2chの運営体制の変化と権利侵害書き込みの削除

近年,掲示板サイト「2ch」における書き込みによる名誉毀損・プライバシー侵害が多発しており,書き込みの削除を求める人たちも多い。

2chの書き込みの問題は,2ch本体にとどまらない。2chに書き込まれた情報は,

・ログサイト(2chのログをそのまま保存して掲載しているサイト。要するに,転載サイト。)

・まとめサイト(2chのログを一定程度抜き書きしたり強調して利便性を持たせて掲載しているサイト。転載サイトの類型。)

・アンテナサイト(2ch本体や転載サイトの情報をランキング掲載するなどしているサイト。)

・2ch専用ブラウザ(略して,専ブラ。一旦専ブラ用に独自にログ化されることがあり,2ch本体とは別URLを持つものがある。)

・他の掲示板(bbspink,まちbbs,したらば,爆サイなど)

などへ転載(抜粋を含む)されることが多い。

 

このようなとき,2chの情報が消えた場合でも,必ずしも各転載サイトの情報等が自動的に消えるわけではない。

しかし,逆に,各転載サイト等の情報等が消されても,2ch自体の情報が消されなければ,名誉毀損・プライバシー侵害の根源が絶たれたとはいえない。

そこで,2chの書き込み(レス。場合によってはスレッドごと)の削除をいかに実現するかの問題に直面する。

 

これについては,これまで,削除依頼板や削除要請板等で,2ch独自の依頼方法に基づいて申請すれば,2ch独自の基準に基づき,自主的な対応が取られることがあった。

また,2chが自主的な対応を取らないものであっても,たとえば,裁判所が仮に削除するよう2chの運営会社(シンガポールにあるパケットモンスターなんちゃらという会社。ダミー会社。)に対し仮処分命令を発した場合には,それを用いて2ch独自の依頼方法に基づいて申請すれば,比較的早期の削除をしてもらえていたようである。

しかし,である。ここから先,非常におおまかな話でやや正確性を欠くが,私なりに大まとめにして書く。

最近,2ch(より正確に言うと,2ch.net)のドメインを管理しているアメリカの会社(人物)が2ch.netの運営権を主張し始めるということがあった。これまでは,2chは,名誉毀損やプライバシー侵害等による民事刑事両面の責任を負いたくないがために,日本法による責任追及を回避しようとして,上述のようにシンガポールにダミー会社を置いたり,アメリカにサーバーを置いたりしていたのだが,2chの収益構造(ログ販売や規制回避用ID販売)に関しての内輪もめがあり,アメリカ側に乗っ取りをされた形のようである。「ようである」,というのは,2chの過去のやり方からして,関係者がいろんな役回りを演じて,表向きそういうストーリーを取っている場合もあるから,客観的に断言はしがたいということである。

こうして,アメリカ側が2ch.netの運営を仕切り始めた形になったので,削除の関係では,裁判所がいくらシンガポールのダミー会社に対して削除の仮処分を出しても,アメリカ側はそれを見て削除することはない(または,それまでの運営がボランティア集団を組織して削除まわりをやらせていたところ,指揮者がいなくなったため,裁判所の決定を受けて削除まわりをする役目の者がいなくなった)。

このことで,2ch.netの書き込みで名誉毀損やプライバシー侵害等を受けている人たちがいくら裁判所で削除を認める決定を得たとしても,それが実行されずに溜まっている,それも2ch.netの掲示板上に,削除を求める書き込みばかりが残存し,より名誉毀損やプライバシー侵害の状況がひどくなってしまっている状況がある。

また,2ch.netの乗っ取りがあって,2chの創設者であるひろゆきこと西村博之氏が,我こそが2chの所有者であると主張を強め,2ch.scという2ch.netの内容をすぐに反映させるサイトを作って対抗している状況である。

上に書いたように,こんな劇のようなものをネット上で公開してやる必要性は疑問であり(ネット世論を味方に付けるためにやっている面が大きいのだろうが),「わざとらしい」感じもある騒動である。ただ,名誉毀損やプライバシー侵害を受けている人は,一刻も早くどうにかしたいとの思いを持っているだろう。

そうは言っても,こういうところに首を突っ込んだら,痛みも大きいというのも周知の通り。

今後は,この状況に,いつ,どのような形で突破口が見えるかが焦点だろう。

名古屋高裁金沢支部が金沢地裁の裁判員裁判判決を破棄

金沢地裁の裁判員裁判判決,初めての破棄!

自宅放火、男に猶予刑 石川県内初、裁判員判決を破棄 名高裁金沢

自宅に火を放ち全焼させたとして、現住建造物等放火の罪に問われた本籍金沢市、無職 ◆◆◆◆被告(51)の控訴審判決で、名高裁金沢支部(彦坂孝孔(たかのり)裁判長)は17日、懲役3年6月(求刑・懲役5年)の一審金沢地裁の裁判員裁判判決を破棄し、懲役3年、執行猶予5年の判決を言い渡した。裁判員裁判の判決が破棄されたのは石川県内で初めて。
判決理由で彦坂裁判長は「精神障害が犯行に大きく影響を及ぼしていることは明らかである」と指摘。心神耗弱状態であったと認めながらも、量刑を決めるにあたって十分考慮しなかった一審判決には誤りがあると指摘した。精神障害の内容に踏み込むことになった今回の裁判について、弁護人は「裁判員裁判で、市民がいきなり科学的な内容を評価するのは難しいのではないか」と述べた。

判決によると、被告は昨年2月10日夜、自宅で遊ぶおいを静かにさせるよう被告の父に求めたが、聞き入れられずに憤慨。1階和室の布団に灯油をまいて火を付け、自宅を全焼させた。

私は,この事件,特に注目していたわけではなかったが,この事件が金沢地裁の裁判員裁判の初の破棄ケースとなった。

4月18日付の北國新聞本紙(朝刊)には,上記の記事のほか,元大阪高裁判事の江藤正也弁護士(金沢弁護士会)の見解も取り上げられている。江藤弁護士は,市民の常識だけで法的な判断をするのが難しい場合もあることを指摘している。

私の考え(まだ煮詰まってませんが…)

私も,裁判員裁判における責任能力の扱われ方には難しさを常々感じている。私は,裁判員裁判の判決文原典に当たって細かく検討しているわけではないが,報道ベースでは,どのような事件類型がどのように扱われ,どのような争点・主張がどう扱われやすいかということについて,着目し続けている。

その中で私が感じるのは,よく,裁判員裁判の判決は,「確かに被告人は法律的には心神耗弱にあたるが,刑は特段軽くする必要がない事例である」という考え方をしていることがわりあい多いのではないか,ということだ。精神障害が犯行に与えた影響についての判断とナチュラルな処罰感情との切り分けが,一般市民には容易ではないように思う。事案を計算式に当てはめて答えを導くべきところなのに,答えが先にあって無理に理屈を付けるとひずみが出てしまうということだろう。

でも,答えを決めてから理由をつけていく,というやり方自体は,むしろ多くの法律家(特に裁判官)が身につけているテクニックではある…。裁判員裁判の出した結論とその理由づけが,裁判官的な理屈でフォローしきれないところまでに逸脱しているとさすがに控訴審で破棄ということになるのかなぁと私は何となく思っている…。

そういう意味では,逸脱やブレがあっても滅多には破棄されないから,裁判員裁判でおかしな見方をされて判決を出されても,それを控訴審で取り戻すのは困難かなと思う。現在の名古屋高裁金沢支部がそのへん(裁判員裁判の判決の破棄)について柔軟ならよいかなぁと私は思うのだが…。

自浄作用を発揮する理研?

