がないですよ。」と答えれば済むともいえるし、実際にそうなんだけれども、それでもそんな疑いをもたれること自体気持ちいいことではありません。それに、もし、私が依頼者だとしたら、けっこうネットで調べて、少なからず疑問を持つと思いますね…。そこで、やはり実名SNSの使い方については、まだ決めかねています。

 しかし、私が一般市民・企業を顧客とする「士業」である以上、いかなる人物であり、何を考えているのか、どのような知識・技能があるのかを知ってもらい、その上で選択してもらう……そうあってしかるべきではないかと確信するに至りました。ですから、情報発信の態勢を整えようと思っているわけです。

 もちろん、現在進行中の受任案件であるとか、過去の受任案件であっても個人を特定できるような形での言及をすべきではありません。そういった点には気をつけながら、情報発信をしていきたいと思っています。その日にあったことを書く日記だと差し障りが出やすいので、「ニュース」や「公(政治とか行政とか司法とか)」についてのお話のほうが多くなるかもしれませんが…。

では、以下、今日の日記です。

武藤敏郎氏講演

今日(2013/12/20)は、「石川県地場産業振興センター開館30周年・リニューアル記念講演」ということで、大和総研理事長の武藤敏郎氏の講演会があり、出かけました。

講演の題は、「日本経済の展望と課題」。

アベノミクスだとかの短期的な話から始まって、結局は超高齢社会日本の先行きの話になりました。

後半のお話は、ほぼ大和総研の経済・社会構造分析レポートに基づいていました。

目新しい話ではなかったけれども、講演を聴いて、私の中で20年、30年先の日本社会のイメージがさらにできあがってきました。

日本社会は2007年に高齢化率が21%を超え「超高齢社会」に突入した後も、さらに高齢化率を上げていき、高齢化率は30%台後半~40%程度になっていく。そのなかで社会の活力を向上させることはかなり難しい。できれば、高齢化率が20%であるうちに、若い世代の活力を生かせるよう、高齢者の意見ばかりによらない政策決定(高齢者向け社会保障の自己負担率を増やしたり、若い人の就業環境を優先的に改善したり)ができればいいが、それさえ簡単ではない。そうして、相当先の将来をイメージした政策決定をしようにも、輿論の抵抗を受け、滞ることも多く、妥協的な案が採用されていく。そのうち、社会保障費がさらに財政を圧迫し、いやが応にも社会保障費を削減しなければならなくなる。現在の若い世代は蓄えを作ることも難しい場合が多いから、蓄えなしで老後に突入する人が多くなるし、中には年金等を受給できない人も相当出てくる。それらの人々の最低限の生活を支える費用も財政をさらに圧迫し、社会保障の水準を押し下げる。共助はともかく、財政難から公助は後退するので、必然的に自助によらざるをえなくなる。

大雑把ですが、私のイメージはこんな感じです。

こう考えると、20年や30年先に50歳代・60歳代となる私たちの世代は、今のうちから個々将来を見越して足場を作っていくことが非常に重要になると思います。前の世代の生き方の真似をしていても、たぶん、うまく行かないんだろうなと。特に、将来がそれなりに保障されている仕事でないなら、なおさらですね(私の職業も、今後、事務処理体制の強みがないと簡単に没落するたぐいの仕事だと思いますね)。

こういう話、悲観的・ネガティブに読めるかもしれませんが、若い世代はこういうことをより意識的に考えて、団結して、多数決で押してくる上の世代に対して、将来を見越した政策を採用するよう説得すべきなんじゃないのかな~なんてことも思います。

有罪に導く検察官の供述調書ライティング技術

八田隆氏のブログから

所得税法違反の罪に問われ東京地検特捜部により起訴された八田隆氏(元クレディ・スイス証券勤務)のブログに、検察官がどのように取り調べをし、供述調書の作成をしようとしたか、書かれています。

検察特捜部の取調べが始まる前に、主任弁護人の小松正和弁護士に説明されたのは、調書における符牒でした。通常、調書は一人称で書かれます。第三者の検察官が作成しながら、文章は「私は」で始まる文体になっています。しかし、検察官が「この被疑者は嘘をついているな」と思われる部分は問答形式になります。

一人称の文章の中に突然、
検察官「~ではないのですか」
被疑者「いえ、それは~です」
という問答形式の会話が挿入されます。これが検察官による符牒です。

私はそれを聞いていたため、案の定、検察官がそのような問答形式の文章をはさんで検面調書を作成し始めた時に、徹底的に抵抗しました。

かなりの長時間、検面調書の様式に関し怒鳴り合いが続き、その中では「どうして我々が怪しいと思っていることを裁判官に伝えることがいけないんだ!」という検察官の言葉もありました。

結局、根負けした検察官の選択は、裁判官も見たことがないであろう、全て問答形式の調書でした。小松弁護士の事前の情報インプットがなければ、そうした調書は生まれなかったものです。

