2chの運営体制の変化と権利侵害書き込みの削除

近年,掲示板サイト「2ch」における書き込みによる名誉毀損・プライバシー侵害が多発しており,書き込みの削除を求める人たちも多い。

2chの書き込みの問題は,2ch本体にとどまらない。2chに書き込まれた情報は,

・ログサイト(2chのログをそのまま保存して掲載しているサイト。要するに,転載サイト。)

・まとめサイト(2chのログを一定程度抜き書きしたり強調して利便性を持たせて掲載しているサイト。転載サイトの類型。)

・アンテナサイト(2ch本体や転載サイトの情報をランキング掲載するなどしているサイト。)

・2ch専用ブラウザ(略して,専ブラ。一旦専ブラ用に独自にログ化されることがあり,2ch本体とは別URLを持つものがある。)

・他の掲示板(bbspink,まちbbs,したらば,爆サイなど)

などへ転載(抜粋を含む)されることが多い。

 

このようなとき,2chの情報が消えた場合でも,必ずしも各転載サイトの情報等が自動的に消えるわけではない。

しかし,逆に,各転載サイト等の情報等が消されても,2ch自体の情報が消されなければ,名誉毀損・プライバシー侵害の根源が絶たれたとはいえない。

そこで,2chの書き込み(レス。場合によってはスレッドごと)の削除をいかに実現するかの問題に直面する。

 

これについては,これまで,削除依頼板や削除要請板等で,2ch独自の依頼方法に基づいて申請すれば,2ch独自の基準に基づき,自主的な対応が取られることがあった。

また,2chが自主的な対応を取らないものであっても,たとえば,裁判所が仮に削除するよう2chの運営会社(シンガポールにあるパケットモンスターなんちゃらという会社。ダミー会社。)に対し仮処分命令を発した場合には,それを用いて2ch独自の依頼方法に基づいて申請すれば,比較的早期の削除をしてもらえていたようである。

しかし,である。ここから先,非常におおまかな話でやや正確性を欠くが,私なりに大まとめにして書く。

最近,2ch(より正確に言うと,2ch.net)のドメインを管理しているアメリカの会社(人物)が2ch.netの運営権を主張し始めるということがあった。これまでは,2chは,名誉毀損やプライバシー侵害等による民事刑事両面の責任を負いたくないがために,日本法による責任追及を回避しようとして,上述のようにシンガポールにダミー会社を置いたり,アメリカにサーバーを置いたりしていたのだが,2chの収益構造(ログ販売や規制回避用ID販売)に関しての内輪もめがあり,アメリカ側に乗っ取りをされた形のようである。「ようである」,というのは,2chの過去のやり方からして,関係者がいろんな役回りを演じて,表向きそういうストーリーを取っている場合もあるから,客観的に断言はしがたいということである。

こうして,アメリカ側が2ch.netの運営を仕切り始めた形になったので,削除の関係では,裁判所がいくらシンガポールのダミー会社に対して削除の仮処分を出しても,アメリカ側はそれを見て削除することはない(または,それまでの運営がボランティア集団を組織して削除まわりをやらせていたところ,指揮者がいなくなったため,裁判所の決定を受けて削除まわりをする役目の者がいなくなった)。

このことで,2ch.netの書き込みで名誉毀損やプライバシー侵害等を受けている人たちがいくら裁判所で削除を認める決定を得たとしても,それが実行されずに溜まっている,それも2ch.netの掲示板上に,削除を求める書き込みばかりが残存し,より名誉毀損やプライバシー侵害の状況がひどくなってしまっている状況がある。

また,2ch.netの乗っ取りがあって,2chの創設者であるひろゆきこと西村博之氏が,我こそが2chの所有者であると主張を強め,2ch.scという2ch.netの内容をすぐに反映させるサイトを作って対抗している状況である。

上に書いたように,こんな劇のようなものをネット上で公開してやる必要性は疑問であり(ネット世論を味方に付けるためにやっている面が大きいのだろうが),「わざとらしい」感じもある騒動である。ただ,名誉毀損やプライバシー侵害を受けている人は,一刻も早くどうにかしたいとの思いを持っているだろう。

そうは言っても,こういうところに首を突っ込んだら,痛みも大きいというのも周知の通り。

今後は,この状況に,いつ,どのような形で突破口が見えるかが焦点だろう。

武藤敏郎氏の講演を聴きに行きました

日記的なものも書いてみます

せっかくブログ形式なので、いろいろ試してみます。

私の2014年は情報発信の年だと思っていますので(いや、今決めたんですが)、来年へ向けて、環境整備です。

 数年前までは、実名ではありませんが、マニアックな分野の話題など、さかんに情報発信していたものです。選挙分析とか…。予測とかデータとか分析とか人事とか、そういうことが元来好きなんですね…。また、議論好きでもあります(法律の議論はそんなに好きでもないけど)