理化学研究所(理研)は小保方晴子氏をユニットリーダーとした「STAP細胞」の研究について,捏造の不正行為があったとして,厳正な処分を予告し,論文の取り下げを勧告するとした。

理研の内部調査結果は,基本的に不正行為が小保方氏個人によりなされたという認定のようである。

報道から読み取るに,不正行為があったとする認定については裏付けがしっかりしていて大方間違いのないところだろう。ただ,理研という組織の内外でどのような流れで不正行為がまかり通ってしまったのか,それについては何ら明らかになっていないように思う。

理研は,ある意味自浄作用がある組織なのかもしれないが,出現した菌を一気に消毒すればそれで解決というものではないだろう。

大学生・大学院生がコピペを使ってうまくやったときに,それを見抜けず食い止められず,それをもって就職してしまう。特に小保方氏に限らないことのように思う。

小保方氏をユニットリーダーにした研究が始まった経緯を含め,できるだけ洗いざらい解明し,理研で同じようなことが起きないように,また理研のみならずほかのところでも同じようなことが起きないようにしていくことが重要だろうと思う。

金沢大学の新入生さんに道案内・・・

今日の夕方,時間が少しあったので,裁判所に向かって歩いていました。

今日はお役所の人事異動の日であり,金沢地方裁判所の裁判官も何人か代わるので,開廷表の横にその名前が貼り出されるかな?と思って。

 

そんなわけで,歩いていたとき,1人の女性が道を尋ねてこられました。

持ちにくそうな大きな荷物を持って歩いておられ,金沢の繁華街の中心部(香林坊)の方向を尋ねられたので,お教えしました。大きな荷物を抱えて歩くのが大変なようで,兼六園下から香林坊までは歩くと少し遠く,兼六園下のバス停からバスに乗った方がいいですよ,とも言ってあげたら,バスに乗っていくことにしたようでした。

関西から金沢大学に入学することが決まった新入生の方だということでした。下宿で使う電化製品を運んでいるようで。

私は,北陸から関西へ出たクチですが,その逆パターンもあるんやな~と,思いました。

いや~,金沢,車がないと不便すぎるよね。私も,住み始めたとき,車がなくて,方向音痴なものだから,思ったように進めなくて泣きそうになりました。特に金沢地裁の周りは何かあるようで何もなさすぎるし,ぐねぐね道が曲がっていて高低差があって,慣れていないとよくわからないんです。

あのままだととてもつらい思いをしたはずなので,私が道案内してあげたことで,たぶんけっこう助かっただろうな,と思いました。

私は,こうやって助けてあげることが好きです。気持ちよさを感じますね。ボランティアでガイドをしようと思ったことはないですけど。

 

それで,本題の,金沢地裁の裁判官の異動ですが,なんと,裁判所内の開廷表横の掲示は,3月までの裁判官の名前のままでした

正式には今日じゃないってことなんですかね?

いや,しかし,金沢地裁・金沢家裁のホームページはもう今日の時点で更新されている!→ 金沢地方裁判所 金沢家庭裁判所

(これは各地裁ごとに更新するようなので,ずっと更新しないサボリの地裁もあるくらいだから,全国基準からすると相当早い取り扱いですよ。)

そうすると,なぜそうなっているのか?

4月1日は公開の裁判の開廷予定がないので,前のままでも嘘にはならない,また,次に開廷表を貼るときに一緒に貼りかえれば省力化できる(ホームページの更新との違いは,ホームページには開廷表がないので,いずれは裁判官の名前を単独で更新しなければならない。それに対して,掲示の貼り紙の場合,一緒に貼りかえにに来ることによって,職員のエネルギー消費量を抑えることができる。)ということですかね?

いや,実際,それくらいしか理由なくないですかね?

(または,一旦変更しても,また数日したら再変更しなければならないっていうような事情があるとか。これも,紙ベースの場合は紙の節約になる。)

これ自体すごくどうでもいいことですが,上に書いたようにホームページ更新サボリの地裁があったり,役所によってもいろいろと性格が違うようで,面白いです。特に,裁判所は,妙なところで決まり事を作って自己正当化(と言ってはよくないですかね)の理屈づけをしていたり,逆に決まり事がないものについてはルーズに済ませたりするので,それが面白いんですよね……。

若手弁護士の多数が自分たちのことについて積極的に発言しないわけ

若手が集まらない原因募集。弁護士法人 向原・川上総合法律事務所/福岡の家電弁護士のブログ

 

上記ブログで,大きめの県の弁護士会(単位会)において若手弁護士が会務に無関心な傾向があり,その原因は何か?ということが論じられています。

「お金の絡む問題」であっても「お金にならない場」に若手弁護士が来ない傾向にあるようです。

 

私が所属する弁護士会(単位会)においては,現在のところ,お金にならない委員会にも相当な割合の若手弁護士が参加してボランティア的に活動しているように思います。

ただ,最初から会務にほとんど参加しない新人弁護士が昔に比べて増えてきているのと,弁護士になって10年くらい経つと会務に積極的な弁護士と消極的な弁護士に分かれるように感じます。

それに,比較的,やる気のある若手弁護士が集まって業務経験に基づいて勉強会をするなど,切磋琢磨して研鑽を積もうとしている傾向にはあると思います。

 

ですので,まだ,私自身,「若手弁護士が集まらない,議論しない」ということを実感して,その理由を実地で探っているというわけではありません。

ただ,都市部の弁護士会において,若手が会務に参加せず,さらに,弁護士の「経営」や「将来の見通し」にかかわることに関しても積極的に発言しないことについては,なんとなく私なりに思うところがあるので,少し語ってみます。

 

今の若手弁護士の世代は,同じ先鋭的な意見を持つ者たちで団結して対外的に声を挙げた,という経験のない人たちがほとんどです(私もそうです)。経験がないばかりか,周囲にそうした人たちがほとんどいなかったと言ってもいいでしょう。