#検察なう (352) 「起訴前弁護の重要性」 12/5/2013

問答形式は常套手段

八田氏の場合

このように、東京地検特捜部の検事は、八田氏の供述調書に問答形式を入れ込もうとしたようです。

このやり方が特捜部独特のものかというと、決してそんなことはありません。

各都道府県にある検察庁(地検)の検事は、同じように問答形式の調書を作ることがありますし、各都道府県の警察官も問答形式の調書を作ることがあります。

八田氏の調書は、弁護人のアドバイスを受けて捜査に対応した結果、すべて問答形式で統一されているという、かなり珍しい調書になったようですが、本来検察官や警察官が目指す調書はそのようなものではありません。八田氏は、弁護人の好プレイにより、致命的な供述調書をとられることを防いだといえます。

供述調書の役割

検察官(警察官にも同じことが言えますが、以下では「検察官」と書きます)は、検察官自身の書面として「供述調書(供述録取書ともいいます)」を作成します。供述調書は、検察官が自分の名前で作る書面。まずは、これが重要ですから、押さえておいて下さい。

通常、被疑者(被告人)が犯行を認めているようなときには、被疑者が話したことを検察官が再構成して、あたかも被疑者が一本のストーリーをすらすらと語っているようにして、検察官が調書を書きます(これを「物語形式」といいます)。そして、内容を被疑者に読み聞かせ、そのように供述したことで間違いないということを確認させた上で、被疑者に署名・押印(指印)してもらい、最後に検察官が署名押印して一丁上がりです。

大雑把に言えば、こうやってできあがった調書は、被疑者(被告人)が裁判所において自分の口で話すことと同じくらい、いや、それ以上に重視される傾向にあります。

検察官が再構成していることもあり、検察官が裁判所に提出する他の証拠(関係者や被害者の証言等や物証等)と一致し、論理的で筋が通っていて、読みやすいものになっているのです。

被疑者(被告人)が検察の見立てに乗らない場合

被疑者(被告人)が否認しているときには、検察官は、できるだけ有罪にもちこめるような証拠を作るため、供述調書を一工夫します。

まず、争っていない部分については、通常通り「物語形式」で調書を作成します。他の部分では文句があるかもしれないけど、ここは文句がないだろう、というわけです。

そして、争っている部分については、「問答形式」を使います。八田氏がブログで書いている形式です。

たとえば、

検察官「あなたは、そのとき、○○にいたのか。」

被疑者「そのときそこにはいませんでした。そこには行った記憶がありません。」

検察官「では、あなたの指紋と酷似した指紋が○○の食器から見つかったのは、なぜか。」

被疑者「私にはわかりません。」

というような感じです。

怪しいのに認めていない、これだけ不利な証拠があるのによくわからない弁解をしている、ということを読み手(裁判官)に印象づける手段です。

検察官は、この「問答形式」の部分について、被疑者が難色を示すと、たとえば、「あなたが答えたとおり書いているではないか、しゃべったことと書かれていることが違っているというなら、言うとおり直すから、指摘しろ」というようなことを言います。そして、この問答も含めて、被疑者が語ったこととして、調書を作ろうとします。

「部分的な問答形式」の落とし穴

そうやって、被疑者は、一応は自分の言い分も書いてもらったから、ちょっと不本意だけれども署名・押印するしかないか、ということで、応じがちです。

しかし、特に複雑な事件の場合によく言えることですが、検察官が被疑者に見せていない証拠の中に被疑者の弁解と一見矛盾するものがあったり、他の調書でサラッと書かれていることが被疑者の弁解と矛盾するようになっていたりすることがあります。

また、はっきり矛盾していなくても、いかにも怪しい点として、「問答形式」の部分が浮かび上がるようになっており、裁判になってからその部分だけ争っても、その調書をもとに、全体的に検察官のストーリーに信用性が認められる、という効果をもたらしがちです。

このほかにもいろいろある

検察官は、裁判官に有罪判決を書かせる、すなわち被疑者・被告人を有罪に導く技術をこのほかにもたくさん持っています。

たとえば、一旦できあがった調書を読み聞かせたときに、被疑者が「内容があまりにおかしい、直してくれ」と申し出たとします。検察官は、被疑者が指摘した点について調書を書き足して訂正します。しかし、検察官は、それに応じた上で、裁判になったときに、その調書の他の部分について被疑者・被告人が争うと、「訂正してほしい、という部分は訂正したのだから、その他の部分は間違いないとはっきり認めた、ということだ」と主張することがあります。

被疑者としては、元の調書よりはマシになったと思って署名押印したつもりでも、裁判になると、それを逆手に取られる、ということです。

こういうやり方は、必要な手段という側面もあるのでしょう。しかし、検察官にいろいろな手法を駆使された結果、本来は有罪といえるか非常に微妙であるのに、巧妙・強引に有罪に持ち込まれたというケースもあるように思います。

特に、八田氏の場合には、逮捕されずに在宅起訴でしたが、逮捕勾留されている中で取り調べを受ける心理は、相当厳しいものがあります。初めて逮捕されるような人が、そのような状況で、警察官・検察官の取り調べに1人で対応できるわけがないと思います。

弁護士は、検察官と違い、基本的には個々で活動しているので、いろいろな事件における経験をまるっと共有するわけにはいきません。ただ、その分、自分の経験から推し量って考えたり、他の弁護士の経験を知る機会があればどんどんと学び取っていかなければならないと思います。

養育費とは何か?