 この職に就いてからは、情報発信と仕事との関係性について、考えが定まらず、そのため、匿名で広く情報発信することがほとんどなくなりましたし、だからといって実名でのSNS(ソーシャルネット)の利用も増えませんでした。

 弁護士と実名SNSの関係って微妙なところがあると思うんです。依頼者が、自分の依頼している弁護士と相手方の弁護士がSNS上で仲良くしているのを見ると、どうなんでしょうか。コメント付けたりして仲良くしなくても、フレンド登録していたりするだけで、何か思われることがあるかもしれません。「親しいからといって裏で談合したりしていないですよね?」と依頼者・相談者から聞かれても、「人間関係の親しさと、仕事の遂行とは関係がないですよ。」と答えれば済むともいえるし、実際にそうなんだけれども、それでもそんな疑いをもたれること自体気持ちいいことではありません。それに、もし、私が依頼者だとしたら、けっこうネットで調べて、少なからず疑問を持つと思いますね…。そこで、やはり実名SNSの使い方については、まだ決めかねています。

 しかし、私が一般市民・企業を顧客とする「士業」である以上、いかなる人物であり、何を考えているのか、どのような知識・技能があるのかを知ってもらい、その上で選択してもらう……そうあってしかるべきではないかと確信するに至りました。ですから、情報発信の態勢を整えようと思っているわけです。

 もちろん、現在進行中の受任案件であるとか、過去の受任案件であっても個人を特定できるような形での言及をすべきではありません。そういった点には気をつけながら、情報発信をしていきたいと思っています。その日にあったことを書く日記だと差し障りが出やすいので、「ニュース」や「公(政治とか行政とか司法とか)」についてのお話のほうが多くなるかもしれませんが…。

では、以下、今日の日記です。

武藤敏郎氏講演

今日(2013/12/20)は、「石川県地場産業振興センター開館30周年・リニューアル記念講演」ということで、大和総研理事長の武藤敏郎氏の講演会があり、出かけました。

講演の題は、「日本経済の展望と課題」。

アベノミクスだとかの短期的な話から始まって、結局は超高齢社会日本の先行きの話になりました。

後半のお話は、ほぼ大和総研の経済・社会構造分析レポートに基づいていました。

目新しい話ではなかったけれども、講演を聴いて、私の中で20年、30年先の日本社会のイメージがさらにできあがってきました。

日本社会は2007年に高齢化率が21%を超え「超高齢社会」に突入した後も、さらに高齢化率を上げていき、高齢化率は30%台後半~40%程度になっていく。そのなかで社会の活力を向上させることはかなり難しい。できれば、高齢化率が20%であるうちに、若い世代の活力を生かせるよう、高齢者の意見ばかりによらない政策決定(高齢者向け社会保障の自己負担率を増やしたり、若い人の就業環境を優先的に改善したり)ができればいいが、それさえ簡単ではない。そうして、相当先の将来をイメージした政策決定をしようにも、輿論の抵抗を受け、滞ることも多く、妥協的な案が採用されていく。そのうち、社会保障費がさらに財政を圧迫し、いやが応にも社会保障費を削減しなければならなくなる。現在の若い世代は蓄えを作ることも難しい場合が多いから、蓄えなしで老後に突入する人が多くなるし、中には年金等を受給できない人も相当出てくる。それらの人々の最低限の生活を支える費用も財政をさらに圧迫し、社会保障の水準を押し下げる。共助はともかく、財政難から公助は後退するので、必然的に自助によらざるをえなくなる。

大雑把ですが、私のイメージはこんな感じです。

こう考えると、20年や30年先に50歳代・60歳代となる私たちの世代は、今のうちから個々将来を見越して足場を作っていくことが非常に重要になると思います。前の世代の生き方の真似をしていても、たぶん、うまく行かないんだろうなと。特に、将来がそれなりに保障されている仕事でないなら、なおさらですね(私の職業も、今後、事務処理体制の強みがないと簡単に没落するたぐいの仕事だと思いますね)。

こういう話、悲観的・ネガティブに読めるかもしれませんが、若い世代はこういうことをより意識的に考えて、団結して、多数決で押してくる上の世代に対して、将来を見越した政策を採用するよう説得すべきなんじゃないのかな~なんてことも思います。

刑事事件(逮捕時点)の報道・ニュースについて

石川県で弁護士をしていると・・・

石川県で弁護士として活動し、そのなかで刑事弁護をしていると、自分の扱っている事件の被疑者(マスコミ用語では容疑者)・被告人(マスコミ用語では被告)について、地元マスコミがニュース報道するということが頻繁にあります。