若手の皆さんも,たとえば政府や自治体の政策については,個々人それなりの見識をもとに,「おかしい」とか「こうすればよい」という意見は持ち続けてきたでしょう。しかし,そうした公共政策について,自分の生活や将来を左右することとして,友人と議論して,外部に明確に意思表示をしたという経験を持つ人は多くないと思います。議論さえしたことのない人さえ多いかもしれません。私も,そういう話をできる相手は限られています。社会的なことについてそれなりの知識を持っていて,自分の頭で考えることができる人,それでいて,自分のオリジナルな意見を他人に伝えることに抵抗のない人って,あまり多くないです。

そして,若手の世代は,「いずれしっかりした形で社会に出て,悪戦苦闘しつつ職業経験を積み重ねていけば,おのずから社会的な立場を得ることができる」という実感のない世代です(少なくとも私はそう思っています)。むしろ,人と違うことをして失敗すると,経済的に将来が危うくなるという感覚を持っている人が多く,当面の選択肢が狭まっている感じがします。

さらには,世間一般を見渡して,一人で声を挙げた場合はもちろん,何人も集まって声を挙げても,その労力に比してどれだけの成果が得られているのか,ということがあります。声を挙げる過程で仲間と結束することができ,そのことで精神的な満足を得られるかもしれませんが,それは本来副産物ともいえます。自己満足で昂揚しない場合には,徒労感ばかりになってしまうのではないかということが世の中に満ちあふれています。単純に,権力に抗ったり(あらがったり),国や行政に助けてもらおうと運動しても,根本的な解決にならないのではないか,ということばかりです(きっと,以前は,そうでもなかったのではないでしょうか……)。

このように,一昔前と比べると,経済的な事情の変化から,現在の潮流を受けて育ってきた人たちは,「スタンダード」を逸脱しにくい心理になりやすいと思います。「スタンダード」を踏まえて,そのルールは前提として,その中で自分なりに頑張る,というのが染みついてしまっているのではないかと思います。

そのような状況が,若手弁護士が自分たちの将来に関わることについて発言しないことにもつながっているように私は思います。

正直言って,若手弁護士には,そんなには「しがらみ」はないはずです。ベテラン弁護士は,同期の旧友やお世話になった先輩の働きかけに応じざるを得ないことも多々あったのかもしれませんが,今はそんなものは急激に薄まっています。たとえば(たとえばですよ!),法科大学院(ロースクール)出身だから法科大学院を悪く言えないというのも,実際のところたいした圧力ではありません。ほんのちょっとした踏ん切りがあれば十分です。

皆さん,それぞれ,それなりに思っていることがあるはずです(と,私は思います)。

それでも,多くの人たちが率直に・積極的に発言しないのは,若手弁護士の世代が,そういう世代的状況(「スタンダード」は守って頑張るという方法を逸脱できない)に染まっているからなのではないかと思います。

あと,別角度から考えるとすれば,あまり率直に言わない方が営業的にイイ(むしろ甘っちょろいことを言っている弁護士を批判した方がかっこいい)というのもあるかもしれないし,情報発信力がある人は「スタンダード」の中での戦いに勝ち抜けるように仕事につながる情報発信にパワーを集中させるという傾向もあるでしょうね。まぁ,私は,それはそれで健全なんじゃないかと思ったりもしていて,若手弁護士が「弁護士」という職業の価値を守るために団結するのって本当に「公共善」なのか?と逡巡するところです。

もちろん,人のために,見返りを期待せずに頑張るということは,それだけでたいへん尊いことではあります。社会が良くなるようそれぞれの労力を注いでおられる方々には敬意を抱きます。私も,社会のために貢献したいという気持ちは強いので,頑張りどころを間違えず(これがやはり多いしもったいない),ここぞというときに奮闘したいと思っています。

マスコミの情報(特にテレビ局の映像)を裁判の証拠とすることについて

なぜNHKはオウム真理教の映像を「裁判の証拠」として使うことに反発したのか?

 

この記事は,上記のコラムに触発されて書きます。

マスコミの情報,特にニュース映像を裁判において証拠利用することについては,かねてから議論があります。大学では,憲法の講義の中で「知る権利」として取り上げられる話題です。

これについての判例に,「博多駅テレビフィルム提出命令事件」(最高裁大法廷昭和44年11月26日決定,取材フイルム提出命令に対する抗告棄却決定に対する特別抗告)があります。

これは,付審判請求(警察官の行為が特別公務員暴行陵虐罪にあたるとの主張に基づくもの)の審理のため,地裁がテレビ局に対し,事件当日の放送フィルムの提出を命じたことに関するものです。

最高裁決定は,次のように言っています。

報道機関の報道は、民主主義社会において、国民が国政に関与するにつき、重要な判断の資料を提供し、国民の「知る権利」に奉仕するものである。したがつて、思想の表明の自由とならんで、事実の報道の自由は、表現の自由を規定した憲法二一条の保障のもとにあることはいうまでもない。また、このような報道機関の報道が正しい内容をもつためには、報道の自由とともに、報道のための取材の自由も、憲法二一条の精神に照らし、十分尊重に値いするものといわなければならない。

ところで、本件において、提出命令の対象とされたのは、すでに放映されたフイルムを含む放映のために準備された取材フイルムである。それは報道機関の取材活動の結果すでに得られたものであるから、その提出を命ずることは、右フイルムの取材活動そのものとは直接関係がない。もつとも、報道機関がその取材活動によつて得たフイルムは、報道機関が報道の目的に役立たせるためのものであつて、このような目的をもつて取材されたフイルムが、他の目的、すなわち、本件におけるように刑事裁判の証拠のために使用されるような場合には、報道機関の将来における取材活動の自由を妨げることになるおそれがないわけではない。 しかし、取材の自由といつても、もとより何らの制約を受けないものではなく、たとえば公正な裁判の実現というような憲法上の要請があるときは、ある程度の制約を受けることのあることも否定することができない。

公正な刑事裁判を実現することは、国家の基本的要請であり、刑事裁判においては、実体的真実の発見が強く要請されることもいうまでもない。このような公正な刑事裁判の実現を保障するために、報道機関の取材活動によつて得られたものが、証拠として必要と認められるような場合には、取材の自由がある程度の制約を蒙ることとなつてもやむを得ないところというべきである。しかしながら、このような場合においても、一面において、審判の対象とされている犯罪の性質、態様、軽重および取材したものの証拠としての価値、ひいては、公正な刑事裁判を実現するにあたつての必要性の有無を考慮するとともに、他面において、取材したものを証拠として提出させられることによつて報道機関の取材の自由が妨げられる程度およびこれが報道の自由に及ぼす影響の度合その他諸般の事情を比較衡量して決せられるべきであり、これを刑事裁判の証拠として使用することがやむを得ないと認められる場合においても、それによつて受ける報道機関の不利益が必要な限度をこえないように配慮されなければならない。