養育費とは

婚姻費用に引き続き,養育費についてです。

未成年者の子どもを監護養育していない親は,監護養育している親に対し,子どもの監護養育のための費用(養育費)を分担する義務があります(民法766条3項)。

養育費の支払いが問題になるのは,主に離婚後です。

婚姻中に別居しているときにも理論上は養育費を請求できますが,婚姻中の婚姻費用には配偶者の生活費と子どもの養育費の両方が含まれているので,まだ結婚している状態のときは,ふつうは婚姻費用という名目で請求します。

婚姻費用と同じく,養育費についても,「生活保持義務」(自分の生活を保持するのと同程度の生活を保持させる義務)の考え方があてはまりますので,配偶者が特段困窮していないような状況でも,同程度の生活になるように支払わなければならないのです。

逆に言えば,法律的な考え方からすれば,子どもを監護しない親が,子どもを監護する親に対して,子どもを監護するための費用の全額を支払わなければならない,ということもありません。あくまで,子どもを監護する親と子どもを監護しない親の負担の調整をするものだということです。

養育費はいつまで支払うべきなのか?

裁判所の原則論・一般論としては,成人(現在は20歳)に達した者は自分で生計を立てるのが原則であり,子どもが成人に達した後は,「生活保持義務」の考え方に基づく扶養義務はなくなります。

しかし,現実的には,子どもが大学などに通えば,卒業するまでは自分で生計を立てることが困難であるのが通常です。

そういうことが見込まれる場合には,調停などの話し合いで,双方合意のもと,「22歳まで」などと定めることがあります。ただ,双方が合意しない場合には,裁判官(家事審判官)が審判で決めることになります。そうなると,原則論で,「成人まで」と決める裁判官も多いと思われます。

公的扶助(児童手当や児童扶養手当など)との関係

子どもを監護養育する親が,児童手当(旧名:子ども手当)や児童扶養手当(通称:母子手当)を受給している場合,相手親の感情論としては,養育費として決まった額から手当分を差し引かせてほしい,ということになりやすいですが,法律的にはそのようなことはできませんし,「手当をもらっているから養育費を減額してほしい」と養育費の決め直しを申し立てても,それを理由としては減額にならないと思われます。

ただし,養育費をもらっているのに,もらっていないと申告して行政から手当を受け取るのは,違法です。

家庭裁判所における養育費の算定方法

家庭裁判所においては,養育費についても,計算式を用意しています。計算式の考え方は,次のとおりです。

  1. 子どもが,実際とは違い,養育費支払義務親のほうと同居していると仮定して,義務親と同等の生活をするために生活費がいくらかかるか算定する
  2. 1」で算出された子どもの生活費を,双方の収入に応じて按分する

婚姻費用と同じく,ここでいう「収入」とは,税込収入から「公租公課(税金などのことです)」・「職業費(仕事用の被服費・交通費などです)」・「特別経費(住居関係費・保健医療費などです)」を控除した金額のことをいい,これを「基礎収入」と呼びます。この基礎収入について,裁判所は,個別事情に応じて計算するわけではなく,統計データから推計して,給与所得者の場合は総収入の約34~42%を基礎収入であると考え,自営業者の場合は総収入の約47~52%を基礎収入であると考えています。

また,婚姻費用と同じく,裁判所で使っている計算式では,夫と妻は生活費の指数が10015歳~19歳の子は生活費の指数が90(成人の90%)。0~14歳の子は生活費の指数が55(成人の55%)。この割合の生活費で,同等の生活といえると考えて計算しています。

計算式は絶対なのか?

婚姻費用と同じように,計算式で機械的に決められることに納得がいかない,実際はこうではない,と思われる方も多いのではないかと思います。

裁判所外で約束する場合には,計算式や算定表を絶対視しなくてもよいでしょう。また,裁判所でも,調停であれば,双方合意のもと,計算式や算定表を離れた金額設定をすることも可能です。

しかし,一方は「算定表のとおりの額であるべきだ」,もう一方は「算定表の額は高すぎる(または安すぎる)」と主張し続けるなどして,話が決着しないときには,家庭裁判所の裁判官(家事審判官)が審判で決めることになります。

そうなったときの多くの裁判官の考え方としては,「事案ごとにバリエーションがあることを前提に計算式・算定表は作られているのであり,計算式・算定表の考え方が通用しないような特段の事情がなければ,計算式・算定表によって算出された範囲内で決めよう」というものだろうと,私は思っています。