いや、正確に言えば、自分の扱っている事件が報道されるというよりは、報道された事件を担当することになる場合が多いです。

報道されるタイミングというのは、一律ではありませんが、多くの場合、逮捕の翌日に、「○○署は、~~の容疑で、○○○○容疑者を逮捕した。○○容疑者は、容疑を認めている。」というような形で実名報道されます。

石川県の場合、ごく軽微な事案でも「逮捕」ということになれば、各警察署の幹部が各マスコミに対し、被逮捕者の住所・氏名・年齢・職業等を発表し、被疑罪名や事案の概要、否認か自白か、といったことも伝達します。

各マスコミは、ほとんどの場合、この警察発表を元に報道をするわけです。特に、地元紙である北國新聞と北陸中日新聞は、逮捕の被疑事実がごく軽微な事案だからといって、ふるい落としたり匿名にしたりすることもなく、ほぼ自動的に警察発表どおり掲載する傾向にあります。中には、紙面編集の都合なのか、警察発表されないケースもあるのか、逮捕されていても載らないものもありますが…。基準ははっきりしませんし、逮捕直後に載らなくても後日載ることがあります。

一般論として、刑事事件報道について

一般論として、まだ有罪と決まったわけではない人の実名を報道することにどんな意味があるのでしょうか?

まず、指摘されるべきは、報道された人は、自白・否認にかかわらず、記事の読み手の大半から犯人視されてしまうということです。ローカル紙のように、特定地域の住民の多くが読んでいる媒体に掲載されると、報道された人は行く先々で「犯人」として見られてしまうことになり、非常にダメージが大きいのです。

その一方で、逮捕しても警察が発表しない、マスコミも報道しないという状態になると、一般市民によるチェック機能が働きにくくなる、という側面もあります。確かに、警察が発表もせず、マスコミが情報を取得できないということになると、警察が逮捕すべきではない人を逮捕しても一般市民はそれを全然知らない、ということになってしまうかもしれません。

また、率直に言って、誰がどういった疑いで逮捕されたのかは、周辺住民が身を守るために必要な情報だ、という意見もありうるでしょう。

そのあたりは、結局はバランスの問題であると思います。どのような報道の仕方が適切か、いろいろと意見がありうるところでしょう。

しかし、刑事弁護もする弁護士の立場で、重ねて指摘したいのは、事案によっては、報道された人が受ける不利益(社会生活を取り戻すことの困難)が大きくなりすぎることがあるということです。

インターネットの問題

近年は、インターネットが一般化したので、昔と比べると状況が変化してきたものと思われます(といっても、私はインターネット時代以降の弁護士ですが)。

まず、インターネットに情報が掲載されればどこに住んでいても情報にアクセスできるということがあります。非常にローカルな、小さい事件でも、ニュースサイトに載れば、見つけて読む人は必ずいます(私などでも、遠い地方の新聞サイトや放送局のサイトをチェックすることがしばしばあるくらいなので、地元民ならさらに頻繁にチェックするでしょう)。

次に、インターネットに掲載されている情報は、サーバーから除去しない限り、常に”そこ”にある、ということを特筆すべきです。そうなっていると、検索でヒットすることにより、常に瞬時にアクセスできます。これは、通常、数日経てば古新聞として処分される新聞とは大きく違います。

さらに、物珍しい事件などは、全国ニュースで取り上げられるなどし、2chなどの掲示板にその事件を題材にした書き込みが相当なされることもあります。そこから、まとめサイトに転載されたり、ウェブ魚拓を取られるなどして、情報が氾濫状態になることがあります。

マスコミは影響力を自覚して・・・

各都道府県の地元マスコミの報道の仕方について、私は網羅的に知っているわけではありませんが、どうしても都市部のマスコミは、逮捕案件を全部掲載することには無理がありますので、何らかの基準で絞りをかけていることになります。

逮捕されたということが新聞掲載されれば、それだけで社会復帰が相当険しくなるので、本来であれば、田舎のマスコミも、事案の軽重などで掲載を選択したり、場合によっては匿名にすべきではないかと思います。

また、重大でない、しかしちょっと変わった事件を面白半分でインターネットに掲載することは、報道された当人にはあまりにも過大な社会的制裁になりうることもあります。

罪を犯した人にとっては、刑罰を受けることにも比肩するダメージを、報道されることにより受ける場合も多いように感じられます。こういうこと(報道が与える影響の大きさ)を報道側も自覚することで、罪を犯した人の社会復帰の道筋づくりにも関心が出て、よりよき社会づくりにもつながっていく、そんな気がします。