次に,「日本テレビ事件」(最高裁第2小法廷平成元年1月30日決定,贈賄被疑事件について地方裁判所がした準抗告棄却決定に対する特別抗告)です。

これは,地検の検察事務官が贈賄被疑事件(リクルート事件)に関し裁判官の発した差押許可状に基づきビデオテープの差押処分をしたことについての決定です。このビデオテープには未放映部分が含まれていました。

最高裁決定は,次のように言っています。

報道機関の報道は、民主主義社会において、国民が国政に関与するにつき重要な判断の資料を提供し、国民の「知る権利」に奉仕するものであつて、表現の自由を保障した憲法二一条の保障の下にあり、したがつて報道のための取材の自由もまた憲法二一条の趣旨に照らし、十分尊重されるべきものであること、しかし他方、取材の自由も何らの制約をも受けないものではなく、例えば公正な裁判の実現というような憲法上の要請がある場合には、ある程度の制約を受けることのあることも否定できないことは、いずれも博多駅事件決定が判示するとおりである。もつとも同決定は、付審判請求事件を審理する裁判所の提出命令に関する事案であるのに対し、本件は、検察官の請求によつて発付された裁判官の差押許可状に基づき検察事務官が行つた差押処分に関する事案であるが、国家の基本的要請である公正な刑事裁判を実現するためには、適正迅速な捜査が不可欠の前提であり、報道の自由ないし取材の自由に対する制約の許否に関しては両者の間に本質的な差異がないことは多言を要しないところである。同決定の趣旨に徴し、取材の自由が適正迅速な捜査のためにある程度の制約を受けることのあることも、またやむを得ないものというべきである。そして、この場合においても、差押の可否を決するに当たつては、捜査の対象である犯罪の性質、内容、軽重等及び差し押えるべき取材結果の証拠としての価値、ひいては適正迅速な捜査を遂げるための必要性と、取材結果を証拠として押収されることによつて報道機関の報道の自由が妨げられる程度及び将来の取材の自由が受ける影響その他諸般の事情を比較衡量すべきであることはいうまでもない(同決定参照)。

本件差押処分は、被疑者Aがいわゆるリクルート疑惑に関する国政調査権の行使等に手心を加えてもらいたいなどの趣旨で衆議院議員Bに対し三回にわたり多額の現金供与の申込をしたとされる贈賄被疑事件を搜査として行われたものである。同事件は、国民が関心を寄せていた重大な事犯であるが、その被疑事実の存否、内容等の解明は、事案の性質上当事者両名の供述に負う部分が大であるところ、本件差押前の段階においては、Aは現金提供の趣旨等を争つて被疑事実を否認しており、またBも事実関係の記憶が必ずしも明確ではないため、他に収集した証拠を合わせて検討してもなお事実認定上疑点が残り、その解明のため更に的確な証拠の収集を期待することが困難な状況にあつた。しかもAは、本件ビデオテープ中の未放映部分に自己の弁明を裏付ける内容が存在する旨強く主張していた。そうしてみると、AとBの面談状況をありのままに収録した本件ビデオテープは、証拠上極めて重要な価値を有し、事件の全容を解明し犯罪の成否を判断する上で、ほとんど不可欠のものであつたと認められる。他方、本件ビデオテープがすべて原本のいわゆるマザーテープであるとしても、申立人は、差押当時においては放映のための編集を了し、差押当日までにこれを放映しているのであつて、本件差押処分により申立人の受ける不利益は、本件ビデオテープの放映が不可能となり報道の機会が奪われるという不利益ではなく、将来の取材の自由が妨げられるおそれがあるという不利益にとどまる。右のほか、本件ビデオテープは、その取材経緯が証拠の保全を意図したBからの情報提供と依頼に基づく特殊なものであること、当のBが本件贈賄被疑事件を告発するに当たり重要な証拠資料として本件ビデオテープの存在を挙げていること、差押に先立ち検察官が報道機関としての立場に配慮した事前折衝を申立人との間で行つていること、その他諸般の事情を総合して考えれば、報道機関の報道の自由、取材の自由が十分これを尊重すべきものであるとしても、前記不利益は、適正迅速な捜査を遂げるためになお忍受されなければならないものというべきであり、本件差押処分は、やむを得ないものと認められる。

さらに,「TBS ギミア・ぶれいく 事件」(最高裁第2小法廷平成2年7月9日決定,Aに対する暴力行為処罰に関する法律違反及び傷害被疑事件について地方裁判所がした準抗告棄却決定に対する特別抗告)があります。

これは,警察官が裁判官の発した差押許可状に基づきビデオテープの差押処分をしたことについての決定です。日本テレビ事件に比べると,差押の主体(裁判に直接証拠を提出するわけではない警察官)という点や比較的ありふれた刑事事件の捜査のための差押であったことが注意されるべきでしょう。

最高裁決定は,次のように言っています(この決定は,具体的な事案における判示に大きな意義があるので,その部分を抜粋します)。

本件差押は、暴力団組長である被疑者が、組員らと共謀の上債権回収を図るため暴力団事務所において被害者に対し加療約一箇月間を要する傷害を負わせ、かつ、被害者方前において団体の威力を示し共同して被害者を脅迫し、暴力団事務所において団体の威力を示して脅迫したという、軽視することのできない悪質な傷害、暴力行為等処罰に関する法律違反被疑事件の捜査として行われたものである。しかも、本件差押は、被疑者、共犯者の供述が不十分で、関係者の供述も一致せず、傷害事件の重要な部分を確定し難かったため、真相を明らかにする必要上、右の犯行状況等を収録したと推認される本件ビデオテープ(原決定添付目録15ないし18)を差し押さえたものであり、右ビデオテープは、事案の全容を解明して犯罪の成否を判断する上で重要な証拠価値を持つものであったと認められる。他方、本件ビデオテープは、すべていわゆるマザーテープであるが、申立人において、差押当時既に放映のための編集を終了し、編集に係るものの放映を済ませていたのであって、本件差押により申立人の受ける不利益は、本件ビデオテープの放映が不可能となって報道の機会が奪われるというものではなかった。また、本件の撮影は、暴力団組長を始め組員の協力を得て行われたものであって、右取材協力者は、本件ビデオテープが放映されることを了承していたのであるから、報道機関たる申立人が右取材協力者のためその身元を秘匿するなど擁護しなければならない利益は、ほとんど存在しない。さらに本件は、撮影開始後複数の組員により暴行が繰り返し行われていることを現認しながら、その撮影を続けたものであって、犯罪者の協力により犯行現場を撮影収録したものといえるが、そのような取材を報道のための取材の自由の一態様として保護しなければならない必要性は疑わしいといわざるを得ない。そうすると、本件差押により、申立人を始め報道機関において、将来本件と同様の方法により取材をすることが仮に困難になるとしても、その不利益はさして考慮に値しない。このような事情を総合すると、本件差押は、適正迅速な捜査の遂行のためやむを得ないものであり、申立人の受ける不利益は、受忍すべきものというべきである。

このように,裁判例は,将来の取材の自由にも配慮した判示をしているものの,それを踏まえても,フィルム・ビデオテープが重要な証拠価値を有する等の理由から各提出命令・差押許可は正しかったとしています。

他方,マスコミは,このように提出命令や差押を受ける場合だけではなく,刑事裁判で検察官・弁護人が自主的に証拠として,テレビ放映された番組を録画したビデオテープを裁判所に提出したような場合でも,抗議をすることがあります。民事裁判でもそのようなことがあります。

 

私は次のように考えます。

テレビ局が放映した映像を裁判の証拠として用いることにより,漠然と考えれば,将来の取材活動に悪影響を及ぼすおそれがないとはいえません。

しかし,その映像は,誰でも視聴できるように発信した情報であるので,もともと誰でも知ることができたわけです。それを裁判で証拠として提出しても,具体的に将来の取材活動にどのような悪影響があるのか,容易に想定はしづらいです。

他方で,未放映の映像については,差し押さえられると報道の機会が奪われる(未編集の場合),というのはもちろんですが,ジャーナリストが取捨選択(または未編集)の末に放送していないものを強引に見ることで,捜査機関や司法が報道機関の取材源に土足で踏み込むような形になります。何らかの理由で放送に適さない映像が証拠として用いられ,その映像の内容が世間に知られることにより,報道機関が信用を失い,将来の取材活動に悪影響を及ぼすということが現実味のある話に感じます。

よって,提出命令や差押の可否等を検討するにあたっても,当該映像がどのような段階にあるものなのかが重視されるべきだろうと思います。そういう意味では,私は,放映済み映像については,裁判の証拠化について比較的積極的な意見です(捜査機関,特に警察による差押については極力抑制されるべきだとは思いますが)。

ただ,最近の佐村河内守さん,小保方晴子さん,『ガレキとラジオ』・・・ばかりではないですが,マスコミ(特にテレビ局)が映像を駆使してセンセーショナルに継続的に取り上げることで,真偽の怪しいことを本当のように信じ込ませたり,イメージを実際以上に美化・悪化させたりすることができるわけです。いかにもノンフィクションであるかのようにドラマ(フィクション)を作ることもできるわけです(『放送禁止』シリーズなど)。そんなこんなを考えると,いかにも本当らしい映像(編集後,編集前にかかわらず)が証拠として提出され採用されたときに,法律家がその内容の真偽を見抜けるのかといえば,難しいかもしれません。そういう意味では,証拠としての取扱いは,非常に慎重になされるべきだと思います。

大雪によるご近所トラブル、大量発生?

弁護士ドットコムの相談を眺めていると,最近,雪によって生じたトラブルの相談が多い。

たとえば,隣家の屋根雪が落ちてきて,自動車が損傷したとか。

また,ネット相談には上がってきていなくても,積雪が原因で起きた交通事故は多いと思われる。スタッドレスタイヤ不着用だと,相当滑るので。ただ,交通事故の場合,結局過失割合の判断材料ということで,通常の処理内で解決できそうだ。

やはり問題は,落雪とか除雪トラブルだろう。

金銭的には深刻な金額になっていなくても,感情的にかなりもつれていることがある。

 

このような相談は,雪国である北陸(富山県,石川県,福井県,新潟県?)あたりでは,実は毎年それなりにあると思われるが,その多くは裁判所に持ち込まれないまま解決するか沙汰止みになっているので,裁判所の判決例が蓄積されていない。

だから,相談を受けた弁護士も,「このケースはこうだ」と断言しづらいことが多い。

駐車場の雪は誰がどのように除かすべきか? そんな気軽な質問も,弁護士に聞いてみたら意外と悩んだ顔をするかもしれない。

 

落雪について,過去の裁判例を探ってみると,

昭和51年8月23日札幌高裁判決(判例タイムズ342-112,判例時報850-43)が一つ大きな参考判決例であるといえる。

この裁判は,歩行者が歩道を通っていたところ,民家の屋根の雪が歩行者の頭上に落下してきて,歩行者が埋没し,窒息死した事案で,死亡した歩行者の遺族が民家の所有占有者と道路の設置管理者である国に損害賠償請求をしたものである。

結論として,判決は,家屋の所有占有者と国が遺族に損害賠償する義務があると認めた。このうち,所有占有者の責任についての判示を要約(一部匿名化・削除)して掲載する(正確には原判決に当たって下さい)。

 Y(家屋の所有占有者)が本件建物の屋根に雪止を設置したのは、本件事故発生の三、四年前であつたこと、Yは、昭和四八年一〇月上旬頃、本件建物の屋根の古いトタン葺の上にカラー長尺鉄板を葺いたが、その際、棟木に打ち込んであつた五寸釘を打ち替えて元のままの雪止を設置しておいたこと、本件事故発生当時雪止の丸太を懸吊する鉄線はいずれも赤く錆びついていたことが認められる。
 而して前段認定の事実と雪止の鉄線が切断した態様から推すと、本件事故発生の当時雪止の鉄線の張力は、かなり弱化していて、そのため積雪による荷重に耐え切れずに切断したものと認めざるを得ない。
 Yは、本件建物の屋根に設置されていた雪止は、士別地方で用いられている雪止としては通常のものであつて、本件事故発生当時も通常の落雪防止機能を有していた旨主張する。しかしながら士別市における一一八センチメートルという積雪量は、一二月二〇日頃現在のそれとしては、例年にない程多いものであるとしても、冬期間全体を通して見れば、それは決して異常に多い積雪量などと言えないことは明白であるし、また、士別地方では、本件落雪のあつた昭和四八年一二月二一日の朝、それまで何日か続いていた寒気が弛み、これが本件落雪の一因であったことが窺われるけれども、冬期間に何日間か続いた寒気が急に弛むという気象現象はさほどに稀なものではなく、そのような場合に屋根の積雪が落ち易い状態になることは降雪地では公知の事実である。右のとおりとすると、本件事故発生の当時、士別地方に、同地方で用いられている通常の雪止であつて通常の落雪防止機能を有するものによつては屋根の積雪の落下を防止し得ない程に異常に多量な積雪があり、異常な気象現象が現われたものとみることは到底できない。
 本件建物の屋根に設置されていた雪止の設備は、民法第七一七条第一項にいう「土地ノ工作物」にあたるものというべきところ、上叙判示したところによれば本件落雪は、右「土地ノ工作物」としての前記雪止設備の保存の瑕疵に因るものということができる。たとえ前判示の気象現象が本件落雪の一因であつたとしても、右の判断が左右されるものではないし、また、たとえYが右瑕疵に気付いていなかつたとしても同様である。そうだとすると、結局において、Xの死亡は、右「土地ノ工作物」としての前記雪止設備の保存の瑕疵に因つたものといわざるを得ない。

このようにして,裁判所は,家屋の所有占有者の責任を認めている。

被害者側は,民法717条1項の「土地の工作物」責任を主張していた。

ここで,一応,この規定の説明をしておくと,

1 土地の工作物(建物など)の設置又は保存に瑕疵があったこと
2 その瑕疵によって第三者に損害が発生したこと

この要件が揃えば,土地の工作物(建物など)の所有占有者が第三者に対し損害賠償責任を負うことになる,というものである。

ここでいう「瑕疵」というのは,その種類の工作物(建物など)として通常備えるべき安全性を欠いていることを意味している。この判決は,当該家屋が通常備えるべき安全性を欠いていたと判断したのである。

判決の論理をごく単純化すると,例年その地域で降っている雪にも耐えきれない設備であった以上,設置保存の瑕疵がある,ということになるだろう。

 

そして,この判決は,人の死亡や傷害を伴わない物品の損害の場合においても,参考になると思われる。

一般的なケースで,落雪により損害が出た場合においても,「土地の工作物の設置保存の瑕疵」の観点から考えるべきであり,たとえば具体的に「雪止めを設置すべきであったか」,「屋根雪の除去をすべきであったか」,「注意喚起すべきであったか」ということが問題になってくる。そして,その際には当該地域での例年の状況も重視されるのだろうと思われる。

 

このように,各当事者がどのような行動を取って事件が発生したのか,詳細に事実関係を押さえ,また,例年の積雪状況も知り,その上で法律を適用しなければならない。よって,雪に関するトラブルについては,口頭の短時間の相談では,きっちりとした結論に達しにくいかもしれない。

 

なお,今回取り上げた判決について,道路の管理瑕疵の問題を中心に行政官が論じた文章があるので,リンクを貼っておく。

http://www.hokuhoku.ne.jp/rmec/18pdf/38-39.pdf

2014年日弁連会長選の結果について

2014年の日弁連会長選は,2014年2月7日に投票が行われ,村越進氏が11,676票(51単位会で首位),武内更一氏が4,173票(1単位会で首位)となりました。投票率は46.65%でした。

 

この結果について,取り上げているブログがあります(まったく網羅はしていません)。

日弁連会長選挙 武内更一候補が善戦』(2月7日,猪野亨弁護士)

日弁連会長選挙には行かなかった。』(2月8日,PINE’s page)

日弁連会長選、史上最低投票率の現実』(2月10日,河野真樹氏・元「法律新聞」編集長の弁護士観察日記)

日弁連会長選挙の開票結果について』(2月12日,小林正啓弁護士)

 

この中で,分析的なのは,河野氏と小林弁護士のブログです。

河野氏は,

単独の獲得票が1万票を越したのは、今回が初めてですが、母数となる選挙人数が増員政策で年間約1600人ずつ増加しているうえに、再投票・再選挙にもつれ込んだ前回2012年の1回目の選挙で割れた、いわゆる「改革」路線派票の合計は1万票を越していることからも、注目すべきなのはやはりこちらではなく、投票率の方です。

と書いています。

また,小林弁護士は,

以上見てきたように、今回の日弁連会長選挙の開票結果は、子細に見れば注目点もあるが、全体としてみれば、史上最低の投票率という以外、何らかの傾向を読み取るべき材料を見いだすことができない。「特段新規な公約を打ち出さなかった主流派候補と、新左翼の対立候補では、勝敗は見えていた」ことが、史上最低の投票率の原因という、実も蓋もない分析結果で、お茶を濁すしかないようだ。

と書いています。

 

これらの分析を細かく見ていけば,「東京弁護士会内の最大派閥である法友会(平成22年度会員数2398人)が、集票マシンとしての実力を発揮したことを示している。」(小林弁護士),「愛知県の(投票率の)下落ぶりはすごい。だが何故かは分からない。」(小林弁護士),「前々回2010年選挙で再投票の結果、宇都宮健児氏がついに「改革」路線の執行部派候補を破り、2年間のかじ取りをしたものの、「改革」路線を大きく転換することはできず、続く宇都宮氏の続投をかけた前回2012年選挙が、前記したように再び再投票、初の再選挙にもつれこんだものの、執行部派の勝利で政権奪還します。反執行部派政権2年と、その後の会長選挙のゴタゴタは、会員の無力感と「嫌気」につながったとみることもできます。」(河野氏)といったところに,掘り下げの余地が十分あるように思われます。

東京弁護士会は,武内更一氏が東京弁護士会所属ということで,自分の会で接戦になると都合が悪いとか,そんな理由で頑張ったのかな,とか。

 

そして,私の視点(選挙マニア)を付け加えるとすれば・・・

前回・前々回,宇都宮氏に投票した票はどこへ行ったのか(前々回9,720票,前回1回目6,613票,前回2回目7,503票)ということです。

武内更一氏は前回の森川文人氏の系列の候補なので,前回の森川氏の得票1,805票がひとつの参考になります(森川氏は1回目で脱落)。そして,村越進氏は前回の山岸憲司氏の1回目得票7,964票,2回目8,570票が参考になります。なお,前回の投票率は1回目62.28%,2回目50.86%でした。

今回の村越氏は,11,676票でしたので,前回の山岸氏の2回目と比較して3,000票以上積み増ししています。対して,武内氏は,4,173票でしたので,前回の森川氏の1,805票から2,300票余りの積み増しになります。この積み増し比較は,候補者数や投票率の差を考えると,今回の武内氏にできるだけ有利になるような比較です。そんな比較でも敗北しているので,武内氏は村越氏との「旧宇都宮票」取り込み競争に敗北したといえます。

「旧宇都宮票」がいわゆる主流派批判票であったと考えるならば,武内氏はその受け皿たりえなかったということです。武内氏が髙山俊吉氏の系列であり,高山氏が投票率が2008年の選挙で7043票を獲得したことを考えると,武内氏は今回潜在的には掘り起こしえた有権者数の10%程度(約3,500人)の票を眠らせてしまったのではないでしょうか。

「勝敗が見えていたから」武内氏の得票が伸びなかったのではなく,根本的に何かが足りていなかった(または余計なことを言っていた)ので票が入らなかったと見るべきでしょう。確かに,選挙では,勝敗が見えていたから投票に行かないということもありますが,そもそもの圧勝の理由にはなりにくいです。

「旧宇都宮票」に戻りますが,これはいったい何の票だったのでしょうか? なぜ前回まで,「宇都宮を支える地方対主流派を支える東京」のような構図になっていて,今回それが雲散霧消したのでしょうか(そもそも,前回まで,何らかの政策を実現するために宇都宮氏が立候補していたとしたら,今回宇都宮氏に近い政策を実現するために立候補する人がいなかったのはなぜなのでしょうか?)。

この理由は,票数の分析だけからはわかりません。私の感覚でゆるく語るとすると,2007年の参院選・2009年の衆院選の民主党の勝利と,ターニングポイントとなった2010年の参院選,2012年の衆院選・2013年の参院選の民主党の得票の激減に近いものがあります。「とにかく政権交代を!」と言って政権に就いてみたものの,肝腎の問題を置いといてピントがずれたことをする(やってるときには,一応褒めそやされますが,だんだんとほころんできます)。そして,地力がまだ残っている派閥・土着層の巻き返しに遭う。右肩下がりになってからは,メッキが剥がれて回復困難。離脱者続出。かつて支持していたはずの有権者も,「投票したことがあったっけ?知らんなぁ」ってなもんです。それで,極端な人しか対抗馬として立たなくなるという(それも,当該選挙と直接関係のない他の政治運動の話をしたりする)。

まだ,自民党は民主党政権の反動で景気が良くなった感じを演出できたのでいいんですが,日弁連はそんなことも全くありませんし。弁護士の中に,もう日弁連には何も期待できない,と言っている人が散見されるのもむべなるかな,です(最近失望したというのなら,もともと宇都宮氏に何を期待したのか,ということも疑問として浮上しますが)。

ただ,日本の国政と日弁連の異なるところとしては,自民党がいろいろとガッチリ押さえてしまった国政に対して,日弁連は1回の選挙で浮動票で・・・という可能性がまだ大いにあるということでしょう。「宇都宮票」を構成した移ろいやすい票についても,今後全く同じような現象として再結集することはなくても,何らかの形で主流派を苦しめることがあるかもしれません。そんな意味で,近い将来もうひと山あるのではないかと予想しています。

「佐村河内守」問題

最近大騒ぎになっている「佐村河内守」(さむらごうちまもる)問題。

佐村河内守という名前で作曲家を自称していた人が、実は全聾ではなく自分で作曲もしていなかったという疑惑。私は、ネットで騒ぎになるまで、「佐村河内守」のことを知らなかったが、テレビ各局が特集を組んだ結果、かなり有名になって売り上げにつながっていたらしい。

 

私は、この問題が発覚した後は、いろんな切り口があって興味深い問題だと思い、積極的に情報収集している。

まず、「佐村河内守」が自称していた聴力障害や作曲方法等が虚構であったとして、NHKがなぜプロモーションに協力する形になってしまったのか?ということ。特筆する知識や注意力のない個人であれば、それ相応の情報を与えられると、騙されることはあるものだろう。しかし、NHKスペシャルといえば、日本のテレビ界で最高峰ともいえるノンフィクション番組である。たくさんの人が、様々な方向から取材し、編集し、チェックし、審査していたはずである。疑問が生じなかったのか? 生じたとしたらどのプロセスでつぶされていたのか? または、虚偽の情報が入っていることに気づきながらそれを放置した者がいるのか? このことに大変に興味がある。民放については、広告代理店と結びついて物を売るための演出をしまくっているということで、私は醒めた目で見ているが、NHKについても直観的に近年どんどん民放に近くなっている気もしている。今のNHKなら、かつてのTBSのようにオウムの擁護をしてしまうかもしれない、というくらいに。

これについては、私自身に取材能力はないので、私が今後ブログなどで情報を発信してもたいした価値をもたないが、私自身としてはたいへんに関心がある事柄ではある。

これと関連して、マスコミにおいていかにして「売れる商品」が作り上げられていくか、その実態、技術、倫理、お金の動き方、いわゆる「弱者」の使われ方ということにも関心がある。まぁ、これも、ここでは長々と書かないが、大規模自然災害の時の募金の呼びかけ、募金詐欺、復興関連商法(NPO法人りばぁねっとのようなものも含めて)などと根っこは共通しているのではないかと思う。

 

法律が相当関係する問題としては、大きく分ければ、作られた曲の知的財産関係のこと、佐村河内守らの行為が刑事上の罪責を負うものかということ、である。

知的財産については、ソチオリンピックでのフィギュアスケートの高橋選手の曲に「佐村河内守」名義の曲が使われてる予定であったようで、JASRACの対応次第では現場で曲が使えない、曲を使えても放送できない、ということになりかねない、ということが、当面の大問題だ(理屈は知らないが、JASRACは権利の理由許諾を「保留」したという)。

そして、実作者であることを告白した新垣隆氏は、会見において、著作権を主張しないと言ったようだが、そうすると今後、曲についての権利はどうなるのか?というところだろう。

CDを購入した者が返金を請求できるか否か、という問題もあるが、誰に対してどのような根拠で請求するか、非常に難しいか。

刑事問題については、詐欺罪、身体障害者福祉法違反など、挙げている人たちがいるが、CDの販売に関して罪に問うのは基本的に難しく、虚偽申告により福祉関係の給付を不当に受けていたとすればそこを捉えての立件になるかと思う。

 

最後に…。今回、「佐村河内守」が体調不良を理由として表に出てこない代わりに代理人弁護士が記者の質問に応じて、「ご本人が、耳が聞こえないのは本当だろうと思っている。」と話していた。そして、弁護士自身も「佐村河内守」の身体障害者手帳を確認していると。

それって、弁護士という聴力判定についての「門外漢」が話しているだけで、それもまた騙されてるだけなんじゃないの? だって、他のたくさんの素人は騙されてきたんだし…、これで本当は聞こえていたというのが真実なら、発覚前のマスコミと同じように「信憑性」補強の道具に使われただけになるよね、と私は思った。

この件に限らず一般的なことだが、代理人というのは本人の「代理」をしているけれども、第三者としての発言を求められることもある。そのときにどう喋るか、どう立ち回るかというのは、相当難しいところだと思う。第三者の目で、本人の利益と関係なく、当該案件について知っていることをベラベラと喋るようなのは代理人ではない。しかし、本人の発言をそのまま伝えるだけというのであれば、代理人を立てる必要もない(単なる風よけだ)。基本的に、「本人のスポークスマンでいながら、交渉力も持つ」というくらいなのかな、というのが私の感覚だが、これも案件や場面次第で変わってくるだろう。

逮捕情報の公表・報道はどうあるべきか?

※記事をお読みになるにあたっての注意点※ 金沢法律事務所(弁護士 山岸陽平)では、「逮捕されたとき(起訴、判決時)の報道発表を食い止める」という弁護活動を行っていませんのでご了承ください。

被疑者は報道によってダメージを受けることが多い

刑事事件の弁護をしていると、自分や家族の逮捕が報道されたかどうか気にする人が非常に多いです。

人によっては、逮捕されたという事実そのものよりも、逮捕されたことが報道されたという事実により精神的ダメージを受けます。また、精神的ダメージだけではなく、経済的なダメージにも結び付きやすいです(勤務先を自主退職に追い込まれたり、現実的に客商売ができなくなるなど)。

特に、ムラ社会なコミュニティにおいて実名報道がされると、非常に厳しいものがあります。

このように、報道により被報道者(=ここでは被疑者)が受ける損害はただならぬものがあると言ってよいでしょう。

なかには、逮捕されずに、略式命令(略式起訴)で罰金を科せられて終わる刑事事件もありますが、そういう取扱いと逮捕された場合の感覚は、天と地ほどの差があると言っても過言ではありません。前科としては、まったく同じ意味を持つのですけどね…。

事件報道により報道の受け手が享受する利益は?

一般に報道機関による報道は、国民(市民)の知る権利に資するものです。

ここで、知る権利と言っても、他人が隠したいことを興味本位で暴くということを実現するための権利ではありません。

事件報道の関係では、何を実現するために「知る」意義があるのでしょうか。

それは、まず、行政(警察も行政です)が間違いなく仕事をしているかチェックするためです。以前の記事でも書きましたが、逮捕されるべきでない人を逮捕しておいて、そのことについて警察が発表もしなければ、行政に都合が悪いというだけで根拠なく逮捕しても、その是非が検証されずにうやむやにできてしまうおそれがあります。国民主権のもとで警察も動いているので、警察が何をしているのか国民が知るのは当然だという考え方です。

また、凶悪な事件に関しては、周辺住民が身を守るため、という理屈立てもあるかもしれません。あとは、ぶっちゃけて、誰が犯罪に手を染めたのか知って警戒するため、という欲求が大きいかもしれません(いや、しかし、私は、それを逮捕直後、警察発表に基づいてやるのはどうなんだろう…と思います)。

石川県における報道の問題点

北國新聞、北陸中日新聞

北國、北陸中日の2紙は、警察発表を基本的にそのまま記事にしているようです。

ですから、非常に微小な案件でも、ほぼ漏れなく実名で掲載されます。たとえば、数十円の物品の窃盗や運転免許証の提示拒否で逮捕されても掲載されます。(ごくたまに、逮捕されても掲載されていない案件もありますが、どのような基準で漏れ落ちているのか詳しいことは知りません。そのような案件も、勾留段階や起訴段階で検察庁が報道機関に情報提供して載ることがあります。)

これにより、石川県では、逮捕された場合、周囲の人は基本的にみなそれを知っている(報道されなければ運がいい?)、という前提になってきます。

この2紙は石川県内でのシェアが高く、多くの被報道者(被疑者)にダメージを与えているといえます。

警察がしっかり発表していなかったり、マスコミがちゃんと取材できていなかったりして、事件のあらましや被疑者の言い分が誤って報道されていることもしばしばありますが、後日訂正されることはほとんどありません(訂正を兼ねて再度報道されるのもイヤでしょうし、あまり初期報道に抗議することは多くないというのもあります)。

ただ、北國新聞と北陸中日新聞は、紙面に載せた逮捕情報をそのままインターネット掲載するということはありません。さすがにそれをすると大変なことになる、ということをわかってるんでしょう…。

ネット掲載

多くの事件は、北國・北陸中日の逮捕時の報道だけで終わります(場合によっては、勾留の有無や裁判の報道もあります)。しかし、地元テレビ局や全国紙の支局記者が注目する事件になると、テレビで流れたり、インターネットに掲載されたりします。

どういう事件がそうなりやすいかというと、

1 結果が重大な事件(人が死亡した場合、重傷を負った場合、大きなお金が絡む場合)

2 関係者(被疑者や被害者)の職業や知名度などにニュースバリューがある事件

3 連続的な犯罪の場合

4 ちょっと変わった方法での犯罪の場合(目につきやすい、ネタにしやすい等)

といったところでしょうか。

地元テレビ局には報道したニュースを掲載するサイトを用意しているところも多いですが(ITC、MRO、HABなど)、北國新聞や北陸中日新聞のように原則全件報道というわけではありません。ですので、結局のところ、報道機関がニュースバリューありと判断したものがネットに載り、後日逮捕情報が検索しやすい状態で残ってしまうという形です。

「社会的制裁」のありようが地方によって大きく異なるのもおかしな話では

社会的制裁については、正式裁判になっても判決では大きく考慮がされることはほとんどありません。

「報道によって仕事を辞めなくてはならなくなった」というのなら、まぁそれも考慮するか、という程度であり、「報道により社会復帰に支障をきたしている」という漠然とした主張では取り上げてもらいにくいと言っていいです。

しかし、既に述べたとおり、逮捕時の実名報道が実質的な社会的制裁になっていることは間違いないところです。周りを気にせず生きていけばいいといえばそうなのかもしれませんが、みんなが周囲を気にするような社会であればなかなか難しいところです。

こういう取扱いが公の議論の結果、各都道府県でなされているのなら、それは根拠のある扱いなのかと思うのですが、実際には各都道府県での取り扱いについてそんな議論がなされた経緯は聞いたことがありません(全国メディアでは、被疑者の実名報道の基準について議論されたことがあるようですが、地方紙についてはどうなんでしょう…。そもそも特定トピックについて各県で議論してることがあまりないですよね。)。

「公の機関が発表しているから、基本間違いない」、「警察が実名で発表するから、載せない理由はない」、「疑われるようなことをした者にも責任はある」、「知りえた情報を載せることで部数を稼げるなら載せる(ライバル紙も載せているし、載せなくなったら部数が奪われる)」、「警察の顔を立てることで、取材もしやすくなる」というようなのが現実的な理由で、たいした議論もなく続いているのかなと思っています。

私は、各都道府県の地元紙の報道のありかたを熟知しているわけではありませんが、全都道府県で、同じような事件を起こした時に、報道されるかされないか、大きな違いがあることは確実です。特に、大都市部と田舎県では大きな違いがあるでしょう。

各都道府県の報道機関や警察の取り扱いによって、被疑者被告人がどれだけ実質的な社会的制裁を受けるか大きく異なるというのも、ちょっとおかしな話だと思っています。

逮捕情報のネット掲載(匿名)をしている警察もある

ここで私が注目しているのは、匿名で逮捕情報をネットに掲載している自治体警察の存在です。

たとえば、北海道警青森県警長野県警大阪府警奈良県警広島県警島根県警山口県警愛媛県警福岡県警佐賀県警長崎県警です。他にもあるかもしれませんが、ざっと。

全件載せているかどうか、これ以外の報道機関向け発表はどうなっているか、という問題もありますが、これで「行政の動き」としては把握できるし、報道機関が警察からの「又聞き」で被疑者の言い分をもっともらしく発表する→そしてだれも「誤報」の責任を取らないという流れに比べれば、警察が自己の言い分を発表しているということですっきりします。

こうやって行政機関が直接国民・市民に情報を提供することができるようになっているわけで、こういう仕組みを生かして、行政は国民・市民のチェックを受けてほしいと思います。地元報道機関に対して発表するのでそれを通じてチェックしてもらえればいい、という考え方も全否定はしませんが、時代に合わせた工夫の仕方があるのではないかと考えます。

これについては、また機会があればさらに書きたいと思います。